トランプ政権とは何か、日本への影響2017/06/13 07:12

 9日、毎年恒例の慶應三高校の新聞部OB・OG会、「ジャーミネーターの会」 が有楽町の日本外国特派員協会であって、ある国際ジャーナリストの「トラン プ政権と世界、そして日本」というスピーチを聴いた。 お名前は出せないが、 たいへん勉強になったので、私が憶えているさわりを書いておく。

 トランプ政権とは何なのか、日本にとってどんな影響があるのか。 日本の マスコミの報道は、トランプ大統領のはちゃめちゃな面ばかりを伝えて、心配 や懸念が生まれているが、それでは見えない部分がある。 トランプを大統領 に選んだのは、何なのか。 マラソンとボクシングを合せたようなものだとい われる長く、過酷な、透明性のある大統領選挙で、選ばれた人間の重みは大き い。 オバマはよく「選挙には結果がある」と言ったが、国民の信託を得てい るという重みである。 アメリカの主要メディアは、大統領選挙の予測で世紀 のミスをした。 一般の人の「anger(怒り)」を読めなかった。 オバマ時代 の、社会のあり方、アメリカのあり方、外交のあり方に対しての「anger(怒 り)」を。

 トランプが大統領に選ばれた三大要因。 (1)グローバル化のもたらした 弊害。 (2)オバマ大統領の施策への反発。 (3)アメリカの築いてきた国 際秩序の危機。

 (1)グローバル化のもたらした弊害。 1. アメリカが経済で損をしている。  アメリカに輸出している国が儲けている(日本がいい例)。 2. 移民の大量の 流入による弊害。 各自治体のサンクチュアリー・シティーズ宣言による優遇。  犯罪の経歴など。 3. テロ。 9.11で厳しくしたが、それでも起きる。 イ スラム系。

 (2)オバマ大統領の施策への反発。 アメリカがアメリカでなくなる懸念。  アメリカン・ドリーム、市場経済、雇用はどうなる? ラスト・ベルトという 地帯を中心に、白人、学歴の高くない人達、キリスト教。 オバマはイスラム への思いが強い(ミドルネームはフセイン)と考える。 オバマは環境保護で、 パイプラインに反対。 トランプは、オバマ大統領の施策の全てを逆転。 TPP、 NAFTA(北米自由貿易協定)、オバマ・ケア(政府が個人の健康に関わるのに 反対)、パリ協定など反対と離脱。

(3)アメリカの築いてきた国際秩序の危機。 パラダイム(一時代の支配 的な物の見方や時代に共通の思考の枠組)の変化。 人間が生きて行くのに頼 りになるのは、国(主権国家)、自分の政府であって、TPPやNAFTAや国連 ではない。 中国やロシアは、アメリカの築いてきた国際秩序を変えようとす る、軍事力を使わなくても脅威である。 ISは力で潰す、軍事力の行使をため らわない(アメリカの多数派の意見)。

アメリカは分裂している。 トランプを支持している人々がいて、巨大な山 が動いた。 現在打ち出されている政策は、選挙運動中のゲティスバーグでの 演説「トランプの公約」でみな述べている。 われわれが見ているアメリカの 主要なメディア(ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNなど)はエ スタブリッシュメント、ニューヨーク、カリフォルニア、ハワイ、民主党リベ ラル系。 日本のメディアは、それを受けてトランプの悪いことしか書かない。  たしかにトランプ自身の欠陥はある、脇が甘く、個人的、衝動的、Twitterで つぶやく。 しかし、三つの宗教とけっこううまくやっているし、経済人と頻 繁に会合している。 経済人のかなり多くが協力的で、経済成長や雇用創出に 明るさを見ている。 なぜトランプが大統領に選ばれたのか、どういう人達が 支持している(その支持が揺らいでいない)のか、よく注意して見なければな らない。

日本の安倍首相とは、当初波長が合ったかに見えたが、それは中国との関連 が大きい。 中国を敵視するほど、日本との関係は良好に保たねばならない。  北朝鮮に圧力をかけるため、中国が石油を売るのをやめるように求めるなどし て、中国との関係が良くなれば、日本には厳しくなるだろう。 トランプ政権 は、安全保障面で、いざという時、日本が何もしないというのであれば、自分 の事は自分でやれということになるだろう。 主権国家のあり方を問いかけ、 迫ってくる可能性がある。

シベリア鉄道、福沢の日英同盟論2017/06/03 07:14

 1891(明治24)年に着工されたシベリア横断鉄道だが、セルゲイ・ヴィッ テ蔵相が努力して、金本位制を確立し、フランスから資本の導入をはかって、 10年で完成させた。 ヴィッテは日本の歴史に影響を与える。 日露戦争後の 1905(明治38)年、ポーツマス講和会議にロシア全権大使として出て来て、 小村寿太郎と交渉する。 どっちが勝ったか。 ヴィッテは、小村がアメリカ のマスコミ対応を知らないので勝てると思ったと、記者会見などで平民のスタ イルを演じてアメリカのマスコミと世論を味方につけた。 日本は満州南部の 鉄道と領地の租借権などを得たものの、戦争賠償金を得られず、戦争中耐乏生 活を強いられた国民の不満が爆発し日比谷焼打事件が発生した。 だが、日露 戦争の敗北が、ロシア革命につながることになる。

 福沢は1863(文久3)年、遣欧使節の一員としてロシアに行っている。 国 境を決める交渉だったが、応接が立派で、どうも裏には日本人(難民)がいる らしい、福沢はロシアに残らないかと誘われ、気の知れぬ国だ、怖いと感じた。  アレクサンドル2世の時代で、農奴解放をやり、資本家が出てきた。 アレク サンドル2世は1881年、明治14年の政変の年に暗殺された。 アレクサンド ル3世の時代、シベリア横断鉄道を着工、極東への進出をはかり、ビスマルク との三帝同盟(ロシア、オーストリア、ドイツ)を破棄し、1891(明治24) 露仏同盟を結んだが、日清戦争の1894(明治27)年に死ぬ(その子が皇太子 ニコライ(ニコライ2世))。

 勝海舟は日清戦争に反対だった(『氷川清話』)。 兄弟喧嘩だとし、やれ ば簡単に勝つが、恐い、清国が張り子の虎だということが分かれば、ヨーロッ パがどんどん来る。 シベリア横断鉄道のシヨートカットは1895(明治28) 年、清が日清戦争の日本への賠償金を、フランスから借りるのをロシアが保証 して助けた。 中国づいたドイツが、遼東半島をパッと取り、ロシアも旅順を 取り、シベリア鉄道の南進を図る。

 福沢は、金玉均に入れ込んで、朝鮮の開化派を支援した。 勝海舟は、覚め た態度だった。 日清戦争が終った頃の、福沢の時事新報の論説(1895(明治 28)年6月21日、『福澤諭吉全集』15巻)に「日本と英国との同盟」がある。  日本が日清戦争に勝った結果、非常な名誉利益を得たが、この権益を一つの国 で保つのは大変だ。 ヨーロッパのある強国とタイアップ(同盟)して、双方 の利益を謀るべきだが、ヨーロッパの国々は相互の関係が込み入っている。 ひ とりイギリスだけは、そのパワー・バランスに加わっておらず自由なので、長 く組むことが出来る。 イギリスの利害は、ロシアの南進を防ぎたいという多 年の外交戦略にある。 ロシアの南進運動は近来、トルコ、アフガンの侵略に 満足せず、満州朝鮮にもなすところがある。 かのシベリア鉄道が完成すれば もちろんだが、その前にも活発な運動を目撃するだろう。 日本と英国との同 盟は、両国にとって非常な利益になる、というのである。

 日露戦争直後の1905(明治38)年、来日したアメリカの鉄道王ハリマンは、 南満州鉄道(満鉄)の日米共同経営計画を日本政府に提案した。 日本ではほ とんどが賛成で、桂太郎首相との間で桂・ハリマン覚書(協定)が交わされた が、ヴィッテにやっつけられ、ポーツマス条約の締結を終えて帰国した小村寿 太郎外相が強く反発したため、覚書は消え去ることとなった。

 竹森俊平教授は、ここは(もし福沢がいれば)福沢の出番だった。 もしア メリカと組んでいれば、その後のアメリカとの衝突は回避されたのではないか、 と言った。 初めに書いたようによくわからないのだが、ワグナーの『ニーベ ルングの指環』が、要所要所で引き合いに出されたことだ。 死を免れようと すれば、巨人族=軍人と戦わない手があった。 ラインの乙女に指環を返せば、 命が助かるジークフリートは福沢、日本。 ほかに、アルベルヒは資本家、ヴ ォータンはロシア皇帝、「神々の黄昏」は三帝同盟など。 このへんのストー リーが、お分かりの方はご教示ください。

岩倉使節団、憲法調査、伊藤博文と福沢2017/06/02 07:03

 そのビスマルクは、明治日本と微妙に関わっていた。 岩倉使節団は、廃藩 置県後の1871(明治4)年11月から翌々年9月にかけて米欧に派遣されたが、 2年目の10月、ビスマルクに会って演説を聞いた。 木戸孝允、大久保利通、 伊藤博文は、強い印象を受けた。 プロイセンは後進の小国で苦労した、ドイ ツと組まないか、留学生を送れ、など。(プロイセンが普仏戦争で勝ったばか りだったので、以後、陸軍に始まり、憲法、法学や哲学、医学、音楽もドイツ 式になっていく。) ビスマルクは絶頂の時期だし、大久保利通もそうだった。  大久保利通は1874(明治7)年、立憲君主制と言い出す。 王権(兵力)と議 会を分離する。

 日本でビスマルクとイメージが直結するのは、伊藤博文。 1882(明治15) 年に、1890(明治23)年発布と約束した憲法の調査のため、ドイツへ行き、 シュタインの講義を聞いた。 ウィルヘルム2世の時代で、国会を開くのは日 本のためによくない、プロイセンは議会を骨抜きにし、皇帝とビスマルクが牛 耳っている。 法律と行政を別に考えるべきだ。 政府と行政の組織を確立す るのが大事。 皇帝に忠実なロイヤル・サーバントの、冷静な判断力が必要だ。

 竹森俊平教授は、福沢諭吉と近いタイプは、伊藤博文だと言う。 ただ明治 14(1881)年の政変、薩摩を追い出すパワーゲームで、仲が悪くなるが、後に 仲直りする。 伊藤博文は甲申の変の折、天津で李鴻章と会談し、日清両方で 撤兵することを決めた。 いつも「冷静な判断力」でストップをかけるのが、 伊藤だった。 福沢の独立自尊も、国民一人一人の自由と独立がなければ、マ クロの国の独立はないとする、下から盛り上げるナショナリストだった。

 1891(明治24)年、ロシア皇太子ニコライ(ニコライ2世)が世界一周の 途中日本に来遊、警察官に斬りつけられて負傷する大津事件が起きる。 日本 に来る直前、ニコライはウラジオストックで、シベリア横断鉄道の定礎式を行 っていた。 シベリア横断鉄道は、満蒙を通った方がシヨートカットできる。  これが世界史を変える重要な意味を持っていた、中国とロシアの接近である。  鉄道をさらに南に延ばし、旅順まで(のちの満州鉄道)行くのは、完全に産業 上のプロジェクトだった。 中国市場を視野に、百年の先見の明だ。(つづく)

ビスマルクが築いた安定、戦争で崩壊2017/06/01 07:17

 5月27日、福澤諭吉協会の総会と記念講演会が交詢社であり、竹森俊平慶應 義塾大学経済学部教授の「福沢諭吉は『日露戦争』をどう受け止めただろうか」 という話を聴いてきた。 竹森俊平教授については『国策民営の罠 原子力政 策に秘められた戦い』(日本経済新聞出版社・2011年10月)を読んで、4月 19日から24日までの当日記に書いたばかりだったので、この講演を楽しみに していた。 言うまでもないけれど、福沢諭吉は1901(明治34)年に死んで いるので、1904(明治37)年~1905(明治38)年の日露戦争は知らない。

 竹森俊平教授はレジメを用意していなかったので、これから書くことは、海 図のない航海のようなものだということを、ご承知願いたい。 さらに竹森教 授は、ワグナーの『指環』すなわち『ニーベルングの指環』を要所で引き合い に出したので、『ニーベルングの指環』を知らない教養不足が露呈して、理解 できないところがあった。

 竹森俊平教授は、ビスマルクの写真を掲げて話を始めた。 ケインズは1919 (大正8)年の第一次世界大戦のパリ講和会議でイギリス代表の一員だったが、 その後著した『平和の経済的帰結』の中で、大戦前は貿易と金融のグローバル 化の絶頂期だった、ロンドンで紅茶を飲みながら、電話で世界中に注文すると 物が届き、投資もできたのに、その素晴らしさは災害のように起こった戦争で 終わってしまった、と述べた。

 通信や運輸の発達、鉄道がなければ、日露戦争は起きなかった。 シベリア 横断鉄道によって、ロシアは地球の半分の距離のところに120万人を集結させ、 日本は90万人を集結させた。 ロシアも、日本も、1897(明治30)年、同時 に金本位制を採用した。 日本は、ロシアとの戦争準備のため、金を借りる必 要があった。 戦艦を造るのに、国際貿易・金融を活用し、一隻はイタリアか らも買っている。 第二次世界大戦の時期には、金本位制の国はどこにもなく、 世界経済はブロック化されていて、戦艦は自前で建造した。

 ケインズが1914(大正3)年まで続いていたと言ったバランス・オブ・パワ ーは、ビスマルクが築いた時代だった。 言わばビスマルキアン・グローバリ ゼーション。 普仏戦争で、1871(明治4)年プロイセンが勝ち、アルザス=ロ レーヌを取り、ドイツ帝国が出来た。 ビスマルクは、1873(明治6)~87(明 治20)年三帝同盟(ロシア、オーストリア、ドイツ)をつくり、フランスの孤 立化を図った。 1891(明治24)~94(明治27)年、露仏同盟できる、諸悪 の根源。

 対ソ封じ込め政策を立案したアメリカの外交官ジョージ・ケナンは、ビスマ ルクはドイツのナショナリストではなく、皇帝の忠実なサーバントだと言った。  皇帝は帝国の一つのメカニズムだという昔風のモラルを持っていた。 20世紀 になって世界秩序が崩れた。 戦争のスタイルが崩壊し、それは外交の延長の 限定的戦争でなく、相手を徹底的に叩きつぶすようになった。 ドイツをあれ ほど叩かなければ、パワー・バランスを維持できたはずだ。

 そのビスマルクは、明治日本と微妙に関わっていた。(つづく)

『ソール・ライター展』、俳句との近さ2017/05/29 07:04

 東急の株主なのらしい友人から招待券を頂いたので、Bunkamuraザ・ミュ ージアムで『ソール・ライター展』を、ドゥ マゴ パリでのランチがてら、見 て来た。 ドゥ マゴ パリは、ちゃんとした料理を出して、安いのがいい。 展 覧会の名を全部書くと『ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター 展』(6月25日まで)である。 それで写真家とわかるソール・ライターを、 まったく知らなかった。 土曜日ではあったが、どうせ空いているんだろうと 入った会場で、びっくり、大勢の人が見ていた。

ソール・ライター(1923-2013)は、1950年代からニューヨークで第一線 のファッション・カメラマンとして活躍しながら、1980年代に世間から姿を消 した。 83歳の2006年にドイツで出版された作品集が、センセーションを巻 き起こし、展覧会開催や出版が相次ぎ、2012年にはドキュメンタリー映画『写 真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』(日本公開は2015 年)にまでなったのだという。

モノクロ写真に始まり、1950年頃からカラーになる(このあたりは、数年遅 れで私も体験している)。 もともとは画家志望だったが、売れなくて写真の 道に入ったのだそうで、カラー写真に通じるスケッチや絵も展示されている。 

ニューヨークの自分の住む地域で撮ったスナップが中心なのだが、私は「俳 句」と近いものを、そこに感じた。 それはソール・ライター自身の言葉に表 れている。 「美」を「詩」にすれば、俳句ではないか。 「写真家からの贈 り物は、日常で見逃されている美を、時折提示することだ。」 「雨粒に包ま れた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い。」 「見るものすべて が写真になる。」 「私が写真を撮るのは自宅の周囲だ。神秘的なことは馴染 み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないん だ。」 「重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを 見るかということだ。」

時代が変わり、写真家の自由な創造性が束縛されるようになり、仕事も減少 してスタジオを閉じ、自分のためだけに作品を創造する「隠遁生活」へ入った。 「取るに足りない存在でいることは、はかりしれない利点がある。」 「私 は注目を浴びることに慣れていない。私が慣れているのは、放っておかれるこ とだ。」

女性の名前が題名になっている、日常生活の中で、身近な女性らしい人を撮 ったヌードや絵がある。 それが、何人もなのだ。 見逃したのか、説明がな かったようで、謎である。