前座・菊比古(八雲)と初太郎(助六)の戦中戦後2025/09/03 07:10

 『昭和元禄落語心中』第二回「助六」。 八代目有楽亭八雲の昔話。 昭和11(1936)年夏、自分は芸者の家に生れて踊りの修業をしていたが、足の怪我で断念、母親が世話になっていた七代目有楽亭八雲(平田満)に預けられ、落語の修業をすることに。 その時、押しかけてきたのが、お調子者の後の助六、寄せ場で育った親のいない身だが、親代わりの爺さんと呼ぶ初代助六に落語を聞かされていて、いくつか出来、七代目にやってみろと言われ、「野ざらし」をやると、ぶっちょうづらの坊(ぼん、八代目)が笑ったので、一緒の入門を許され、二人して住み込むことになる。

 昭和16(1941)年、二人は前座になり、菊比古(岡田将生)、初太郎(山崎育三郎)と名付けられる。 菊比古だけは、初めの約束で学校へ通い、昼は学校、夜は寄席の生活。 二人は何でも正反対、七代目は言う、菊比古は辛気臭い、腹から声を出せ愛嬌が必要だ、初太郎は走り過ぎを何とかしろ、と。 初太郎は、客のつかみがうまく、よく受けるので、楽しそうだ。 差が付いて悩む菊比古に、初太郎は艶笑落語、廓噺が向いているんじゃないか、と言う。 三味線の弾ける菊比古は、手を怪我した下座のお千代の代りを務め、三味線を教え、女ってものが知りたくて、隠れて逢瀬を重ねたりする。

 しかし、寄席には臨席の警官がいて、時局に合わない話をすると、「中止」を命じたりする時代になった。  菊比古は、初太郎に色っぽい女がうまい、と言われる。 「明烏」「五人廻し」「品川心中」が出来なくなると聞いて、七代目は「落語を殺そうってのかい、戦さの邪魔だからって」と嘆く。 昭和16年10月、浅草の本法寺に禁煙落語を葬る「はなし塚」が建てられた。 菊比古は、道を断たれたという思いで、やる気が出ない。

 昭和20(1945)年4月、住み込みの松田は疎開し、七代目八雲は満州に三か月の慰問へ初太郎を連れて出かけ、菊比古は、七代目夫人の供をしてその里へ行く。 なぜ、私も満州にという菊比古に、七代目は「初はいずれ兵隊に行く身だ、それまで落語をやらせたい」と。 初太郎は、落語を教えてくれた爺さんの形見だという「助六」の名のある扇子を菊比古に渡し、菊比古は初太郎に必ず帰って来ると約束させる。

 昭和20年8月、菊比古はおかみさんの田舎で、工場勤めをして、穏やかに暮していた。 だが、三か月過ぎても、七代目と初太郎の行方は分からない。 玉音放送で敗戦を知り、菊比古は、また落語ができると喜び、「初太郎、生きて帰って来い」と叫ぶ。 東京に戻ると、師匠の家は無事で、松田が迎えた。 菊比古は、お座敷の仕事などをしていた。 七代目と初太郎が無事に帰って来た。 寄席に出た初太郎は、さっそく客に「よく生きてましたねえ」と呼びかけ、「野ざらし」を演って受け、師匠に正しい、明るいと、言われる。 菊比古と初太郎は、二ツ目に昇進することになり、日の出荘というアパートで二人暮らしを始める。

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