犬もケン物、プロ野球jeraセ・リーグ2020/07/12 07:52

 6月19日にプロ野球が開幕して、ようやく日常が戻ってきた感じがしている。 テレビでスポーツ実況のない3か月ほどは、実に寂しい、気の抜けたような期間であった。 これほどまでに、スポーツが生活に入り込んでいるとは思ってもいなかった。 7月9日からは、制限はあるが観客が入場できることになった。

 隠れジャイアンツとしては、出だしの一巡の15試合、10勝4敗1分けで首位を走っているので、今のところ、ご機嫌である。 写真は、7月3日(金)の中日戦、菅野が1安打の完投、坂本がソロホーマー、北村が3点二塁打して、5-0で勝った試合のテレビ画面である。

 開幕から「jeraセ・リーグ」の「jera」って、何だろうと思っていた。 調べると、東京電力グループと中部電力が出資した発電会社で、両社の燃料事業(上流開発・燃料調達・燃料トレーディング・輸送)から、日本国内・海外の火力発電所の建設・運営までの発電事業を一貫して承継して、世界最大級の火力発電会社となった資本金50億円の株式会社だそうだ。 「jera」という社名は、Japanの頭文字、energyの頭文字にera(時代)という語を組み合わせたもので、「日本のエネルギーを新しい時代へ」という意味が込められているという。

 その株式会社jeraが、2020年から3年間、プロ野球セントラルリーグ公式戦のタイトルパートナー(冠スポンサー)契約をしたというわけだ。 スポーツと火力発電事業、SDGs関係あたりから苦情が来そうな気もしないではないのだが…。

問題解決のツール「マンダラチャート」2020/04/09 07:05

 吉田篤生さんは、「曼荼羅」を由来とする問題解決のツールに「マンダラチャ ート」というのがあると、説明する。 これについては、私も以前興味を持っ て、書いたことがあった。 「マンダラート」ソリューション<小人閑居日記 2018.4.25.>、 大谷翔平選手の「マンダラート」<小人閑居日記 2018.4.26.>

       「マンダラート」ソリューション<小人閑居日記 2018.4.25.>

「オオタニサーーン!」エンゼルス・大谷翔平選手の活躍で、花巻東高校時 代に書いたという「81マス」が、話題になっている。 1988(昭和63)年3 月25日の「等々力短信」第456号に「観自在マンダラ」というのを書いてい た。

         等々力短信 第456号 1988(昭和63)年3月25日

                  観自在マンダラ

 バインダー手帳の流行に、触発されて読んだものの中で、今泉浩晃さんの『創 造性を高める メモ学入門』(日本実業出版社)という本が、面白かった。 ハ ウツウもののように思われるかもしれないが、そうではない。 「メモという、 ささいな行為、ささいな技術を通して、人生を語り、生きがいを創り、人間と して持っている潜在能力を引きだし、創造性を開発し、能力を高め、充実した 生活を創りだそうよ、創りだせるよ」という哲学を背景にした、生き方の提案 なのである。 具体的には、一枚の紙を九つのブロックに分割した「マンダラ ート」とよぶメモ用紙を使い、四方八方、自由自在に、関係のありそうな思い つきを、書き込んでいく。 九つの空欄を強制的に埋めさせるのが、マンダラ のミソで、これまでに得た知識や情報が、視覚的に、目に見える形で、ネット ワークとして体系づけられ、整理されて出てくる。 つまり、モノが見えてく る。  マンダラートで、今泉さんが説いているのは、私たちが今までの人生経験の 中で蓄えてきた膨大な量の知識を、どのようにしたら智慧に変えられるか、活 用できるかという方法だ。 頭の中に既にある知識を引き出し(潜在意識を活 性化させ)、組み合わせ、新しい結合を創ってやることによって、問題を解決し ていこうという。 この技法が、梅棹忠夫「こざね法」や川喜多二郎「KJ法」 の、大きな流れの中にあるのは、確かだ。  情報の収集整理と、その利用において、もっとも陥りやすい失敗は、それが マニア的な「収集のための収集」になってしまうことである。 「活用するこ とが目的で、保存しておくことは手段にすぎない」というのが、ファイリング の原則だそうだ。 この世の中、知ってはいる、わかってはいるけれど、実行 に結びつかないことが、たくさんある。 道具立てだって、けっこう整ってい るのだ。 ただし、使いこなしているかとなると、疑問である。 カード一つ にしても、それをたえず、くったり、かきまぜたりして、採集した情報を、ど う現在の課題に生かすかが、問題なのだ。 わかっては、いるのよ。  思い立ったが吉日、5×3カードに縦二本横二本の茶色の線を引いて、九つ の空欄を持った「マンダラ」カードを作り、使い始めた。 それが、はたして 今泉さんの御託宣の通り、昼アンドンのごとき日常を送っている私にも、パチ ンコ屋のイルミネーションのように輝く、創造の火をともし、活力に満ちた充 実した日々を、もたらすのであろうか。 南無マンダーラ、マンダラゲ。

        大谷翔平選手の「マンダラート」<小人閑居日記 2018.4.26.>

 「大谷翔平の魔法の81マス」を、テレ朝の「羽鳥慎一モーニングショー」 (4月10日)で見た。 花巻東高校野球部の佐々木洋監督は「マンダラート」 の方法を使って、1年生に「達成するための目標」を書かせるのだそうだ。 「8 1マス」というのは、まず中心となる大目標の「マンダラート」を埋め、その 8マスを八方の「マンダラート」の中心に展開して、それぞれの「マンダラー ト」を埋めていく。 9マス×9で「81マス」になるわけだ。  1年生大谷翔平選手は、「マンダラート」の大目標を「ドラ1・8球団」、つま り高校卒業時に8球団からドラフト1位に指名されることに置き、周囲の8マ スを「体作り」「コントロール」「キレ」「スピード160km/h」「変化球」「運」「人 間性」「メンタル」とした。 凄いのは、「運」「人間性」「メンタル」と書いて いることだ。 高校1年生の野球選手が、こんなことを目標にするだろうか。  「運」の「マンダラート」8マスに、どんなことを書いているか。 「あい さつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「審判さんへの態度」「本を読む」「応援される人 間になる」「プラス思考」「道具を大切に使う」。  「人間性」の「マンダラート」8マスには、「感性」「愛される人間」「仲間を 思いやる心」「感謝」「継続力」「信頼される人間」「礼儀」「思いやり」。 「メンタル」の「マンダラート」8マスには、「はっきりした目標、目的をも つ」「一喜一憂しない」「頭は冷静に、心は熱く」「雰囲気に流されない」「仲間 を思いやる心」「勝利への執念」「波を作らない」「ピンチに強い」。 こうした心掛けが、インタビューを聞いていても、いつも冷静で、一喜一憂 しない姿勢、ファンからもチームメートからも愛されている、好青年をつくっ たのだろう。 「仲間を思いやる心」が、二か所に出てくるのが、微笑ましい。

福沢索引2006年5月のブログ・小泉信三博士歿後40年[昔、書いた福沢232]2020/03/11 07:04

「海行かば」の早慶戦<小人閑居日記 2006.5.13.>
 5月11日、三田で「小泉信三博士歿後40年記念講演会」。 服部禮次郎さ
んの「小泉博士と福澤研究」、福岡正夫名誉教授の「経済学者小泉信三」、松尾
俊治さんの「小泉信三先生と野球」。 体育会野球部出身で、毎日新聞の運動記
者をした松尾俊治さんの「海行かば」の早慶戦にまつわる話に感動。 戦時中、
軍部や文部省は、野球・テニスを敵性スポーツとして弾圧した。 昭和18年9
月22日、政府は文科系学生、生徒の徴兵猶予を全面的に停止する特令を公布
した。 慶應野球部の、戦場に行く前に何とか早稲田と一戦をという運動に賛
成した小泉さんは、学生にとってよいことなら、自分が責任を持ってやるとい
う姿勢を貫く。 10月16日早稲田の戸塚球場で、最後の早慶戦が行われた

アマチュア、そして総合人間学<小人閑居日記 2006.5.20.>
 15日の「福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会」丸山徹経済学部教授
の「小泉信三と作家たち」。 話を小泉信三さんが愛読した作家の内、森鴎外と
夏目漱石と幸田露伴の三人にしぼり、三人とも学者だ、という。 最近の学問
は、狭い専門領域に凝り固まっていて、学問と人倫・人情との関係がない。 そ
れにくらべ、ありとあらゆることに関心を持ち、八方に手を広げる学問態度は、
人間全体の処世学の結晶、修身をふくむものだ、といった話をした。

小泉信三さんとファールボール<小人閑居日記 2006.5.22.>
 体育会野球部長をやった丸山徹さん、高校生の時、小泉さんがネット裏の貴
賓席で慶明戦を観戦中、ファールボールが跳ね返って、小泉さんをかすめ、そ
ばの人が大丈夫ですか、と尋ねているのを見た。 それが昭和41(1966)年5
月1日で、小泉信三さんはその10日後の11日に亡くなった。 実は、私もそ
の試合をネット裏で観ていて、ファールボールは、直接小泉さんに当たったよ
うに記憶していた。

『三田評論』小泉信三追悼号<小人閑居日記 2006.5.23.>
 丸山徹さんは、小泉さんが経済学の授業に、一時間『運命』を語ったという
吉野秀雄さんの「小泉信三先生を偲ぶ」八首が『三田評論』昭和41(1966)
年8・9月号の小泉信三追悼号にある、と言った。 「教室の講義さしおき露
伴作「運命」説きしきみを忘れめや」「堀江気賀いまだ衰えず高橋と並び若かり
し君をしぞおもふ」「わが耳の底に残るはさびのある清き聲にて語尾ひきしま
る」。

前田祐吉監督の慶應野球<小人閑居日記 2006.5.24.>
「小泉信三君 没後40年」特集の『三田評論』5月号の「日本野球よ、永遠に」
という三人閑談。 「エンジョイ・ベースボール」の慶應野球を、必勝精神主
義の野球道と対比して語っていて、面白い。 球場でのマナーが紳士的だった
のが印象的な前田祐吉慶應野球部元監督の発言が特にいい。 「僕は前後十八
年監督をやらせてもらって、唯一自慢できるのは全員が卒業したことです。当
たり前のことだけど、監督が学生が勉強するのを妨げてはならない。学生にと
って、授業に出て勉強するのは重要な権利ですから。」 新基軸「声を出すな」、
口癖「ベンチを見るな」。

伊藤整と小泉信三さん<小人閑居日記 2006.5.26.>
 桶谷秀昭さんの『伊藤整』(新潮社)に、小泉信三さんが出てくる。 小樽高
商、後の小樽商科大学は、経済学では名の知れた学校である。 当時、大西猪
之介、大熊信行が、教えていた。 伊藤整の一年上に小林多喜二がいた。 大
熊信行は、東京商大研究科のゼミで師事した福田徳三の推薦で、小樽高商に赴
任した。福田徳三は、わが国の近代経済学の草分けとして知られる学者だが、
一時、東京商大を追われ、慶應義塾に拾われた。 その慶應で、福田徳三は小
泉信三という俊秀な学生を発見した。 大熊信行は、経済原論の講義の準備を
していて、イギリス古典派及びマルクス経済学と、近代経済学の、たがいに相
対立する価値論を綜合する端緒をつかんだ、という。 似た話として、5月11
日の「小泉信三博士歿後40年記念講演会」、福岡正夫名誉教授の「経済学者小
泉信三」で、リカアドオ経済学の研究、マルクス経済学の批判で知られる小泉
さんが現代の経済学につながる道を切り拓いたという話を聴いた。

福沢索引2006年3月のブログ・池井優さんの「戦後日本外交の展開とスポーツ」[昔、書いた福沢227]2020/02/27 07:20

池井優さんの「復活!名講義」<小人閑居日記 2006.3.20.>
 2008年に創立150年を迎える記念事業の一つ「復活!慶應義塾の名講義」、
池井優法学部名誉教授の「戦後日本外交の展開とスポーツ」を聴く。

その試合は現場で観た<小人閑居日記 2006.3.21.>
 池井優さんの話の中に、幸運にも子供の頃、その現場にいた試合がいくつか
あって、自分史に重なる。 父のやっていた工場が日大水泳部のプール・合宿
所に近かったので、古橋広之進、橋爪四郎ら“フジヤマのトビウオ”たちは身
近な存在だった。 オドゥール監督率いるサンフランシスコ・シールズとの「日
米野球」の試合を観ている。 ボクシングの世界フライ級タイトルマッチで、
白井義男がダド・マリノを破って、世界チャンピオンになった試合も、同じく
後楽園球場で観た。

古橋広之進さんへの父の手紙<小人閑居日記 2006.3.22.>
 古橋広之進さんは、昭和60(1985)年12月2日から31日まで日本経済新
聞に、「力泳五十年」と題する「私の履歴書」を連載した。 和綴の製本をして、
古橋さんに送った、それに添えた父の手紙。

ふんどしと水泳パンツ<小人閑居日記 2006.3.23.>
 占領下の当時、接収されていた神宮プール、試合の時だけという条件つきで、
使用が許可された。 1947(昭和22)年8月8日、全日本水泳選手権大会の
決勝、古橋広之進400m自由形準決勝で、古橋さんは4分38秒4の世界新記
録で泳いだが、日本の水泳連盟が国際水泳連盟から除名中のため、未公認の幻
の世界新記録となった。
(当時のことは、田畑政治さんを主人公にした2019年の大河ドラマ『いだて
ん』の後半で描かれた。)

オドール監督、そして「水泳の人」<小人閑居日記 2006.3.24.>
 オドール監督の前で踊った記憶があるという、ガールフレンドからのメール。 
「水泳の人」は、キッパス監督、昭和25(1950)年の水泳日米対抗にコンノ、
マックレーンらをひきいて来日したアメリカチームの監督。

居合から福沢諭吉を切る[昔、書いた福沢211]2020/02/11 07:03

        居合から福沢諭吉を切る<小人閑居日記 2004.4.9.>

 3月27日、日本橋室町の三井本館7階食堂で福沢諭吉協会の土曜セミナー があった。 ここは、いずれ三井美術館になるのだそうだ。 講師は幼稚舎教 諭の岩崎弘さん、「福澤先生と居合」。 福沢研究にも、いろいろな切り口があ るもので、剣道をやっている岩崎さんは、長年ここから調べて来た。

 福沢の居合は、本格的なものなのだそうだ。 少年時代に中津で中村正(庄) 兵衛に立身(たつみ)新流という居合術を学んだ。 おそらく町道場でなく、 藩の道場だろうという。 立身流の居合術は室町時代末期に伊予の人、立身三 京によって創始され、佐倉堀田藩と中津奥平藩(立身新流)に伝えられた。 中 津藩では途絶えたが、佐倉では現在も二十一代宗家、加藤高という方がいると いう。 この立身流の居合をビデオで見た。 立って刀を抜く立会、座って抜 く居組、ともに襲ってくる敵の機先を制し、一刀必殺の鋭さを感じさせるもの だった。 

 鍛練によって「抜かずして、敵に勝つ」境地に達するという居合術は、福沢 の「捨て身」や「気力体力」の源となった、というのが結論だったようだ。