災害と向き合いながら生きる、正しく恐れることが大事 ― 2026/05/06 06:59
九州では9万年前の「阿蘇カルデラ」、3万年前の「姶良(あいら)カルデラ」の、超巨大噴火があったと、九州大学の枽畑光博教授(火山災害考古学)。 生きるためには、祈ることしかできなかった。 自然への畏怖、畏敬の念が、出土する生活用の道具、特殊な装身具に表れている。 玦状(けつじょう)耳飾り、耳に通して装着するピアスで、蛇紋岩などでできている。 貝輪(ブレスレット)。 ごく少数なので、平等な社会にあって、シャーマン的な呪術師がいたと考えられる。
愛知東邦大学の松永昌宏教授(生理学)は、日本人には遺伝子に特別な系統、D-M55という日本に特徴的な遺伝子を持つ人が多いという。 友達の数が多い。 1.4倍。 コミュニティーが広く、人と人とのつながりが出来る人が、日本人の中では生き残っている。 骨からDNAを採取すると、縄文の人が持っていた。 東京都立大学の山田康弘教授(考古学)は、集団で暮らしていた、三内丸山遺跡のように、数十人、数百人単位で住んでいた。 世界に例がない。 人と人が協力して生き残ったのだろう、と。
弥生時代も、地震大国で、紀元前100年より前に、弥生大地震、推定M9.0以上があった。 斎野裕彦日本災害・防災考古学会副会長の地質調査によると、海に近い低地で、津波の層の堆積物が、水田耕作土の上にあり、水田が廃絶したと考えられるという。 稲作を放棄し、雑穀で生活したらしい。 再び水田耕作が行なわれるのは、350年頃で、M7以上の地震、巨大津波から行ったり来たりの生活は、災害と向き合いながらの我慢強さ、はざまで揺れ動く現実を肯定する生活を生んだと考える。
弥生時代、温帯ジャポニカ、日本の気候に合った米の品種が出来た。 災害が多発する日本列島で、自然の豊かな恩恵を受けて、生きてきた。
古墳が、古墳時代の人の津波対策だったと、斎野裕彦さんは考える。 広い平野の中での古墳の位置を見ると、津波が押し寄せてきたライン上に前方後円墳を作って、津波防災の道しるべにした。 農地化と同時に、この上に逃げろと、津波を忘れないための、防災のランドマークにした。
松永昌宏教授は、日本人の80%は、不安を感じやすい、と。 欧米は40%、アフリカは30%。 セロトニントランスポーターS型遺伝子という、不安遺伝子を持つ。 セロトニンは幸せホルモンで、感情をコントロールして回収する。 S型不安遺伝子は、危機察知能力が高い(うつ病になりやすいか?)、仲間をつくりやすい。 集団性が、生き残りにつながる。
巽好幸教授によると、「鬼界カルデラ」では、今も火山ガスが猛烈に湧き出す。 海底温度は50℃、今も活動は活発なのか? 世界一強力で、地下20㎞までスキャンできるエアガン(音波発生装置)を300位設置している。 2㎞~7㎞に、400㎦の巨大なマグマ塊がある。 100年後、1000年後に、この地域で、最大400㎦のマグマを噴き上げる大噴火が起きる可能性がある。 予測に挑み始めており、全長190㎞の光ファイバーケーブルで、数ミリの変化を見張っている。 100年に1%、M7、M8と同じクラスの地震が起きる可能性がある。 これは99%大丈夫だと思える数字ではない、50年の猶予期間に対策が取れる可能性があるということだ。
それでも、われわれは日本列島で生きていく。 無常観、美しいもの、桜散る下で宴会を享楽する、強烈な現状肯定。 そこに暮らすことに感謝の念を持ち、正しく恐れることが大事だ。 枽畑光博教授は、そうした試練に対し、覚悟を持って取り組むことが大事で、できるだけ被害を少なくすることが、「変動帯」の民の責務ではないか、と。 巨大災害で大絶滅、文化の断絶の可能性もあるとする。 遺跡に、その中で命をつないだ人たちの痕跡が見られることは、私たちにとって大きな希望であると言う。
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