中島隆信著『相撲の経済学』ほか応用経済学の本 ― 2012/05/17 02:08
季題研究「夏場所」で、《若干の話題》として、中島隆信さんの『相撲の経済 学』(2003年・東洋経済新報社、今は ちくま文庫に入っている)という本を紹 介した。 中島隆信さんは慶應義塾大学商学部教授、実は小尾恵一郎ゼミの後 輩で(1960年生れ)、2005年6月のOB勉強会「紫陽花ゼミ」で話を聴き、こ の日記で関連の話を含めて、下記の四日分を書いていた。 興味のある方は、 そちらをご覧下さい。
中島隆信さんの「大相撲の経済学」<小人閑居日記 2005.6.24.>
大相撲、天龍らの「春秋園事件」<小人閑居日記 2005.6.25.>
「大相撲から見る日本経済」<小人閑居日記 2005.7.5.>
大相撲の年寄名跡<小人閑居日記 2005.7.6.>
そんなわけで10日、『相撲の経済学』の大まかな内容を、季題研究で話した のだった。 中島隆信教授は『相撲の経済学』以来、大相撲に問題があるたび にテレビなどでコメントを求められるほか、日本相撲協会「ガバナンスの整備 に関する独立委員会」の委員に就任し、副座長として年寄名跡の売買禁止など を内容とする相撲協会改革案を取りまとめた。 5月3日の朝日新聞朝刊によ ると、日本相撲協会の公益法人認定に向けた協会改革を検討していた「公益法 人制度改革対策委員会」(九重委員長=元横綱千代の富士)が、年寄名跡の協会 一括管理と、一括管理への協力が公益法人化への功労であるとして親方衆に特 別功労金(一律、一括)を支払うことを決定したそうだ。
中島隆信教授はその後、『お寺の経済学』、『障害者の経済学』、『オバサンの経 済学』(以上、東洋経済新報社)、『刑務所の経済学』(PHP研究所)、『これも経 済学だ!』(ちくま新書)などの著書を刊行している。 読んではいないが、出 版社の宣伝を見ると、それぞれこんなことが書いてあるらしい。 みんな面白 そうで、興味深い。
『お寺の経済学』…全国に4万店以上あるコンビニの倍近く、約7万5千寺 あるお寺。 10万人以上の僧侶、6千万人の信者が存在する巨大マーケット、 檀家制度、葬式、戒名、お墓から宗教法人の課税問題まで、お寺の仕組みがよ くわかる。 葬式仏教と揶揄されるお寺の未来にも言及。
『障害者の経済学』…親、施設、学校は障害者の方を向いているか? 多額 の予算は障害者本人のニーズに合わせて使われているか? 同情や単純な善悪 論から脱し、経済学の冷静な視点から障害者の本当の幸せや福祉の現場の正し いインセンティブを考える。 第49回 2006年度 日経・経済図書文化賞受賞。
『オバサンの経済学』…女性はなぜオバサンになるのか? 電車の座席の隙 間に無理やり座るのも、女子トイレが混雑していると平気で男子トイレに入る のも、健康番組が好きなのも、合理的理由がある。 オバサン特有の気兼ねの なさにより、その合理性は歪むことなくストレートに発揮される。 それは人 間本来の姿といっていいのかもしれず、私たちがオバサンに学ぶことは沢山あ る。 オバサンは、更年期(エストロゲンの分泌の急激な減少でおこる)の平 均的年齢、45~65歳の20年間。 生理学的にみた女性らしさの維持に費やす コストCと、その見返りになるメリットMを比較して、C>Mだとオバサン。 オジサンは、婚姻関係という企業内取引により家庭での一切の仕事を任せ、亭 主関白の裏返しである妻の独占事業を通して、オバサン化に加担している。
『刑務所の経済学』…300円の万引きの後始末にかかる税金は130万円!! これだけの費用をかければ犯罪者は本当に更生・社会復帰できるのか。 刑務 所や少年院は、罰を与える施設なのか、それとも矯正するための施設なのか。 犯罪抑止力、社会復帰の施設として、現代社会に合っているだろうか。 日本 の刑事政策を経済学の立場から鋭く分析し、より合理的な視点で、裁判や刑務 所のあるべき姿を提言する。
『これも経済学だ!』…経済学は「なんでもカネで考える」非人間的な学問 ではない。 人間が人間らしく生きるために、欲望を一番うまく活用する方法 を見つけ出す、きわめて応用範囲の広い思考ツールなのである。 従来、経済 学のテーマとしては余り取り上げてこなかった、伝統文化、宗教活動、さらに は障害者などの「弱者」について、その奥に潜む合理性の仕組みを明らかにす る。 具体的な「問題解決」に役立ち、多くの人が幸せになれる世の中を作る 「道具としての経済学」入門書。
「現代世界におけるイスラーム」(2) ― 2012/05/13 03:21
○日本から見る「イスラーム世界」
日本で「イスラーム」が意識されるようになったのは、1973年の第一次オイ ル・ショック、1979-80年のイランのホメイニ革命、第二次オイル・ショック からで、経済的関係に偏重している。 エネルギー資源の供給源、工業製品の 輸出先(初期の例、東洋レーヨンのテトロンを中東のオバQみたいな服に)。 ア メリカ追随型の外交で、アメリカがカバーできないところを補ったりしており、 今、ODAの相手国として中東が多い(エジプト、ヨルダン、イラン)。 教育・ 文化・開発援助などで、地道な努力は続けられているが、「イスラーム世界」へ の関心は低く、したがって理解も浅い。 今後、幅広い分野での、厚みのある 交流関係を構築し、さらに深めていく心構えが必要である。 世界平和の維持に、今、一番大事な地域である。 戦争の火種が、いっぱい ある。 イラン、シリア、スーダン、そして後述の「アラブの春」。
○「イスラーム世界」という「概念」
地域、国家、社会階層によって、多様性と統一性がある。 アイデンティテ ィーを同じくし、大きな輪が重なる、国家を越えた概念。 マジョリティが「ム スリム」意識を共通して持っている国、マレーシア、インドネシア、バングラ デシュなど。 「イスラーム」のあり方は、宗教思想のレベルでは、統一性、同一性、一体 感がある。 スンナ(ニ)派とシーア派(内に細かい分派)は、9対1だが、 大本は同じで、統一性がある。 外部世界との関係のレベルでは、負の歴史の 反映として、共通の劣等感がある。 現実生活における諸問題があり、その解決のための独自の努力が続けられて いる。 そこには、国家利益の追求と欧米との関係など分裂的側面(政策を一 つに出来ない、国によって石油の売り先を区別する。インド・中国に売るイラ ンと、そうではないサウジアラビアなど)と、経済活動とイスラーム的規範の 調和を図る「イスラーム経済学」の統一的側面がある。 国境を超える諸組織 として、人道的なものもあれば、テロリスト(アルカイダ)の組織もある。
○おわりに : 現代の問題
政治的選択の問題、「アラブの春」と呼ばれる大規模な反政府運動が2011年 暮にチュニジアから起り、エジプト、リビア、イエメンで政権を打倒し、シリ ア、バーレーンなどに波及している。 「イスラーム主義」か「世俗主義」(「政 教分離」という言葉はヨーロッパ的概念で、本人たちは使わない)かの問題と いわれるが、この問題設定には「問題性」がある。 単純な2項対立的図式で はない。 「イスラーム」という宗教はしぶとく、彼らはしたたかで、どう通 り抜けていくか、見守りたい。 外部からの選択の強制がかかり過ぎると(ア メリカの動きなど)、内部的な弱さもあり、危険である。 彼らは、私達が思っ ている以上に、西欧からのプレッシャーを強く感じている。
福沢書簡に登場する「藤田組」「藤田平太郎」 ― 2012/05/09 02:28
明治19(1886)年~20(1887)年になると、福沢書簡には、「藤田組」が発 展して、同社や関連事業に慶應義塾の卒業生が就職したり、藤田伝三郎の長男 平太郎が慶應義塾に入学したことが出て来る。
福沢書簡1112 明治19年12月1日付、本山彦一(熊本藩士、慶應義塾 出版社を経て、租税寮出仕、兵庫県学務課長、大阪新報社、時事新報社を経て、 明治19年藤田組に招かれて支配人)宛。 牛場卓蔵(伊勢の農家に生れ、明 治5年入塾、報知新聞社、兵庫県学務課に勤務、勧業課長、内務省にいて明治 14年政変で罷免され、時事新報記者、朝鮮政府顧問、大蔵省に出仕後、本山彦 一の斡旋で藤田組へ)の藤田組入社に異存のないこと、藤田・久原の子息(長 男藤田平太郎、久原庄三郎の次男房次郎(のち房之助))の慶應義塾入塾のこと などを伝える手紙。
福沢書簡1122 明治20年1月25日付、本山彦一宛。 「藤田、久原二 少年、不相替勉強、富豪千金之子、従来辛酸をなめたることなし」「(保護者の 浜野定四郎と福島(未詳)は)困る者を首尾よく世話することこそ、面白けれ」 「一両年本塾にて修業の上、米国への留学を勧める」
福沢書簡1133 明治20年2月13日付、本山彦一宛。 山陽鉄道株式引 受と中上川彦次郎の同社社長就任の時事新報社への影響につき相談する手紙。 神戸馬関間の鉄道の株式を十万円引き受けたい、資本を出す三菱(荘田平五郎 がいる)に五万、藤田組に五万の十万にする心づもりと伝える。 次男の捨次 郎が明治21(1888)年に鉄道を学んでアメリカ留学から帰国の予定なので、 そのためにも株式を所有したいので、荘田と藤田伝三郎に伝えてもらいたい。 今後、日本で事を成さんとするには新聞は重要で、中上川彦次郎の抜けた時事 新報は心配だが、ただ人物さえあれば維持は容易だ、と言う。
福沢書簡1103 明治19年11月11日付、福沢一太郎宛。 「当今ハ日 本も金次第之世ノ中となり」旧工部大学校卒業生で、鉄道局に奉職した者も、 「藤田組等より招きニ参れバ、颯々と辞表を出して立退き候次第、鉄道局にて も困るよしなり」
福沢書簡に登場する「藤田伝三郎」 ― 2012/05/08 03:11
藤田伝三郎、福沢諭吉とほぼ同時代の人なので、思いついて『福澤諭吉書簡 集』の索引を当ってみた。 藤田伝三郎宛の書簡はないけれど、ほかの人宛の 手紙の中に「藤田伝三郎」「藤田平太郎」「藤田組」が登場する。 この索引の 充実しているのが、有難い。
まず、明治12(1879)年の藤田組贋札事件である。 前年末、各府県から 政府に納められた国庫金の中から贋札が発見され、この年9月15日「ドイツ 滞在中の井上馨と組んで現地で贋札を製造して秘かに持ち込んで会社の資金に しようと企てた」として、藤田伝三郎はほかの7名とともに拘引され、東京に 移送されたが、何も証拠がなく12月20日に藤田は無罪放免となった。 明治 15(1882)年9月に真犯人が判明し、冤罪が晴れた。
藤田伝三郎が濡れ衣を着せられたのは、長州人脈を頼りに若くして大金持ち になったことを妬まれたこと、さらには薩摩と長州の勢力争いによるといわれ ている。 薩摩側は西郷隆盛の失脚、大久保利通の死と、次々に有力者を失い、 長州に押されていた。 そこで薩摩が支配していた内務省警視局を動かして、 長州系の大物の不正を暴く戦術が練られたというのだ。(2009年 6月7日の日 記で「山城屋事件」について書き、その前後に「尾去沢銅山事件」や「司法制 度の父」江藤新平の非業の死、さらには「福澤諭吉の法典論」にふれている。)
福沢書簡379 明治12年9月22日付、原時行(旧延岡藩士、藩教育の功 労者)宛。 「大阪にては藤田中野(梧一)の捕縛、山師も亦恐るべき哉」
福沢書簡383 明治12年10月7日付、岩橋謹次郎(和歌山県士族、明治6 年入塾、北海道開拓)宛。 「近日ハ藤田、中野之一条、中々喧しき事なり。 其真実の少しも分らず。何れ一、二ヶ月も過ぎたらバ、明白可相成存候。」
福沢書簡631 明治14年12月25日付、井上馨宛。 明治14年10月の「明治14年の政変」後、井上馨参議兼外務卿からの会見 の申入れに返答して、「大隈が国会之奏議諭吉之手ニ成りしものデアロウ、三田 之社中ニテ編製したる私擬憲法草案も諭吉之作デアロウ」「大隈と三菱と諭吉は 同穴狐狸デアロウ」云々という「デアロウ」論から脱却することを条件にして 応ずると伝えた手紙である。 「例ヘバ藤田、中野ハ贋札を作りたデアロウ、両人之外ニ誰レ彼レも之ニ関 係したデアロウとて、遂ニ一昨年之不体裁を生したるにあらずや」
大阪の藤田美術館、破格のコレクター・藤田伝三郎 ― 2012/05/07 03:41
徳川家康旧蔵の茶碗に関連する話である。 4月15日放送の「日曜美術館」 で、「破格のコレクター 大阪にあり~探訪!藤田美術館の至宝~」を見た。 大 阪城近く、都島区綱島町の藤田伝三郎(1841(天保12)~1912(明治45)) の旧邸跡の門をくぐると公園があり、蔵やコンクリート造りの倉庫が藤田美術 館になっている。 徳川家康旧蔵で世界に三点しかない「曜変天目茶碗」(国宝)、 「玄奘三蔵絵」(国宝)、廃仏棄釈の興福寺から流出した快慶作「地蔵菩薩立像」 など、国宝9件、重要文化財51件を含む5千点の国内トップクラスの東洋美 術コレクションを誇る。
その礎を築いた藤田伝三郎は、幕末の長州・萩で醤油醸造業の生まれ、奇兵 隊で高杉晋作、木戸孝允、井上馨、山県有朋、山田顕義ら維新の志士たちと親 しく交わった。 明治2(1869)年、長州藩が陸運局を廃止して大砲・小銃・ 砲弾・銃弾などを払い下げた時、藤田はこれらを一手に引き受け、大阪に運ん で巨利を得た。 同年、大阪に出て革靴の製造からスタートし、建設業に手を 広げ、明治10(1877)年の西南戦争では、陸軍に軍靴、被服、食糧、機械を 納入、長州閥の政商藤田組として、一代で大富豪になった関西政財界の風雲児 であった。 金融(北浜銀行…後に三和銀行)、農林、鉱業(小坂銅山…久原房 之助は甥)、紡績(大阪紡績…東洋紡績の前身)、鉄道(阪堺鉄道…南海電鉄の 前身・山陽鉄道)、電力(宇治川水力電気…関西電力の前身)、建設・土木(児 島湾干拓)、新聞(大阪毎日新聞)など、数々の事業で輝かしい足跡を残す一方、 趣味の生活では東洋美術の収集に情熱を傾け、書物や情報をよく研究して多く の名品を手に入れることに成功した。 長男平太郎、次男徳次郎も収集を続け た。
藤田家本邸は太閤園(内、淀川邸は徳次郎邸らしい)、山県有朋邸跡を平太郎 が譲り受けた別邸が目白の椿山荘からフォーシーズンホテル、伝三郎の京都別 邸がホテルフジタ京都、箱根別邸が箱根小湧園などに衣替えして、藤田観光が 経営しているという。
最近のコメント