“姫”九条摂子の八千草薫と向井理2017/06/23 07:27

 『やすらぎの郷』の“姫”こと九条摂子の八千草薫は、「やすらぎ体操」で〆 のウサイン・ボルト「ジャマイカのポーズ!」を決めるから主役の一人なのだ ろう。 ヴィラタイプの部屋に住み、付き人(松本ふみか)がいる。 戦前か ら活躍する女優で、戦後はテレビドラマでも活躍し、菊村栄脚本の『祇円物語』 で主演女優賞を受賞したことがある。 92歳になっても、品の良い美しさを保 っている。 かつて若手の画家と結婚したが、夫の薬物中毒死により数年で破 綻、以後結婚歴はない。 ただし、世間では戦前の映画監督、千坂浩二が「“姫” の永遠の恋人」だと言われている。 彼女自身も千坂浩二の写真が入ったカメ オを身につけており、白川冴子(浅丘ルリ子)や水谷マヤ(加賀まりこ)には 彼に「処女をあげた」と語っている。 昨日、菊村栄に話したところによれば、 九条摂子は千坂浩二がよく使っていた旅館の娘で、17歳の時、誘われて映画に 出るようになり、何本かのその作品に出た。 ダンディな監督を死ぬほど好き になって、奥さんがいたのに取ったが、アッツ島で玉砕してしまった。

 「やすらぎの郷La Strada」をつくった加納英吉は戦時中、海軍軍令部の若 手参謀だった。 当時人気の俳優や歌手、落語家などを満州の前線へ送り込む 「軍隊慰問隊」の運営も、その仕事の一つだった。 デビューしたばかりだっ た九条摂子は、摂子に会って一目で心を奪われた加納の求めに応じて、それと は知らずに、特攻隊員への慰問の食事会に参加した。 隊員たちは、思いもよ らぬ女優の登場に大喜びしたが、それは翌日、出撃する特攻隊員たちの「最後 の晩餐」だったのである。 九条摂子は戦後、その時の特攻隊員の一人の母親 から、「息子は貴女に会えたことを喜んで戦死を遂げたが、貴女はその時の食事 の味を覚えていますか?」という手紙を受け取り、深い心の傷を負う。 加納 英吉は戦後公職追放となり、糊口を凌ぐため九条摂子の運転手をしていた時期 があったが、摂子の苦悩を目の当りにして、責任を感じて彼女の元を去った。  公職追放解除後、海軍時代の人脈からの政財界へのコネを活かし、テレビ局の 解説準備から、芸能人のマネジメントに乗り出し、「加納プロ」を芸能界を牛耳 る一大ブロダクションに育て上げた。

 その話を聞いた井深涼子(野際陽子)の濃野佐志美が小説に書いて発表しよ うとしていた。 菊村栄(石坂浩二)は入居して間もなく、その小説が百歳近 い高齢だが存命の加納英吉と九条摂子にとって苦く辛い過去を暴くものだとし て、名倉理事長夫妻から井深涼子に発表を控えるように話してくれと、頼まれ る。 菊村栄は井深涼子と、「鯉の刺身」を出す「山家(やまが)」(タイトルに ある黒茶屋か、と家人)で食事をして、「作家として人を傷つけるものは世に出 すべきでない」と説得した。 井深涼子も原稿を破棄したのだが、出版社の担 当者がコピーを残していて、それを文芸誌に発表して芥川賞候補にし、さらに は国営テレビが終戦記念日放送のドラマにしようというところまで、話が進ん でしまったのだった。

 再度、名倉理事長に依頼された菊村栄は、「山家」で井深涼子と話し合う。 井 深涼子は、九条摂子が大ファンだという若手俳優“シノ”四宮道弘(向井理) を特攻隊長役にして、九条摂子を説得させるという珍案を思いつく。 理事長 夫人の名倉みどりも“シノ”の大ファンで、珍案が現実のものとなり、“シノ” が来るというので、「やすらぎの郷La Strada」は住人やスタッフの女性たちが 色めき立つ。 九条摂子は菊村栄の203号コテージを午前3時に訪れ、“シノ” 四宮道弘が千坂浩二監督にそっくりなのだ、眠れないと告白する。 寝ている 時は心臓が止まっているのかと言い、92年間動いていると聞いて驚く。 天使 か、認知症か、ねえーーっ。

 そんな折から、向井理はNHKテレビの『鶴瓶の家族に乾杯!』で、戦後、 祖父母が暮したという福島県棚倉町を訪れていた。 向井理が、学生時代に祖 母の手記をまとめるのを手伝い、それが『いつまた、君に~何日君再来~』と いう明日公開の映画になったそうだ。 テレビの見過ぎである。

『やすらぎの郷』石坂浩二と野際陽子2017/06/22 07:21

 『やすらぎの郷』の主役、早稲田出という脚本家・菊村栄“栄ちゃん”の石 坂浩二、本名武藤兵吉“兵ちゃん”は慶應の同期だから、「友達の友達」が何人 かいて、ときおり噂を聞くことがある。 主役が同期だから、テレビの黄金期 に活躍したという老人ホーム『やすらぎの郷』の住人達も、ほぼ同世代である。  テレビは草創期から見ている。 プロレスは街頭テレビや、ご近所の自動車屋・ 宮下モータースの宮下さん家に見に行った。 家にテレビが来ると、昭和23 (1958)年生れの弟が、テレビの前に小さな食卓を運んで、「てなもんや三度 笠」、ミゼット、ミゼットなんてのを見ていた。 長嶋、王、V9時代の巨人戦、 越智正典アナ、中沢不二雄解説はよく見た。 NHKでは「私の秘密」「ジェス チャー」、そして「夢であいましょう」。 『やすらぎの郷』で、及川しのぶ(有 馬稲子)が、日本のバラエティ番組の草分け「しのぶの庭」をやったというの は、草笛光子の「光子の窓」(井原高忠演出)を想定しているのだろうか。 「B テレ」というのは、「日テレ」とも「8テレ」とも考えられる。 そういえば、 及川しのぶのマネージャーでソフレ(添い寝フレンドの由)貝田英吉役の藤木 孝は久しぶりに見たが、相変わらずスリム、それらしい人を連れて来るものだ。

『やすらぎの郷La Strada(イタリア語で「道」の意)』は、芸能界のドンと 呼ばれた加納英吉が、俳優や歌手、ミュージシャン、脚本家などのかつてテレ ビの世界で活躍した人物たちの功績に報いるために、海沿いの風光明媚な広大 な敷地に私財を投じてつくった施設で、入居費はかからない。 施設を運営す る「やすらぎ財団」(理事長名倉修平(名高達男)、妻で総務理事が加納英吉の 娘みどり(草刈民代))の審査を通った人だけが、施設の場所やその存在を明か さないこと、所属事務所を辞め、資産を申告し、その管理を大手銀行と信託契 約することなどを条件に入居する。

13日に野際陽子が肺腺癌で亡くなったことが16日に判明した後、野際陽子 の井深涼子の出て来る場面が目立つ。 今週に入ってからは、海岸でヌードさ え見せそうになった。 いつもは晴れのタイトルに雨が降り、今も「心よりご 冥福をお祈り申し上げます」のテロップが流れている。 視聴率は上昇してい るだろう。 菊村栄(石坂浩二)が入居する前から「やすらぎの郷」にいて、 死んだ菊村の妻律子(風吹ジュン)とも親しかった。 本屋大賞にノミネート されるなど注目の新人作家濃野佐志美(こいの さしみ)が、井深涼子のペンネ ームだということを菊村栄が知る。 「やすらぎの郷」の出来事や入居者の過 去の話を小説を書き、その中にはかつて菊村栄の若い女優と三角関係に悩んで 律子が自殺未遂事件を起こした『壊れたピアノ』もあった。

このところの話題は、濃野佐志美が芥川賞の候補になったというのである。  しかも、その作品は菊村栄が理事長夫妻の依頼で井深涼子に頼み込んで、発表 を諦めさせた加納英吉と戦前から活躍した女優で入居者の“姫”こと九条摂子 (八千草薫)に関係する小説だった。 国営テレビが終戦記念日放送のドラマ にしたいという話が進んでいるのだ。

倉本聰『やすらぎの郷』を見始めた理由2017/06/21 06:37

 4月からテレビ朝日が昼、『徹子の部屋』の後で放送している倉本聰脚本のド ラマ『やすらぎの郷(さと)』を見ている。 2月6日にNHKの『プロフェッ ショナル 仕事の流儀』で「いつだって、人間は面白い 脚本家 倉本聰」を見た からだ。 倉本聰さん(82)は富良野で、新しいドラマの執筆をしていた。 そ の姿を、邪魔しないように、窓の外から撮影するのが、条件だ。 早朝から起 きて、一人書斎に籠って、線香を焚いて書く。 すると何かが降りて来て、自 分の力を超えたものが書ける。 何かが降りて来るには、自分がピュアになる ことが条件だという。 ともかく、毎日書く。 感覚を忘れない為もあるが、 何事も続けることが大事だ。 やっぱり一本道、自分自身も進歩の途中、この 世界には完成などない、と言う。

 新ドラマは、テレビに功績のあった者だけが入れる老人ホームの物語だとい う。 石坂浩二や浅丘ルリ子、加賀まりこ、八千草薫、野際陽子、有馬稲子、 ミッキー・カーチスなどが出演するというから、何やら楽屋話めく感じがする。  倉本聰さんは、ドラマの台本を書く時、半年ぐらいかけて、登場人物の緻密な 履歴書をつくるのだと言って、それを見せていた。 父母の出身地、実家付近 の地図、初恋、処女を喪った時、恋愛の経歴などまで、年譜のようなものをつ くる。 (井上ひさしさんと同じやり方だ。)

 テレビに功績のあった者だけが入れる老人ホームという設定は、テレビに尽 した人が大切にされていないことへの怒りがあったようだ。 現在のテレビに 対する不平不満、何か物申すというところもある。  私は「倉本聰 新ドラ マ」で検索し、それがテレビ朝日が4月から放送する昼の帯ドラマだと知った。

倉本聰さんは、かつて大河ドラマ『勝海舟』の脚本執筆の途中でスタッフと もめて降板、北海道へ行き、トラックの運転手でもするつもりだったという。  一時期、北島三郎に頼み込んで付き人になり、ファンに溶け込む姿勢を見て歩 いた。 その後民放で『北の国から』がヒットすることになるが、私はこれは 見ていなかった。 因縁のNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出て、 ドラマの脚本を書く「仕事の流儀」を語り、それがテレビ朝日の番宣になった のだから、「人生は面白い」。

鏑木清方『随筆集 明治の東京』<等々力短信 第1095号 2017.5.25.>2017/05/25 07:08

 岩波文庫が7月で創刊90年だそうで、記念の『図書』臨時増刊号「私の三 冊」が出た。 「各界を代表」している228人に、今までに読んだ岩波文庫の うち、心に残る書物、ぜひとも勧めたい本を、答えてもらっている。 女優の 有馬稲子は、チェーホフ『ワーニャおじさん』、太宰治『お伽草紙・新釈諸国噺』 と『鏑木清方随筆集』の三冊。 有馬稲子は今、老人ホームにいるらしいが、 テレビ朝日で昼に放送中の倉本聰の帯ドラマ『やすらぎの郷』にも出るようで、 タイトルに顔が見える。 私は昭和28(1953)年の東宝入社第一作『ひまわ り娘』を日劇で観たが、12歳、64年前のことになる。

 『鏑木清方随筆集』(山田肇編)を選んだのは、「友人の坂崎重盛氏より『「絵 のある」岩波文庫への招待』をいただき、あの美人画の鏑木清方が随筆の名手 と知りました。昭和の貴重な時代考証のような女性の描写、私の最後の一冊は これに決めています。」

 3月友人達と、鎌倉の鏑木清方記念美術館で「つつましく そして艶やかに~ 清方ゑがく女性~」展を見たばかり、静かで落ち着いたよい美術館だった。 私 はたまたま『「絵のある」岩波文庫への招待』(芸術新聞社)を持っていた。 『鏑 木清方随筆集』はなかったが、そこで紹介されているもう一冊『随筆集 明治の 東京』は書棚にあった。

 「名物無名物」(昭和19年)に、「明治の昔は東京も狭かった、(中略)駒込 の茄子、谷中の生姜、千住の枝豆、砂村の唐茄子、練馬大根、目黒の筍、三河 島の菜、大川の蜆、大森の海苔、深川のバカの目刺(バカも近頃は青柳と大層 優しい名前を持つようになった)、千住の豆は他のより大粒で莢に四粒入のがあ る、谷中の生姜は柔かで辛くない、根岸の先き諏訪台下の日暮里あたりが産地 である。」とあった。

 「明治の東京語」(昭和10年10月)に、若い人に通用しそうのないか、そ うなりかけている言葉が挙げてある。 近在、遠国(おんごく)者、常住(じ ょうじょう)、ぞんき(「のんき」より少し質のよくない)、今当世、跡月(あと げつ・先月)、でくま、ひくま(凸凹)、どうれ(道理)、煉瓦通(銀座通)、ハ ンチク(半端人足)、権妻(妾)。

 「甘いものの話」(昭和7年1月)に、「美術人には左傾が多い。ムッソリー ニと握手した横山大観先生などは、押しも押されもしない左翼の頭目だし、周 囲の友人知己、概ね左党ならざるはないといってよかろう。」 鏑木清方は下戸 なのだそうで、店名や甘いものが列挙されている。 汁粉屋というもの、あれ も明治趣味のものであった、「総じて人情本の挿画にでも見るような小粋な造り で、床にも細ものの茶懸に、わびすけでも活けてあろうという好み、入口には 茶色の短い暖簾、籠行燈という誂えの道具立も、器の物好きも」と、この随筆、 まさに「絵のない絵本」なのである。

市川猿之助の「ファミリー・ヒストリー」2017/04/14 06:28

 今年の3月で惜しくも最終回の総集編が放送されたNHKの「ファミリー・ ヒストリー」だが、亀治郎から四代目市川猿之助を襲名した2012年の11月5日 に市川猿之助の放送があった。 印象深い番組だったので、たまたまビデオに 残していた。 歌舞伎を支えた女たち、歌舞伎の家に生れて役者になれない女 性の問題が、浮かび上がる物語だった。 四代目市川猿之助、喜熨斗(きのし) 孝彦が、自分を含め喜熨斗家・澤瀉屋(おもだかや)の男たちは女々しいけれ ど、それを支えた女たちは強くて立派だと語っていた。

 キーパーソンのゴッドマザーは、孝彦の高祖母・古登。 古登は江戸から明 治にかけて吉原で繁盛した大店の妓楼、中米楼の長女で、文久元(1861)年生 まれ、花柳流の踊りの名手だった。 近くには芝居町の猿若町があり、役者の 喜熨斗亀治郎(初代市川猿之助)と結婚して、宮戸座近くに住んだ(猿之助横 丁の碑がある)。 初代猿之助は一時、師匠の団十郎に破門されて、妓楼・澤瀉 楼を営む。 実は古登、それ以前に三輪平太・相生太夫という京都出身の義太 夫語りと結婚したが、その女性関係から離婚、実家に帰り娘辰子を育てていた。  辰子は跡見女学校を出て、古登が援助していた医学生赤倉喜久雄と結婚、現在 の浅草公会堂のそばで十全堂という産婦人科医院をやっていた。 明治44年4 月9日の吉原大火で、古登は避難する前に髪結を呼び、遊女たちの髪をきちん と結わせたというが、中米楼はきっぱり廃業する。

 時代は昭和になる。 初代猿之助と古登の子が政泰(二代目猿之助・孝彦の 曾祖父)で、その子政則(三代目市川段四郎・孝彦の祖父)は三十歳まで独身 だったが、「あれが欲しい」というのが映画女優高杉早苗、当時二十歳のアイド ルだった。 辰子が仲人の役を果たす、高杉早苗は辰子の娘が結婚した相手の 妹だったのだ。 政則、高杉早苗夫妻に三人の子、政彦(三代目猿之助)、靖子、 宏之(四代目段四郎・昭和44(1969)年慶應義塾大学卒、孝彦の父)が生ま れる。 戦後高杉早苗が銀幕に復帰したのは、一家五人だけで暮らす、独立し たマイホームを建てるためだった。 靖子は、歌舞伎役者にはなりたくてもな れず、結婚して子も産むが、離婚して女優となる。 孝彦は、この伯母を「竹 を割ったような性格」と言い、喜熨斗家の女たちの意地を語る。

 もう一人の女性は貞子シモンズ(当時91歳)、夫のビルとアメリカ、ヒュー ストンに住む。 初代猿之助と古登の三男倭貞(八代目市川中車)の娘(大正 10(1921)年生れ)だから、孝彦の大叔母にあたり、「孝ちゃん」と呼ぶ。 日 本語をまったく忘れておらず、とうとうと語る。 本家の支配が強く、女には 芸事は教えない、男が一生かけてやる仕事だと、いわれて育った。 昭和12年、 淡い恋をしたが、相手は兵隊に行って死ぬ人だと父親が反対、次の大学野球の 選手も、妹が結核だからと反対され、何者にもなれない焦燥感から日本を出て 仕事をすることを考えた。 満州で新京の電信電話会社員と、昭和18年に結 婚するが、何もかもだらしない人だった。 夫の出征で帰国すると、東京は焦 土で、父はラジオドラマの仕事をしていた。 離婚して、米軍基地で働き、米 兵と再婚してアメリカへ、その夫は5年後の昭和35(1960)年アルコール依 存症で亡くなる。 日本国籍を失っていたため、帰国できずに2年、消防士の ビルと再々婚、息子ボビーを授かって、幸せに暮らしている。 日本では昭和 50(1975)年に孝彦誕生、いたずらで、可愛い、ゴザを持って来て、歌舞伎ご っこをして遊んだと言う。 本心は、男に生まれたかった、父中車と一緒に舞 台に立ちたかった。 彼、孝彦は出来ると思う、期待している、と語った。 そ の大叔母を、孝彦、四代目市川猿之助は「かっこいい」と言った。