大谷翔平選手の「マンダラート」2018/04/26 07:08

 「大谷翔平の魔法の81マス」を、テレ朝の「羽鳥慎一モーニングショー」 (4月10日)で見た。 花巻東高校野球部の佐々木洋監督は「マンダラート」 の方法を使って、1年生に「達成するための目標」を書かせるのだそうだ。 「8 1マス」というのは、まず中心となる大目標の「マンダラート」を埋め、その 8マスを八方の「マンダラート」の中心に展開して、それぞれの「マンダラー ト」を埋めていく。 9マス×9で「81マス」になるわけだ。

 1年生大谷翔平選手は、「マンダラート」の大目標を「ドラ1・8球団」、つま り高校卒業時に8球団からドラフト1位に指名されることに置き、周囲の8マ スを「体作り」「コントロール」「キレ」「スピード160km/h」「変化球」「運」「人 間性」「メンタル」とした。 凄いのは、「運」「人間性」「メンタル」と書いて いることだ。 高校1年生の野球選手が、こんなことを目標にするだろうか。

 「運」の「マンダラート」8マスに、どんなことを書いているか。 「あい さつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「審判さんへの態度」「本を読む」「応援される人 間になる」「プラス思考」「道具を大切に使う」。

 「人間性」の「マンダラート」8マスには、「感性」「愛される人間」「仲間を 思いやる心」「感謝」「継続力」「信頼される人間」「礼儀」「思いやり」。

「メンタル」の「マンダラート」8マスには、「はっきりした目標、目的をも つ」「一喜一憂しない」「頭は冷静に、心は熱く」「雰囲気に流されない」「仲間 を思いやる心」「勝利への執念」「波を作らない」「ピンチに強い」。

こうした心掛けが、インタビューを聞いていても、いつも冷静で、一喜一憂 しない姿勢、ファンからもチームメートからも愛されている、好青年をつくっ たのだろう。 「仲間を思いやる心」が、二か所に出てくるのが、微笑ましい。

「マンダラート」ソリューション2018/04/25 06:21

「オオタニサーーン!」エンゼルス・大谷翔平選手の活躍で、花巻東高校時 代に書いたという「81マス」が、話題になっている。 1988(昭和63)年3 月25日の「等々力短信」第456号に「観自在マンダラ」というのを書いてい た。

    等々力短信 第456号 1988(昭和63)年3月25日

             観自在マンダラ

 バインダー手帳の流行に、触発されて読んだものの中で、今泉浩晃さんの『創 造性を高める メモ学入門』(日本実業出版社)という本が、面白かった。 ハ ウツウもののように思われるかもしれないが、そうではない。 「メモという、 ささいな行為、ささいな技術を通して、人生を語り、生きがいを創り、人間と して持っている潜在能力を引きだし、創造性を開発し、能力を高め、充実した 生活を創りだそうよ、創りだせるよ」という哲学を背景にした、生き方の提案 なのである。 具体的には、一枚の紙を九つのブロックに分割した「マンダラ ート」とよぶメモ用紙を使い、四方八方、自由自在に、関係のありそうな思い つきを、書き込んでいく。 九つの空欄を強制的に埋めさせるのが、マンダラ のミソで、これまでに得た知識や情報が、視覚的に、目に見える形で、ネット ワークとして体系づけられ、整理されて出てくる。 つまり、モノが見えてく る。

 マンダラートで、今泉さんが説いているのは、私たちが今までの人生経験の 中で蓄えてきた膨大な量の知識を、どのようにしたら智慧に変えられるか、活 用できるかという方法だ。 頭の中に既にある知識を引き出し(潜在意識を活 性化させ)、組み合わせ、新しい結合を創ってやることによって、問題を解決し ていこうという。 この技法が、梅棹忠夫「こざね法」や川喜多二郎「KJ法」 の、大きな流れの中にあるのは、確かだ。

 情報の収集整理と、その利用において、もっとも陥りやすい失敗は、それが マニア的な「収集のための収集」になってしまうことである。 「活用するこ とが目的で、保存しておくことは手段にすぎない」というのが、ファイリング の原則だそうだ。 この世の中、知ってはいる、わかってはいるけれど、実行 に結びつかないことが、たくさんある。 道具立てだって、けっこう整ってい るのだ。 ただし、使いこなしているかとなると、疑問である。 カード一つ にしても、それをたえず、くったり、かきまぜたりして、採集した情報を、ど う現在の課題に生かすかが、問題なのだ。 わかっては、いるのよ。

 思い立ったが吉日、5×3カードに縦二本横二本の茶色の線を引いて、九つ の空欄を持った「マンダラ」カードを作り、使い始めた。 それが、はたして 今泉さんの御託宣の通り、昼アンドンのごとき日常を送っている私にも、パチ ンコ屋のイルミネーションのように輝く、創造の火をともし、活力に満ちた充 実した日々を、もたらすのであろうか。 南無マンダーラ、マンダラゲ。

                              轟亭

会津と「奥州仕置」「惣無事令」2017/12/01 07:15

 ジャイアンツの「絶好調男」、DeNAの監督もやった中畑清の「ファミリーヒ ストリー」を見た。 父は福島から横浜戸塚に出て土建業・中畑組を営み、戦 後進駐軍の仕事などで繁盛したけれど、その仕事がなくなると、福島に帰り瓦 製造を始めるが4年で倒産、牛一頭から酪農を始める。 瓦工場跡の雪も舞い 込む小屋で、9人兄弟の8番目に生れた清は、麦飯に牛乳をかけて育って、大 きくなったのだそうだ。 先祖に中畑上野介晴辰(はるとき)、その息子・右馬守(うまのかみ)という 城持ちの戦国武将がいて、豊臣秀吉の「奥州仕置」の合戦で中畑の地を追われ、 泉崎村に移ったという。 「奥州仕置」というのを知らなかった。

たまたま読んでいた五味文彦さんの『日本の歴史を旅する』(岩波新書)に、 福島県会津盆地を扱った「会津街道 日本の統合をめざした人々」の章があって、 「奥州仕置」が出て来た。 会津盆地で武士たちが成長して抗争を繰り返す中、 応永30(1423)年頃には蘆名氏が会津四郡の守護大名としての権限を握って いた。 戦国の乱世になると、次々と会津に侵攻する勢力が現れ、蘆名氏の当 主が若年で死亡したことなどもあって、蘆名家臣団が分裂するなか、常陸の佐 竹から迎えた義広の代になって、北から侵攻してきた伊達政宗と戦い、天正17 (1589)年に磐梯山麓の摺上原(すりあげはら、耶麻郡磐梯町・猪苗代町)の 合戦で大敗を喫して、滅んでしまう。

伊達氏による会津攻めを「惣無事(そうぶじ)」の命令に違反したとして咎め た豊臣秀吉は、翌年小田原北条氏を滅ぼすと、下野を経て南から会津黒川城(の ちの会津若松城)に入って、奥羽地域の支配方針である「奥州仕置」を定め、 ここに秀吉の天下統一の総仕上げがなった。

この「惣無事令(そうぶじれい)」も、知らなかった。 百科事典をみると、 天正13(1585)年、豊臣秀吉は戦国大名間の戦争(領土紛争)を私戦と断じ、 私戦禁止令(大名の平和令)を出し、受諾した大名については領土を認め地位 を保障した。 この武力征服によらない平和統一政策が「関東惣無事之儀」な どと標榜されたことから「惣無事令」と呼ぶ。 広義には喧嘩停止令(村の平 和令)・刀狩令(百姓の平和令)・海賊停止令(海の平和令)など一連の治安政 策を指し、豊臣政権は平和令を政策基調として天下統一を達成したとの見解を とる。

豊臣秀吉の「奥州仕置」にともなって、奥羽では検地が実施され、諸大名家 の石高が確定し、それを基準にして軍役が課され、各大名は豊臣政権に組み込 まれていった。 会津における伊達氏の支配が否定され、代わって会津四郡を 与えられたのが蒲生氏郷である。 氏郷は文禄元(1592)年に黒川城とその城 下町の本格的建設を行なって黒川を若松と改め、近江から木地師や塗師を招く など産業の振興に意を注ぎ、会津塗の基礎が形成された。 氏郷の死後、越後 から上杉景勝が入ったが、関ヶ原の戦い後、米沢に移封された。 その後、蒲 生、加藤などの大名が続き、やがて保科正之が藩主となって藩の体制を整えて から、保科氏の支配が続き、元禄9(1696)年から保科の姓が松平姓に改めら れ、明治維新まで続くことになる。

芳賀徹さんが『文明としての徳川日本』(筑摩書房)(<等々力短信 第1100 号 2017.10.25.>参照)で描いた265年にわたる「徳川の平和」の、反面教師 や礎として、天下布武の織田信長や、そして、この豊臣秀吉の「惣無事令」が あったことを知ったのだった。

ハーフの父の国、母の国2017/10/20 06:56

 9月25日の<等々力短信>『R.S.ヴィラセニョール』のまくらに、ハーフの アナウンサーやタレントが多くなったと書いた。 そして、国山ハセン、ホラ ン千秋、滝川クリステル、葉山エレーヌ、加藤シルビア、政井マヤ、ローラ、 ベッキー、トリンドル玲奈。 スポーツでも、高安、御嶽海、ダルビッシュ有、 オコエ瑠偉、山崎康晃、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウン。 そんな名前を挙 げた。 これを見て、DeNAの抑え投手、山崎康晃はどことのハーフですか、 と聞かれた。 彼の母はフィリピンだそうだ。 そういえば、DeNAでクライ マックス・シリーズのファースト・ステージ、阪神との第2戦の7回に桑原か ら代打でスリーランを打ち、昨日のファイナル・ステージ広島戦でも5回二死 満塁に代打で2点タイムリーを打った「ラッキーボーイ」乙坂智は、印象的な 顔をしているが、父がアメリカ人だという。

 そこで、上の短信を書いた時に、興味本位で調べた親の国を書いておく。 国 山ハセン…父・イラク、ホラン千秋…父・アイルランド、滝川クリステル…父・ フランス、葉山エレーヌ…母・フランス、加藤シルビア…母・ポーランド、政 井マヤ…父・メキシコ(スペイン系)、ローラ…父・バングラデシュ・母…日 本とロシアのクォーター、ベッキー…父・イギリス、トリンドル玲奈…父・オ ーストリア(ドイツ系)。 高安…母フィリピン、御嶽海…母フィリピン、ダ ルビッシュ有…父・イラン、オコエ瑠偉…父・ナイジェリア、ケンブリッジ飛 鳥…父・ジャマイカ、サニブラウン・アブデル・ハキーム…父・ガーナ。

 それ以外でも、多彩だ。 市川紗椰…父・チェロキー族の血を引くアメリカ、 春香クリスティーン…母・スイス(ドイツ系)、山内あゆ…父・ベトナム、山 本モナ…父・ノルウェー、シェリー…父・アメリカ(イタリア(シチリア)系)、 森泉・星(ひかり)…母・アメリカ(イタリア系)、藤田ニコル…父・ポーラ ンドとロシアのハーフ、中条あやみ…父・イギリス。 ディーン元気(やり投 げ)…父・イギリス、九里亜蓮(広島カープ)…父・アメリカ、松島幸太郎(ラ グビー)…父・ジンバブエ。

 閑人でないと、こういうことはできない。 と、思ったら、昨日19日の夕 刊から朝日新聞で「フィリピン花嫁をたどって」という連載コラムが始まった。

『R.S.ヴィラセニョール』<等々力短信 第1099号 2017.9.25.>2017/09/25 07:01

 夕方TBSテレビのニュース番組「Nスタ」を見ていると、井上貴博アナの左 右に国山ハセン、ホラン千秋が並んでいる。 ハーフのアナウンサーやタレン トが多くなったなと思う。 滝川クリステル、葉山エレーヌ、加藤シルビア、 政井マヤ、ローラ、ベッキー、トリンドル玲奈。 スポーツでも、高安、御嶽 海、ダルビッシュ有、オコエ瑠偉、山崎康晃、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウ ン。 昔は混血と言っていたが、あまり聞かなくなったのは、差別語の匂いが するからなのだろうか。 百科事典で「混血」「混血児」を見たら、「雑種強勢 という点からみれば、混血児は両親のそれぞれすぐれた形質を受ける可能性が 強い」とあった。 近代の西欧諸国の植民地支配が世界的に拡大した結果、白 人と黒人の間のムラート、白人とインディオの間のメスティソ、白人とインド 人の間のユーラシアン、西インド諸島のクレオールなどが生じた、ともあった。

 乙川優三郎さんの『R.S.ヴィラセニョール』(新潮社)の主人公レイは、メス ティソ(混血)だった。 母は市東(しとう)君枝、父リオはイロカノ族のフ ィリピン人だ。 リオは母や弟妹を養うためにダンサーとして日本に来て、ホ テル経営者の娘君枝と知り合って結婚した。 レイは、東京月島で育ち、大学 で染色の技法を学び、新宿区中井の江戸更紗の老舗に勤めた後、千葉の御宿海 岸に型染めの工房を持った。 美しい色と形を求めて、図案の発想も色彩も自 由になる、型染めと手描きを組み合わせ、いつか日本人が驚くような日本を染 めてみせるのだと思うのは、父の血かもしれなかった。

 御宿で草木染をしているロベルトと知り合った。 彼もメキシコから母の国 にやって来たメスティソで、日本の色を染めて、染織家や組紐屋へ納めている。  二人は互いに協力するようになり、レイはロベルトの染液で染めた真紅の羽尺 (羽織になるほどの反物、約9m)「母国」を工芸展に出品する。 売り込みを した銀座の老舗呉服店からも、レイの図案の試作を頼まれた。 そんな時期に、 大腸癌を抗癌剤治療中の父のリオが、半月のフィリピンへの帰郷を言い出す。  父は危険だからと母を一度も故郷へ連れて行ったことがなく、今回もそうだっ た。 父は体調を崩し、予定より早く帰国した。

 レイは工芸展で受賞。 死の近い父が、また故郷へ行きたがる。 リオのお かげで弁護士になった弟のフェルが来日、レイに重大な秘密を打ち明ける。 新 聞記者だった兄弟の父親は、マルコスの不正を追及し、妻を誘拐されて新聞社 を辞めたが、マルコスが大統領になって戒厳令を布くと、警察軍に連行され、 虐殺された。 一家の目的は復讐にあった。 私は、この真紅の本で初めて、 フィリピン現代史、アメリカとの関係、マルコスの利権と国家権力の掌握、暗 黒恐怖政治の実態を知ったのだった。