名人川田和泉の下男義助、門人となり修業2026/01/28 07:12

 川崎勝さん翻訳の馬場辰猪作『悔悟』。 黒田の遺骸は、顔見知りの連中が戸板に乗せ、大きな菰を被せて、黒田の家に運んできた。

 「このような悲しみに襲われた家の状況は筆舌に尽くせるものではない。しかし黒田の妻は、いかなる試練の身でも深奥の感情を押し殺し、負わされた務めを果たすという、あの日本婦人の一人であった。彼女は夫の遺体を受け取り、運んできてくれた全員に深々とお辞儀をして、慇懃に礼を述べた。

 人々が去り、五歳の息子と二人残されると、彼女は今や父無し子となった息子をひしと抱きしめて、咽び泣きながら、

 「義助」、と息子の名を呼んだ。「お父様はいつかきっとこうなると思っていたよ。お酒を呑むとほんとに見境がなくなるんだから。武士がこんな恥ずかしい死に方をするなんて! でもこの日を忘れないでおくれ。お前が大人になったら、お父様を殺めた者を探し出して仇を討つんだよ。」」

 この出来事があってから十五年ほど経った江戸に、川田和泉という高名な旗本がいた。 その名声は国中に聞こえていて、剣と槍の名人であり、将軍の指南役の一人だった。 下男の中に、聡明で、言い付けを注意深く聞き、何事もてきぱきと粗漏なくしてのけるのがいて、門人たちの剣と槍の稽古を熱心に眺める姿が頻繁に見られた。

 或る日、川田がその義助に声をかけ、身の上を尋ねると、「私の父は武士でした。私は幼いときに両親を失いました。住む家もなく乞食になるところでしたが、親切な町人に拾われて育ててもらったのです。」 その父の名を訊ねると、躊躇(とまど)い、しばし考えてから、「私には一生の志がございます。私の身上を申し上げたなら。志を果たすのにご助力くださりましょうか?」 「力の及ぶかぎり手を貸そう。武士の名誉にかけて約束する。」 「父の名は黒田藍蔵と申します。隅田川の土手で名の知れぬ侍に斬られました。母は父の死を嘆き、三年後に亡くなりました。父の敵(かたき)を私が探し出して仇を討つことが、母の遺志でございました。これが私の一生の志でございます。」

 「義助が身の上を語っている間、かれの主人は何か強い感情を必死に抑えているようだった。若い下男の物語が終わると、川田は言った。

 「私が武士の名誉にかけて助力を約束したからには、お前は父君の敵を探し出して仇を討つことだろう。それにはまず剣を学ばねばならぬ。今日よりお前は下男ではない。私の門人に加えよう。」

 かれの義助に対する親身の情は、まさしく息子に対する親のそれであった。義助もこれを悦び、いつしか川田を実の父と慕うようになった。

 かくして五年が過ぎた。義助の剣の腕は非常に上達し、槍の扱いも修めた。」