深い内容を、やさしいことばで2018/04/28 07:23

 加藤秀俊さんの『社会学』から、「用語のはじまり」とか「大学でさいしょに 正規の学科目」というのを、書き写していて、加藤さんなら、これも「かきう つしていて」となるだろう、と思った。 むかし、「よんでわかる」という一文 を書いた(<等々力短信>第531号、1990(平成2)年5月15日)。 私が、 やさしい、読んでわかる文章を、書くように、つとめるようになったのは、そ れをこころがけた福沢諭吉の影響だと、いいたいところだが、実は慶應ではな くて、京都大学の人文科学研究所につらなる先生方の著作を通じてのことだっ たとして、つぎのように書いていた。

 「昭和38(1963)年の『整理学』によって、加藤秀俊さんの魅力にとらえ られた私は、加藤さんの本を愛読した。 『整理学』につづく中公新書『人間 関係』『人間開発』『自己表現』『情報行動』、『アメリカの小さな町から』『イギ リスの小さな町から』『ホノルルの街かどから』の海外生活三部作、そして『生 きがいの周辺』『生活考』『暮しの思想』『続・暮しの思想』『独学のすすめ-現 代教育考-』といった一連の本である。 そこには、身近なことがらから説き おこして、生活や人生に豊かなものをもたらし、やがては社会をよりよく変革 するような深い内容が、ごくやさしい言葉でのべられていた。 そんなことが できるのだと、「短信」創刊のきっかけの一つにもなった。

 また、べつに多くのことを教えられた、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』、 桑原武夫さんの『文章作法』、鶴見俊輔さんの『文章心得帳』などによっても、 加藤秀俊さんの文章と思想が、京都学派の自由な雰囲気の中で生まれ、磨かれ たものであることがわかる。」

 24日に、ワープロを始めて35年7か月が経ったなどと、自慢めいて書いた。 最近、原稿用紙を使わない、手書きはメモと日記、たまに手紙を書くぐらいだ。  たいていはパソコンで文章を書いている。 叩けば、難しい字も難なく出て来 るから、ついつい漢字の多い、字面の暗い文章になっている。 『社会学』を 読んで、初心にかえりたいと、あらためて反省している。

 『社会学』第三章「コミュニケーション――ことばの力」に、口語と文語の 話がある。 口語は、ふだんの会話でつかっていることば、文語は、あらたま って「文章」にした「書かれたことば」だ。 不祥事の当事者が「このたびは 多大のご迷惑をかけ……」「再発防止に努力いたします」と、最敬礼する情景に は、テレビでよくおめにかかる。 「多大なご迷惑」は文語、日常会話では「た いへんな」という。 こうした文語体や漢字の濫用については、加藤さんは『な んのための日本語』でくわしく論じているが、いくらいっても文語文をつかい たがるひとがすくなくない、と嘆く。 「おまけにワープロ・ソフトには書簡 文の定型がたくさんのっていて、「謹啓秋冷の候」といったような文書がキー操 作ひとつで即座にでてくるようになっている」と。

加藤秀俊さんの『社会学』、現代の世間話2018/04/27 05:15

 加藤秀俊さんの『整理学』(中公新書・1963(昭和38)年)のことを書いた ら、新聞の広告で同じ中公新書から新刊『社会学』が出版されたのを知った。  第一章は「「社会学」――現代の世間話」。 英語のsocietyを社会と翻訳した初 めは、明治8(1875)年1月14日の東京日日新聞の福地源一郎で、「知識階級」 「上流階級」を意味する文脈で使われているという。 福沢諭吉には、その翌 年に創刊した『家庭叢談』という雑誌で、「一国一社会ノ文明ノ進歩ハ」うんぬ んという用例もあると続く。 私としては、福沢が慶応4(1868)年の『西洋 事情 外編』でsocietyを「人間交際(じんかんこうさい)」と訳したことを、 ここで書いて欲しかったと思う。 それは、後段の議論で、章の題名にもある ように、「社会学」は現代の世間話であるという話になるからであった。

 加藤さんはいう。 日本に「社会」がなかったわけではない。 こんな訳語 がなくても、そのことばによって意味されるものはずっとむかしからあった。  日本語ではそれを「世間」といっていた。

 「社会学」Sociologyという用語のはじまりは1876年、イギリスのハーバー ト・スペンサーの『社会学原理』三巻本だった。 大学でさいしょに正規の学 科目となったのは、アメリカのシカゴ大学で1892年、ヨーロッパではフラン スのボルドー大学が1895年だった。 実は日本が早かった。 外山正一(と やままさかず)は、幕臣としてイギリスに留学し、明治4(1871)年から5年 間アメリカに渡ってミシガン大学で哲学と科学を学び、帰国後は明治10(1877) 年に東京大学が設置されると日本人としてさいしょの教授となった。 担当し た「史学」のなかで、ハーバート・スペンサーの『社会学原理』を講読する「社 会学ノ原理」という講義をおこなった。 外山はアメリカから、エドワード・ モースという動物学者を生物学担当のお雇い教授としてつれてきたが、その友 人のアーネスト・フェノロサもおなじく東京大学にむかえられることになった。  フェノロサは岡倉天心を育て、日本の文化芸術にかかわった人物としても有名 だが、もともとはハーバード大学で政治経済を学び、東京大学で政治学、理財 学(経済学)などを教えた。 フェノロサは同時に「ソシオロジー」も担当し たが、この講義は日本語では「世態学」と訳されていた。 外山正一とフェノ ロサの二者併存の開講からの状況は、明治19(1886)年の「帝国大学令」の 発効までつづき、このとき「社会学」は晴れて独立の学科になった。 おどろ くべきことに、シカゴ大学やボルドー大学に先立つことほぼ十年、これについ ては世界でもっとも先端的な国だった、と加藤さんは指摘している。

 それはさておき、加藤さんは、「社会」というのは、「世間」のことだ、と理 解すれば、べつだん「社会学」などと名づけなくても、われわれはずいぶん以 前から世間を学ぶことを知り、それを日常経験としてきた、という。 「世間 話」こそ、「社会学」の萌芽なのだ。 その世間話のあれこれに興味をもち、そ れをこまやかに記録する伝統にかけては日本は世界で突出していた。 一般に 「江戸随筆」とよばれている厖大な量の雑記録がそれである。 『浮世のあり さま』、松浦静山『甲子(かっし)夜話』、大田南畝『一話一言』、喜多村信節(の ぶよ)『嬉遊笑覧』などなど。 世間話の運搬者、「遊行女婦(ゆうこうじょふ)」 や宗教的布教者たち、行商人などが、たくさんいた。 さらに、ほうぼうを遍 歴し、職業を転々として、数奇な人生をおくった「世間師」がいた。 いまで も現代版「世間師」なのかもしれない「話題の豊富なひと」がいる、落語の横 町の隠居のようなひと、それが市井の「社会学者」なのだ、と加藤さんはいう。

 加藤秀俊さんは、ことし88歳、米寿だそうだが、学問と年齢は関係ないと、 あとがきにある。 私は本日、77歳になった。 まさに隠居だけれど、当<小 人閑居日記>や<等々力短信>も、「江戸随筆」の流れをくむ、昭和平成の「世 間話」の末端をうろついているとすれば、「社会学」なのかもしれないと思って、 ニヤリとした。

「マンダラート」ソリューション2018/04/25 06:21

「オオタニサーーン!」エンゼルス・大谷翔平選手の活躍で、花巻東高校時 代に書いたという「81マス」が、話題になっている。 1988(昭和63)年3 月25日の「等々力短信」第456号に「観自在マンダラ」というのを書いてい た。

    等々力短信 第456号 1988(昭和63)年3月25日

             観自在マンダラ

 バインダー手帳の流行に、触発されて読んだものの中で、今泉浩晃さんの『創 造性を高める メモ学入門』(日本実業出版社)という本が、面白かった。 ハ ウツウもののように思われるかもしれないが、そうではない。 「メモという、 ささいな行為、ささいな技術を通して、人生を語り、生きがいを創り、人間と して持っている潜在能力を引きだし、創造性を開発し、能力を高め、充実した 生活を創りだそうよ、創りだせるよ」という哲学を背景にした、生き方の提案 なのである。 具体的には、一枚の紙を九つのブロックに分割した「マンダラ ート」とよぶメモ用紙を使い、四方八方、自由自在に、関係のありそうな思い つきを、書き込んでいく。 九つの空欄を強制的に埋めさせるのが、マンダラ のミソで、これまでに得た知識や情報が、視覚的に、目に見える形で、ネット ワークとして体系づけられ、整理されて出てくる。 つまり、モノが見えてく る。

 マンダラートで、今泉さんが説いているのは、私たちが今までの人生経験の 中で蓄えてきた膨大な量の知識を、どのようにしたら智慧に変えられるか、活 用できるかという方法だ。 頭の中に既にある知識を引き出し(潜在意識を活 性化させ)、組み合わせ、新しい結合を創ってやることによって、問題を解決し ていこうという。 この技法が、梅棹忠夫「こざね法」や川喜多二郎「KJ法」 の、大きな流れの中にあるのは、確かだ。

 情報の収集整理と、その利用において、もっとも陥りやすい失敗は、それが マニア的な「収集のための収集」になってしまうことである。 「活用するこ とが目的で、保存しておくことは手段にすぎない」というのが、ファイリング の原則だそうだ。 この世の中、知ってはいる、わかってはいるけれど、実行 に結びつかないことが、たくさんある。 道具立てだって、けっこう整ってい るのだ。 ただし、使いこなしているかとなると、疑問である。 カード一つ にしても、それをたえず、くったり、かきまぜたりして、採集した情報を、ど う現在の課題に生かすかが、問題なのだ。 わかっては、いるのよ。

 思い立ったが吉日、5×3カードに縦二本横二本の茶色の線を引いて、九つ の空欄を持った「マンダラ」カードを作り、使い始めた。 それが、はたして 今泉さんの御託宣の通り、昼アンドンのごとき日常を送っている私にも、パチ ンコ屋のイルミネーションのように輝く、創造の火をともし、活力に満ちた充 実した日々を、もたらすのであろうか。 南無マンダーラ、マンダラゲ。

                              轟亭

1982(昭和57)年9月、私はワープロを始めた2018/04/24 07:13

 若い頃に、情報整理や発想法に興味を持った。 加藤秀俊さんの『整理学』 (中公新書)は1963(昭和38)年、川喜多二郎さんの『発想法(KJ法)』(中 公新書)は1966(昭和41)年、梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』(岩波新書) は1968(昭和43)年の刊行だから、私の学生時代の後半から社会に出たての 時期に当たる。

 そして個人通信「等々力短信」の前身である「広尾短信」を、ハガキ通信で 始めたのは1975(昭和50)年2月25日、33歳の時だった。 謄写版の原紙 を和文タイプで打って印刷していた。 月3回「五の日」(広尾の縁日の日)5 日15日25日に発行、40部だった。 1976年(昭和51)年10月に等々力に 引っ越し、10月15日の59号から「等々力短信」とする。 ハガキ版は、1982 (昭和57)年9月5日の262号までで、263号からワープロ専用機「文豪」を 採用、A4判一枚の手紙スタイルにした。 261号(1982.8.25.)~400号 (1986.8.15.)を収録した私家本『五の日の手紙』(岩波ブックセンター信山社 製作)を1986(昭和61)年11月5日に刊行した。

 その『五の日の手紙』に収録の第267号(1982(昭和57)年10月25日) 「僧ハ推ス月下ノ門、我ハ敲ク文豪機」、第268号(同年11月5日)「「筆不精」 が死語になる日」、第269号(同年11月15日)「マイ・ワープロの二か月半」 に、こんなことを書いていた。  「日本語をなんとか英文タイプでたたくように、簡単に、はやくきれいに書 けないものかと、先人たちはいろいろと苦労を重ねてきた。」「(1)(梅棹さん の『知的生産の技術』174頁に)日本人には自分のしとげた仕事について、報 告書などの記録を残す習慣が身についておらず、社会的蓄積がきかないという 大欠点があるという指摘がある。」「(2)深田裕介さんが、西欧は書類文化、契 約文化なのにくらべて、日本はおしゃべり文化、口約束文化である、向こうで はつねに書類(手紙)を読んだり書いたりする人がよく仕事をすると評価され るが、こちらは電話をしたり、会議や人と会うことの多いのがモーレツ・ビジ ネスマンである、という話をしていた。」「((3)取扱説明書の不備、(4)たく さんの筆不精の人々、も加え)これら四つの問題に共通するネックは、日本語 を書くことのめんどうくささにある。字を書く困難は、日本の「文明」進歩の 壁になっているのだ。そして今、小型のコンピューターの出現によって、われ われは日本語ワードプロセッサーという形で、その壁に穴が開けられた機会に 立ち会うことができた。より安く、より小さく、より簡単なワードプロセッサ ーが、先人たちの夢を実現する日はそう遠くはないようだ。」

 私がワープロを始めた1982(昭和57)年9月から、35年7か月が経った。

桂文枝の『大・大阪辞典』2018/04/23 07:03

 16日午後、テレビをつけたら偶然NHK Eテレの「日本の話芸」で桂文枝の 落語をやっていた。 『大・大阪辞典』という題の新作で、3月21日NHK大 阪ホールの「上方落語の会」での収録。

 大阪の商売人は、サービス精神とユーモアにあふれているという。 東京の 寿司屋。 らっしゃい、何にしやしょう。 何、握ってもらおうかな。 こは だでもどうだい、トリ貝でもどう。 粋だ。 大阪の寿司屋。 いらっしゃい ませ、何しまひょ。 せやな、何、握ってもらおうかな。 とりあえず、手ェ でも握りましょか。

 とんかつ屋。 とんかつから、赤い輪ゴムが出てきた。 東京だと、あっ、 すいません、すぐ取り替えます。 大阪、長堀のとんかつ屋。 当たりや! 取 り替えてや。 輪ゴムを?

 大阪は、NNC。 Cはシティ。 Nは「なんぼやねん」、すぐ値段を聞く。  もう一つのNは「なんでやねん」、すぐに突っ込む、オチはないんか、オチは?

 駐車場は、モータープール。 両面テープは、リャンメンテープ。 画鋲は、 押しピン。 ワイシャツは、カッターシャツ。

 旦那が大阪の人、奥さんが東京の人。 天神橋筋商店街、5丁目のお好み焼 き屋で、旦那が勘定を払っている間に、奥さんが店を出たら、並んでるおばち ゃんが、「何、食べはったん?」と聞く。 東京じゃあ、聞かない。 豚玉です。  それ、基本、基本。 それと? 焼きそばです。 どの? 卵で巻いたやつ。  ロール焼きそばネ。

 大阪のポスター、「痴漢、アカン」。  電信柱の貼り紙、「飼い犬の皆様へ」 とある。 「一緒に散歩する飼い主へは、スコップと袋を持たせて下さい」。   犬が読めるのか。 屋号も違う。 焼き鳥屋が、「また来て屋」。 雑貨屋、「何 でこんな安いん屋」。 焼き肉屋、「カリブの海賊」じゃなくて、「カルビの海賊」。  「創作料理」じゃなくて、「盗作料理」、「おいしい店のおいしいものを集めてみ ました」。 「店仕舞いセール」の店に、「スタッフ募集」。 「生ビール飲み放 題! 何杯飲んでも、一杯300円」。

 旦那が大阪出身で、奥さんが東京の夫婦、東京から大阪に転勤になった。 奥 さんが大阪に行こうか、別れようか、迷っている。 『大・大阪辞典』の付録、 「100問正解で完璧大阪人」で試す。 90~99問正解で「まあまあ大阪人」、 50~59問正解で「うっすら大阪人」、50問正解したら大阪へ行こう、と。

 問題「次の日本語を大阪弁に直せ?」 短気……いらち。 鳥肌……さぶい ぼ。 ものもらい……めばちこ。

 問題「次の大阪弁を日本語に直せ?」 おいど……お尻。 でんぼ……「チ チ、キトク」の電報じゃなくて、腫物。 昨日……きんの。 パーマかけた… …パーマあててん。 先ほど蚊に刺されました……「かいーーの」は寛平ちゃ ん、最前蚊ァに噛まれた。 君はどこがくすぐったいですか……自分は、どこ が一番こちょばゆいねん。

次の状況を、大阪では何という?

パトカーがサイレンを鳴らして近付いて来た。 大阪では「捕まるぞ、早く 逃げろ」ではなく、「迎えに来たで」。 注文したハンバーグがなかなか来ない 時。 「牛、捕まえに行ったんちゃう?」 馬券が当たらなかったら? 「今 日は当たり馬券、売ってなかったなあ」

おトイレ貸して下さいって言われた時、大阪人なら何て答えるか? 「空い たら、返してや!」 「正解!」