五島列島の朝ドラ、壱岐島の“壱州豆腐”2023/06/12 07:03

 五島列島は、前の朝ドラ『舞い上がれ!』でヒロイン岩倉舞(福原遥)の母・めぐみ(永作博美)の実家、祖母・才津祥子(高畑淳子)の住む島が舞台になっていて、都会の生活にくたびれた人に癒しを与える場所であり、地元の「バラモン凧」が重要な役割を果たしていた。 「五島」の名は、福江島、奈留(なる)島、若松島、中通(なかどおり)島、宇久島(後には宇久島に代えて久賀(ひさか)島)の5島を総称したことに由来するという。 約150余の島から成り、漁業が盛ん。 近世、キリシタンが潜んだ地。 長崎県五島市は、五島列島西南部からなる市で、人口3万7千。

壱岐は、玄界灘にある島。 九州本土から約25キロメートル離れる。 面積135平方メートル。 江戸時代は平戸藩領で、今は長崎県に属し壱岐島とその周辺の島が壱岐市、人口2万7千。 私などは、松永安左エ門さんの故郷として知る。

そこで、資生堂パーラーの前菜“壱州豆腐”。 旧国名の壱岐を、壱州と呼んだようだ。 「実りの島・壱岐」という壱岐観光ナビに“壱州豆腐”があった。 まず、十文字の藁縄で吊り下げた固そうな“壱州豆腐”の写真に驚く、昔は豆腐屋さんからこうやって持ち帰ったそうだ。 大きさも1丁が約10センチ四方で、重さは約1キログラムになる。 古くから島民に愛されつづけ、食卓の定番で、さまざまな家庭料理に使われ、慶弔行事でも使われるという。 ほとんどが、木綿豆腐だが、火を入れることで固さが変わり、冷奴なら本来の固さを楽しめ、食べ応え十分、湯豆腐にするとフワフワと柔らかい食感が楽しめるという。 そういえば、「“壱州豆腐”のオランデーズソースグラタン」、柔らかかった覚えがある。 「オランデーズソース」は、卵黄と少量の水を湯煎しながらかき立て、溶かしバターとレモン汁を加えたオランダ起源のソースだそうだ。 「グラタン」は、私などの知っているグラタン皿のグラタンとは、違うもので、どこが「グラタン」なのか、わからなかった。 もしかしたら、料理の表面に焦げ目をつけることをいうのかもしれない。

資生堂パーラーで“椿やさい”2023/06/11 07:17

 6月4日の日曜日、コロナ禍で3年間も開けなかった文化地理研究会の1964(昭和39)年卒の同期の会、「六四(むし)の会」が加藤代表の肝いりで銀座の資生堂パーラーで開かれた。 久しぶりということもあり、尾張一宮、箱根、大磯からも仲間が来て17名が出席、連絡がつく人で欠席は法事などがあった4名だけという盛会だった。 毎年、この日が誕生日なのだが、ご主人の医院を手伝っていてなかなか参加できなかったSさんも、日曜日で出席、デザートのケーキに二本立てた蝋燭を吹き消して、拍手を受けていた。 女性9名、男性8名、うち夫婦一組の17名。 亡くなった仲間の名前を挙げたら、男ばかりだった、やはり女性の方が長寿ということだろう。

 資生堂パーラー、6月は長崎県五島列島、壱岐の食材が楽しめるコースということだった。 前菜・スープ・魚料理または肉料理・デザートを選択する。 私はつぎのものを選んだ。 前菜は、“椿やさい”と “壱州豆腐”のオランデーズソースグラタン。 スープは、“椿やさい”のミックスポタージュ。 肉料理の、五島地鶏“しまさざなみ”フォアグラを詰めたモモ肉のソテー。 デザートは、ホワイトチョコレートムース リーフレタスとメロンのソルベを添えて、とコーヒー。

 食べている時は、“椿やさい”がわからず、「花椿」の資生堂だから「椿」、専属の農家でつくらせている野菜なんだろう、などと話していた。 すると、6日の新聞に吉永小百合の「椿酵母せっけん」全面広告があり、椿の力で地域活性する「五島の椿プロジェクト」というのがあるという。 五島では昔の人の知恵で、椿の葉を刻んで手を洗っていたそうで、プロジェクトが開発した「せっけん」には五島の自然と人々の知恵が詰まり、人にも心にもやさしく、「五島の椿」には人々と地域を豊かにする力がある、と。

 あらためて“椿やさい”でネットを検索した。 五島列島・福江島。 島の至る所に咲いている椿を使い、椿の油を絞ったあとの、実の搾りかすなど、天然の肥料で育てるから“椿やさい”。 昔から生活に取り入れられた椿は、実だけでなく葉っぱもとても生命力が強いもので、椿の落ちた花を拾い集めたりしながら、野菜に合わせて必要な時に、その力を借りるという野菜づくりをしているという。 その椿の天然肥料と島周辺の海水を使い、豊かな自然の環境で心を込めてつくる野菜は、驚くほど甘く、体が喜ぶ味がする、と。

蓮沼、池上本門寺と日蓮、洗足池と勝海舟2023/06/07 07:05

 「東京 池上線の旅」、蒲田の次は、蓮沼。 有名ホテルのコックだった初代が、この町で本格のレストランを始めたが、伸びず、味は自慢のカレーライスと、ラーメンとは呼ばせない塩味の中華ソバのセットに特化して、住民に親しまれるようになる。 初代が年取って、店を閉めようとした時、その味を惜しむ常連客の一人が、この人ならと見込んだ二代目を紹介した。 それで、初代の味を修業して学んだ二代目は、初代の思い出に話が及ぶと、言葉に詰まり、目頭をなでる。 今は、二代目の娘が臨月の体で、店の味を継ぐべく、手伝っている。 番組の終りに、孫娘が誕生し、二代目はその顔をほころばせた。

 池上線の始まりは、池上本門寺参詣客の輸送のために、百年前の1922(大正11)年10月6日、池上電気鉄道が、蒲田-池上間を開業したことにさかのぼる。 池上本門寺は、日蓮宗四大本山の一つ。 弘安5(1282)年9月持病を治療するため身延山を下りた日蓮が、ここに滞留して長栄山本門寺と命名して開基、10月13日にここで入滅した。 お会式(御命講)は日蓮の忌日に行う法会、12日の逮夜には信者が万灯をかざして太鼓を叩き、題目を唱えて参拝する。 子供の頃、中延で第二京浜国道を池上に向かう万灯の行列を見物した。 その頃の10月12日は、今よりずっと寒くドテラなんか羽織って出た。 近年お会式になると、地球温暖化を実感する。

その池上本門寺、「お山」を毎日掃除している細野さん(81)という女性がいる。 北海道の積丹近くの漁師の家に育ち、16歳の時、海難事故で兄を亡くし、嘆く母の心を鎮めたのは日蓮宗の寺だった。 上京して看護婦になり、本門寺に行きたいという母を案内したのが、「お山」との出会い。 そこでは涙を落した母や兄を感じるので、折に触れ訪れるようになった。 母を亡くし、60歳になってから毎日の「お山」掃除を始め、看護婦や水難の供養塔に寺から下げた花を整えて供える。 閑があったら本門寺に来なさい、元気をもらえるよ、と言う。 その姿を見て、他の人を思う温かさにふれたと、今は掃除の跡継ぎ、仲間も出来た。 月二回僧侶と町の人が一緒に掃除をする会があり、細野さんは、若い僧にずいぶん大人になったね、と声をかけていた。

 洗足池駅。 洗足池は、武蔵野台地にある湧水池の一つ、弘安5(1282)年池上に向かう日蓮が、ここで休息し足を洗ったことが名の由来。 広重の浮世絵にも描かれた日蓮ゆかりの袈裟掛けの松もある。 番組では勝海舟夫妻の墓を、これも掃除している62歳の男性がいた。 幕末、勝海舟が池上本門寺へ、西郷隆盛との江戸城無血開城の会談に向かう途中、洗足池に寄って、その風光を愛でて、晩年別荘「洗足軒」を建て、墓地にも指定した。

 洗足池は、子供の頃、父に連れられて、ボートに乗るなど、よく遊びに行った。 たまたま池に落ちた子供がいて、父が飛び込んで救ったことがあった。 近所の魚屋さんの子だった。

自分で出来立てを作る、餡と最中の皮のセット2023/03/24 06:57

 自由が丘の蜂の家で「おはぎ」を買った時、少し並んでいたので、いつもと違う店の中に回り、偶然、「あん場のつまみぐい」という壜と、最中の皮のセットになったのを見かけた。 壜の中は粒餡(あん)で、どうやら「あん場」は餡場、餡をつくるところで、作っている最中に、つまみぐいしたくなるほど、美味しいということらしい。 昨年秋の朝ドラ『カムカムエブリバディ』では、岡山の和菓子屋に育った主人公安子が、子供の頃から「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と、心をこめた呪文を唱えながら餡こを炊いてゆくのを見てきたことが、物語の中心に流れていた。

 下戸で、甘いものには目がない方なので、餡と最中の皮を別々にしてセットで売っていて、自分で食べる時に最中にすると、出来立てでパリパリして美味しいことは知っていた。 鶴屋八幡の百楽にも、塩瀬総本家の袖ケ浦最中にもある。 袖ケ浦最中は、九代目市川團十郎の考案・命名によるので、一名團十郎最中ともいうらしい。 それで「あん場のつまみぐい」を買ってきたのだが、蜂の家の粒餡はなるほど美味しいけれど、最中の皮が繭の形で小さくて割れやすく、感心しなかった。 もっとも、餡はトーストやお餅に合わせても美味しいと、説明があったが…。

 餡と最中の皮のセット、私のお勧めは、塩瀬総本家の袖ケ浦最中である。

春の彼岸は「牡丹餅」で、「御萩」は秋か?2023/03/23 07:01

 お彼岸なので、自由が丘の蜂の家で「おはぎ」を買ってきた。 先日、テレビで、「おはぎ」は「お萩」だから秋の彼岸、春の彼岸のものは牡丹の「ぼたもち」と言わねばならない、と言っていた。 でも「ぼたもち」というと、何かぼってりした大きめの感じがしていた。

 そこで、『広辞苑』を引いてみる。 「おはぎ【御萩】「はぎのもち」の別称。」 「ぼたもち【牡丹餅】(1)(赤小豆餡をまぶしたところが牡丹の花に似るからいう)「はぎのもち」に同じ。(2)女の顔の円く大きく醜いもの。(3)円くて大きなもののたとえ。」

そこで、「はぎのもち【萩の餅】」も、見てみよう。 「糯米(もちごめ)や粳米(うるちまい)などを炊き、軽くついて小さく丸め、餡(あん)・黄粉(きなこ)・胡麻などをつけた餅。煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲きみだれるさまに似るのでいう。また牡丹に似るから牡丹餅(ぼたもち)ともいう。おはぎ。はぎのはな。きたまど。隣知らず。萩の強飯(こわいい)。」 季節についての言及はなかった。

ついでに、「きたまど【北窓】(1)北側の窓。(2)(北窓の「つき(月)入らず」を「つき(搗)入らず」にかけた意という)萩の餅の異称。」

さらに、「隣知らず」は「となりしらず【隣知らず】(1)牡丹餅の異称。(嬉遊笑覧)(2)手軽に婚礼をととのえること。(俚言集覧)」

 俳句では、「彼岸」を「春分の日を「お中日」とした前後三日ずつの七日間」といい、秋分の日を中心とした秋のそれは「秋彼岸」または「後の彼岸」という。 歳時記をざっと見たところ、「牡丹餅」や「御萩」は見つからない。 『ホトトギス 新歳時記』に「彼岸詣」という季題があり、傍題として家々では「彼岸団子」を作る、とある。 『合本 新歳時記』(角川書店)では、「彼岸会」の傍題に「彼岸団子」「彼岸餅」があり、<彼岸牡丹餅木曽義仲の墓前かな 下田 稔><海に出づ彼岸の餅を平らげて 中 拓夫>という例句があった。