「そうだ 京都、行こう。」の二十五周年2018/10/31 07:07

 「京都に通い始めて、もう二十五年になります。千二百年分の時間を持った 町が、東京からたった二時間ちょっと先にあるなんて、なんて贅沢なんでしょ う。京都を、また新しく歩き直してみることにします。そうだ 京都、行こう。」

 放映中の「そうだ 京都、行こう。」というJR東海のCMである。 このキ ャッチコピー、家内がいいと褒めた。 今年は、このCMの25周年、俳優・ 長塚京三最後のナレーションだそうで、洛南の紅葉の名所、古刹「酬恩庵(し ゅうおんあん) 一休寺」(京田辺市)が舞台だ。

 5年前の2013(平成25)年11月25日の「等々力短信」第1053号に「年年 歳歳の紅葉」の題で、このCMについて書いた。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2013/11/25/7072034

 その「等々力短信」に書き込めなかったものに、こんなのもあった。

1997年・東福寺「六百年前、桜を全部伐りました。春より秋を選んだお寺で す。「いさぎいいな」」

1995年・南禅寺「歴史(日本史)という額縁に、一九九五年の紅葉がおさま っています(いました)。いや、絶景かな。町ごと紅葉の美術館になる、京都で す。」(()内は、ポスターバージョン)

 そこで、最近の4年間のものを、YouTubeでさかのぼってみた。

2017年・東寺「もの言わぬ景色の何と雄弁なことでしょう。人間は、ちょっ としゃべりすぎ。では、これで、ごめん下さい。」

2016年・天龍寺「お寺を建てて、美しい庭を作ろう。600年以上も昔のプラ ンです。外の景色をお借りして完成できたことに感謝する。そんな気持ちがこ こにはあります。景色を借りると書いて「借景」、いい言葉じゃないですか。」

 2015年・北野天満宮「長くこの町が残して来てくれた秋の美しい風景を、今 せっせと自分に取り込んでいるところです。人は経験から多くを学ぶように出 来ているから。さて、私の秋は忙しくなるぞ。」

 2014年・源光庵「紅葉が宇宙や人の一生の話になってしまうとは、思っても いませんでした。丸い悟りの窓、四角い迷いの窓、心の窓を通して眺める紅葉 なのですね。そうか、ここへは、あの人を誘って来ればよかった。」

龍馬暗殺の「犯人」と「黒幕」2018/10/29 07:14

 そこで、いよいよ磯田道史さん『龍馬史』の龍馬暗殺「犯人」・「黒幕」の探
索である。 その結論を簡単に言えば、龍馬を襲撃したのは佐々木只三郎たち
見廻組の七人である。 近江屋の屋根が斜めになった部屋では小太刀で頭を打
つ位しか方法がなく、第一撃を浴びせたのは小太刀の名人、桂隼(早)之助、
渡辺吉太郎、今井信郎、佐々木只三郎のなかの一人と思われるが、佐々木は全
体を指揮するために二階の上がり口のところにいたとみた方がいい。 具体的
に計画を立案したのは旗本・佐々木只三郎の実兄、手代木直右衛門勝任、会津
の藩校「日新館」を出て、日本中に鳴り響いていた秀才で、当時、会津藩の公
用人として京都政局を実質的に動かしていた。 その佐々木に命令できるのは、
見廻組を支配する京都守護職の松平容保だった。 手代木は、明治37(1904)
年6月の死の直前、「坂本を殺したのは実弟佐々木只三郎」「某諸侯の命を受け」
と語ったという。 手代木は、龍馬が危険な人間で、そのままにしておくと会
津藩や幕府のためにならないとわかっていた。 大政奉還は倒幕への一里塚で
あるというリアルな政局判断ができた、と磯田さんはいう。

 実はこの件については、この日記にいろいろ書いていた。 特に今年の2月
3月には、昨年11月19日に放送されたNHKスペシャル『龍馬 最後の30日』
というドラマや、3月1日に再放送された『英雄たちの選択 選』「龍馬暗殺 最
期の宿に秘められた真相~なぜ近江屋だったのか?」(2017年6月8日放送)
での磯田道史さんの実地検証と推定にも触れていた。 以下に、項目だけをリ
ストアップしておくので、興味のある方はご覧下さい。

ドラマ『龍馬 最後の30日』、暗殺5日前の手紙<小人閑居日記 2018.2.5.>
盟主○○○と「他見を憚る」理由<小人閑居日記 2018.2.6.>
「船中八策」は偽文書とする研究<小人閑居日記 2018.2.7.>
「新政府綱領八策」と『西洋事情』初編<小人閑居日記 2018.2.8.>
龍馬暗殺前の政治情勢<小人閑居日記 2018.3.15.>
「龍馬暗殺 最期の宿に秘められた真相」<小人閑居日記 2018.3.16.>
幕末・維新史の中の「議会論」<小人閑居日記 2018.3.17.>
『龍馬伝』とニュー黒船<小人閑居日記 2010. 2.11.>
坂本龍馬とキリスト教、その一<小人閑居日記 2010. 8.20.>
坂本龍馬とキリスト教、その二<小人閑居日記 2010. 8.21.>
今井信郎のこと<小人閑居日記 2010. 8.22.>
竜馬暗殺、薩摩と土佐が関与という西尾仮説<小人閑居日記 2010. 8.23.>
後藤象二郎と福沢<等々力短信 第1014号 2010.8.25.>
後藤象二郎の弁護人<小人閑居日記 2010. 8.26.>
坂本竜馬は「後藤象二郎の使い走り」か?<小人閑居日記 2010. 8.27.>
後藤象二郎と坂本竜馬<小人閑居日記 2010. 8.28.>
小沢一郎さんが尊敬する福沢と龍馬<小人閑居日記 2010. 9.9.>
坂本龍馬の「船中八策」<小人閑居日記 2010. 9.10.>
『西洋事情』文明政治の六条件<小人閑居日記 2010. 9.11.>
「船中八策」、龍馬は思想の「つかい手」<小人閑居日記 2010. 10.27.>

映画『日々是好日』<等々力短信 第1112号 2018.10.25.>2018/10/25 07:15

 「にちにちこれこうじつ」と家内が言うので、「ひびこれこうじつ」だろうと、 何度か訂正していたら、映画『日々是好日』は「にちにちこれこうじつ」と読 むのであった。 平身低頭で謝り、映画を観ることになった。 観て来て、昼 寝をして起きたら、雨の音がした。 主人公の典子(黒木華(はる))が、お茶 を始めて二年を過ぎる頃、梅雨時と秋では、雨の音が違うことに気づく。 掛 軸の「瀧」という字を見つめていて、轟音を聴き、水飛沫を浴びたように感じ、 掛軸は絵のように眺めればいいのだ、と知る。 季節の音、光、窓の外の木々 の景色、活けられた花、折々の和菓子などに、私は俳句との「近さ」を強く感 じた。 お茶の先生は「毎年同じことができる幸せ」と言う。

 真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょいの典子は二十歳、大学時代に一 生をかけられる何かを見つけたいと思っていたが、ままならない。 母(郡山 冬果・柳家小三治の娘が女優なのは知らなかった)が、お辞儀姿を見て「只者 じゃない」と思った武田先生(樹木希林)に、同い年の従姉妹・美智子(多部 未華子)と一緒に、お茶を習うことになる。 「意味なんてわからなくてもい いの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後か ら『心』が入るものなのよ。」 「それって形式主義じゃないんですか?」と反 論する美智子に、先生は「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」と笑って 受け流す。 多部の華やかさと黒木の清楚さの対比も見所だ。

脚本も書いた大森立嗣(たつし)監督(朝ドラ『まんぷく』で元陸軍大将役、 舞踏家・麿赤兒の息子だそうだ)は、一つの挿話が終ると画面が暗くなるフェ ードアウトを多用して、落語の「カラスカア」のように、年月を切り替える。  翌週、二か月、二年…、二十余年、ヒロインはお茶を習うことと共に、成長し ていく。 世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐわからないもの」の二種 類がある。 すぐにわからないものは、長い時間をかけて、少しずつ気づいて、 わかってくる。 十歳の時、家族で観てまるでわからなかったフェリーニの映 画『道』に、大人になった典子が涙を流すように。

 撮影は昨年11月20日から12月23日に、主に横浜市でのロケで行われた。  今年9月15日に亡くなった樹木希林が、そこに車を運転して通っていたのを、 NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」の密着取材で見た。 木寺一孝ディ レクターを、その車に乗せて送り迎えし、「気が張ってるから、やれてる」と話 していた。 だが映画では、少しも衰えを感じさせない。 年を取ってからの シーンで、メイクの具合もあるのか、少しやつれたように見えるくらいだ。 全 身ガンの状態で、着物の着付、長い正座、緊張のお点前など、さぞ大変だった ろう。 女優魂と集中力に脱帽する。

土佐藩の上士と下士、豪商坂本家2018/10/25 07:13

 磯田道史さんの『龍馬史』、文春文庫版の解説を、長宗我部家十七代当主の長 宗我部友親(ともちか)さんが書いている。 坂本龍馬が生まれた上町本町(現、 高知市上町(かみまち))は、周辺に郷士(下士)や商人たちが住んでいた。  土佐藩でいう下士とは、その多くが山内一豊の土佐入国前の領主であった長宗 我部の遺臣たち、いわゆる長宗我部侍である。 上士は遠江国掛川以来の山内 の家臣筋でほとんどが占められ、いわゆる上級武士らである。 土佐藩では、 上士、下士の身分制度が徹底され、他藩に比べても特に厳しかった。 下士の 生活は質素が基本で、絹の衣服の着用禁止や雨の日でも高下駄は使えず草履履 きであることなどが細かく決められていた。 城下町の配置も、上士たちは城 の内側にある「郭中」に住み、下士の住居は濠外で、上町などと、はっきり区 分されていた。 驚くべきことに、旧領主でありながら、江戸時代は下士とし て山内家に仕えてきた長宗我部友親さんの先祖の住居も、上町の龍馬の家のす ぐ近くにあった、という。

 土佐藩の上士、下士の身分制度については、2010年に大河ドラマ『龍馬伝』 で見て、「等々力短信」第1013号「上士と下士」(2010.7.25.)に福沢諭吉「旧 藩情」との共通点を書いていた。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2010/07/25/5246373

 磯田道史さんは「龍馬は一日にしてならず」の章で、坂本家は質屋業、酒造 業、呉服商などの事業で、高知城下屈指の豪商・才谷屋、六代目が郷士株を長 男に買ってやり、その約五百坪の屋敷は、五百石クラスの上級藩士の武家屋敷 に匹敵する広さだったとしている。 龍馬の家族宛の手紙には、自宅の「茶ざ しき」という言葉が出てくる。 通常は茶室、あるいは茶席のある部屋のこと で、もし茶室だとすれば、大変な贅沢だと、磯田さんは言う。

「龍馬暗殺」薩摩西郷黒幕説“神話”に引きずられすぎ2018/10/23 07:10

10月16日の朝日新聞連載コラム「呉座勇一の歴史家雑記」は、「「龍馬神話」 引きずられすぎ?」だった。 今年は明治維新150年、近年呉座さんが気にな るのは、明治維新の中心勢力である薩摩藩・長州藩をことさらに貶(おとし) める書籍が目につくことだという。 それらの書籍は、日本史学界は薩長を称 賛し美化する「薩長史観」に陥っている、と激しく批判している、と。

 呉座さんは、書く。 「古典的な幕末維新史が、勝者である薩長の視点で叙 述されていたことは事実である。だが、そうした見方を百八十度ひっくり返し て、薩長が悪で幕府や会津藩が善であると説くのも極論である。現在の日本史 学界では、どちらが正義だったかという善悪二元論を退け、薩長と幕府・会津 をなるべく中立公正に評価しようと努めている。」

 呉座さんはさらに、薩長を悪玉とみなす人は、薩長が種々の陰謀をたくらん だという「陰謀論」をしばしば唱えるとして、特に有名な、「坂本龍馬暗殺の黒 幕は薩摩藩(あるいは西郷隆盛)」という陰謀論について、幕末維新史を専門と する学界の研究者で、薩摩藩黒幕説を支持する人は皆無である、と断言する。

 その陰謀論は、武力倒幕を目指す薩摩藩にとって、大政奉還など平和路線を 推進する坂本龍馬は邪魔者だったというのだが、それは“龍馬神話”に引きず られすぎだというのだ。 脱藩浪士である龍馬の政治力には限界があり、小松 帯刀や後藤象二郎の奔走で大政奉還は実現した、とする。 呉座さんは、通説 を覆すと豪語する陰謀論こそが、昔ながらの“神話”に囚われているのだ、と 指摘している。

 大河ドラマ『西郷どん』第35回「戦の鬼」では、坂本龍馬(小栗旬)が暗 殺された直後、お龍(水川あさみ)が薩摩屋敷に押し掛けて泣きわめき、西郷 吉之助(鈴木亮平)に「あんたが殺した!」と抗議し、この「瓦版」にも書い てある、と叫んでいた。 当時の「瓦版」に、早くも「陰謀論」が出ていたの であろうか。