桑原・清水両先生の『汽車のえほん』翻訳の真相2017/04/15 06:31

 9日、桑原三郎先生の『きかんしゃトーマス』翻訳の話を書いた。

桑原三郎・清水周裕共訳『汽車のえほん』シリーズ<小人閑居日記 2017.4.9.>

http://kbaba.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451761

 これを桑原先生の教え子である山内慶太慶應義塾大学看護医療学部教授(横 浜初等部前部長)に読んで頂いた。 すると早速、桑原先生と清水周裕さんの 翻訳の事情について、くわしい情報を教えて下さった。 ブログに書くことも ご了解頂いたので、そっくりご紹介することにする。

 山内慶太さんは、その翻訳の経緯を何度も桑原先生から直接に伺ったそうだ。  桑原先生は慶應義塾の福澤基金による若手教員の国外留学制度によって英国に 留学した。 今は、この制度の適用になるのは大学教員のみだが、当初は塾の 一貫教育を担う、幼稚舎~高校の教諭にも積極的に適用しようという意図があ ったのだそうだ。 この1年間の成果が、『イギリスの義務教育』(慶應通信・ 1970年)になった。

 桑原先生は単身で渡英されたが、清水周裕先生は丁度同じ時期に御家族も一 緒にイギリスに留学されていた。 そこで、時々、清水先生のご家庭に招かれ て日本食を御馳走になったそうだ。 お陰で、ほっとしたし助かったと、懐か しそうにお話しになっていたという。

 その時に、清水先生のお子さんが、トーマスに夢中になっている様子を見な がら、清水先生と桑原先生で、この本を翻訳したら日本の子供達が喜ぶのでは ないかと話すようになり、翻訳に至ったのだということだった。

因みに、翻訳・出版の時、「機関車トマス」にするか「機関車トーマス」に するかも、悩んだということだ。 発音をできるだけ再現すればトマスになる けれど、日本の子供達には「トーマス」の方が言いやすいし、親しみやすい響 きになる・・・・ということで「機関車トーマス」にした、後の日本での人気 を見ると「トーマス」にして良かったと最晩年にお話しになっていた。 それ はSFC(湘南藤沢キャンパス)の授業にゲストで来て頂き、福澤先生の家庭教 育のことをお話し頂いた際、少し余った質疑の時間にトーマスに話しが及んだ 時のことだった。 実は、これが桑原先生の最後の講義になったのだそうだ。

なお、この翻訳出版のきっかけになった、清水先生のお子さんが、その後、 塾の体育会蹴球部(ラグビー)がトヨタを破って日本一になった時に活躍をし た清水周英さんである。 山内慶太さんは、桑原先生はお酒が入ると、そのこ ともよく愉快そうにお話しになっていたことを思い出すという。

日本語版の『汽車のえほん』シリーズは、2006年にも新装改訂版が出ている。 これも桑原先生と清水先生のお名前にはなっているが、読み比べると最初の方 が日本語もきれいで、桑原先生が丁寧に翻訳されたものという感じがすると、 山内慶太さんは言っている。

渡辺直美と『きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』2017/04/08 07:15

 閑居老人は、よくテレビを見ている。 スーパーボウルも、芸能ニュースの 渡辺直美も見ているのだ。 スーパーボウルのハーフタイムショーのレディ ー・ガガの宙づりパフォーマンスを、3月25日の東京ガールズコレクションで、 元気いっぱいに演じていた渡辺直美が、30日の日テレ「ヒルナンデス!」を体 調不良で欠席した。 4月2日、今日公開の映画『きかんしゃトーマス 走れ! 世界のなかまたち』試写会舞台挨拶に登場した後、体調不良の事情を語った。  寿司を食べて、魚介類の寄生虫「アニサキス」に中ったという。 胃が痛くて、 痛くて、病院へ行き、胃カメラを飲んだら、一匹いて、お医者さんがコップに 入れて見せてくれたそうだ。

 「アニサキス」はカイチュウ目の線虫。 クジラなど海産哺乳類を最終宿主 とする線虫で、成虫は40~150ミリメートル、幼虫は、アジ・サバ・ニシン・ スケトウダラ・スルメイカなどに寄生。 「アニサキス症」は、アニサキス幼 虫の寄生している魚類の生食により起きる寄生虫病。 急性の胃アニサキス症 は摂取後数時間で急激な胃痛・悪心・嘔吐で発症、慢性化すると粘膜下に肉芽 腫をつくる。

 映画『きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』は、世界中から数多く の機関車が集まって、スピードや力の強さを競う「グレート・レイルウェイズ・ ショー」に、出場を望むトーマスが、各国からやってくる猛者たちにかなうわ けがないと周囲から馬鹿にされながらも、勝つ方法を見つけ出すために奮闘す る物語。 渡辺直美は、南インドの鉱山鉄道で働く機関車アシマの声を担当し ている。

 と、ここまではマクラで、実はウィルバート・オードリーの絵本『きかんし ゃトーマス』を、最初に『汽車のえほん』(ポプラ社)として翻訳したのが、桑 原三郎先生と清水周裕(しゅうゆう)さんだったことを書きたいのだ。

志木高で体育を教わった関岡康雄さん「惜別」2017/02/10 06:35

 仲間内の情報交流会で声をかけてくれた病院の会長だが、慶應義塾志木高校 の同級生なので、関岡康雄さんが亡くなったことを話したら、知っていた。 私 は1月28日の朝日新聞夕刊「惜別」で知った。 実は、関岡康雄さんには志 木高で体育の授業を受けたのだが、この記事を読むまで、その後の先生とその 業績については、まったく知らなかった。 志木高には、慶應の陸上の名選手 だったという湯浅徹平さんの後任として来られ、東京教育大(現筑波大)を出 たばかりで、三段跳びの選手と聞いていた。 ハードルの跳び方などを教わっ たり、控室にその日の種目の指示を受けに行った記憶がある。 私は16、7歳、 関岡さんは22、3歳ということになる。

 2016年9月12日に急性白血病で亡くなった、81歳。 肩書は日本学生陸上 競技連合会長。 「惜別」(小林直子記者)によると、志木高や東京教育大付属 中・高で体育教諭をし、(私が大学を卒業した)1964年には20代で東京教育 大陸上競技部の監督を任された。 筑波大になってからも監督、部長を歴任。  「人と関わるのが大好き。根っからの教育者」と教え子は言うそうだ。 退職 後は仙台大、九州共立大でも教壇に立った。

 その傍ら、日本学生陸上競技連合(日本学連)では、全日本大学駅伝や出雲 全日本大学選抜駅伝など多くの大会の立ち上げ、運営に奔走。 強化委員長、 専務理事などを経て、2014年に会長に就任した。

 日本学連の学生に対しても「社会人」扱いの厳しい指導で接したそうだが、 一緒に酒を酌み交わし、毎年、スキー旅行で新潟県を訪れて、「おじいちゃんの ような存在」で、学生たちは親しみを込めてひそかに「関ちゃん」と呼んでい たという。

クロマティが敬遠球を打った試合2016/10/02 06:46

 9月27日、東京ドームの巨人-中日戦をBS日テレで見ていた。 巨人は DeNAに急追されて、2位を死守するためには残り5試合に3勝が必要だった。  先発はマイコラスと、小熊凌祐。 2回チーム今季初、小林誠司のスクイズで 取った虎の子の1点を、4回プロ2年目井領雅貴の初本塁打で同点にされ、そ のまま1-1で延長戦になった。 10回裏、無死一・三塁のチャンス、打順は 阿部慎之助に回った。 中日は満塁策を取り、田島慎二投手は阿部を敬遠しよ うとする。 ワンボール、ツーボール。 その時、解説の水野雄仁が言った。  「クロマティがこれ(敬遠球)を打ったことがありましたね。」

 その試合、出来て3年目の東京ドームで観ていた。 1990(平成2)年6月 2日(土)、巨人-広島戦、9回裏一死二塁、金石昭人投手がウォーレン・クロ マティを敬遠しようとしていた。 3球目の高い球だった。 その敬遠球をク ロマティが右中間に打って、西田真二外野手の頭を越えるサヨナラ・ヒットと なった。 クロマティは、もちろん万歳。 スタンドも万歳。 その話をして いたら、一緒に観ていた家内も、万歳!万歳!とやって、隣のおじさんが、家 内を見ていたほうが面白い、と言ったのだそうだ。

 さて、27日の巨人-中日戦、田島は無事阿部を敬遠して満塁。 だが、続く 村田修一が、ライトオーバーのサヨナラ満塁ホームランを打ったのであった。  5-1、ホームインする村田をみんなで迎え、村田のヘルメットを持って走る奴、 水をかける奴、大騒ぎだった。 巨人にとって、2位死守に貴重な一勝となっ た。

 クロマティといえば、同じ27日のNHKテレビ『知恵泉』「上野を制圧せよ! 幕末の天才軍師 大村益次郎」(重なったので、録画で見た)でも話題になって いた。 ゲストが、西武ライオンズで森祇晶監督時代の名コーチ伊原春樹。  1887(昭和62)年11月1日(日)西武ライオンズ球場、巨人2勝-西武3勝 で迎えた日本シリーズ第6戦。 巨人1点、西武2点の8回、2アウトで一塁 にランナーに辻発彦(次期西武ライオンズ監督)がいた。 一番秋山幸二がセ ンター前にヒット、3塁コーチの伊原は、辻に本塁突入を命じた。 日頃、ク ロマティの内野への返球が、山なりなことを、観察してノートに付けていたの だ。 本塁セーフ、日本一を決める貴重な駄目押し点となった「伝説の走塁」 である。 この試合、勝利投手は工藤公康、敗戦投手は水野雄仁だった。

 最近、ベンチでファスナー付きの手帳にメモしているコーチや選手を、よく 目にする。 昔から、観察とメモは、侮りがたいのであった。

「ネグンドカエデ」とバット材「トネリコ」「アオダモ」2016/08/01 06:23

 家の近くの、駅まで行くのに通る道に、文化住宅風とでもいうのか古い平屋 の洋館があって、その庭の道沿いに、葉っぱの縁に白い斑の入った植木がある。  独特の姿なので、何という名前の木なのか、以前から気になっていた。 先日 たまたま、植木屋さんが入って刈り込んでいたので、思い切って木の名前を尋 ねた。 快く「ネグンドカエデ、楓の一種です」と教えてくれた。

 「ネグンド」とは何だろう、聞き間違えではないだろうかと、帰ってからネ ットで検索する。 「ネグンドカエデ」、北アメリカ、ニュージーランド原産の 落葉性中・高木(3~10m)で、明治初期に日本に渡来し、寒冷地向きという ことで、北海道では街路樹に使われているという。 学名はAcer negundo、 Acerは「裂ける」という意味のラテン語から、negundoはサンスクリット由来 で「3ないし5の数」という意味だそうだ。 別名は、西洋カエデ、トネリコ バノカエデ。 北アメリカでは、カナダの中西部からアメリカの東部にかけて、 大西洋岸に分布している。 樹液は、メイプルシロップやメイプルシュガーと して利用されるそうだ。 雌雄異株で4月頃に花を咲かせるが、花弁のない花 であまり鑑賞価値はない。 見どころは、何といっても新緑の由。 いろいろ な品種があり、問題の葉の縁に白い斑の入っているものは「フラミンゴ」とい う品種とわかった。 黄金葉で、新緑の頃には目の覚めるようなライムグリー ンになる「ケリーズゴールド」、葉の縁にクリーム色の斑が入る「バリエガータ」 という品種もある。

 標準和名のトネリコバノカエデだが、渡来当初、バットの材料に使われるト ネリコの葉に似ていることから「トネリコの葉の楓」という名前が使われたの だという。 トネリコバノカエデを「トリネコバノカエデ」と書いてあるサイ トもあって、確かバットは「トネリコ」の木と記憶していたので、「トネリコ」 と「トリネコ」で検索をしてみる。 「トリネコ」も出るけれど、書き間違い のようだ。 「トネリコ」梣は、キク亜綱-ゴマノハグサ目-モクセイ科の落葉 樹であるトネリコ属中の、日本列島を原産とする1種。 木材としては弾力性 に優れ、バットや建築資材に使われる。 新潟県や富山県では、水田の周囲な どに並木として植えられ、刈り取った稲を乾燥させる「はざ木」として使われ、 田園風景となっていたが、今はほとんど失われた。 和名の由来は、樹皮に付 着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質(いぼた蝋)にあり、動きの悪く なった敷居の溝に、この白蝋を塗って滑りを良くしたことから、「戸に塗る木(ト ニヌルキ)」がやがて転訛して「トネリコ」になったと考えられているという。

 バットの材料として、プロ野球のオールスターゲームなど大試合前のセレモ ニーで資源確保のために植樹される「アオダモ」も、モクセイ科トネリコ属の 落葉広葉樹である。 日本でのバット材の需要は年間20万本以上あり、半数 は輸入材で国産材のほとんどは「アオダモ」だそうだ。 寒冷地産ほど反発性 と弾力性、耐久性に優れ、北海道産が多いが、計画的な植林・伐採が行われな かったことから、バットに適した高品質の材の確保が困難になり、2000年には 行政、野球関係者、バット生産者が一体となってアオダモ資源育成の会を発足 させ、活動しているのが例のセレモニーにつながっている。