「蕪(かぶ・かぶら)」の雑学2017/12/31 06:38

 「蕪」と「ちゃんちゃんこ」の句会では、季題研究の当番だったので、「蕪」 を選んで報告した。 「蕪(かぶ・かぶら)」、何気なく食べているが、調べて みると面白いことがわかったので、雑学風の話をさせてもらった。

 ○肥大した球形の根を食べるが、この部分は発生学上「胚軸」とよばれる部 位で(モヤシなどもそう)、本当の根はその下に伸びたひげ状の部位に相当する。

 ○関東では小蕪(金町小かぶが通年栽培可能で、最も生産量が多い代表的品 種)が、関西では中蕪(天王寺かぶ等)・大蕪(聖護院かぶ等)が利用されるこ とが多く、東北地方には長蕪が多い。 地方品種として酸茎(すぐき)菜(京 都)、野沢菜(長野)など根部の小さい、いわゆる蕪菜(かぶな)がある。

 ○カブ(蕪)は、世界中で栽培されているが、アフガニスタン原産のアジア 系と、中近東から地中海原産のヨーロッパ系とがある。 京野菜など西日本で 見られる中国伝来のアジア系とともに、東日本でヨーロッパ系(野沢菜など関 連の変種も含む)が在来種として確認され、シベリア経由と見られている。 品 種を東西に分ける線は、関ヶ原付近に引くことが出来、農事関係者は「かぶら ライン」と呼んでいる(中尾佐助による命名)。

 ○この「かぶらライン」から私が思い出したのは、地質学者のナウマンが命 名した「フォッサマグナ・糸魚川静岡構造線」と、バカ・アホ分布図の話だ。  ABC朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」という番組で、東京出身の奥さんが 「バカ」、関西出身の旦那が「アホ」と言うので、喧嘩になったのが端緒となっ てバカ・アホ分布図が調査された。 京都を中心にした同心円状に「アホ」の 地域があり、東日本のほか、西日本の九州など外側もまた「バカ」の地域にな っているとか、さらに「アホ」と「タワケ」の境界線が関ヶ原付近にあるとか いうことで、松本修著『全国アホバカ分布考』という本もある。

 ○(ついでに。谷謙二さんの12月27日のツイッターhttps://twitter.com/ktgis で知った。数値地図25000(地名・公共施設)で地名に「谷」と「沢」のつく ものをドットしてみると、渓谷の呼び方は西日本では「谷」、東日本では「沢」 が一般的で、北アルプスの稜線できれいに分かれる。その図を見ることができ る。「福沢」のルーツは東日本にあるといい、私は「奥沢」に住んでいる。)

 ○よい蕪の見分け方。 白い肌がつやつやとして張りがあり、形にゆがみが なく、ひげ根の少ないものが良品。葉は、緑が鮮やかで、みずみずしいものを 選ぶ。茎は、しっかりした張りがあり、茎のつけ根が太いものがよい。

 ○「カブ」の語源は諸説あり、頭を意味する「かぶり」、根を意味する「株」、 または「カブラ」の女房詞である「オカブ」からとされている。

 ○江戸時代には漢語で蕪菁(ぶせい)、蔓菁(まんせい)、扁蘿蔔(へんらふ く)などと呼ばれていた。 漢和辞典で「蕪」を見ると、[一](1)あれる。 雑草がおいしげって荒れる。(2)雑草。(3)くさはら。荒れ地。(4)のがれる。 [二](1)しげる。豊か。(2)みだれる(乱)。みだれ。乱雑。/[日本語特 有の意味]かぶら。かぶ。/[解字]草冠に、無はおおいかくすの意味。草が おおうほどにあれるの意味を表す。

○すると与謝蕪村が、「蕪村」と号したのは、荒れた村と意だろうか(これは 調べられなかった)。 蕪村には<名物や蕪菁の中の天王寺>の句がある。 天 王寺かぶは、西日本で利用される代表的な中型種。 この「蕪菁」は、「ぶせい」 と読んだか「かぶら」と読んだかも、わからない。 「蕪菁」から、「蕪」の[日 本語特有の意味]かぶら。かぶ。が出てきたのか、そのへんもご存知の方がい らっしゃったらご教示願いたい。

まず生きる楽しみ、その下に介護と医療がくっつく老人病院2017/12/24 07:25

 『週刊文春』12月21日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」が、高校の同 級生の大塚宣夫さんだと知らせてくれた人がいた。 大塚宣夫さんは、老人病 院の青梅慶友病院やよみうりランド慶友病院を運営していて、しばしば「等々 力短信」や「小人閑居日記」に登場してもらっている。

 さっそく、『週刊文春』を読む。 まったく知らなかったが、阿川佐和子さん の父、阿川弘之さんがよみうりランド慶友病院で最期を過ごしていたのだそう だ。 阿川弘之さんは、2012(平成24)年に家で頭を打って緊急入院し、そ こで誤嚥性肺炎を起こしたが、1か月後に奇跡的に回復した。 とはいえ、老 人夫婦だけで生活させるのは無理と判断して、騙し騙しよみうりランド慶友病 院に入院させたのだそうだ。 なにしろ「老人ホームなんて入ったら、自殺し てやる」と言っていた人間なので…。 でも慶友病院に入ったら、病院食が美 味しいうえに、特別にステーキやお寿司なんかも頼むことができるから、すっ かり気に入った。 ある日、鰻も頼めることを発見して、食べたいと言い出し た。 佐和子さんが、誤嚥性肺炎が治ったばかりだから、小骨が喉に引っかか りでもしたら大変なことになるんじゃないかと心配して、大塚先生に相談した。  にこやかに「いいんじゃないですか」と先生、「飲み込みに障害がある人でも、 好きなものは喉を通るんです」。 佐和子さんは、その名言に感動した。

 さらに驚くことに、病室でお酒を飲むこともオッケーなので、弘之さんの病 室は酒瓶だらけ、酒屋みたいになった。 大塚先生は言う、「人間、最後まで残 る欲と楽しみは食べることでしょう。その意欲もなくなったら、もう生きてい たいと思いますかね。そんなこともあって、うちの病院では、齢を取って病気 や障害で動けなくなったとしても、まず生きる楽しみがあり、その下に介護と 医療がくっついている。」 「多くの病院ではまず医療が先に来てますよね。す ると少しでも病気の治療にリスクがあると思われること、たとえば飲酒などは 一切禁止するところから事がスタートするわけです。」 「でもうちの病院では、 生活や楽しみを前面に出しているので、あらゆることが原則自由。入院する前 に生活していたときと同じことをここに持ち込んでいただいて結構ですよと。 そのうえでなにか問題が起きたときのために、我々医者をはじめスタッフがい るという考え方ですね。」

 まず普段と変わらぬ暮らしが優先される、「同じ理由で食器や家具調度品も、 施設っぽいものでなく家庭的な雰囲気が感じられるものを選んでいます。また、 入院されている方を十把ひとからげに扱うんじゃなくて、一人ひとりの希望に 合った生活の形をつくることは常に考えていますね。このほか、家族との絆を 極力太く保つように、面会は二十四時間いつでも可能。家族の方による食事の 持ち込みももちろんオーケーです。」

 阿川佐和子さんは、父上の病室ですき焼きをやった、それをエッセーに書い たという。

雅叙園から白金台、常光寺と畠山記念館2017/10/12 07:23

 大鳥神社の横を通って、目黒川の手前を右折、太鼓橋を渡って、目黒雅叙園 へ。 雅叙園前に「お七の井戸」がある。 本郷追分の八百屋お七は、天和2 (1682)年12月の大火で焼け出され、駒込の寺に避難して知り合った寺小姓 吉三に恋こがれ、吉三逢いたさに自宅に放火して、鈴ヶ森で火刑に処せられた。  吉三は、お七の火刑後、僧侶になり、名を西運と改め、明治13年頃までこの 場所にあった明王院に入り、境内のこの井戸で水垢離を取り、目黒不動と浅草 観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行を成し遂げたといわ れる。 なお、雅叙園から目黒駅方面へ登る、行人坂の大円寺から出火して、 江戸中を焼いた「目黒行人坂の大火」は、明和9(1772)年2月29日に起っ たから、場所はすぐ上だが、お七物語の大火とは別物である。

 その雅叙園から目黒駅方面へ登る行人坂は、急坂である。 途中の大円寺の 住職は、家内の中学の同級生だ。 中学の修学旅行の折、お父上の先代住職の 縁で、比叡山延暦寺の見学に厚遇を受けたそうだ。 今回、行人坂の急坂を回 避する「裏ワザ」を教わった。 雅叙園の滝裏からの景色を眺めたあと、雅叙 園アルコタワーアネックスのエスカレーターで、杉野服飾大学の道へ出られる のだ。 この道沿いに、兄が亡くなるまで住んでいたので、会社の清算事務を するのに通っていた。 歩こう会に「裏ワザ」ではと、幹事の越知さんは躊躇 していたが、すでに11,000歩を超え、へらへらになっていた私などは、大い に助かった。 昼食は? と訊けば、白金だという。 まだ、少し歩かなけれ ばならない。

 待望の昼食は、プラチナ通り(外苑西通り)の「白金台 すし兆」、先付け三 品に、「おまぜ」と称するばらちらし、赤だしと白味噌の椀。 どら焼きまでも らって、おなかはいっぱい、元気を回復した。 プラチナ通りの先で、芝白金 三光町育ちの岡田幸次郎さん推薦のChocolatier Ericaに寄ったら、皆さん奥 さんにお土産を買ったのだった。

 上大崎常光寺の「福沢諭吉先生永眠之地」の碑へ行く。 「永眠之地」に違 和感があるが、それはあとで書く。 私などは、昭和52(1977)年に麻布善 福寺に移された福沢先生の墓より、高校時代、命日の2月3日に落第しないよ うにとお参りした、常光寺のほうが懐かしい。 福沢先生は例の朝の散歩で、 三田からこの近辺まで来ていて、閑静で眺めがよいと気に入り、あらかじめみ ずからの埋葬地と定めたのだそうだ。 慶應志木会・歩こう会が、ここから三 田まで歩こうというのは、まことにふさわしいといわねばならない。

 幹事が発見してあった坂を昇って、白金台の畠山記念館へ行く。 私は初め てだったが、鬱蒼とした大樹と庭園が素晴らしい。 秋季展、新収蔵記念「近 代数寄者の交遊録 益田鈍翁・横井夜雨・畠山即翁」展を開催中だった。 即 翁・畠山一清(1881-1971)は荏原製作所の創始者。 80年忌という鈍翁・益 田孝(1848-1938)は松永安左エ門との関係で知っていたが、夜雨・横井半三 郎(1883-1945)は知らなかった。 実業家で茶人、美術コレクターたちの交 遊と、小田原の地は関係が深かったようだ。 展示されていた、朝鮮時代(16 世紀)の柿の蔕(へた)茶碗、銘「毘沙門堂」(重要文化財)で、即翁が晩年の 鈍翁をもてなした「沙那庵」という茶室が畠山記念館にはあるそうだ。

昔からつながり、伝わってきたもの2017/09/09 07:20

山本道子さんは、慶應義塾創立百年の年に中等部に入学、四谷から赤羽橋へ 丘を越える都電で、その年12月に完成した東京タワーが丘の上にどんどん高 くなるのを眺めながら通学したそうだ。 中等部では西村亨先生(名誉教授) から国語の、折口信夫先生の話を難しくなく、子守歌のように聞かせてくれる 授業を受けた。 折口さんの書かれたものは、文学の解釈をはじめ、天才的な 民俗学の視点から語られている。 祭りなどのいろいろな習俗のなかにも、昔 からの何か意味合いがある。 料理にも昔からの記憶が織り込まれている。 そ んな昔からつながってきたもの、伝わってきたものに、山本道子さんは惹かれ るという。 脈打つ何かがある料理こそ、生きている料理というふうに思える と言う。

「4. 気候と風土」で、山本道子さんは、俳句は日本の気候風土で育ってきた のだからと、俳人の西村和子さんとの対談の話をし、その俳句を紹介する。

  湯上りの爪立ててむく蜜柑かな

  愚痴聞きつ手持無沙汰の蜜柑むく

  蜜柑むき大人の話聞いてゐる

蜜柑が特殊なのは、こんなに皮のむきやすい柑橘類はほかにないことで、そ れは日本の風土で育まれてきたものだ。 湯上りで暑くて火照っている時、蜜 柑を急いで食べたい。 爪を立てて、びゅっとむく。 蜜柑の皮むきは、他の 何かをしながらでもできる。 愚痴を聞いたり、子供が大人の話を聞いたりし ながらでも…。 適当な相槌を打ちながら、皮をむくことができるのは蜜柑な らではのものだ。

西村和子さんの、こうした句のなかには、自分たちの風土のようなものが自 然に詠み込まれている。 句を詠むことで、自分たちの文化のどこかに手を伸 ばして、すくい上げてくる。 もちろん、季題には日本の風土が入っているけ れど、ここには根無し草ではない強さがある。 俳句には、気候と風土の根に 迫っていけるところがあると、山本道子さんは思うのだ。

俳人高浜虚子は昭和11(1936)年、船でヨーロッパへ出掛けた。 4月26 日、桜の名所のヴェルダーでお花見をし、藤室夫人の携えてきた日本弁当を食 べていたら、「群衆怪しみ見る」。 そこで一句。

  箸で食ふ花の弁当来て見よや

箸は日本の食の原点、お弁当も長く日本人に愛されている。 和食の世界無 形文化財登録を受けて、日本の文化を押し出していこうという機運が高まって いるけれど、そのエッセンスを凝縮した俳句を80年前に詠んでいるのは、さ すが虚子、日本の伝統文化の食文化がうまく一句になっていると、山本道子さ んは言う。 (この高浜虚子のヨーロッパ旅行については、本井英主宰の著書 『虚子「渡仏日記」紀行』(角川書店・2000年)がある。)

こうした私たちの中に流れているものや、伝わっているものは無意識にとど まっているものかもしれない。 そうしたところを少し意識的に捉えていくと、 力になってくれるのではないかと、山本道子さんは今、考えているのだそうだ。

『食べる』で山本道子さんの講義を読む2017/09/08 07:04

5年前に、仲間内の情報交流会で「日暮れて、道遠し。日本の現状」という 話をしてもらった極東証券会長の菊池廣之さんが、『食べる』(慶應義塾大学出 版会)という本を送ってくれた。 極東証券(株)はずっと慶應義塾大学教養 センターで寄附講座「生命の教養学」を開講しているが、その2015年度(第 12回)のテーマ「食べる」についての11の講義をまとめた本である。

例年は難解なテーマなので、ちょっと敬遠しているのだが、「食べる」は私 のブログのカテゴリーにもある身近な話題だった。 手に取ってみると、何と 俳句「夏潮会」のお仲間、山本道子さん(村上開新堂代表取締役、料理研究家) の「日本人の食べ方・味わい方から見る日本の文化」という講義があるではな いか。 さっそく読ませてもらう。 全体の構成は、以下のようになっている。

1. はじめに ○ニューヨークでの体験 ○外国人対象の料理コンテスト  ○昔からつながる何かを読み取る

2. 「箸で食べる」ということ

3. 口中調味 ○日本人のご飯の食べ方 ○素材の「素」の味わい ○総合的 になったスパイシーさ ○日本人ならではの食べ方 ○空気を一緒に食べる

4. 気候と風土

5. 日本は水の国

6. 弁当箱と日本文化をひろげること

 山本道子さんについては、こんなことを書いてきた。

山本道子さんの講演「日本人の食と俳句」<小人閑居日記 2013. 5. 20.>

リズムと香り、水を固める、口中調味<小人閑居日記 2013. 5. 21.>

「葛水」、「久助」、トレハロース<小人閑居日記 2013. 5. 22.>

こだわりの西洋菓子「村上開新堂」<小人閑居日記 2015.5.28.>

武士からパティシエになった初代<小人閑居日記 2015.5.29.>

開新堂創業と、後継者の教育<小人閑居日記 2015.5.30.>

「村上開新堂」の味と哲学をつくった三代目<小人閑居日記 2015.5.31.>

村上開新堂・山本道子さんの作業場<小人閑居日記 2015.7.12.>

 それらに書いたことと、重ならないところを、『食べる』の講義から拾って みたい。

 山本道子さんは、ご主人が商社マンで1969年から1974年までニューヨーク で暮した。 出かける時、村上開新堂のお客様で、北大路魯山人も褒めたとい う料理屋「丸梅」のおかみさんに、「あなた、何でもいいから見てきなさいよ」 と言われた。 本当にその一言はとてもありがたく、道子さんは「やがてはう ちの商売をするのだろうから、「食」は一生のテーマになる。だったら、片端か ら見て、味わって、作ってみればいいかな」と思ったという。 きっちりとし たレシピが載っているニューヨーク・タイムズの、料理やお菓子を片端からつ くってみた。 現地の材料を使い、横文字のままのレシピで作るのが面白くて、 子育てをしながら、いろいろな料理を作って、お客さんをもてなしていた。

 帰国後、キッコーマンから『新しい暮しの味』(1975年刊、非売品)を出し てもらい、以来、キッコーマンの料理講習会の仕事をするようになる。 1981 年、日本に住む外国人を対象に、醤油を使った料理コンテストが実施され、審 査員を務めた。 各国の家庭料理が山のように応募されてきたので、いろいろ な国のさまざまなところが見えてきて、面白かった。 1995年から10年間は、 各国の大使館、公使館の方を迎えて、3、4品の料理を作ってもらう講習会も催 した。 ただ「おいしいな」「変わった味だ」などという味一本でない、料理の 奥底に流れているもの、あるいはなにか昔から脈々と伝わってきたものを感じ られるようになる、意義深い体験だったという。