「世界の一体化とお雇い教師」2020/08/14 05:59

 つづいて、加藤詔士先生の「「お雇い教師」研究の再構成」(日本英学史学会『東日本英学史研究』第19号2020年抜刷)を読む。 一読、「お雇い教師」研究の集大成として、その全貌を概観でき、個別の事例も網羅しているので、この問題を考える時の手がかりとして参照すべき、素晴らしい論文だと感じた。

 「世界の一体化とお雇い教師」。 「そもそも「世界の一体化」は16世紀に始まる。ヨーロッパがアジアとの交易を目指して大航海に乗り出したことで、地球規模での交流が始まった。その後、工業化と技術革新の進展により、通信網が整備され情報面での世界の一体化が進む一方、鉄道、汽船、飛行機が実用化されたことで地球規模での人口移動がおこった。しかも、帝国主義の展開が世界の一体化に拍車をかけ、世界各地が密接に連関した地球世界が形成されるに至った。世界冷戦が終わり、1980年代以降になると、市場経済の世界化と情報化が一段と進んだし、高度に発達した交通・通信網を媒介にして、人・商品・資本・情報の流動化が加速度的に拡大した。今や「地球全体を単一の市場とする世界経済の一体化(グローバル化)」が進行している。」

 日本が開国し西洋の学術・技芸の摂取を意図してお雇い教師を招聘しようとしたころは、ちょうど世界の一体化が進展するころであった。 世界各地をつなぐ鉄道や汽船という交通手段、電信技術や海底ケーブル網という通信手段の飛躍的な発達がみられ、人の往来、物品の移動、情報の伝達が一段と活発になりスピードが飛躍的に増大したころだった。 (馬場はすぐ、福沢諭吉の『民情一新』を思った。) それを背景に、日本は西洋の文明・文化の摂取を実に多様な経路を駆使して進めることができた。 お雇い教師の招聘という方法だけでなく、留学生の派遣、使節団・調査団の派遣、学術文献の輸入・翻訳、万国博覧会の賛同といった種々の方法を駆使した。

 しかも、お雇い教師は、これらの政策の形成と施行に関与したことが注目される。 持ち場持ち場の専門的な献策をしたり、各種の施策について意見を述べて指導的役割を果たしたりして、日本教育の近代化を推進したのである。 お雇い教師の指導で優秀な日本人学生が選抜され、お雇い教師が斡旋して先進諸国の留学先に送り出された。 その留学生たちの留学先での勉学と生活を支援したお雇い教師も少なくない。 また、日本政府が使節団・調査団を派遣したり、万国博へ賛同したりする際には、視察先や調査見学事項、出品物の選定などについて指導したお雇い教師も認められる。

ヘンリー・ダイアー、エンジニア教育の創出2020/08/11 06:58

 「ヘンリー・ダイアー エンジニア教育の創出」から、読み始める。 ヘンリー・ダイアー Henry Dyer(1848-1918)は、英国をモデルに日本の工業化・近代化をめざした明治新政府が、スコットランドから招いたお雇い教師で、1873(明治6)年から82(明治15)年までの間、工学寮工学校とそれを継承した工部大学校(東京大学工学部の前身)の都検(教頭)ならびに土木学・機械学教師として、日本のエンジニア教育の組織化と実学人材の育成に貢献した。 当時、欧米では工学部を含む総合的な高等教育機関はまだ設立途上だったので、帰国後、日本での体験と成果を、郷里グラスゴーの教育実践の中に移し入れた。 しかも、エンジニアをめざしてグラスゴー大学にやって来た日本人留学生を支援したのである。

 ダイアーのエンジニア教育の新機軸は、英国流の実地重視の工学教育とヨーロッパの学理重視の工学教育を組み合わせて、「専門職としてのエンジニアの教育」を意図したものだった。

 第一に、6年間という長期の教育課程にして、二年ずつに区切り、普通・専門・実地の三段階とした。 専門課程は土木学、機械学、電信学、鉱山学、造船学など8学科に担当教師を配した。

 第二に、学理と実地の結合をめざして、サンドイッチシステムという教育方法を取り入れた。 最初の2年間は専門基礎科目を学ぶ。 3・4年次は毎年、6カ月は大学で学習し、あとの6カ月は選択分野の学内の施設や付属の赤羽工作分局などで実習を行う。 最後の2年間は学外の、工部省が所有する灯台、鉱山、鉄道など官営事業の現場で実地研修を体験する。

 第三に、エンジニアという専門職の資格認定につながる、実に厳しい試験が絶え間なく繰り返された。 週ごと、学期ごと、2年次・4年次修了時の大試験、6年次修了時の成業試験と卒業論文審査に合格してようやく卒業でき、ほぼ自動的に工部省に任官できた。 しかし、成績によって一等卒業生だけが学士号を授与され、技手のランクも定められた。

 その一方、幅広い教養教育も重視されていたことが特筆されるという。 ダイアーは、文学、哲学、芸術、政治、経済、文化、専門に直接役立たないような諸科学、そうした幅広い教育を踏まえて、自らの社会的使命を的確に認識し実現するようにと説いて、エンジニアの社会的役割を強調した。

戦国時代の日本と世界史<等々力短信 第1133号 2020(令和2).7.25.>2020/07/25 06:57

 戦国時代の日本は、ちょうど世界史の大転換の時期と一致して、その最前線だった。 大航海時代によって世界貿易、グローバル経済が出現し、キリスト教の世界布教が重なって、覇権が争われていた。 NHKスペシャル「戦国~激動の世界と日本」「(第1集)秘められた征服計画 織田信長×宣教師」「(第2集)ジャパン・シルバーを獲得せよ 徳川家康×オランダ」が面白かった。 バチカン市国イエズス会ローマ文書館の宣教師達の報告書や書簡、オランダ平戸商館長の記録など、16世紀の文書が公開され、信長・秀吉・家康と宣教師や商館長、その背後にいたポルトガル・スペイン・オランダとの深い繋がりが見えてきたというのだ。 知らなかったり、本当かと思うことが多い。

 織田信長が武田との長篠の戦で使った鉄砲玉を分析したら、タイの鉱山産の鉛だった。宣教師カブラルが、高く評価して緊密な関係になった信長に「天下統一したければ、キリスト教の布教を支援せよ」と伝え、ポルトガルの交易船で大量の軍事物資を運ばせた。

 スペインは全世界を勢力下に収めようと、インドのゴアなどを占領、改宗させ、日本でも信長と組んで、それを進めようとした。 最大の障壁が仏教勢力で、石山本願寺と十年戦ってきた信長に、キリシタン大名高山右近らの援軍1万人が加勢して、破る。

 戦国日本は、鉄砲国産化の独自の技術革新など、軍事革命ともいうべき軍事力を持っていた。 ポルトガルを併合して、世界戦略を進めるフェリペ2世のスペインは、日本の軍事力を利用すれば、アジア最大の国土と人口を持つ中国(明)の征服が可能になると分析していた。 だが、信長と宣教師の蜜月は、信長が天下統一を目前に自信を深め、「われ神にならん」と宣言したことで終わりに近づき、本能寺の変で断ち切られる。

 スペインと宣教師の計画は止まらない。 明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦いでは、宣教師は高山右近らを秀吉方に加わらせ、豊臣政権中枢にキリシタン大名が多くいた。 宣教師コエリヨは、秀吉に、目標が一致しているとして、明国への遠征、その足掛かりの朝鮮出兵を働きかける。 秀吉もさる者、最前線でキリシタン大名を戦わせ、バテレン追放令も出していた。 さらに秀吉は、スペインの植民地フィリピンの大量の金や国土を、朝鮮出兵、明国征服の資金に狙っていた。 アジアを発火点に「最初の世界戦争」の危機だった。 だが、それは、フェリペ2世と秀吉のあいつぐ死で終わる。

 関ヶ原で、オランダ漂着船の武器弾薬を使った家康は、オランダと貿易を開始、新興国オランダは日本の豊富な銀を得て、スペインの布教を禁止させ、貿易戦争に勝ち、覇権を奪う。 大坂の陣でもスペインは豊臣秀頼を押したが、オランダの大砲が火を噴く。

 9日~16日のブログに詳しく書いたので、用心しながら、お読み下さい。

アジアを発火点に「最初の世界戦争」の危機2020/07/16 07:00

 信長の野望は砕け散ったが、宣教師の計画は止まらない。 1582(天正10)年、明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦い、宣教師は秀吉勝利とにらんで、高山右近らキリシタン大名に秀吉方に加わるように働きかける。 秀吉の政権中枢に、黒田官兵衛、高山右近、蒲生氏郷、黒田長政、小西行長がいた。 秀吉の時代、日本のキリシタンは、30万人を突破する。 スペインのアジア征服計画は、加速する。 中国(明)は、金・銀、陶磁器、絹織物にあふれた世界一豊かな国だった。

 クライマックスがやってくる。 1587(天正15)年、宣教師ガスパル・コエリヨは秀吉に、目標は宣教師と一致しているので、明国への出兵、遠征を働きかける。 軍艦をお貸しする、キリシタンも意のままに働く、と。

 1592(文禄元)年、秀吉は朝鮮へ出兵(中国征服の足掛かり)する。 明は大規模な援軍を朝鮮に派遣し、総兵力74万人の大戦争になる。 最前線で戦わされたキリシタン大名に犠牲が続出したが、キリシタン大名の弱体化は、秀吉のもう一つの思惑だった。 バテレン追放令も出され、布教は禁止される。

 宣教師にとっては、想定外の事態が判明する。 スペインの植民地、フィリピンに秀吉の密偵が現れ、秀吉の野心はフィリピンにまで及んでいたのだ。 スペイン王に送られる大量の金を狙い、スペインの宝である植民地も奪い、朝鮮出兵の資金を得て、明国を打ち滅ぼすためだった。

 有史以来、未曽有の事態だった。 アジアを発火点に、「最初の世界戦争」が起きようとしていた。 ヨーロッパ対アジアの戦争だ。

 1598(慶長3)年、事態は一転する。 フェリペ2世が急死、その5日後、豊臣秀吉が死去する。 日本軍は朝鮮半島から撤退し、中国征服計画は幕を閉じた。 スペインの国力は急速に衰退、オランダ、イギリスという新興国が台頭し、覇権を争うことになる。

スペインの世界制覇に日本軍事力を利用する意図2020/07/15 06:38

 戦国日本は、絶え間なく軍事力を究め、軍事革命ともいうべき変化を起こしていた。 鉄砲国産化による独自の技術革新がみられる。 田中眞奈子昭和女子大学准教授は、国産のスタンダード国友の鉄砲(火縄銃)と、海外産の鉄砲の銃身の材質を比較し、国友の方が均等で、銃身の強度が安定しており、それは鍛造の技法に秘密があるとした。

 信長の直轄地、堺に、鉄砲製造に関する2万点の古文書がある。 大量生産のために、独自のイノベーションがあり、銃身、銃床、火蓋と、パーツごとの職人がいて、分業で生産が進められていた。 30万丁、日本は世界一の銃大国になっていた。

 アレッサンドロ・バリヤーノ宣教師は、この日本の軍事力を、スペインの世界戦略に組み込もうとしていた。 安土城の青瓦と同じ青瓦が、城下の神学校(セミナリオ)でも許されていたほど、信長との深い関係があった。 スペインの日本征服計画を加速させる出来事が起きる。 スペインの征服王、フェリペ2世が、ポルトガルを併合して、世界地図を塗り替えた。 130隻の軍艦を擁するスペインの無敵艦隊は、ポルトガルの植民地をつぎつぎに呑み込み、フェリペ2世は「アジア征服に尽力せよ」と命令、戦国日本を揺るがす。 スペイン、セビリアのインディアヌス文書館の史料は、最大の目標はアジア最大の国土と人口を持つ中国(明)の征服であり、その鍵は日本の軍事力で中国征服が可能になると分析していた。(セビリア大学フアン・ヒル名誉教授)

 だが、信長と宣教師の蜜月は、終わりに近づいていた。 信長は「われ神にならん」と、天下統一を目前に自信を深め、自らこの世の支配者だと宣言した。 宣教師は、信長は意のままにならないと、新たな計画を立てる。 長崎をキリシタン大名から譲り受けて、支配下にし、1580(天正8)年、大砲を九州に持ち込み、中国征服のプラットホームにする。 九州中には10万人のキリシタンがいて、大きな勢力となっており、信長の脅威であった。 宣教師グネッキ・オルガンティーノは、「われらは日本人の心を盗みに来た、悪魔の手から霊魂を救うため」と。

 両者の関係は、突然の事件で、断ち切られる。 1582(天正10)年、本能寺の変だ。 宣教師の記録には、「信長は襲撃を察知できていなかった。薙刀で戦ったが、銃弾を受けた」とある。 信長の野望は砕け散ったが、宣教師の計画は止まらない。