「復員野球―幻影も一緒にプレーしていた」2026/03/16 07:12

 鴨下信一さんの「復員野球―幻影も一緒にプレーしていた」の本題である。 〈国民皆兵〉の戦時中に、体格屈強のプロ野球選手は当然続々と徴兵された。 川上哲治少尉。 山本(鶴岡)一人(かずと)中尉。 川上と山本は、復帰した時27歳、ギリギリのところだ。 本来ならもっと長く活躍出来たはずだが、打撃の神様、右翼席に突き刺さるホームランは〝弾丸ライナー〟と言われた川上もすぐ〝テキサスの哲〟になってしまった。 別所昭見習士官、豪球投手、打撃も凄かったが、プロ野球復興の年には25歳になっていた。 同じ年齢の大下弘(セネタース-西鉄)、青バットの打撃の天才、学徒出陣から帰還して明大、すぐ辞めてプロ入りした。

 これらはそれでも幸せな数例で、続々復員した選手たちのほとんどは戦争のおかげで最盛期をフイにしていた。 兵役ばかりではない。 〈産業報国戦士〉の名のもとに徴用されて軍需工場や土木建築現場で働いていた選手も大量にいた。 彼らも活躍時期を失った。

 伝説の名投手、沢村栄治、昭和9年に来日したベーブ・ルースもルー・ゲーリックもいた全米オールスターズを相手に、静岡草薙球場で快投を見せ、全米は1対0でようやく勝った。 その沢村は、三度目の召集で乗った輸送船が台湾沖で米潜水艦に撃沈され散華した。 沢村の相手役の捕手として巨人に入団した吉原正喜は、熊本工業で川上哲治と同期だったが、インパール作戦の露と消えた。 阪神の四番打者だった景浦将、リリーフ投手もやって、ピンチになるとセンターからマウンドにのっしのっしとやってくる二刀流の逸材はフィリピンで戦死。 黒鷲イーグルスの中河美芳一塁手、どんなに送球が逸れても、片足をベースにつけたまま、もう一方の足を地面にピタッとつくまで伸ばして、難なく捕ってしまう、タコの異名で呼ばれたが、ルソン沖で戦死した。

 これら戦死した名選手たちはファンの記憶の中の幻の球場で生き続けた。 当時のファンはその記憶を次の世代に伝えることに熱心だった。 雑誌にしても新聞にしても、野球の記事は亡くなった名選手、あるいはもういまは全盛でない選手の栄光時の業績を伝えることを義務にしていた。