野次馬の高輪ゲートウェイ駅見物<小人閑居日記 2020.3.24.>2020/03/24 07:12

 新型コロナウィルス騒ぎで、もろもろの行事が中止や延期になり、気の塞ぐ ような日々である。 17日の彼岸の入りに、三田寺町の墓参りに行ったついで に、伊皿子の坂を泉岳寺へ下って、高輪ゲートウェイ駅を見物して来た。 こ んな時期に行かなくてもいいのだが、そこは野次馬である。 命知らずのご同 輩のお年寄りや、親を引っ張り出したか、引っ張り出されたか小学生もけっこ ういて、賑わっている。 木を多用した明るい駅だけがあって、まわりには何 もない。 これからビルが出来たり、開発されるのだろう。

 真っ白な洒落た逆三角型の小便器でオシッコをして、高輪ゲートウェイ命名 の時に遊んだ人がやっていた「有楽町オールモストギンザ」「鶯谷レジャーホテ ルズ」方面の山手線に乗り、「新橋サラリーマンサンクチュアリ」駅で降りた。  銀座は、中国、韓国からの観光客がまったくいない上に、日本人も少ないから、 閑散としている。 予約なしで空也の最中が買えた。 ひっそりとした天婦羅 屋さんで、才巻海老、鱚、穴子、花が開いた形に揚げた蕗の薹を食す。 ほろ 苦い春の到来を感じた。

福沢諭吉協会で徳島と松山へ[昔、書いた福沢154]2019/11/18 07:00

      徳島の慶應義塾分校<小人閑居日記 2002.10.27.>

 福沢諭吉協会の第37回福沢諭吉史蹟見学会に参加させてもらって、徳島と 松山へ2泊3日の旅に出た。 一日史蹟見学会には何度か参加しているが、泊 まりの旅行は昨年の和歌山に続いて二回目である。 羽田空港8時50分発の JASで、徳島空港へ飛ぶ。 藍の一大産地だった阿波徳島の藍の豪商三木家 (三木産業株式会社)が阿波藍関係の諸史料や同家事業の記録などを保存して いる「三木文庫」を見学。 鳴門観潮のため、鳴門側から淡路島にかかる大鳴 門橋の本来鉄道用だったスペースに作られた「渦の道」を歩く。 史蹟阿波十 郎兵衛屋敷で、イベントの為たまたま公演中の人形浄瑠璃「傾城阿波鳴門順礼 歌の段」を観る。 阿波おどり会館で、同館専属の連「阿波の風」の阿波おど りを見物、一部の人は舞台に上がり、連と一緒に踊る阿波おどり体験をした。

 明治8年7月から9年11月までの短い間だが、徳島に慶應義塾の分校があ った。 昨年4月建てられたその記念碑を見学。 碑のすぐ前の徳島プリンス ホテルに宿泊。 セミナーが開かれ、西川俊作福沢諭吉協会理事の「徳島慶應 義塾について」という講演を聴いた。

    井川の内田弥八、大歩危から道後温泉へ<小人閑居日記 2002.10.28.>

 徳島市から三好郡井川町へ。 井川町ふるさと交流センターで内田弥八の展 示資料を見学。 内田弥八は幕末井川に生れ、大阪で丁稚奉公をしたり、大阪 江戸で漢学を学び、郷里で戸長(村長)を務めたあと、22歳の明治16年慶 應義塾に入り、20年に卒業した。 在学中の明治18年、末松謙澄がロンド ンで刊行した英文著書を『義経再興記』と題して翻訳、ベストセラーになった。  この本は源義経がジンギスカンになったという伝説を燃え上がらせる導火線と なった。

 内田は在学中から塾生で一人、福沢諭吉の国内旅行に随行するなど可愛がら れるが、卒業後貿易を志し、中国、インド、オーストラリアなどを漫遊、途中 で病を得、帰国して療養するものの、明治24年30歳の若さで亡くなる。 J R土讃線佃駅近くの公民館前にある、内田の「臨死自記」と福沢の追悼文を刻 んだ石碑を見学した。 内田家を継いだ古郷家のご当主や郷土史研究家を始め、 地元の皆さん心尽くしの手打そばと丹精の菊による温かい歓迎を受けた。

 大歩危で舟下りを楽しみ昼食、松山自動車道を一路松山市へ。 おりから4 00年祭という松山城を見て、わが国最古の温泉、道後温泉の、漱石が「はじ めての鮒屋泊りをしぐれけり」と詠んだ「ふなや」に泊まった。

       子規と俳句の都・松山<小人閑居日記 2002.10.29.>

 道後温泉を出て、四国八十八ケ所の五十一番札所、子規が「南無大師石手の 寺よ稲の花」と詠んだ石手寺に参詣。 松山市立子規記念博物館へ。 常設展 示にも、短時間ではとても見きれないほどの正岡子規があったが、この日から 11月24日まで特別企画展「子規と故郷」の開催中だった。

 「春や昔十五万石の城下哉」「城山の浮み上るや青嵐」「松山や秋より高き天 守閣」の正岡子規を中心に、松山は高浜虚子、河東碧梧桐、中村草田男、石田 波郷など数多くの俳人を輩出し、今も俳句がさかんで「俳都」と呼ばれている。  ところどころに「観光俳句ポスト」が設置されていて、投句用紙が置かれ、投 句を受け付けている。 私も川柳もどきを一句詠んだ。 「冬近しぼっちゃー んと入る道後の湯」。 砥部焼観光センター、伊予かすり会館などに寄り、16 時15分松山空港発のANA便で無事帰京した。

          道後温泉「ふなや」<小人閑居日記 2002.10.30.>

 ふなや(以前は鮒屋旅館といった)は、江戸時代寛永年間の創業、360余 年の歴史を誇るという。 こんな旅館には、めったに泊まることがないので、 ちょっと書いておく。 福沢諭吉協会の旅行ということで、挨拶に出てこられ たご当主は鮒田泰三氏、昭和38年の慶應卒業というから一年先輩、お名前通 り泰然というか、おだやかな物腰の方であった。 例の重要文化財・道後温泉 本館と同じお湯を引いてきているというお風呂も素晴しかったが、正岡子規が このあたりで「亭ところどころ渓に橋ある紅葉哉」と詠んだという庭園が見事 なものだった。

 松山は瀬戸内海に面しているので、新鮮な魚介類に恵まれ、なかでも小魚の 味は絶品と聞いていた。 10月28日夜の「ふなや」の献立を紹介しておこ う。  ○食前酒 プラムワイン ○前菜 白なめこ菊花浸し 方蓮草 刻みスルメ /牡蛎ぬた和え/鱈場蟹絹太巻き/太刀魚小袖寿し/丸十シロップ煮/ブロッ コリー胡麻和え ○椀 清仕立て 湯葉豆腐 舞茸 みつば 柚子 ○造り  鯛 ○焚合 いとより煮付 孫芋 紅葉麩 隠元 ○台の物 まとう鯛きのこ 焼き 才巻海老 鴨黄身そぼろ寄せ 紅葉バイ 黒枝豆 ○変り鉢 牛ヒレ鉄 板焼き 京葱 湯葉蒟蒻 絹皮茄子 満願寺唐辛子 伊予柑ぽん酢 ○揚物  より海老三色揚げ 生麩 南京 青唐 天出汁 ○止椀 合わせ味噌仕立て  伊勢海老 なめこ 青葱 柚子胡椒 ○御飯 鯛飯 ○果物 静岡産マスクメ ロン 梨 早生みかん

 鯛飯は「ふなや」では、鯛を乗せて炊くのではなく、始めから混ぜ込んで炊 くのだそうで、けっこうな味だった。

       丸十シロップ煮と山頭火句碑<小人閑居日記 2002.10.31.>

 昨日書いた「ふなや」の献立で、前菜の内「丸十シロップ煮」というのが、 わからない。 「丸十」といえば、ノーベル賞、文化勲章、文化功労者の田中 耕一さんの島津製作所のマーク、丸に十の字の島津氏薩摩藩の紋所だ。 薩摩 といえば、薩摩芋だろうか。 そういえば、薩摩芋の煮付の輪切りにしたのが あったような気もする。 徳島を通ったから、「鳴門金時」という自慢の薩摩芋 の話は聞いていたし、その前夜の夕食にも出ていた。 「ふなや」さんに訊き たいことがあったので、ついでに問い合わせると、案の定、「丸十」は薩摩芋の ことだと回答があった。 

 訊きたいことというのは、「ふなや」の庭にあった山頭火の句碑のことで、と てもいいので憶えていたつもりだったのが、帰ってきたら、すっかり忘れてい たのだ。 庭園の中なので、松山市の句碑を網羅した地図にも出ていない。  その句は、

   朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし

だった。 道後温泉で詠んだものだそうで、「ふなや」さんからの親切な返事で は、裏面には道後周辺で詠んだ、次の句もあったのだそうだが、これは見落と していた。

    ほんにあたたかな人も旅もお正月

            すだち<小人閑居日記 2002.11.1.>

 学生時代に徳島の友達の家に泊めてもらって、徳島には「すだち」というも のがあり、何にでも「すだち」をかけることを知った。 竹輪や干ものにかけ るのは当り前だが、刺身や味噌汁にもかける。

 今回の四国旅行で、ホテルや旅館でも、昼食をとった所でも、刺身に必ず「す だち」がついていた。 「ふなや」の夕食で、私が刺身の醤油に「すだち」を 搾っているのを、隣に座った銀座の老舗のご隠居が見て、自分も刺身に「すだ ち」をかけながら「すっぱくなりませんかね」と訊いた。 私は即座に言った。  「すっぱいは成功のもと」  その席では、若干下品にわたるので言わなかったが、前にこんなギャグを思 い付いたことがある。 「セイコウ ハ スッパイ ノ モト」

福沢諭吉、マーマレードを作る〔昔、書いた福沢147〕2019/11/04 07:18

     福沢諭吉、マーマレードを作る<小人閑居日記 2002.7.9.>

 『福沢諭吉書簡集』第七巻(岩波書店)で、面白い手紙を見つけた。 明治 26年7月2日付け松岡勇記宛書簡(書簡番号1779)、松岡勇記は緒方塾の 同窓で医師、栃木病院長、茨城病院長、根室病院長などを歴任、この時は郷里 の長州阿武郡に隠退していたという。

 今日のような「俄に暑気を増して盛夏の如し」という挨拶で始まるこの手紙 で福沢は、「子供打揃ひ喜び候て毎日毎日いただき居候」と松岡が送ってくれた 夏みかんの礼を述べ、「マルマレット」の作り方を教えている。 曰く「かの皮 は裡面の綿のやうなる処を去り、表面の方を細に刻み、能(よ)くうでこぼし て大抵苦味を除き、一夜水にひやして、更に砂糖を入れて能く能く煮詰めし後 ち、所謂(いわゆる)マルマレットと為」る。 「但し砂糖は思切て沢山に用 (もちい)、凡そ皮のうでたるものと等分位に致し、或は水飴を少し混ずるも可 なり」                

 舶来屋で買えば、小さな缶詰(直径5×高さ7.5センチくらいの缶の略図 が描いてある由)で「二十五銭位の小売なり。 馬鹿に高きものに御座候」と ある。 明治26年の25銭がどのくらいの値段かを、週刊朝日『値段の文化 史』で調べると、明治24年の朝日新聞月決め定価が28銭、明治28年の上 等酒が一升21銭、明治28年の天丼(並)が4銭だった。

トクヴィルと福沢諭吉(1)〔昔、書いた福沢143-1〕2019/10/30 07:04

       日本橋界隈の句碑など<小人閑居日記 2002.5.18.>

 福沢諭吉協会の総会が、日本橋の三井本館に間借り中の交詢社であった。 阿 川尚之さん(慶應義塾大学総合政策学部教授・作家阿川弘之氏の長男)の「ト クヴィルの見たアメリカ、福沢諭吉の見たアメリカ」という記念講演を聴いた。  その話は、また別に書く。

 日本橋に行ったので、神茂のはんぺんと、高島屋で扇屋の玉子焼を買ってき た。 神茂で日本橋一歩会という「日本橋北・室町・本町」名店会の地図をも らったら、界隈にある「芭蕉句碑」や「日本橋魚河岸記念碑」「三浦按針屋敷碑」 の場所と説明があった。 このあたり、割によく行く所だが、そんな碑をあら ためて見たことがなかった。 神茂の斜め前、日本橋鮒佐の所にある「芭蕉句 碑」は「発句也松尾桃青宿の春」、ここ日本橋小田原町で宗匠として念願の独立 を果した芭蕉の喜びと意気込みが伝わってくるという。 日本橋橋際の「日本 橋魚河岸記念碑」には、竜宮城のお遣いとしての乙姫像と久保田万太郎の「東 京に江戸のまことのしぐれかな」の句があるという。 今度、ゆっくり見に行 ってみよう。

       トクヴィルと福沢諭吉<小人閑居日記 2002.5.26.>

 「また別に書く」と書いた阿川尚之さん(慶應義塾大学総合政策学部教授・ 作家阿川弘之氏の長男)の「トクヴィルの見たアメリカ、福沢諭吉の見たアメ リカ」という5月18日の講演は、なかなか歯切れがよくて面白く、勉強にな った。 阿川さんは、慶應を二度中退しているという。 法学部3年の時、ジ ョージタウン大に留学して一回、ソニー勤務の折か、友達の結婚式の司会をし たら列席していた法学部の教授に「もったいない」といわれたので通信教育で 卒業しようとしたが、またアメリカのロースクールへ行くことになったので二 回。 1951年生れで、ニューヨーク州およびワシントンDCの弁護士資格 を持ち、アメリカの法律事務所勤務、ヴァージニア大学ロースクール客員教授 などを経て、二度中退した大学の教授になった。

 アレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)は、フランス・ノルマン ディーの貴族出身の法律家で、革命に揺れ王制から共和制へ向う時代の激しい 流れの中、1831年、26歳の時、親友で同僚のギュスターヴ・ド・ボーモ ンと二人、新生の民主主義実験国アメリカに渡り、10か月間、当時はミシシ ッピーの東側24州だったアメリカ合衆国の各地を、当時すでに発達していた 蒸気船網などを使って、精力的に見て回り、フレンドリーでよくしゃべる沢山 の人々に会い、克明なノートや日記、たくさんの手紙を書いた。 その体験を もとに深い考察と思索によって著された『アメリカにおける民主主義』(183 5年)は、160年以上経った今日でも、アメリカ合衆国や民主主義研究の必 須の書で、さまざまの身近な場面で引用されている。

 福沢諭吉(1835-1901)は、トクヴィルの約30年後の1860年 (25歳)と、1867年(32歳)の二回アメリカへ渡航している。 トク ヴィルの『アメリカにおける民主主義』は、英訳本やその小幡篤次郎訳で読み、 『分権論』(明治10年・1878年)に、その影響が最も顕著に現れている。 (つづく)

為せば成るか<等々力短信 第1124号 2019(令和元).10.25.>2019/10/25 06:53

    為せば成るか<等々力短信 第1124号 2019(令和元).10.25.>

 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、ナセルはアラブの大統領」というギャグを、高 校生の頃に憶えた。 エジプトのナセルがシリアと合邦してアラブ連合共和国をつくり、 その大統領になったのは1958(昭和33)年2月だから、私は高校生だったことになる。 も とになった「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という 言葉は、聞いて知っていたのだろう。 それが米沢藩主の上杉鷹山治憲の言葉だと知った のは、倹約・殖産興業政策の上杉鷹山をJ・F・ケネディ大統領(在任1961~63年)が尊 敬していると聞いたのより、ずっと後のことであった。

 今年、わが家に一大事が起った。 家内がお産の時以来、初めての入院をしたのだ。 1 月から2月にかけては、坂を上ったりすると息苦しいということから、カテーテル検査で 労作性狭心症と判明、90%詰まっているという冠動脈にステントを入れた。 2泊3日の入 院2回で、すっかりよくなったのだが、以前から痛いと言って、脊椎クリニックなどに通 ってマッサージやリハビリをしていた腰が、5月頃から我慢できないほど痛くなり、心臓手 術をした大学病院で8月、腰部脊柱管狭窄症の手術を受けることにした。 脊椎固定術、 椎弓切除術、椎弓形成術(前方後方同時固定)2椎間。 神経に触って痛みの原因になって いる椎体(椎弓)2つを取り除き、代りに人工骨(自身の腸骨も加えた)2個を入れて、金 具で固定するらしい。 ステントの関係で血液サラサラの薬を飲んでいるので、それを点 滴に切り替える為、手術前に1週間、手術してから2週間、合計3週間の入院が必要にな った。 耐え難い痛みの中、入院前、洗濯などの特訓をし、ある程度の食材の準備はして くれた。 8月8日に入院、15日に手術、結局退院は月末31日で、24日間の入院となっ た。 はたして馬場家の食事の運命や如何に?

 後の始末が大変だというので、私はほとんど厨房に入ったことがなかった。 しかし、 やればできると、言ってはいた。 ともかく、やるしかない。 Enjoy Cooking! Take it easy!を標語に、なんとか始める。 毎日の献立をメモして、時々病院に持って行った。  例えば、8月8日夕…豚肉シャブシャブ、板わさ、茄子油焼き、わかめスープ。 10日夕 …具沢山豚汁(豚肉・大根・人参・ネギ・ゴボウ・コンニャク・里芋)、もずく酢、お赤飯 (蜂の家)。 ネギ・ゴボウ・コンニャク・里芋は、見舞いの帰りにスーパーで調達した。  牛乳や「一日分の野菜」の紙パックを開き、俎板に乗せて調理した。 中元で頂いた資生 堂の各種レトルトカレーは、手持ちの肉と野菜を炒めたのに加えて、具沢山ビーフ、チキ ン、ポークのカレーにした。 暑い最中の24日間を何とか乗り切って、採点は花丸、家内 の腰の痛みも消えて、穏やかな秋を迎えている。