「本の末尾にある、これから刊行される本の広告」 ― 2025/03/31 06:59
芳賀徹さんに『平賀源内』(朝日評伝選23)(朝日新聞社・1981(昭和56)年)という本がある。 おそらく芳賀徹さんからいただいて、本棚にあった。 これまで平賀源内を書く間に、その末尾の年譜や、杉田玄白が撰んだ「処士鳩渓墓碑銘」の「噫(ああ) 非常ノ人」で、参照させてもらっていた。 ところが、「一〇 戯作者の顔」の「1 風来山人の出発」をパラパラやっていて、とんでもないものを見つけてしまった。 昨日、終りに書いた、田中優子さんの「本の末尾にある、これから刊行される本の広告」の件である。
平賀源内は数え年36歳の1763(宝暦13)年7月、全六巻の『物類品隲』を江戸須原屋市兵衛から刊行した。(「非常ノ人」マルチクリエーター平賀源内<小人閑居日記 2025.3.26.>参照) その『物類品隲』巻末奥付に、源内は「鳩渓平賀先生嗣出書」(近刊予定書)として、『物類品隲後編』『神農本草経図註』『浄貞五百介図』『日本介譜』『日本魚譜』『四季名物正字考』の六書をあげていた、というのである。 しかし、先人の書の写本の覆刻である『浄貞五百介図』(1764(明和元)年刊)以外は、残念ながら日の目を見ることがなかった。 さらに2年後の1765(明和2)年、『火浣布略説』というごく薄いパンフレットを同じ江戸須原屋市兵衛から刊行した時は、巻末の「嗣出書目」はさらに充実して、源内の本草・物産・博物の学者としてのいよいよ広く熱烈な野心を誇示していた。 『神農本草経図註』『日本介譜』『日本魚譜』『四季名物正字考』に加えて、『神農本草経倭名考』『本草比肩』『食物本草』とかが、いちいち内容説明つきでつけ加えられ、『穀譜』『草譜』『石譜』『獣譜』『菜譜』『木譜』『禽譜』『虫譜』と日本博物図譜のシリーズを大成するつもりだったと思われる。
蔦谷重三郎『一目千本』の安永3(1774)年より、『物類品隲』は11年前、『火浣布略説』は9年前の刊行なのである。 そして蔦重は当然、平賀源内の浄瑠璃本『神霊矢口渡』を出版した須原屋市兵衛を知っていただろう(大河ドラマ『べらぼう』では、須原屋市兵衛のアドバイスを受けていた)。 「本の末尾にある、これから刊行される本の広告」は、平賀源内、須原屋市兵衛から学んでいたのかも知れない。
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