国会議事堂の中を見て歩く2017/11/12 08:17

 国会議事堂は、正面から向かって、左側が衆議院、右側が参議院、真ん中に 中央玄関がある。 中央玄関は、普段は閉められていて、この日のように国会 の開会式に天皇陛下をお迎えするとき、衆議院総選挙または参議院議員通常選 挙後の国会召集日に議員が登院するとき、外国の元首などが訪問の際に開かれ るという。 中央玄関を入った、ピラミッドのような中央塔の真下に当たると ころに中央広間がある。 かつてはダンスホールにも使われたとか。 見学で は横から覗くことができるだけだが、窓と天井にはステンドグラスがはめられ、 四隅には日本の四季を描いた絵がある。 春は吉野の桜、夏は十和田湖、秋は 日光の杉、冬は日本アルプス。 そして、議会政治確立に功労のあった伊藤博 文、板垣退助、大隈重信の銅像が三方に立っている。 一方にないのは、皇居 に尻を向ける方向だからという説があるそうだ。 明治18年12月22日に初 代の内閣総理大臣となった伊藤博文の銅像は、外の参議院玄関横にもある。 衆 議院の玄関には、尾崎行雄と三木武夫の胸像があった。 尾崎行雄は第一議会 以来25回連続当選で「憲政の神様」と称される、三木武夫は戦前戦後を通じ て連続当選19回、議員歴51年7か月の名誉議員だからだろう。

 絵といえば、衆議院本会議場の、議員食堂側の壁だったと思うが、大きな二 枚の日本画が架っていた。 中路融人作「海津の桜と竹生島」、松尾敏男作「銅 東馬想」(?)、恥ずかしながら、二人とも知らない画家だった。 中路融人は ことし7月に亡くなった文化功労者、松尾敏男は昨年亡くなった文化勲章受章 者だった。

 選挙の結果、「自由民主党控室」が圧倒的に多い。 ところどころに「男性手 洗所」「女性手洗所」の看板がある。 建設当初は、男性中心社会で、国会には 女性のトイレがなかったそうだ。 食事の前に、地下の国会みやげのショップ へ行った。 「歴代首相ペア湯呑」、「アメノミックス(抹茶飴・塩飴・梅飴)」、 「タロ・カポネ。タロー13(葉巻きをくわえた麻生太郎副総理の漫画の箱)葉 巻仕立ての太タイプ、黒かりんとう」、「明るい未来 進じるうる(小泉進次郎ロ ールケーキ)」「進ちゃん幸せショコラ」などなど。

 最後に、衆議院第二議員会館の議員の部屋を訪れた。 事務室と、けっこう 広い会議室がある。 12階に上がって、秘書さんお勧めのスポットに行き、背 面から国会議事堂の全景を見下ろした。 銀杏が色づいている。 広大で圧倒 される眺望に、皆満足したのだった。

『R.S.ヴィラセニョール』<等々力短信 第1099号 2017.9.25.>2017/09/25 07:01

 夕方TBSテレビのニュース番組「Nスタ」を見ていると、井上貴博アナの左 右に国山ハセン、ホラン千秋が並んでいる。 ハーフのアナウンサーやタレン トが多くなったなと思う。 滝川クリステル、葉山エレーヌ、加藤シルビア、 政井マヤ、ローラ、ベッキー、トリンドル玲奈。 スポーツでも、高安、御嶽 海、ダルビッシュ有、オコエ瑠偉、山崎康晃、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウ ン。 昔は混血と言っていたが、あまり聞かなくなったのは、差別語の匂いが するからなのだろうか。 百科事典で「混血」「混血児」を見たら、「雑種強勢 という点からみれば、混血児は両親のそれぞれすぐれた形質を受ける可能性が 強い」とあった。 近代の西欧諸国の植民地支配が世界的に拡大した結果、白 人と黒人の間のムラート、白人とインディオの間のメスティソ、白人とインド 人の間のユーラシアン、西インド諸島のクレオールなどが生じた、ともあった。

 乙川優三郎さんの『R.S.ヴィラセニョール』(新潮社)の主人公レイは、メス ティソ(混血)だった。 母は市東(しとう)君枝、父リオはイロカノ族のフ ィリピン人だ。 リオは母や弟妹を養うためにダンサーとして日本に来て、ホ テル経営者の娘君枝と知り合って結婚した。 レイは、東京月島で育ち、大学 で染色の技法を学び、新宿区中井の江戸更紗の老舗に勤めた後、千葉の御宿海 岸に型染めの工房を持った。 美しい色と形を求めて、図案の発想も色彩も自 由になる、型染めと手描きを組み合わせ、いつか日本人が驚くような日本を染 めてみせるのだと思うのは、父の血かもしれなかった。

 御宿で草木染をしているロベルトと知り合った。 彼もメキシコから母の国 にやって来たメスティソで、日本の色を染めて、染織家や組紐屋へ納めている。  二人は互いに協力するようになり、レイはロベルトの染液で染めた真紅の羽尺 (羽織になるほどの反物、約9m)「母国」を工芸展に出品する。 売り込みを した銀座の老舗呉服店からも、レイの図案の試作を頼まれた。 そんな時期に、 大腸癌を抗癌剤治療中の父のリオが、半月のフィリピンへの帰郷を言い出す。  父は危険だからと母を一度も故郷へ連れて行ったことがなく、今回もそうだっ た。 父は体調を崩し、予定より早く帰国した。

 レイは工芸展で受賞。 死の近い父が、また故郷へ行きたがる。 リオのお かげで弁護士になった弟のフェルが来日、レイに重大な秘密を打ち明ける。 新 聞記者だった兄弟の父親は、マルコスの不正を追及し、妻を誘拐されて新聞社 を辞めたが、マルコスが大統領になって戒厳令を布くと、警察軍に連行され、 虐殺された。 一家の目的は復讐にあった。 私は、この真紅の本で初めて、 フィリピン現代史、アメリカとの関係、マルコスの利権と国家権力の掌握、暗 黒恐怖政治の実態を知ったのだった。

「ドーヴァーの白い壁」2017/09/14 06:59

 沼田篤良さんに、昨日のブログ「絵画展からイギリス王室の歴史へ」を読ん でもらって、いろいろなことを教えて頂いたので、補足したい。 ウィリアム 4世とキャメロン首相の関係を説明した出品作は、私に記憶がないのもそのは ずで、Bushy House ではなく、私も「崖」と書いていた「ドーヴァーの白い 壁」だったそうだ。 イギリスを象徴するものだったのだろう。

 そういえば、以前沼田さんから、こんな話を聞いていた。 沼田さんのパリ 駐在中にユーロトンネルが出来て、史上初めてイギリスは大陸と繋がってしま った。 開通の儀式を見ていて、英仏首脳の表情には興味深いものがあったと いう。 ミッテラン大統領は「やった!」と言う表情で「ついにブリテン島を 大陸に繋げたぞ!」と言わんばかりだったのに、エリザベス女王は「大陸に繋 がってしまったか」と言う浮かぬ顔だった。 歴史を紐解けば、トンネルを掘 ってイギリスを大陸に繋げて仕舞おうと、初めてトンネルを掘ったのはナポレ オンだった。 ヨーロッパの歴史の中で、ドーヴァー海峡が無ければイギリス 等と言う国は、とうに無くなっているだろう。 いや、そもそもイギリスと言 う国は出来なかっただろうし、海峡が無ければ第二次大戦でドイツにやられて いただろう、と。

 そこで、沼田さんによれば、ジョージ3世は、イギリス王室史の中では愛妾 を持たなかった稀有なる王だったという。 ドイツのメクレンバーグ・ストレ リッツ家のシャルロット・ストレリッツを娶り、彼女を愛して9男6女をもう けた。 このジョージ3世の治世には、アメリカの独立戦争とフランス革命が あったから、その時期のイギリスを導いた優れたキングであったようだ。 ジ ョージ3世の愛したシャルロット・ストレリッツの名前は、当時アフリカ喜望 峰で発見された新種の花「ストレリッツィア」にも受け継がれた。 わが国で は「ストレリチア」、「極楽鳥花」と呼ばれている花である。

 ジョージ4世が王位を継ぐけれど、放蕩の果てに死んだ時、「夫として、父 として、王として最悪の人だった」と"タイム"が書いたほど、史上最悪の酷い キングだったそうだ。 その後を継いだのがウィリアム4世、海軍に入り、父 ジョージ3世の「王族だから特別扱いしないよう」との命令で教育を受け、ネ ルソン提督に仕えるなど、実戦経験もへてSailor Kingと呼ばれる程イギリス 海軍に馴染み、お供も連れずロンドン市内を歩き回る私生活の中で婚姻も無い ままアイルランドの女優Dorothy Jordanとの生活を長く続けて居た。 兄王 の死により王室の慣習の中でウィリアムは新たな王妃と結婚し、ジョーダンの 家系にはFitzclarenceと言う貴族の家系が与えられ、それがキャメロン首相の 血筋となったわけだという。

 沼田さんは、イギリス王室の話はどの王朝も面白く、ジョージ3世のハノー バー朝も興味深いと言う。 現代のウィリアム王子が生まれた子供にジョージ、 シャルロット等の名前付けたのを見ると、ウィリアム王子の目はこのあたりの 御先祖を見ている様にも見えるそうだ。

絵画展からイギリス王室の歴史へ2017/09/13 06:30

 人類史を切り拓いた鉄道<等々力短信 第1096号 2017.6.25.>に書いた、仲 間内の情報交流会で『オリエント急行と地政学』という話をしてもらった沼田 篤良さんは、趣味で絵をお描きになる。 先日、新宿南口の全労済スペースゼ ロギャラリーで、お仲間とイメージ・アート・クラブ展を開催されたので拝見 した。 キューバ風景、ドーバーの白い崖、日光金谷ホテル、美味しそうな魚 (ミノカサゴ、キンキ、ホウボウ、ヒラメ)などが描かれている。

何枚かの絵には、私が行く前に、奥様がみえて手伝われたという解説文が貼 られていた。 ご本人は「夜店と同じで商品のレベルの低さは口上で補うしか ないんです」と謙遜されるのだが、興味深いものがある。 その中に、ウィリ アム4世とキャメロン首相の関係を説明しているのがあった。 ぜんぜん知ら なかったが、お話を伺うと、キャメロン元首相は、ウィリアム4世の子孫の家 系の出なので、エリザベス女王とも親戚関係になるのだそうだ。 ただ、その 説明の方にばかり気を取られて、もとになる絵が、あとで出て来るBushy Houseだったかどうか、記憶がなかったのは迂闊だった。

 イギリス王室の歴史については、漠然とした知識しかなかった。 家に帰っ てから、そのへんを少し調べてみる。 ウィリアム4世の父は、ジョージ3世 である。 ジョージ3世には息子9人、娘6人、計15人の子があった。 長 男がジョージ4世、放蕩息子だった。 次男がフレデリックで、愛人が沢山い た。 三男ウィリアム(1765-1837)が、英国ハノーバー朝第5代目の国王ウ ィリアム4世(在位1830-1837)となる。 ウィリアムは、1827年に海軍司 令長官、1830年長男ジョージ4世の死去により即位し、「水兵の国王」といわ れた。 四男はエドワード、ケント公、後に述べる。

 ウィリアムは、1791年26歳で、30歳の売れっ子女優の愛妾ドロシー・ジョ ーダンとBushy ParkのBushy House で20年暮して10人の子を生した。 キ ャメロン第75代首相は、ドロシー・ジョーダンの庶子10人のうち、三女エリ ザベス・フィッツクラレンスの子孫で、エリザベス2世の遠縁になる。

 ウィリアムは、1818年53歳で27歳下のアデレード26歳と結婚、弟のエド ワードと合同結婚式を挙げた。 1830年に即位したウィリアム4世と、王妃ア デレードの間に王位継承者がいなかったため、1837年のその死後、弟のケント 公エドワードの娘ビクトリアが18歳で即位する、かのビクトリア女王である。  ビクトリアは、1840年ザクセン=コーブルグ=ゴーダ家のアルバート公と結婚 する。 ビクトリア女王は在位1837-1901年、64年間の治世、ビクトリア時 代はイギリス帝国主義の最盛期を画した。

 ウィリアム4世とドロシー・ジョーダン、アデレード妃の関係は、どこかチ ャールズ皇太子がダイアナ妃との結婚10年前から付き合っていたというカミ ラ夫人、ダイアナ妃の関係を連想させるものがある。

智美術館「珠玉の現代陶芸」展2017/09/01 07:09

 8月24日、虎ノ門の菊池寛実記念 智(とも)美術館で「珠玉の現代陶芸」 展を見た(9月3日まで)。 隣のホテルオークラでは、建て直し工事が始ま っている。 展覧会は「マダム菊池のコレクション」という副題だが、この美 術館の設立者菊池智(とも)さんは大正12(1923)年生まれ、昨年夏、93歳 で亡くなったという。 菊池寛実(かんじつ)さんは、その父親で炭鉱(辰ノ 口、三友、高萩、日本炭鉱)やガス会社(京葉ガス)などを経営、一時は南俊 二、大谷米次郎と共に「日本の三大億万長者」といわれた。 智さんは、その 事業を継承するとともに、1950年代後半から現代陶芸の蒐集を始め、1974年 に寛土里という陶芸店をホテルニューオータニに開き、1983年にはアメリカの スミソニアン自然史博物館で自身のコレクションによる「現代日本陶芸展」を 開催、2003年にこの美術館を開館するに至る。 美術館のエントランス正面の 壁は書家・篠田桃紅の「ある女主人の肖像」、展覧会場に下りる螺旋階段の銀 色の壁面も桃紅作品、階段の手摺はガラス作家・横山尚人作、ともに智美術館 の顔、シンボルである。

 そこで「珠玉の現代陶芸」展だが、いきなり富本憲吉《白磁八角共蓋飾壺》 (1932年)《色繪飾箱》(1935年)、河井寛次郎《花扁壺》(1959年)《灰 釉筒描魚文喰籠》(1950年代)である。 そして石黒宗麿、加藤唐九郎、加藤 土師萌、清水六兵衛(六代)、酒井田柿右衛門(十三代)と続くのだ。 たち まちコレクションの素晴らしさに、引き込まれる。 その後、菊池智さん自身 が好んで蒐集したと思われる八木一夫、加守田章二、藤本能道などが並んでい る。 ごく一部に、よくわからない近年の作品もあるけれど、全体的によいも のを見たという目の保養、豊かな気分になる。

実は智美術館、私にとっては「花より団子」で、ここの庭を望むヴォワ・ラ クテ(天の川)というレストランが好みなのだ。 シネマスコープのスクリー ン(古いね)のような10メートルぐらいはあろうかと思われるガラスが二枚 並んで、パッと明るい芝生が目に飛び込んで来る。 風知草が揺れ、もっとい い鳥も来るのだが、今日は雀が遊んでいる。 夫婦で冷製スープ、大山鶏モモ 肉の香草グリエと、糸縒鯛のポワレのランチに、ちゃんとつくっているものは、 やっぱり美味しいとかいいながら、大満足したのであった。