「現代世界におけるイスラーム」(2)2012/05/13 03:21

 ○日本から見る「イスラーム世界」

 日本で「イスラーム」が意識されるようになったのは、1973年の第一次オイ ル・ショック、1979-80年のイランのホメイニ革命、第二次オイル・ショック からで、経済的関係に偏重している。 エネルギー資源の供給源、工業製品の 輸出先(初期の例、東洋レーヨンのテトロンを中東のオバQみたいな服に)。 ア メリカ追随型の外交で、アメリカがカバーできないところを補ったりしており、 今、ODAの相手国として中東が多い(エジプト、ヨルダン、イラン)。 教育・ 文化・開発援助などで、地道な努力は続けられているが、「イスラーム世界」へ の関心は低く、したがって理解も浅い。 今後、幅広い分野での、厚みのある 交流関係を構築し、さらに深めていく心構えが必要である。  世界平和の維持に、今、一番大事な地域である。 戦争の火種が、いっぱい ある。 イラン、シリア、スーダン、そして後述の「アラブの春」。

 ○「イスラーム世界」という「概念」

 地域、国家、社会階層によって、多様性と統一性がある。 アイデンティテ ィーを同じくし、大きな輪が重なる、国家を越えた概念。 マジョリティが「ム スリム」意識を共通して持っている国、マレーシア、インドネシア、バングラ デシュなど。  「イスラーム」のあり方は、宗教思想のレベルでは、統一性、同一性、一体 感がある。 スンナ(ニ)派とシーア派(内に細かい分派)は、9対1だが、 大本は同じで、統一性がある。 外部世界との関係のレベルでは、負の歴史の 反映として、共通の劣等感がある。  現実生活における諸問題があり、その解決のための独自の努力が続けられて いる。 そこには、国家利益の追求と欧米との関係など分裂的側面(政策を一 つに出来ない、国によって石油の売り先を区別する。インド・中国に売るイラ ンと、そうではないサウジアラビアなど)と、経済活動とイスラーム的規範の 調和を図る「イスラーム経済学」の統一的側面がある。 国境を超える諸組織 として、人道的なものもあれば、テロリスト(アルカイダ)の組織もある。

 ○おわりに : 現代の問題

政治的選択の問題、「アラブの春」と呼ばれる大規模な反政府運動が2011年 暮にチュニジアから起り、エジプト、リビア、イエメンで政権を打倒し、シリ ア、バーレーンなどに波及している。 「イスラーム主義」か「世俗主義」(「政 教分離」という言葉はヨーロッパ的概念で、本人たちは使わない)かの問題と いわれるが、この問題設定には「問題性」がある。 単純な2項対立的図式で はない。 「イスラーム」という宗教はしぶとく、彼らはしたたかで、どう通 り抜けていくか、見守りたい。 外部からの選択の強制がかかり過ぎると(ア メリカの動きなど)、内部的な弱さもあり、危険である。 彼らは、私達が思っ ている以上に、西欧からのプレッシャーを強く感じている。

「現代世界におけるイスラーム」(1)2012/05/12 03:39

 以上の予習をして、8日、同期の仲間内の情報交流会で、湯川武さんの「現 代世界におけるイスラーム」という講演を聴いた。 湯川さんは同期の経済学 部卒業、体育会アメリカン・フットボール部のキャプテンを務め、文学部に学 士入学、大学院修了後、エジプトのカイロ・アメリカ大学大学院へ留学。 そ の後、プリストン大学大学院で中東・イスラーム史を専攻。 慶應義塾大学商 学部教授、常任理事も務め、名誉教授。 その間、在エジプト日本大使館に2 年間勤務。 慶應定年退職後、早稲田大学に移り、この3月まで同大学イスラ ーム地域研究機構教授を務めた。

 はじめに、イスラームとは、モスリムとは、という話から入る。  イスラー ムとは、唯一神である「神への服従・帰依」を意味し、(1)宗教的規範(物の 考え方。酒を飲まぬ、盗まぬ、豚肉を食べない等)、(2)神から教えられたイ スラーム教に立脚する文化(制度)、(3)歴史的文明(8、9世紀の、インド、 中国、イスラームの三大文化圏の一つ)である。 アラビア半島に興り、アラ ブ人を戦力に、征服を続け、一時はフランス側まで勢力圏を広げた。 モスリ ムとは、イスラーム教徒のことで、世界中に15億人(キリスト教は20~23億 人) おり、非常な勢いで増えている。 アジア・太平洋地域9.7億人、中東・ 北アフリカ3.2億人、欧州4千万人、南北アメリカ6~7百万人。 国別では、 インドネシア2億人、インド1億人、日本10万人ちょっと(1/1200人)、フラ ンス6%(6/100人)。 信徒意識が強い。 西洋との関係は、歴史的な事情(特 に19世紀初めの逆転)があり、圧迫感、敵対心を抱いている。 日常生活で は、1970年代からイスラーム復古運動が起こり、断食月を守り、他人の目の前 で酒を飲む人はいない、女性はスカーフをするなど、戒律を守る自己表現が強 まっている。 そうすることによって、モスリムと認めてもらえる。

 ○モスリムから見た現代世界

 世界は欧米中心主義だと、特にアメリカの優越を感じている。 グローバリ ズムの進展、市場経済主義の進展、グローバル企業(特にアメリカの)の支配、 アメリカが世界を動かしていると見ている。 軍拡の時代だとして、自分たち もやられないために軍備をする、例えばイラン。 世界の不公平・不公正が、 外部的にも、(産油国の)内部的にも、固定化されてきている、と見る。 「停 滞」と「発展」、「負い目」と「自負」がある。

 ○外から見る「イスラーム世界」

 歴史的偏見、「オリエンタリズム」という西欧優越主義がある。 普遍(スタ ンダード)としての西洋、イスラームの後進性を言う。 科学技術、そして経 済、さらに社会の遅れがある、と。 欧米の優越を引っくり返そうという挑戦 をするが、いつも失敗、一度も成功していない。 イスラームからの問題提起 として、19世紀以降の西洋科学技術文明、物質主義に挑戦し、精神主義(精神 的価値)を主張しているが、その声はまだ小さい。

蒲生礼一さんの「脱欧入亜論」2012/05/11 04:10

 『イスラーム』(岩波新書)で蒲生礼一さんの説く世界の歴史は、ここから異 論も出るであろう展開になっていく。 それが第二次世界大戦終戦から13年 の、1958(昭和33)年に書かれたことも考慮しなければならないが、深いイ スラーム研究と、イスラーム教徒への深い愛情から事を見てみると、一面の真 理に達していたという感じも、しなくはないと思うのである。 それは、その 後の日本が選択した道とは、別の道であった。

 「第一次世界大戦を経て、アジア、アフリカの諸民族の民族意識がだんだん 高まり、第一次世界大戦後西南アジアおよびアフリカにおける旧トルコ帝国の 植民地はその羈絆を脱しました。かつて、イスラーム世界の中心をなしてきた トルコから、その支配下にあるイスラーム諸民族を解放する仕事は意外にもヨ ーロッパ人キリスト教徒等によって行われましたが、実はこれらの諸民族にと っては、トルコ帝国の支配をヨーロッパ・キリスト教徒らの支配に置きかえた だけのことでした。すなわち、こうした仕事は、無論、イスラーム教徒らのた めに行われたものではなく、ヨーロッパ人自体の利益のために行われたもので あったことは言うまでもありません。第一次世界大戦はドイツ勢力の東方進出 を防止するためにイギリスを中心とする諸国がドイツならびにその同盟国トル コを攻撃した戦いでありました。西南アジア方面に出兵したイギリスはトルコ 帝国の支配下にあったイスラーム教徒等の、トルコからの離反を使嗾し、かつ 援助しました。「アラビアのローレンス」が活躍したのはこの頃のことでした。 ローレンスが一種の天才であったことは疑いをさしはさむ余地はありません。 しかし彼の活躍は結局イギリス帝国主義の手先となって一部のアラブ族を使嗾 し、反トルコ的勢力を盛り上らせ、トルコの戦力を蝕ませて、戦局を連合国側 に、有利に展開せしめたにすぎなかったと言えます。」

 「何れにせよ、古い形のヨーロッパ的帝国主義の時代は終り、アジア、アフ リカ方面の諸民族間の民族主義的傾向はいよいよ強化され、第二次世界大戦を 契機として、彼らは続々と独立しました。近代化を阻むものとして王朝制は 1952年まずエジプトにおいて崩壊し、1955年にはアジア、アフリカ諸民族に よるバンドン会議開催、1956年にはエジプトによるスエズ運河の国有化宣言、 エジプトはイギリス、フランス、イスラエルによる武力侵略を受けましたが、 目的を達成、1958年2月1日にはアラブ連合結成、同年7月14日にはイラク にクーデタが勃発して王朝制は崩れ去り、やがてイラクはアラブ連合に参加す ることになりました。イラクのクーデタと同時に英、米兵力のレバノン、ヨル ダン進駐が行われましたが、これが何を意味するものかは自ら明白であります。 歴史の大きな流れは武力を以て変えることはできないでしょう。」

 「わが国が、東洋の諸民族に比して一足さきに便乗したヨーロッパ的資本主 義によって、かれらにむかって搾取の手をのばそうとした時代は悪夢のように、 過ぎ去りました。今度の大戦でヨーロッパ的帝国主義に破れた私たちは東洋の 一民族として、アジア、アフリカに国を建てるイスラーム教徒たちとともに、 共通の悩みを排除し、共通の目的にむかって邁進しなければならない時が来た のです。アジアの民である私らは手をとりあって、共通の敵に立ちむかわねば なりません。共通の利害に立って団結し、もってヨーロッパの帝国主義に対抗 するために、我が日本にとって果たさなければならない義務がある筈です。相 互の生活水準をあげるために必要であれば、技術でも学問でも提供しなければ なりますまい。第二次世界大戦でも、日本はむしろ西洋側の一員としてアジア の諸民族を踏台にしようとしました。したがって、日本がしたことについては 厳重な批判が下されなければならないでしょうが、結果から見て、アジアの被 圧迫諸民族に一種の刺戟を与えたことは争うことのできない事実です。」

イスラーム文化と近代ヨーロッパ文化2012/05/10 03:59

 イスラームの話を聴く機会があったので、予習のつもりで、書棚にあった蒲 生礼一著『イスラーム』(岩波新書)をパラパラやっていた。 1958年初版刊 行の、1976年第20刷である。 周りが茶色くなっていて、まだ活版印刷らし く、活字の間に詰め物の跡があったりする。

 蒲生礼一さん(1901~1977)は、こう書いている。 日本の近代文化は、ヨ ーロッパから輸入されたものと考えられているけれど、そうしたヨーロッパ文 化によって伝えられたものの中に、アラビア語やペルシャ語の単語が含まれて いるのは、一体どういうわけだろう。 曰く、ソーダ、アルカリ(のっけから 元ガラス屋は脅かされる)、アニリン、アンモニア、シロップ、モスリン、ガー ゼ、ソーファ、タフタ、ゼロ、パジャマなどなど。 算用数字のことをアラビ ア数字と呼びながら、どうしてそう呼ぶかを知らない。 空気や水の有難さに 気付かないでいるように、アラビア数字の有難さにまったく気付かないでいる。  数字はイスラーム教徒の発明ではないが、インドから借りて改良されたもので、 ゼロを含む十進法などは、まったく驚くべき、進んだ方法だった。

 これらの言葉やアラビア数字は、イスラーム文化の紹介によって、ヨーロッ パに伝えられたもので、ヨーロッパ文化がイスラーム文化のおかげで発達した ことを物語るものに他ならない。 イスラーム文化はヨーロッパ文化に較べて、 時代的に早く発達し、西暦10、11、12世紀の頃に黄金時代を迎えた。 その 頃ヨーロッパは文化的には暗黒時代であった。 つまり、イスラーム文化は、 ヨーロッパの近代文化より一時代前の文化ということになる。 12世紀頃から 以後、ヨーロッパ人等はイスラーム教徒らによってアラビア語に訳されたギリ シャ科学を、ラテン語に翻訳して取り入れた。 イスラーム文化も、ヨーロッ パ文化も、ギリシャ古典文化をもとにしてはいるが、ヨーロッパ文化とギリシ ャ古典との関係は直接でなく、イスラーム文化を通してのつながりだった。 イ スラーム文化こそヨーロッパの文化を発達させる一大要因だったわけで、その 世界史的役割は大変大きかったと言わねばならない。

 わが国は、積極的に取り入れたヨーロッパ近代文化を通して、間接的にある 程度、イスラーム文化の影響を受けている。 ヨーロッパ文化に心を奪われて、 身近な東洋に大変貴重なものがあることを忘れていた。 イスラーム帝国と中 国は、貿易を通じて深い関係があったのに、黄金時代のイスラーム文化が平安 時代の日本に伝えられなかったのは、まことに不思議だ。

 イスラーム文化は13世紀頃からその進展を止め、その栄養分を吸収したヨ ーロッパ文化は徐々に発展の方向に向い、おいおいイスラーム文化圏に対して 侵略の歩を進めるようになり、19世紀から20世紀初頭このかた多くの国々を その支配下におくことになる。 こうしてヨーロッパは、イスラーム圏を含む アジア、アフリカの諸国の犠牲において、隆昌に向い、その搾取によって富み 栄えることになった、と蒲生礼一さんは書いていた。

1972(昭和47)年6月17日土曜日2012/04/17 03:28

 ウォーターゲート事件の経過を見ると、メディアの影響力の中心が、新聞か らテレビに移って行く、大きな潮目の時代だったように思われる。 それを象 徴するような総理大臣の記者会見があった。 ドラマ『運命の人』でも、北大 路欣也の佐橋首相がやっていた。 1972(昭和47)年6月17日の正午過ぎ、 首相官邸の会見室、佐藤栄作総理大臣は自民党総裁辞任会見の冒頭、「偏向的な 新聞は大嫌いだ」「テレビカメラはどこにいるのか。NHKはどこにいる」「私 はテレビと話したい。国民と直接話したいんだ。新聞記者諸君と話さないこと にする。帰ってください」と述べた。 そのため、新聞記者は一斉に退席し、 佐藤首相はテレビカメラに向かって退任する心境を述べたのであった。

 この記者会見はテレビで見て、強い印象を受けた記憶があった。 何曜日だ ったのかと、調べてみると土曜日だった。 その頃は、土曜日も仕事をしてい たから、おそらく会社の食堂でテレビを見たのだろう。 その1972(昭和47) 年6月17日土曜日(アメリカ時間だから、記者会見より後だろう)、何とアメ リカでは、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルで働く警備員フランク・ ウィルズが建物の最下部階段の吹き抜けと駐車場の間のドア上に奇妙なテープ が貼られているのに気付いた。 彼は清掃員が作業中にドアの鍵がロツクされ ないように貼ったものと考えて、何気なくテープをはぎ取ったのだが、すぐさ ま何者かによって貼り直された。 不審に思った彼はワシントン市警に通報、 警察が到着し、同ビルに入居していた民主党全国委員会本部オフィスへの不法 侵入の疑いで5人の男が現行犯逮捕された。 ウォーターゲート事件の発端で ある。