再開された『ファミリー・ヒストリー』2017/10/17 07:12

 10月からNHK総合テレビの『ファミリー・ヒストリー』の放送が再開され た。 西田敏行さんと、iPS細胞でノーベル賞の山中伸弥さんの両方を見て、 どちらも最後は涙になってしまった。 その前、9月27日に「再開スペシャル」 という予告編があった。 2008年10月11日の第1回放送はルー・大柴さん だったそうだが、それは見ていなかった。 明治22年生まれの祖父はハルビ ンで満州一の前田時計宝石店を経営していたが、敗戦でソ連兵に真っ先に荒ら されたという。 角地に建つその大きなビルは、今は書店になっていた。

 過去の放送で、反響の大きかったものとして、浅野忠信さん(2011.8.3.)、 桂文枝さん(2013.11.15.)、大竹しのぶさん(2017.1.26.)の回を取り上げ、 番組その後を紹介していた。 桂文枝さんと、大竹しのぶさんの回は、私も強 く印象に残っていた。 福澤武さんの『私の履歴書』について書いていた時に、 終戦前後の結核と家庭<小人閑居日記 2016.5.13.>で、その桂文枝さんと、 坂口憲二さんのケースを紹介している。

 浅野忠信さんの祖父がアメリカ人だというのは知らなかった。 軍人で帰国 し、母順子さんが4歳の時に生き別れとなっていたが、1992年に亡くなったら、 小さな順子さんの写真を身に着けていたという。 祖父はオランダ系で、アメ リカに移民して大工から農業になったルーツをたどると、オランダに子孫達が いて、日本に有名な俳優の親戚がいることに驚き、会いたいと言っていた。

 最近も『ファミリー・ヒストリー』から、このブログで、下記を書いていた。

市川猿之助の「ファミリー・ヒストリー」<小人閑居日記 2017.4.14.>

オノ・ヨーコの祖父母、小野英二郎と鶴<小人閑居日記 2017.8.23.>

小野ファミリーのミッション(使命)<小人閑居日記 2017.8.24.>

 「再開スペシャル」では『ファミリー・ヒストリー』の調査の方法について も触れていた。 (1)戸籍→家系図。 (2)軍歴。陸軍は都道府県に、海軍 は労働厚生省に資料がある。 (3)新聞。 (4)学校。 (5)写真や映像。

 番組を見ていると、『日曜美術館』などでも感じることだが、外国の資料・記録の保存、ファイリングが素晴しい。 日本の資料・記録の整理保存の、何と お粗末なことか。 調査探求は、さぞや大変なことだろう。 最近の森友学園 問題で、財務省が国有地払い下げに関する交渉記録を破棄したと言っているの に、端的に現れているように、根本的な認識不足があるように思われる。

過去のブログの見方2017/09/16 07:16

 ある方に、「古いブログを読むには、どうすれば良いのですか?」と、訊かれ た。 そうか、自分では慣れていて、何も考えずにやっている。 ブログには 過去の題目と日付だけをたくさん出して、平気な顔をしていた。 ブログの右 欄外の説明も初期に書いたままで、親切に説明して来なくて申し訳なかったな、 と思った。

 その方には、こう説明した。

「ベオグラードに響いた信時潔の「塾歌」<小人閑居日記 2012. 6. 18.> のような古いブログを読むには、私のブログ 「轟亭の小人閑居日記」URL : http://kbaba.asablo.jp/blog を開け、右欄外の「バックナンバー」の一番下の << をクリックして、2012 年の6月をクリックすると、右欄外の「カレンダー」が2012年6月になりま す。 その18日をクリックすれば、読みたいブログが出ます。」と。

 なお、ブログを開けるのには、「轟亭の小人閑居日記」や「馬場紘二」(「紘」 の字は、「ひろこ」で検索すると出る)で、検索しても出る。

 ブログ「轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」の右欄外の説明も、「過去のブログ の見方」として、こう書き直した。

〈過去のブログの見方〉 バックナンバーの一番下の〈〈 をクリックして出る、読みたい年月をクリック すると、その月のカレンダーになるので、読みたい日をクリックして下さい。

 と、いうわけで、わからないことがあったら、遠慮なくお尋ね下さい。 前に、こんなのを読んだけれど、何月何日だったかというのは、「カテゴリー」 の「索引」を見てみて下さい。

読書と「引き出す」<等々力短信 第1098号 2017.8.25.>2017/08/25 07:11

「等々力短信」に対して最近、高校からの友人は、「夫婦そろって楽しみにし ています。小生はだんだん完璧になり過ぎて、“間抜け”のところがほしい感じ がしますが…。」と、手紙をくれた。 閑居していて珍奇な体験をすることもな いし、世の中のことを論評する力もない。 どうしても読んだ本から、あれこ れ紹介することになる。 盆暮に長文のお手紙を下さる方がいる。 短信で紹 介した本を、近くの書店で探すのだが、ほとんどは取り寄せになるので、本屋 さんとは顔見知りになったそうだ。

 「“一日の読書時間ゼロ”と答えた大学生が五割に達した」という調査結果が 報じられた。 全国大学生活協同組合連合会が2月、全国の国公立私立大学30 校を対象に、10,155人から回答を得た。 “読書する”と答えた学生の平均読 書時間も、一日に24・4分で、スマートフォンの利用時間は平均161・5分だ そうだ。

丹羽宇一郎さんの『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)の広告に、「本を読む人に しかわからないことがある」「本に代わるものはない」「読書の真価は生き方に 表れる」とあった。 想像力は現実を生きていく上で、とても大事なものだ。  本を読んでさまざまな生き方や思考を体験できれば、想像力はどこまでも伸び、 世界はそれだけ広がる、というのだ。 丹羽さんの考える教養の条件は、「自分 が知らないということを知っている」ことと、「相手の立場に立ってものごとが 考えられる」ことの二つだそうだ。

 読書が脳に与える影響を研究している、脳生理学の酒井邦嘉東京大学総合文 化研究科教授が、以前NHK「クローズアップ現代」で語っていた。 「本を 読むという行為は決して情報を得たいというためにやるわけではなくて、むし ろ『自分の中からどの位引き出せるか』という営みなのです。」 川端康成『雪 国』の「トンネルを抜けると雪国であった」という書き出しを読む時、まずは 言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとする。 このとき脳では、ど んな景色なのか、主人公はどんな人なのか、イメージを補おうと、視覚をつか さどる部分が動き出す。 すると、過去に見た風景の記憶など自分の体験と照 らし合わせて考えたり、自分で得られた情報から更に自分の考えを構築したり する、想像をふくらませるプロセスを経て、場面のイメージが脳のなかに出来 上がる。 読書による、こうした一連のサイクルが、想像力を養い、人間の持 っている創造的な能力がフルに生かされることにつながる、と考えられている のだそうだ。

 教育educationは、ラテン語のeducatio「引き出す」に由来し、能力を「引 き出す」と聞いていた。 大学生は全く読書をせずに、もっぱらインターネッ トから「引き出す」。 実はこの短信、試みにネットから色々「引き出」して書 いてみたのだが…。

『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』2017/08/14 07:09

 4日、三田山上の図書館(新館)1階展示室で開かれている慶應義塾福澤研 究センター所蔵『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』へ行った。 福澤研究セ ンターの都倉武之准教授のギャラリートークがあると知ったからである。 都 倉准教授は、福沢諭吉、慶應義塾史、「慶應義塾と戦争」についての気鋭の研究 者で、今回も豊富な蓄積からの見事な解説に、すっかり感心してしまった。  都 倉さんについては、去年からでも次のようなことを書いていた。 (92歳、古 屋豊さんが小さな声で言った<小人閑居日記 2016.4.15.>、「慶應義塾と戦 争」アーカイブ・プロジェクト<小人閑居日記 2016.4.16.>、「戦争の時代と 大学」展の冊子から<小人閑居日記 2016.4.17.>、塾長小泉信三の評価をめ ぐって<小人閑居日記 2016.4.18.>、大学の独立と自由<等々力短信 第 1094号 2017.4.25.>)

 『福澤諭吉 慶應義塾史 新収資料展』、都倉准教授の解説はまず(1)長沼事 件の資料から始まった。 柴原和(県令)宛福沢諭吉書簡(明治7年12月25 日)。 小川武平宛福沢諭吉書簡(明治9年9月20日)。 「沼地拝借願」(福 沢諭吉筆)(明治9年3月25日)。 (長沼事件については、「長沼事件」と福 沢<小人閑居日記 2013. 5. 31.>、「長沼事件」所有権の問題<小人閑居日記  2013. 6.1.>、「三田」土地購入と福沢<小人閑居日記 2013. 6.2.>参照) 都 倉さんは、柴原和(県令)宛の手紙は、長沼村民に同情して牛場卓蔵に起草さ せた願書が県令に届いたかを確認するもの、福沢が関わっていることを伝える 福沢一流のテクニックで、けして村民蔑視ではない、と。 小川武平宛は、福 沢の名前を出した(安倍首相の名前を出すように)のは村民の心得違いだった と、県庁の役人には言葉温和に嘆願して立腹させないように、と諭している。

 (2)日露戦争で捕虜になった塾員―栗田宗次関係資料―。 メドヴェージ 収容所にいたが、第二次大戦の捕虜とは扱いがまったく違ういい生活だったよ うで、くわしい日記を残し、町にも出たり、押し花などもある。 栗田宗次の 慶應義塾在学中の作文帳、日露戦争捕虜日記などから、都倉さんは、物を書く、 作文をする慶應義塾の伝統、筆まめな福沢の達意平明の文章の伝統に触れた。  慶應志木高校新聞部出身で、毎日ブログを綴っている私は、思わずニヤリとし たのだった。

 (3)「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトの新収資料。 戦時下の 塾生の写真アルバム・昭和16-18年(阿加井延雄、昭和18年陸軍入隊・昭和 21年卒)。 昭和18年(だったと思う)に友達とスキーに行っている写真があ る。 学徒出陣壮行会の映像で見るような、一辺倒に暗い時代ではなかった。  軍隊入隊前の寄書帳・昭和19年(松澤喜三郎旧蔵、昭和19年陸軍入隊・昭和 23年卒)。 体育会系の学生、イラストなど交え、明るく軽い調子。 都倉さ んは、本人以外わからないからと、捨てられてしまう日記やアルバムなどに、 貴重な資料があるという。 慶應義塾福澤研究センターでは、こうした資料の 提供を呼びかけている。

柳家権太楼の「落語研究会」一覧2017/08/13 07:28

 ○私がブログに書き、現在も読める、主に「落語研究会」で聴いた柳家権太
楼の落語は次の通り。 智子夫人の台本のように一言一句という訳にはいかな
いけれど、この12年間の権太楼落語をどうぞ。
権太楼の「質屋庫(ぐら)」<小人閑居日記 2005.7.3.>(この6月30日は第
444回落語研究会。「落語研究会」の歴史的な日<小人閑居日記 2005.7.2.> 
「金魚の芸者」林家ぼたん(第一次落語研究会以来初の女性演者))
権太楼「笠碁」と山田洋次さんの落語本<小人閑居日記 2005.10.4.>
鯉昇の形相と、権太楼の長いマクラ<小人閑居日記 2005.12.31.>
権太楼の「芝浜」<小人閑居日記 2006.1.1.>
権太楼、夫婦ゴルフのまくらと「青菜」<小人閑居日記 2006.6.4.>
権太楼の「鰻の幇間」<小人閑居日記 2006.9.7.>
権太楼の「御慶」と出番の話<小人閑居日記 2007.1.10.>
権太楼「大工調べ」の金勘定<小人閑居日記 2007. 5.2.>
権太楼の「代書屋」<小人閑居日記 2007. 10.2.>
権太楼の「百年目」<小人閑居日記 2008. 3.6.>
権太楼の「家見舞」その前半<小人閑居日記 2008. 7.28.>
権太楼の「家見舞」その後半<小人閑居日記 2008. 7.29.>
権太楼の「粗忽の釘」<小人閑居日記 2008. 10.26.>
権太楼の「三枚起請」<小人閑居日記 2009. 4.12.>
権太楼の「化物使い」前半<小人閑居日記 2009. 10.5.>
権太楼の「化物使い」後半<小人閑居日記 2009. 10.6.>
権太楼の「言訳座頭」(長文注意)<小人閑居日記 2009. 12.29.>
権太楼「小言幸兵衛」のマクラ<小人閑居日記 2010. 3.7.>
権太楼の「小言幸兵衛」本体<小人閑居日記 2010. 3.8.>
権太楼の「唐茄子屋政談」前半<小人閑居日記 2010. 7.29.>
権太楼の「唐茄子屋政談」後半<小人閑居日記 2010. 7.30.>
権太楼の「富久」<小人閑居日記 2011. 1.4.>
権太楼の「禁酒番屋」<小人閑居日記 2011. 5.31.>
権太楼の「お神酒徳利」前半<小人閑居日記 2011. 11. 5.>
権太楼の「お神酒徳利」後半<小人閑居日記 2011. 11. 6.>
権太楼のマクラ「柳家おじさん」<小人閑居日記 2012. 6. 5.>
権太楼「不動坊火焔」の前半<小人閑居日記 2012. 6. 6.>
権太楼「不動坊火焔」の後半<小人閑居日記 2012. 6. 7.>
権太楼「うどん屋」のマクラ<小人閑居日記 2013. 2. 15.>
権太楼の「うどん屋」本篇<小人閑居日記 2013. 2. 16.>
権太楼の「蜘蛛駕籠」<小人閑居日記 2013. 9.3.>
権太楼「宗論」のマクラ<小人閑居日記 2013.12.6.>
権太楼「宗論」本篇<小人閑居日記 2013.12.7.>
権太楼「鰍沢」マクラと前半<小人閑居日記 2014.3.9.>
権太楼「鰍沢」の後半<小人閑居日記 2014.3.10.>
権太楼の「短命」<小人閑居日記 2014.6.8.>
権太楼「錦の袈裟」のマクラ<小人閑居日記 2014.11.30.>
権太楼「錦の袈裟」本篇<小人閑居日記 2014.12.1.>
権太楼の「へっつい幽霊」前半<小人閑居日記 2015.6.8.>
権太楼の「へっつい幽霊」後半<小人閑居日記 2015.6.9.>
権太楼「猫の災難」のマクラ「出囃子」<小人閑居日記 2015.10.3.>
権太楼「猫の災難」の本篇<小人閑居日記 2015.10.4.>
権太楼の「二番煎じ」前半<小人閑居日記 2016.3.9.>
権太楼の「二番煎じ」後半<小人閑居日記 2016.3.10.>
権太楼の「心眼」<小人閑居日記 2016.8.12.>
柳家権太楼の「睨み返し」前半<小人閑居日記 2017.1.5.>
柳家権太楼の「睨み返し」後半<小人閑居日記 2017.1.6.>
柳家権太楼の「死神」前半<小人閑居日記 2017.6.10.>
柳家権太楼の「死神」後半<小人閑居日記 2017.6.11.>

 ○ブログにする以前のもので、朝日ネットの会員限定のフォーラム「等々力
短信・サロン」で読めるのは、次の通り。
落語家と世界一周クルーズ<小人閑居日記 2002.10.25.>
 24日は、第412回落語研究会。 「素人義太夫」柳家権太楼
こぶ平の「一文笛」など<小人閑居日記 2003.4.24.>
 23日は新年度に入った第418回落語研究会。 「お化け長屋」柳家権太楼
円生のアクセント<小人閑居日記 2003.12.20.>
 19日は、第534回東京落語会。 「試し酒」柳家権太楼
初席の落語研究会みな快調<小人閑居日記 2004.1.23.>
 22日は、今年最初の第427回落語研究会。 「ひとり酒盛」柳家権太楼
志ん太、喬太郎、菊丸<小人閑居日記 2004.6.1.>
31日は第431回落語研究会。 「大山詣り」柳家権太楼

 ○それ以前の柳家権太楼の「落語研究会」出演と、桂枝雀と一緒の回は、つ
ぎの通り。
第132回1979(昭和54)年4月26日「人形買い」(柳家さん光)、第187回 
1983(昭和58)年11月28日「芝居の喧嘩」、第245回1988(昭和63)年9
月28日「大安売り」、第251回1989(平成元)年3月30日「錦の袈裟」(桂
枝雀「愛宕山」)、第267回1990(平成2)年7月23日「船徳」(桂枝雀「舟
弁慶」)、第274回1991(平成3)年2月26日「お血脈」、第283回1991(平
成3)年11月27日「天狗裁き」(桂枝雀「住吉駕籠」)、第289回1992(平成
4)年6月29日「佐野山」(桂枝雀「寝床」)、第292回1992(平成4)年10
月27日「代書屋」、第298回1993(平成5)年4月14日「くしゃみ講釈」、
第303回1993(平成5)年9月28日「佃祭」(桂枝雀「軒づけ」)、第312回 
1994(平成6)年6月27日「化物使い」、第317回1994(平成6)年11月29
日「壺算」、第322回1995(平成7)年4月14日「火焔太鼓」、第325回1995
(平成7)年7月24日「舟徳」、第330回1995(平成7)年12月27日「芝
浜」(桂枝雀「宿替え」)、第334回1996(平成8)年4月11日「幽霊の辻」(小
佐田定雄作)、第337回1996(平成8)年7月25日「鰻の幇間」、第341回1996
(平成8)年11月14日「睨み返し」、第346回1997(平成9)年4月11日「つ
き馬」、第351回1997(平成9)年9月30日「大工調べ」、第356回1998(平
成10)年2月25日「宿屋の仇討」、第362回1998(平成10)年8月25日「疝
気の虫」、第371回1999(平成11)年5月27日「へっつい幽霊」、第376回 
1999(平成11)年10月18日「くしゃみ講釈」、第380回2000(平成12)年
3月1日「茶の湯」、第384回2000(平成12)年年6月26日「らくだ」、第
390回2000(平成12)年年12月27日「文七元結」、第395回2001(平成13)
年5月31日「子別れ(上)」、第397回2001(平成13)年7月24日「子別れ
(中)」、第398回2001(平成13)年8月29日「子別れ(下)」、第400回2001
(平成13)年10月24日「芝居の喧嘩」、第404回2002(平成14)年2月28
日「居残り佐平治」、第408回2002(平成14)年6月25日「井戸の茶碗」。