『〈銀の匙〉の国語授業』を読んで、書く2012/03/30 04:00

橋本武さんの『〈銀の匙〉の国語授業』(岩波ジュニア新書)を読んだ。 26 日に、カットの年賀状にあった「茶寿」「皇寿」「大還暦」が何歳かわからず、 辞書を引かせられるところが橋本武さんらしい、と書いた。 すると巻末「人 生の節目に思う」に、ちゃんと答が書いてあった。 「大還暦」は再還暦、「上 寿(じょうじゅ)」というそうだ。

『銀の匙』前編七でやるという干支(えと)、十干十二支の話が、勉強になっ た。 「干は「幹」、支は「枝」である」というのを、知らなかった。 何でこ んな字が出て来るのかとは思ったが、その先には進んでいなかった。 古代中 国のこの暦法が、日本に伝わると、干を兄(え)、支を弟(と)として、「干支」を 「えと」というようになる。 十干…五行の木火土水金を、兄(え)と弟(と)に分 けてあてはめる。 木の兄が「きのえ」・甲。 木の弟が「きのと」・乙、とい うように…。

「わからんということがわかる、これは非常にいいことだ」「すぐに分からな かったことを意識しておくことがとても大切なんです。」「意識しないで放って おけばそれっきり。そのときどき、はっきり自分で納得していく、そういうや り方が大事なんです。」

「(大学入試だけのためでなく、)本当の基礎力をつけたい。」「いかにして正 しい勉強法――人間形成の栄養分となるお膳立てをととのえるかということだ け」「国語はすべての教科の基本であり、学ぶ力の背骨といっていいでしょう。」

「国語の基礎学力を涵養する根源は「書く」ことにある。」「本当に話し上手 になるためには、やはり書き上手であることが必要です。」

「繰り返しているからこそ名人になれる」「百論は一作に如かず」

〈生きるとはこの世にうけし持ち時間 悔いを残さず使ひきること〉

橋本武著『〈銀の匙〉の国語授業』2012/03/26 05:18

 24日は交詢社で福澤諭吉協会の総会と土曜セミナーがあったので、銀座へ出 た。 教文館に寄って、広告で見ていた新書を3冊買った。 まず、22日発行 の岩波ジュニア新書、橋本武著『〈銀の匙〉の国語授業』。 昨日の短信に書い た伊藤氏貴さんの『奇跡の教室』を、ご本人が書いたものだ。 冒頭のカット に、橋本武さんの2012年の年賀状(手書きを印刷したもの)が出ていたので、こ れだけ紹介しておく。

 「頌春 平成二十四壬辰年の春 橋本 武

七月の十一日で満百歳 大台に乗る春のめでたさ  ホント

老いぬればあなたまかせのおらが春 こんな気持ちで春を迎へし コレモヨシ

百歳の大台に乗り視野ひろげ 茶寿皇寿から大還暦に  スゴイネ

百歳のお祝ひにとていただきし おしゃれ帽子がよく似合ふとか ウレシイヨ

百歳の記念出版にしませうと 岩波からのジュニア新書に キタイシテマス」

 「茶寿」「皇寿」「大還暦」が何歳かわからず、辞書を引かせられるところが 橋本武さんらしい。 エチ先生が毎日配ったガリ版のプリントは、自分が調べ た過程を生徒にも体験してもらうためだった。 大事なのは答えではなく、過 程である。 早急に答えを求めてはいけない、すぐ役立つものは、すぐに役立 たなくなる、と「はじめに」にある。 「茶寿(ちゃじゅ)」は、数え年108歳。  「茶」の字を分解すると、二つの十と、八十八になる、10+10+88=108。 「皇 寿(こうじゅ)」は、111歳。 「皇」の字の「百」を「百」に「一」が足りな い九十九とし、「王」を「一」「十」「一」から成ると解して、99+1+10+1=111。  「大還暦」は、想像通り、数え年121歳。 生まれた干支(暦)に還る第二回目。

三年間『銀の匙』だけを読む授業<等々力短信 第1033号 2012. 3.25.>2012/03/25 04:52

 NHK・BSプレミアムの「週刊ブックレビュー」、17日が最終回だった。 ま ことに残念である。 1991年4月の放送開始から20年、けっこう見ていて、 この番組で知り、短信で紹介した本も何冊かある。 歴代の司会者では、如月 小春、児玉清、星野知子、三舩優子、そして最後まで務めた藤沢周、中江有里 の皆さんが印象に残っている。 この本は、1月28日放送の第947号で、幸 田文の孫、青木奈緒さんが薦めていた。

 伊藤氏貴著『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』(小学館)、「伝 説の灘校国語教師・橋本武の流儀」。 昭和9年、開校間もない神戸の私立灘 中学校・高等学校に赴任した橋本武さん(100)は、50年間教壇に立ち続けた。  「エチさん」はエチオピア皇太子似から付いたあだ名。 戦後、教科書を使わ ず、中勘助の岩波文庫『銀の匙』一冊だけを3年間かけて読み込む、型破りの 授業を始める。 「一学年200人・一教科一担任の6年一貫繰り上がり制」と いう灘校独特のシステムが、それを可能にした。

 『銀の匙』前篇の十三節、主人公が駄菓子屋へ行く場面。 橋本武先生は、 ニャッとして皆に小袋を配る。 いろいろな駄菓子が出てくる。 生徒が自分 から興味を起して入り込んでいくためには、「主人公になりきって読んで行くこ と」が大事だと、授業はしばしば脱線する。 「わからないことは全くない」 領域まで、一冊を徹底的に味わい尽す「遅読(スロウ・リーディング)」「味読」。  『銀の匙』には、日本の年中行事や細かな季節の移ろいを感じられるものが、 たくさん出て来る。 凧揚げの話が出れば、美術教師に頼んで、「一日凧職人」 の「総合学習」だ。 どんな凧をつくるか、骨から作る材料や形・絵柄も、す べてが自由。 そして、凧揚げ大会だ。 「丑紅」という言葉から、寒の丑の 日に売る紅で、口中の荒れを防ぐという意味をプリントで解説し、「十二支」「十 干」、干支の話に脱線していく。 「丑紅」から身近な「甲子園球場」に広がっ た話は、12歳の知的好奇心を刺激する。 毎回配られるガリ版刷りのプリント に、節ごとの「内容」をまとめ、「鑑賞」に自分が美しいと思った文章を書き抜 き、「短文練習」する。 一年分をまとめて、索引をつくり、製本した『銀の匙』 研究ノートは、エチ先生の教え子たち一人一人の宝物だ。 エチ教室が幾多の 俊英を産んだ実例も紹介されている。

 私は、転校後もプリントを送ってもらい、72歳で送った中勘助論に、97歳 の先生から三重丸をもらった楫西雄介さんの挿話が好きだ。 横道への脱線ば かりの雑学読書と短信・小人閑居日記の生活に、花丸をもらったようで、嬉し くなった。

「新党きづな」と「絆(きずな)」考2012/02/03 04:24

 昨年暮に民主党を離党した9人の衆議院議員が結成した政党の名前が「新党 きづな」と聞いて、疑問に思った。 「絆」という字は、東日本大震災の年2011 年の「今年の漢字」であった。 何時ぞや当時の経営者親子の金遣いが問題に なった、日本漢字能力検定協会が決め、12月12日清水寺の森清範貫主が書い た。

 「絆」は、現代仮名遣いでは「きずな」だ。 「きづな」は、歴史的仮名遣 いである。 念のために『広辞苑』「きずな」【絆・紲】で確認したついでに、 解釈も読んで、びっくりした。 漠然と感じていた「つながり」「連帯」「共生」 という意味は、ないのだ。

 (1)馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。 (2)断つにしのびない恩愛。 離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。

 『新漢語林』の【絆】も、見てみる。

 (1)きずな(きづな)。ほだし。 (ア)牛馬などの足をつなぐなわ。 (ロ)物をつ なぎとめるもの。自由を束縛するもの。  (2)ほだす。つなぐ。つなぎとめる。  〔解字〕形声。糸+半(←上部はハ…馬場註)(音)。音符の半は、攀(はん)に通 じ、ひきつなぐの意味。きずなの意味を表す。

 現代仮名遣いで、「きづな」という表記は、本則の「きずな」に対しての許容 だそうだが、やはり現代の、これからの発展を期する新たな政党名としては、 まずいのではないか。

 命名に当り、辞書で意味を調べたのだろうか。 本来の意味は、一般に思わ れている印象と違って、いかにも悪い。 民主党との「断つにしのびない恩愛」、 親分との「離れがたい情実」「牛馬などの足をつなぐなわ」「自由を束縛するも の」などと、読めてしまうからだ。

 そういえば、自民党も記者会見の後ろのボードに「絆」と書いている。 意 味も調べずに書いているのだろうか、それとも最近のことで、9人の衆議院議 員を取り込もうという思惑があるのか。

「猪木武徳君」という紹介2012/01/16 04:30

 福澤先生誕生記念会の記念講演は、猪木武徳さん(国際日本文化研究センター 所長)の「福澤諭吉における国法と道徳」だった。 慶應義塾の講演会、演説会 で、いつも違和感を感じるのは、外部の方が講師の場合の紹介の仕方である。  女性の司会者が「猪木武徳君」と言う。 猪木武徳さんは、京都大学経済学部 卒、MIT大学院修了で、大阪大学経済学部教授・学部長を経て、国際日本文化 研究センター教授になり、所長になった方だ。 慶應義塾とは関係がない。

私は志木の高校から7年間、慶應に学んだから、塾内では福沢先生一人が「先 生」で、教職員も塾員も塾生も等しく「君」と呼ばれる伝統は、よく知ってい る。 それが清家篤塾長の年頭挨拶にも出て来た「半学半教」の考え方から来 ていることも、知っている。 「半学半教」は、学生の身分でありながら、教 師を兼ねる教育形態で、「究めていよゝ遠」い学問に完成はなく、教員も生徒も 共に教え合う立場にあるという考えが根底にある。 それに加えて、人間の権 利の平等を大切にした福沢の思想と実践もあって、慶應では教員も「君」や「さ ん」で呼ぶ習慣で、掲示板には「○○君休講」の貼り紙が出る。

 だが、それは慶應義塾の内部、いわゆる社中の話だろう。 「猪木武徳君」 と紹介された猪木武徳さんは、どう思われただろうか。 伝統に凝り固まって いて、自由な配慮が出来ず、お招きしてお話し頂く遠来の講師に対して、失礼 ということはないのか。 三田演説会の司会者なども、建前から「君」で紹介 を始め、経歴を述べている内に、面と向かって「君」とは言いづらくなってき て、「さん」や「先生」に変わって行ったりする。 あれあれ、と思う。