「偏見の罠」という「ラベルの害」 ― 2024/10/13 07:23
有田哲文記者の「福沢諭吉が陥った偏見の罠」という見出しの「偏見の罠」という言葉は、多くの人に誤解を与えるレッテル貼りではないか、と思った。 以前、「ラベルの害」と題して、福沢諭吉も簡単なラベルのためにひどい迷惑を蒙っている話を書いたことがあった。 それを引いておきたい。
ラベルの害<等々力短信 第480号 1988.(昭和63).11.25.>
「右翼」とか「左翼」とか、簡単なラベルを貼ることによって人間を分類するのは世の常だから大して問題にしないが、明治の世にそんな簡単なラペルのために有為の人が生命を失っている例が少なくないのは残念だと、『異史 明治天皇伝』の中で、飯沢匡さんは述べている。 例を挙げて、森有礼が「キリスト教徒」というラベルを貼られたのはその最たるものだし、福沢諭吉も簡単なラベルのためにひどい迷惑を蒙っているという。
戦後になって貼られた「脱亜論」「脱亜入欧」のラベルによって、福沢には今日なお、ラベルによる迷惑が続いている。 このことについては、丸山真男さんの議論を紹介しながら書いたことがある。(複眼で見る(等々力短信343号)〔昔、書いた福沢21〕<小人閑居日記 2015.3.7.>/外人にもわかる明治維新(等々力短信349号・昭和60年3月5日)/福沢諭吉と朝鮮(等々力短信377号)〔昔、書いた福沢35〕<小人閑居日記 2019.3.16.>)
飯沢匡さんの福沢諭吉論で、第三に挙げなければならないのは、福沢の「脱亜論」や「国権論」に言及した部分である。 それは丸山真男さんを始めとする福沢諭吉研究の最近の成果、私がこの十数年、4か月に一度福沢諭吉協会のセミナーの、末席に小さくなって聴きかじってきた耳学問と、まったく見事に一致するのだ。 戯曲を書くのが本業の飯沢匡さんに、なぜそれが可能だったのか、興味の尽きないところである。 福沢諭吉という人物、明治という時代に対する強烈な好奇心、飯沢さんご自身の自由な精神活動、そんなことがまず思い浮ぶ。 「劇作家」と書くこと自体、すでにラベルに囚われていることになる。
飯沢さんも、福沢の「脱亜」の真相を、百年前に日本が直面していた危機的な状況、次第にはっきりしてきた列強のアジア侵略に由来するものだとみる。 福沢は、幕末から外交文書の翻訳や三度の外遊の体験を通じて、海外事情にくわしく、特に列強のアジア侵略には人一倍敏感だった。 清国(今の中国)が、列強の暴力に屈服して、香港を手始めに次々と開港された上、治外法権の居留地を設けさせられたりする屈辱を受けながら、なかなか目を覚まさず、依然として惰眠をむさぼっていることを、歯噛みして口悔しがっていた。 日本は中国と同じ道を歩んではならない。 列強の暴力に抗するために、今なすべきことは、進んで西欧文明を取り入れて国力をつける事だと、福沢は考えたのだった。
「相手の立場に立って物事を考える」と、言うのは簡単だが、実行はなかなか難しい。 歴史を考える時にも、同じようなもので、つい現在の尺度で、考えてしまいがちである。 その当時の状況に立ってみる、「タイムマシン」のような自由さが、必要なのだろう。
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