良いことをすると報われる ― 2024/11/21 07:01
2023年8月1日、頭をぶつけて病院からさくら荘に帰った長坂誠は、風呂でシャワーを浴び、武蔵小金井の駅ビルで買ってきたおにぎり二個と野菜ジュースをゆっくり食べた。 テレビをつけると、ロシアの侵攻を受けたウクライナ兵が煙草を吸っているニュースだった。 それを見ながら自分も煙草を咥え、火をつける。 銘柄はロングピースだ。 ちょうど20年前、2003年にアメリカが安保理決議を経ずにイラクに侵攻した時、頭にきて、抗議のつもりで、アメリカ製のラッキーストライクを止め、ロングピースに切り替えたのだ。 ウクライナで戦う兵士たちに、ロングピースを届けてやればなあ。 ロングピースは名前もいいが、味や香りも最高だ。 おそらく世界一美味い紙巻煙草だと思う。 命懸けの戦闘の合間にほんの五分、嗜(たしな)む平和は、どんな味がするだろう。
そのまま、うとうと眠り込んだら、何やら、物音がする。 午後十時を回っている。 隣の隣、23号室の女の娘が空のペットボトルに水道の蛇口から水を入れようとしていた。 黒目がちの澄んだ瞳をした美少女だ、小学生の弟がいる。 昨日から水が出ない、電気も止められている、母親が7月11日からいない、すぐに帰るからと一万円置いていった、とわかった。 だが、「お父さん」と「警察に相談」は禁句だった。 お母さん、帰ってくるんだから、大丈夫だという。
翌日、へとへとだったが、武蔵小金井駅前のスーパーで材料を買い、カレーをつくった。 23号室に行くと、今朝お母さんが帰ってきたみたいなの、という。 おにぎりと飲み物が置いてあって……。 ごめん、それ、おれだ。 余計なお世話だったかな。 「ううん、そんなことない。超美味しかったし、超助かった。ありがとう」 カレー作ったんだけど、食べにこない? 名前も聞いてなかったと名乗ると、生方真子(まこ)、弟は圭と。 圭君、カレー食べにこないかい? 代わりに真子が「あのね、圭はね。あんまり喋らないの。自閉症なの。だから急に大声を出したり、体に触ったりしちゃだめなの」
二人はカレーを貪るように食べて、真子は「めっちゃ美味しい! こんな美味しいカレー食べたの、生まれて初めて!」「おじちゃん、神だよ、神!」、圭は強く頷いて「ごちそうさま。ありがとう」と言った。
真子にせがまれて、長坂誠はギターを弾きながら、吉田拓郎の「おきざりにした悲しみは」を歌った。 おきざりにした/あの悲しみは/葬るところどこにもないさ ああ おきざりにした/あの生きざまは/夜の寝床に抱いてゆくさ 二人は一斉に拍手し始めた。 二人とも、瞳が潤んでいる。 「超イケてる! 超エモい!」「マジ神だよ! あたし、マジ感動した」
圭は、スケッチブックに、今聴いた曲の歌詞をそのまま写している。 一回聴いただけなのに、完璧に覚えているのだ。 信じられない。 何て子供だ。 すると、圭が写した歌詞を見ながら、真子が口ずさみ始めた。 慌ててギターの伴奏をつけてやる。 始めは探り探り小声で、そして徐々に調子を上げて、絶唱した。 その歌声! 長坂誠は鳥肌が立った。 何とも言えない艶があって、しかも低音域ではドスが効いている。 藤圭子の歌声にそっくりだが、藤圭子以上かもしれない。
圭のスケッチブックには、難しい漢字がびっしり書いてある。 圭は本当はマジで頭がいい、一回見たら、写真みたいにカシャって覚えちゃうんだよ、と真子。 お手本は、図書室で見たオウギシ、王羲之だという。
真子と圭、二人の天才によって、このあと20日間で、物語は大きく展開する。 それは、原田宗典さんの『おきざりにした悲しみは』(岩波書店)で読んでいただこう。 私は、一冊の本を読み切って、号泣はしなかったけれど、とてもよい気持の読後感に浸ることができた。
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