時は元禄、本所と鉄砲洲2005/12/01 08:43

 昨日の年表から夢枕獏さんは、どんな小説をつむぎ出すのか。 『何羨録』 の作者・津軽采女は、弘前藩津軽家の分家(四千石)の生れで、吉良上野介義央(よ しなか)の次女あぐりを妻に迎えた(一年にも満たないうちに21歳で他界)。 将 軍の秘書官に相当する側小姓に任ぜられたが、一年半ほど後、城中で左足を負 傷し(原因不明)、辞任して小普請組の身分に戻り、本所の竪川沿い、三つ目通 り近くの屋敷で悠々自適、77歳の天寿をまっとうした。 吉良上野介の屋敷に 赤穂浪士が討ち入った翌朝の元禄15年(1702)12月15日、吉良邸に駆けつけた 親戚7人の1人として、津軽采女の名が記録にある。 采女の三つ目通り近く の屋敷のそばには、吉良上野介も、堀部安兵衛も、浅野内匠頭(本所屋敷)も住 んでいた。

築地鉄砲洲は、春キスの釣り場だった。 鉄砲洲には浅野内匠頭の上屋敷が あり、西本願寺も近い。(この鉄砲洲の赤穂浅野家上屋敷の東隣には豊前国中津 藩奥平家中屋敷があり、後の前野良沢・杉田玄白らによる蘭学事始の、そして 福沢諭吉が蘭学塾を開いた慶應義塾発祥の地である)  絵師の英一蝶は、三宅 島へ流刑になっているが、綱吉が死んだとたん帰されているので、一説にご禁 制の釣りをした罪で島流しされたともいわれている。 講談に、英一蝶が三宅 島へ流される寸前、友人の宝井其角(松尾芭蕉門下の俳人)に会って話をし、島 で「くさや」の干物の間に葉っぱをはさんでおくので、葉っぱを見たら元気だ と思ってくれと言った。 そして、ある日、其角は「くさや」の干物の間に葉 っぱを見つけた。 しかし、英一蝶が帰ってきた二年前に、其角は死んでいた。

夢枕獏さんの「大江戸釣客(ちょうかく)伝」は、貞享2年(1685)宝井其角と 多賀朝湖 (英一蝶)が、竿の先に鉄砲洲とその背後に西本願寺本堂の大屋根が、 その左には富士山が見える、佃島沖の黒鯛洲上の釣り船で、春キスを釣ってい るところから始まる。