いわきFCの「大番狂わせ」2017/07/18 07:07

 サッカーは、テレビで日本代表の試合を見るぐらいで、ほとんど関心がない。  J1で今、どんなチームが優勝争いをしているのかも、わからない。 10日の NHKニュースウォッチ9のスポーツで、「ジャイアントキリング」という言葉 を知った。 「大番狂わせ」という意味である。 6月21日、札幌厚別公園競 技場の天皇杯2回戦で、J1のコンサドーレ札幌を、アマチュアのチーム、ラ ンクでいうと格下も格下、7部相当の福島県社会人1部リーグの「いわきFC」 が破った。 2-2で延長戦となり、いわきFCが延長の30分に3点を加え、5 -2でコンサドーレ札幌を倒したのだ。

 なぜ、そんなことが可能になったのか。 ラグビー選手のように大きくて強 い肉体を持ち、速く走れるためのトレーニングを日頃から積んでいたからだと いう。 延長戦になっても、相対的に体力が落ちることがなかった。 「日本 のフィジカルスタンダードを変える」が理念の「いわきFC」は、トレーニン グ機器も、サッカーグラウンドも、ロッカールームも、J1のクラブよりも充 実しているかと思われる、素晴らしい練習施設を持っていた。 6月上旬、日 本初の商業施設併設型クラブハウス「いわきFCパーク」が完成した。 20億 円かけたと言ったか、どこかの会社がスポンサーなのだろうと思った。

 練習は火曜から土曜はフィジカルトレーニングが主体で、ボールを使うのは 30分ぐらい、金・土曜はサッカー主体の練習、日曜が試合、月曜はオフなのだ という。 社会人である選手たちは、平日午後、隣の物流センターで働いてい る。 NHKだから会社名はいわなかったが、マークから巨人軍のスポンサー にもなっている「アンダーアーマー」とわかった。

 ネットで調べると、「いわきFC」は、スポーツ関連事業を手がけるドーム(本 社・東京都江東区)が2015年12月に立ち上げた「いわきスポーツクラブ(SC)」 (本社・福島県いわき市)が運営している。 「いわきSC」は、ドーム社の 全面的なバックアップを受けている。 ドーム社は、(1)米スポーツ用品メー カー「アンダーアーマー」の日本での正規事業、(2)スポーツサプリメント「DNS (Dome Nutrition System)」の開発・製造・販売事業、(3)テーピング製品な どのスポーツメディカル事業、(4)フィジカルトレーニングのサポートを行う 事業――の4つを展開していて、それらのノウハウが「いわきFC」に生かさ れているのだそうだ。 ドーム社の専門トレーナーが練習につくほか、アスリ ートのために考えられた食事が朝昼晩3食ドーム社から提供され、DNSのサプ リメントも取り入れている。

 「いわきFC」は7月12日、天皇杯3回戦でJ1の清水エスパルスと対戦、 残念ながら0-2で惜敗した。

早稲田の町と大学野球部2017/07/11 07:12

 『早稲田わが町』の安井弘さんは1934(昭和9)年生れ、戸塚第一小学校で 軽井沢から草軽電鉄で行く草津に学童疎開し、早稲田中学では永六輔さんとず っと同じクラス、当時商家の子弟が多く学んだ早稲田実業に進んだ。 早稲田 大学のある青春の町で、65年間寿司を握り続けてきた。 夏休みなど休みの多 い学生町で商売をしていくのは大変なことで、それは昔も今も変わらないとい う。 その思い出話には、いろいろな人が登場する。

 早稲田大学に野球部が出来たのは明治34(1901)年、その翌年に安部磯雄 教授の熱意と情熱で専用球場(戸塚球場、戦後は安部球場)ができる。 明治 38(1905)年、安部部長率いる野球部はアメリカへ遠征、ルールや理論、技術 を本場で学んできた。 例えば、ウォーミングアップ、試合中の選手交代、ワ インドアップ、バント、ヒットエンドラン、盗塁、スライディング等々から、 「フレー、フレー」の応援の仕方まで。 早大創立50周年の昭和7(1932) 年、記念事業の一つに夜間試合用の照明設備の建設があり、翌昭和8(1933) 年7月10日、鳩山一郎文部大臣の始球式で早大二軍対新人の試合が行われた。  町の人たちはナイターを「電気野球」と呼んでいたという。 野球場は昭和63 (1988)年から東伏見に移り、総合学術センターが出来たが、安部磯雄・飛田 穂洲(初代監督)両氏の胸像が建っている。 野球部では、谷口五郎、久慈次 郎、市岡忠雄、伊達正男、三原脩、藤本定義、南村侑広の名が出てくる。

 昭和初期、合宿所にも近い茶屋町通りからグランド坂に出るあたりに飲食店 が数軒あり、学生に人気の「テキサス」という喫茶店に可愛い女性妙子さんが いて、三原脩選手との恋が噂となり、彼は退部となってしまった。 その後、 二人はめでたく結婚、三原さんは草創期の巨人軍に入団、戦後は巨人・西鉄・ 大洋の監督として智将ぶりを発揮した。 「テキサス」の隣に、安井弘さんの 記憶では「双葉」という母娘の店があり、その娘さんが女優、小桜葉子になっ た。 「小桜さんは明治の元勲岩倉具視卿の曽孫で、俳優上原謙さんの奥様・ 俳優加山雄三さんのお母さんです。」とある。

 八幡鮨の向かいに「南風荘」という麻雀屋さんがあり、母親と可愛い姉妹の 家庭的雰囲気で人気、いつも満卓、高松一高出身の上春三郎一塁手も常連で、 目はパッチリで色白のお姉さん(安井弘さんの二年後輩)と結ばれた。 石井 連蔵さんの同期で鎌倉学園出身の枝村勉さんも、この町の女性と結婚した。 早 稲田実業の先輩で王貞治さんの野球の師、荒川博さんは、早稲田実業門前にあ った文房具店「実業堂」の娘さんと結婚した。 荒川さんは、結婚前から、新 学期の忙しい時などに「実業堂」を手伝っていた。 安井弘さんが校内の臨時 の売店で教科書やノートを買うと、荒川さんが渡してくれるのだが、当時すで に早稲田大学のライトで活躍していたので、受け取る時、緊張したと書いてい る。

桑原・清水両先生の『汽車のえほん』翻訳の真相2017/04/15 06:31

 9日、桑原三郎先生の『きかんしゃトーマス』翻訳の話を書いた。

桑原三郎・清水周裕共訳『汽車のえほん』シリーズ<小人閑居日記 2017.4.9.>

http://kbaba.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451761

 これを桑原先生の教え子である山内慶太慶應義塾大学看護医療学部教授(横 浜初等部前部長)に読んで頂いた。 すると早速、桑原先生と清水周裕さんの 翻訳の事情について、くわしい情報を教えて下さった。 ブログに書くことも ご了解頂いたので、そっくりご紹介することにする。

 山内慶太さんは、その翻訳の経緯を何度も桑原先生から直接に伺ったそうだ。  桑原先生は慶應義塾の福澤基金による若手教員の国外留学制度によって英国に 留学した。 今は、この制度の適用になるのは大学教員のみだが、当初は塾の 一貫教育を担う、幼稚舎~高校の教諭にも積極的に適用しようという意図があ ったのだそうだ。 この1年間の成果が、『イギリスの義務教育』(慶應通信・ 1970年)になった。

 桑原先生は単身で渡英されたが、清水周裕先生は丁度同じ時期に御家族も一 緒にイギリスに留学されていた。 そこで、時々、清水先生のご家庭に招かれ て日本食を御馳走になったそうだ。 お陰で、ほっとしたし助かったと、懐か しそうにお話しになっていたという。

 その時に、清水先生のお子さんが、トーマスに夢中になっている様子を見な がら、清水先生と桑原先生で、この本を翻訳したら日本の子供達が喜ぶのでは ないかと話すようになり、翻訳に至ったのだということだった。

因みに、翻訳・出版の時、「機関車トマス」にするか「機関車トーマス」に するかも、悩んだということだ。 発音をできるだけ再現すればトマスになる けれど、日本の子供達には「トーマス」の方が言いやすいし、親しみやすい響 きになる・・・・ということで「機関車トーマス」にした、後の日本での人気 を見ると「トーマス」にして良かったと最晩年にお話しになっていた。 それ はSFC(湘南藤沢キャンパス)の授業にゲストで来て頂き、福澤先生の家庭教 育のことをお話し頂いた際、少し余った質疑の時間にトーマスに話しが及んだ 時のことだった。 実は、これが桑原先生の最後の講義になったのだそうだ。

なお、この翻訳出版のきっかけになった、清水先生のお子さんが、その後、 塾の体育会蹴球部(ラグビー)がトヨタを破って日本一になった時に活躍をし た清水周英さんである。 山内慶太さんは、桑原先生はお酒が入ると、そのこ ともよく愉快そうにお話しになっていたことを思い出すという。

日本語版の『汽車のえほん』シリーズは、2006年にも新装改訂版が出ている。 これも桑原先生と清水先生のお名前にはなっているが、読み比べると最初の方 が日本語もきれいで、桑原先生が丁寧に翻訳されたものという感じがすると、 山内慶太さんは言っている。

渡辺直美と『きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』2017/04/08 07:15

 閑居老人は、よくテレビを見ている。 スーパーボウルも、芸能ニュースの 渡辺直美も見ているのだ。 スーパーボウルのハーフタイムショーのレディ ー・ガガの宙づりパフォーマンスを、3月25日の東京ガールズコレクションで、 元気いっぱいに演じていた渡辺直美が、30日の日テレ「ヒルナンデス!」を体 調不良で欠席した。 4月2日、今日公開の映画『きかんしゃトーマス 走れ! 世界のなかまたち』試写会舞台挨拶に登場した後、体調不良の事情を語った。  寿司を食べて、魚介類の寄生虫「アニサキス」に中ったという。 胃が痛くて、 痛くて、病院へ行き、胃カメラを飲んだら、一匹いて、お医者さんがコップに 入れて見せてくれたそうだ。

 「アニサキス」はカイチュウ目の線虫。 クジラなど海産哺乳類を最終宿主 とする線虫で、成虫は40~150ミリメートル、幼虫は、アジ・サバ・ニシン・ スケトウダラ・スルメイカなどに寄生。 「アニサキス症」は、アニサキス幼 虫の寄生している魚類の生食により起きる寄生虫病。 急性の胃アニサキス症 は摂取後数時間で急激な胃痛・悪心・嘔吐で発症、慢性化すると粘膜下に肉芽 腫をつくる。

 映画『きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』は、世界中から数多く の機関車が集まって、スピードや力の強さを競う「グレート・レイルウェイズ・ ショー」に、出場を望むトーマスが、各国からやってくる猛者たちにかなうわ けがないと周囲から馬鹿にされながらも、勝つ方法を見つけ出すために奮闘す る物語。 渡辺直美は、南インドの鉱山鉄道で働く機関車アシマの声を担当し ている。

 と、ここまではマクラで、実はウィルバート・オードリーの絵本『きかんし ゃトーマス』を、最初に『汽車のえほん』(ポプラ社)として翻訳したのが、桑 原三郎先生と清水周裕(しゅうゆう)さんだったことを書きたいのだ。

志木高で体育を教わった関岡康雄さん「惜別」2017/02/10 06:35

 仲間内の情報交流会で声をかけてくれた病院の会長だが、慶應義塾志木高校 の同級生なので、関岡康雄さんが亡くなったことを話したら、知っていた。 私 は1月28日の朝日新聞夕刊「惜別」で知った。 実は、関岡康雄さんには志 木高で体育の授業を受けたのだが、この記事を読むまで、その後の先生とその 業績については、まったく知らなかった。 志木高には、慶應の陸上の名選手 だったという湯浅徹平さんの後任として来られ、東京教育大(現筑波大)を出 たばかりで、三段跳びの選手と聞いていた。 ハードルの跳び方などを教わっ たり、控室にその日の種目の指示を受けに行った記憶がある。 私は16、7歳、 関岡さんは22、3歳ということになる。

 2016年9月12日に急性白血病で亡くなった、81歳。 肩書は日本学生陸上 競技連合会長。 「惜別」(小林直子記者)によると、志木高や東京教育大付属 中・高で体育教諭をし、(私が大学を卒業した)1964年には20代で東京教育 大陸上競技部の監督を任された。 筑波大になってからも監督、部長を歴任。  「人と関わるのが大好き。根っからの教育者」と教え子は言うそうだ。 退職 後は仙台大、九州共立大でも教壇に立った。

 その傍ら、日本学生陸上競技連合(日本学連)では、全日本大学駅伝や出雲 全日本大学選抜駅伝など多くの大会の立ち上げ、運営に奔走。 強化委員長、 専務理事などを経て、2014年に会長に就任した。

 日本学連の学生に対しても「社会人」扱いの厳しい指導で接したそうだが、 一緒に酒を酌み交わし、毎年、スキー旅行で新潟県を訪れて、「おじいちゃんの ような存在」で、学生たちは親しみを込めてひそかに「関ちゃん」と呼んでい たという。