W・K・バルトンについての拙稿一覧2022/08/09 07:03

 私がずっと関心を持ち続けてきた「日本の公衆衛生の父」W・K・バルトン(1856-1899)について、「等々力短信」やブログ「轟亭の小人閑居日記」、さらに『福澤手帖』に書かせてもらったリストを一覧にしておきたい。 なお、『福澤手帖』の二編は、「轟亭の小人閑居日記」2019.9.12.~2019.9.15.と2019.9.29.で読むことができる。

       「等々力短信」
第701号 1995.3.25. バートンとバルトン/明治日本の水道の先生バルトンは、福沢『西洋事情』のバートンの長男
第851号 1999.8.15. 没後百年バルトン忌/①「日本上下水道の父」W・K・バルトン
第852号 1999.8.25. 写真の普及とバルトン/②日本の写真史にも重要な足跡
第853号 1999.9.5. フライング・スコッツマン/③稲場紀久雄『都市の医師』
第970号 2006.12.25. 107年目のスコットランド帰郷/エジンバラにW・K・バルトンの記念碑建つ
第1089号 2016(平成28).11.25.『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』

       ブログ「轟亭の小人閑居日記」
2002バルトン忌<小人閑居日記 2002.8.4.>
「日本の公衆衛生の父」W・K・バルトン記念の会<小人閑居日記2006.5.15.>
バルトンとバートン、息子の帰郷<小人閑居日記 2006.5.16.>
現地で悟ったバルトン来日の理由<小人閑居日記 2006.5.17.>
W・K・バルトンの学歴と職歴<小人閑居日記 2006.5.18.>
バルトンが日本写真史に果たした役割<小人閑居日記 2006.5.19.>
アマチュア、そして総合人間学<小人閑居日記 2006.5.20.>
W・K・バルトン、明治24年・濃尾地震の写真集<小人閑居日記 2011. 9. 22.>
バルトン撮影の濃尾地震・被害状況<小人閑居日記 2011. 9. 23.>
チェックランド夫人と日本人研究者<小人閑居日記 2015.2.26.>
スコットランド人「バートンとバルトン」<小人閑居日記 2015.2.27.>
横浜の水、日本初の近代水道<小人閑居日記 2016.8.25.>
親友マードックとバルトン、コナン・ドイル<小人閑居日記 2016.12.17.>
バートンとバルトン〔昔、書いた福沢67〕<小人閑居日記 2019.6.22.>
バルトンとバートン(1)〔昔、書いた福沢112-1〕<小人閑居日記 2019.9.12.>
バルトンとバートン(2)〔昔、書いた福沢112-2〕<小人閑居日記 2019.9.13.>
バルトンとバートン(3)〔昔、書いた福沢112-3〕<小人閑居日記 2019.9.14.>
バルトンとバートン(4)〔昔、書いた福沢112-4〕<小人閑居日記 2019.9.15.>
スコットランドにW・K・バルトンの記念碑建つ―百七年目の帰郷―〔昔、書いた福沢118〕<小人閑居日記 2019.9.29.>
福沢索引2006年5月のブログ・W・K・バルトン生誕150年[昔、書いた福沢233]<小人閑居日記 2020.3.12.>
福沢索引2006年5月のブログ・「明治美人帖」ゲイシャとセレブ[昔、書いた福沢234]<小人閑居日記 2020.3.13.>
福沢索引2006年6月のブログ・「明治美人帖」女学生と主婦[昔、書いた福沢235]<小人閑居日記 2020.3.14.>
台湾にバルトン銅像再建、半藤一利と小川一真<小人閑居日記 2021.7.23.>

       『福澤手帖』
バルトンとバートン 『福澤手帖』第102号(1999(平成11)年9月)
スコットランドにW・K・バルトンの記念碑建つ ―百七年目の帰郷― 『福澤手帖』第132号(2007(平成19)年3月)

お雇い外国人の妻たち、漱石、福沢とスコットランド2022/08/08 06:59

 2016(平成28)年11月25日の「等々力短信」第1089号に、『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』を発信した後、ブログ<轟亭の小人閑居日記>に、お雇い外国人の妻たちやスコットランドに関連する話をいろいろ書いていたので、リストしておく。 お雇い外国人ラフカディオ・ハーン、ベルツの妻たち、お雇いではないが薩道愛之助ことアーネスト・サトウの妻のこと、そして(バルトンの親友)マードック、夏目漱石のマードック先生について、書いていた。 さらに福澤諭吉協会の第128回土曜セミナーで、坂本達哉慶應義塾大学経済学部教授の「アダム・スミスと福澤諭吉――<共感>と<独立自尊>のあいだ」を聴いたが、坂本さんは福沢思想の一源泉としてのスコットランド啓蒙思想を掲げた。 福沢には、バックル(イングランド)、ギゾー(フランス)、ミル(イングランド)等の周知の影響に加え、アダム・スミスとデビット・ヒュームの二人が代表するスコットランド啓蒙思想の影響があったという。 バックルの『イングランド文明史』(1851-61)それ自体がスコットランド啓蒙思想の詳細な考察を含んでいる。

ラフカディオ・ハーンの妻、小泉節子<小人閑居日記 2016.12.5.>
「日本の医学の父」べルツと妻・花<小人閑居日記 2016.12.6.>
薩道愛之助<小人閑居日記 2016.12.7.>
力の外交<小人閑居日記 2016.12.8.>
「O・K・」のこと<小人閑居日記 2016.12.9.>
マードック先生と夏目漱石<小人閑居日記 2016.12.10.>
漱石の博士号辞退と三文化人紙幣<小人閑居日記 2016.12.11.>
「博士問題とマードック先生と余」前半<小人閑居日記 2016.12.12.>
「博士問題とマードック先生と余」後半<小人閑居日記 2016.12.13.>
「マードック先生の日本歴史」<小人閑居日記 2016.12.14.>
平川祐弘著『漱石の師マードック先生』<小人閑居日記 2016.12.15.>
マードックの編集力と『アメリカ彦蔵自伝』<小人閑居日記 2016.12.16.>
親友マードックとバルトン、コナン・ドイル<小人閑居日記 2016.12.17.>
坂本達哉教授「アダム・スミスと福澤諭吉」<小人閑居日記 2016.12.18.>
アダム・スミスと福沢諭吉の共通性<小人閑居日記 2016.12.19.>
スミスと福沢の「個人の独立と国の独立」<小人閑居日記 2016.12.20.>
「福沢こそ“日本のスミス”ではないか」<小人閑居日記 2016.12.21.>

稲場紀久雄著『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』2022/08/07 07:52

 ここで、稲場紀久雄さんのご著書『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』(平凡社)を紹介させていただいた「等々力短信」第1089号『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』(2016(平成28)年11月25日)を、再録しておきたい。

    等々力短信 第1089号 2016(平成28)年11月25日

        『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』

 稲場紀久雄さん(大阪経済大学名誉教授)が「日本の公衆衛生の父」W・K・バルトン(1856-1899)の、写真を多数収録した、読みやすい評伝を平凡社から出版された。 バルトンは、帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、浅草十二階(凌雲閣)の設計を指揮、近代的写真術を日本に紹介した。

 スコットランド人のバルトンが、長與専斎内務省衛生局長、永井久一郎書記官の招きで来日したのは明治20(1885)年5月、その前年のコレラ大流行、未曽有の大災厄を受けて、その阻止のためであった。 帝国大学に衛生工学講座を開設し初代教授に就任、技術者の養成と全国の衛生工事の指導を委ねられる。 3年契約、月俸350円。 やがて、その契約は三回も更新され、満津を妻とし、娘の多満(実母は不明)を育てる。

 期待に奮い立ったバルトンは、その時31歳。 永井は36歳、長與の片腕でバルトンの親友になる後藤新平は30歳。 帝国大学には、素晴らしい知性と才能を持つ人たちが、お雇い外国人として、東洋の小国・明治日本建設の情熱に共感し、若い力を発揮していた。 医学のベルツ38歳、地震学のミルン37歳、建築のコンドル35歳。

 バルトンが強い印象を受けたのは、その妻たちの姿だった。 当時日本女性は“人形のようだ”といわれたが、むしろその反対、知的で自己抑制力があり、向上心に溢れ、生き生きと美しい。 ベルツ花、ミルン利根、コンドル粂、日本史や民族史、美術史を研究したジャーナリストのブリンクリの妻安子。 外国人教師同士も、お互いによく協力し合っていたが、外国人と結ばれたことで厳しい境遇にあった夫人達も、強い連帯感で結ばれ、助け合っていた。 ベルツ花の紹介で、満津はバルトンの家を手伝う。

 バルトンは、来日してから9年間、内務省衛生局顧問技師として、北は函館から南は長崎まで、国内28都市の上下水道及び衛生改善の計画策定や技術指導に文字通り東奔西走した。 明治29(1896)年に香港でペストが流行、台湾でも患者が出た。 台湾総督府は後藤新平を衛生顧問、バルトンに衛生工事監督を嘱託する。 バルトンは教え子浜野弥四郎とともに、台湾で衛生改革に没頭、明治32(1899)年5月長期休暇を取って一時帰国の途上、8月東京で肝臓アプセスあるいはアメーバ赤痢で亡くなる。

 この本の23頁、「バルトンの父ジョン・ヒルが福澤諭吉を介して日本の近代化に大きな影響を及ぼしたことも明らかになった。妻の友人脳神経外科医藤原一枝さんから福澤諭吉協会の随筆家馬場紘二さんの随筆集を頂戴した。」 『五の日の手紙3』に私は『西洋事情』外編の主体がジョン・ヒル・バートンの『政治経済学』の翻訳だったと記していた。 バートンとバルトン、父子で日本の近代化に貢献したのだった。

「福澤諭吉協會的隨筆作家馬場紘二先生」2022/08/06 07:00

 稲場紀久雄著、鄧淑瑩・鄧淑品訳『巴爾頓傳奇―百年前的台日公衛先驅』10頁、小見出し「逝世百年紀念」の中に、こうある。

「巴爾頓的父親約翰・希爾透過福澤諭吉對日本的現代化也有了巨人的影響・此時變得更見明朗・妻子的友人腦神經外科醫師藤原一枝先生送給我福澤諭吉協會的隨筆作家馬場紘二先生的隨筆集≪五日之信≫。」

「在閲讀乾浄俐落的短篇小説的・看到了「福澤諭吉的暢銷書『西洋事情外篇』・是英國的政治經濟的翻譯書・作者是約翰・希爾・巴頓」的介紹・我不假思索馬上端正姿勢・這不正是巴爾頓的父親嗎?」

「在我的詢問當中・馬場先生馬上將哈佛大學阿爾巴特・克雷格教授的「≪西洋事情外篇≫的原著者是誰?」這樣的調査論文送給我。」

「就這樣・一九九九(平成十一)年的巴爾頓歿後的百年忌日・除了上下水道關係者參加外・還迎來了石井先生・稲永先生・馬場先生・女孫榊原凱先生・淳女士姉弟・以及優秀的女性吹笛者小林由香里小姐等多領域的到来・成為一個很充實的活動。」

 あーあ、漢字の本字(繁体字)を打つのが大変だった。 「福澤諭吉協會的隨筆作家馬場紘二先生」は、汗顔の至りである。 稲場紀久雄さんの『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』の、該当部分は、こうなっている。 小見出しは「没後百年忌」である。

 「バルトンの父ジョン・ヒルが福澤諭吉を介して日本の近代化に大きな影響を及ぼしたことも、この頃明らかになった。妻の友人脳神経外科医藤原一枝さんから福澤諭吉協会の随筆家馬場紘二さんの随筆集『五の日の手紙』を頂戴した。」

「すっきりした好短編を読み進むうちに、「福沢諭吉のベストセラー『西洋事情外篇』は、英国の政治経済書の翻訳であり、著者はジョン・ヒル・バートンである」という一文を見つけ、思わず姿勢を正した。何とバルトンの父ではないか。」

「私の問い合わせに、馬場さんはすぐ、〝『西洋事情外篇』の原著者は誰か〟というハーヴァード大学のアルバート・クレイグ教授の調査論文を送ってくださった。」

「こうして一九九九(平成一一)年のバルトン没後百年忌は、上下水道関係者に加えて、石井さん、稲永さん、馬場さん、玄孫の榊原ケイさん・淳さん姉弟、素晴らしい女性バグパイパー小林ユカリさんなど多彩なゲストを迎えて、充実した行事となった。」

『巴爾頓傳奇―百年前的台日公衛先驅』2022/08/05 06:59

 稲場紀久雄さん(大阪経済大学名誉教授)、日出子さんご夫妻から、台湾の本「跨海來台的蘇格蘭人」『巴爾頓傳奇―百年前的台日公衛先驅』をご恵贈いただいた。 「等々力短信」第1089号『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』(2016(平成28)年11月25日)で紹介させていただいた稲場紀久雄さんのご著書『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』(平凡社)の中国語譯である。 譯者は、鄧淑瑩、鄧淑品姉妹。 中日代表處の謝長廷代表の多大なご尽力があり、台北の出版社、萬巻樓圖書股份有限公司から発行されている。

 日出子さんのお手紙によると、W・K・バルトン先生の曾孫、鳥海幸子さんもこの出版を大層喜ばれたのはよかったけれど、「バルトンのトンは、やはり頓馬の頓なのですね」と言われるので、大慌て! 「ええっと、頓智、頓服、整頓、頓句…」などと、マジメそうな言葉を並べてみたが、何となく微妙な笑いが…。 紀久雄先生が、「ほかに漢字はないのかな。遁走の遁は、とんズラのようでいかんなあ」と言ったので、話はややこしくなるばかり。 鳥海幸子さんが「この「頓」で大変結構ですよ。ありがたいです。」とおっしゃって、クスクスと「漢字は面白いですねえ。」と、楽しく一件落着したそうだ。