画家・秋野不矩さんを知っていますか2024/10/14 06:49

 8月22日に「松田「正平さんのベクトル」と川端道喜」、23日に「松田正平さんの絵と展覧会」を書いた、岩波書店『図書』の、川端知嘉子さんの御粽司 川端道喜『手の時間、心のかたち』に、画家の秋野不矩(ふく)さんがしばしば登場する。 川端知嘉子さんは、京都市立芸術大学で、秋野不矩先生に教わっていたのだ。 私は、閑居を始めたばかりの2001年9月に天竜市二俣の秋野不矩美術館へ行き、2008年9月には神奈川県立近代美術館葉山で生誕100年記念「秋野不矩展」を見ている。 秋野不矩さんとは、どんな人なのか、まず、その展覧会のことを書いていたのを、引いておく。

        葉山の「秋野不矩展」<小人閑居日記 2008. 9.10.>

 気持よい秋晴れとなった9日、生誕100年記念「秋野不矩(ふく)展」を見に、神奈川県立近代美術館葉山まで行った(10月5日まで)。 秋野不矩さんの絵は、家内がどうしても見たいというので、閑居を始めたばかりの2001年9月8日、天竜市二俣の秋野不矩美術館まで出かけたことがあった。 建築探偵藤森照信さん設計の木造の建物も、なかなか素敵だった。 その翌月、秋野不矩さんが93歳で亡くなり、びっくりしたのだった。

 さて、今回の展覧会は、会場も広く、秋野不矩さんの全貌はもとより、とりわけインドを描いた作品群を、十分に堪能することができる。 秋野不矩さんは、54歳になった1962年、ビスバーバラティ大学(現・タゴール国際大学)に招かれて、一年間インドに滞在した。 以来、亡くなるまでに十数回もインドに足を運び、意欲的な制作活動を展開した。 それによって、彼女の画業はよりスケールの大きなものに変貌し、厳しくも雄大なインドの大地を、やさしく生命力あふれる作品に結実し、それまで見られなかった日本画の新境地を開いた、といわれる。

 秋野不矩さんの絵は、気持いい、清々しい、というのが、展覧会を見ての印象だ。 水牛が数頭、夕焼けの大河を渡っていく「ガンガー」、シネマスコープのような(古いね)横広の大画面に三つの寺院を絶妙に配置した「オリッサの寺院」、四本の角柱の前面に広大な浜と海が開けた「海辺のコテージ」、遠近法で描かれた柱の間から入る光のコントラストとリズムが楽しい「廻廊」など。

 秋野不矩さんの言葉。 「絵画とは、その作家の魂の象徴であり、その表現は、作家の生涯の研鑽の道程として追うべきものであります。 容易にその道は展開されませんが、努力を重ねて全うする、そのことが作家の使命であり、よろこびでもあります。」

 亡くなる前年、秋野不矩さんは92歳で、アフリカに出かけている。