柳家さん喬の「男の花道」上 ― 2025/03/11 07:10
トリのさん喬は、黒の羽織と着物。 大きな病院には、いろいろな科がある。 耳鼻科とか、ほかにもいろいろ……、泌尿器科、噺家……。 眼科は、江戸時代にもあった。 半井(なからい)源太郎という眼医者、蘭学を取り入れようと、長崎で五年の修業をして、佐賀、小倉、瀬戸内、大坂、京都を通って、東下り、尾張を過ぎて、金谷の宿場にかかった。 月代も伸ばし放題なので、客引きも声を掛けない。 ようやく、「お前さん」と声が掛かり、入った宿、はばかりの隣、への九番に通される。 女中も来ない、「これよ」、「エーイ、お呼びで」、「茶を一杯、所望だ」。 とにかく忙しい、女中は、大坂の中村歌右衛門一座の方々がお泊りで、いい男だね、顔を見たくて茶を持って行く、何べんも行く、お前さんのお茶など、と言う。 医者と役者では、だいぶ違う。 タケノコ医者、藪になる手前だ。 湯に入り、夕餉を済ませ、蒲団に入る。
夜中に、廊下を走る音がして、大騒ぎになっている。 中村歌右衛門さんが目が痛くて、大層苦しんでいるという。 わしは眼科だ、拝見しようか、聞いてきてくれ、と女中に。 ご一門の皆様が、ぜひ診てもらいたい、治してもらいたい、と。 半井源太郎先生、どうぞお治し下さい、痛うて痛うて、辛抱できません。 半井が診て、これは風眼(ふうがん)と申して、悪くすると失明、一命を取られることもある病だ。 荒療治になるが、よいか。 どうぞ、お治し下さい。 薬籠から金具のような道具を取り出す。 一門の者たちに、そちらに行っていなさい、外に出ておれ、と。 親方の目を治してくださいませ。 ウワーーッ、ウワーーッ! これで、することは、全て致しました。 まだ痛むかと、源太郎は三日三晩、不眠不休、付ききりで手当をする。 四日目、先生、痛みは癒えましてございます。 明後日は、巻き布を解く。
ゆっくりと数を数えて、目を開けなさい。 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ……、見えまする。 先生、見えます、有難う存じます。 親方、あっちは玉七で。 お前の間抜けなツラも見える。 有難う存じました。 ほどなく江戸、中村座の芝居、それを背負うのは誰だと思います。 これから三日の道中、気を付けて。 先生、同行して頂けませんか。 歌ったり、笑ったりの、楽しい道中。 富士のお山を、ご覧下さい。 何と、美しい。 雲の上に、浮いているようだ。 これも、先生の御蔭だ、茶屋で団子でも食べましょう。
品川の宿場、歌右衛門殿、明日は江戸だ。 楽しい道中で、先生、少のうはございますが、これを収めて下さい。 あなたの芸を惜しみ、治療させていただいた。 このようなものは、頂くわけにはいきません。 とても金子(きんす)などは……、たってとなれば、薬代だけ。 潔白な先生に金子など、浅はかな考えでした。 恩を返すようなことができましたら、お手紙を、先生のお役に立ちとうございます。 半井源太郎は、お気持だけ頂戴して、と風のように、姿を消す。
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