喬之助の「芋俵」、金時の「阿武松」2006/10/01 07:48

 9月29日は第459回落語研究会。 国立小劇場の緞帳が新しくなったと思 っていたら、この日、国立劇場40周年の記念式典が大劇場であり、新しい緞 帳3張が披露されたという記事が30日の朝刊に出ていた。

 「芋俵」       柳家 喬之助

 「阿武松」      三遊亭 金時

 「小言幸兵衛」    柳家 さん喬

         仲入

 「紙屑屋」      古今亭 志ん輔

 「やんま久次」    五街道 雲助

 喬之助、走って出てきた。 自分でも「浮いて出てきた」と言う。 タレ目 のどんぐりマナコ、短くしててっぺんだけにした髪。 早口なのは、緊張して 「浮いた」面もあったのだろう、新任記者会見の高市早苗大臣みたいに汗をか き、さかんに拭く。 さん喬の十人いる弟子の一人で、筆頭・喬太郎の派閥だ そうだ。 「芋俵」は、間抜けな泥棒二人組が、三丁目の富裕な木綿問屋に入 ろうと、与太郎が隠れた芋俵を預けておいて、夜中に中から戸締りをはずさせ ようとする噺。 あまり演じられない理由は、以下の展開にあるのだろう。 芋 を食べたい小僧が、女中のお清と話しながら、芋俵の中をまさぐり、尻のあた りをさわられた与太郎が思わず「ブッ」とやる。 「お清どん、気の早いお芋 だ、もうオナラをした」

 金時は対照的に、ばかにゆっくりと出た。 落語研究会は、10年ぐらい前に 下座の笛を吹いていたという。 小さんが出ていた国立演芸場に、花緑と出た ことがあり、近くの中華料理屋に連れて行ってもらった。 小さんはチャーシ ュー麺を大盛で三人前、チャーハンも三人前、餃子も三人前頼む。 花緑が途 中で突然、孫に戻り、「おじいちゃん、もう食えないよ」というので、「金時、 食え」となった。 国立に来ると、胸が焼ける、という。 そこで「阿武松(お うのまつ)」は、能登出身の大喰らいの若者が、のちの六代目横綱・阿武松緑之 助となる大相撲の出世噺。 穏かな語り口で、ほんわかと仕上げた。

さん喬の「小言幸兵衛」2006/10/02 07:05

 独断と偏見の男、麻布古川の家主・田中、「小言幸兵衛」には仕立屋・心中バ ージョンと、搗き米屋・仏壇位牌回転バージョンがある。 柳家さん喬のは、 前者だった。 貸家の札を見て、まずやって来るのは、乱暴な口を利く豆腐屋。  はなから「ちんたな」ばかり尋ねて、物は言い様、口は利き様だと、幸兵衛に 叱られる。 ここでたちまち「堪忍しておくんなさい」と謝るさん喬の豆腐屋 は、おとなしい感じで、後の仕立屋とのコントラストが弱い気がした。 世帯 を持って七年、子供がいないと聞いた幸兵衛に、「三年子なしは去れ、という。 別れろ、別れろ」と言われて激怒、「逆ボタル、アンニャモンニャ、誰が越して くるもんか、バカヤロー」と去る。

 次に来る「通行の者でございますが」「けっこうなお借家」「拝借できましょ うや、その段承りたい」と、丁寧なのが仕立屋。 「バァさん、布団持っとい で」「寝る布団持ってきて、どうするんだ」、「お茶」だ、「安政二年の羊羹」だ、 と気に入る。 「羊羹だけにアンセイ」という洒落は、ちょっと考えさせられ、 いただけなかった。 でも、倅が二十歳、親を凌ぐ腕で器量良し、独身と分か り、お向かいの古着屋のお花(19)が登場して、清元を一段語り、その三味線で どどいつの回しっこになったあたりから、俄然面白くなった。 「ポコランポ コラン、ポンポコラン」の「膨満感」から、幕が開いて、浅葱の一枚幕、洲崎 の堤、心中の道行きとなる。 「そうだ、倅の名前を訊いていなかった」「出口 杢太左衛門」「なんて間抜けな名前なんだ」七ツの鐘がゴーーンと鳴り「宗旨は」 「法華」「古着屋は真言、オンガボギャー」のあたりの、可笑しかったこと。 さ ん喬が前半を溜めていたのは、その辺の計算があったのかもしれない。

志ん輔の「紙屑屋」2006/10/03 07:12

 若年性の閑人だったから、落語研究会459回のほとんどを見てきたわけだけ れど、この人のこの高座に、客として参加できてよかったと思うことが、たま にある。 この夜の志ん輔の「紙屑屋」が、それだった。 音曲や舞踊の素養 がないから、十分にわかったとはいえないけれど…。 仲入の後という出番も、 実は仕込んであったのだった。

  今の私の齢になる前に死んだお袋と一緒に、まだ小文枝だった頃の文枝を、 この会で見たことがあって、歌舞伎をよく観ていた母が、その歌と座り踊りに 感心して、そうとう稽古しなければ、ああはいかないと言ったことがあった。  その演目を「稽古屋」と記憶していて、短信にもそう書いたことがあったが、 文枝が死んでから上演リストを再確認したら、「紙屑屋」でないと、母と一緒に 見ることができないことがわかった。

 「紙屑屋」の若旦那は居候の果てに、船頭でなく紙屑屋になる。 紙屑の山 から、白紙、カラス(黒い紙)、線香紙(煙草の空き箱)、陳皮(みかんの皮、七味 や漢方薬になる)、毛(ご婦人の髪の毛、かもじにする)を選り分ける仕事だ。 色 男のやる仕事じゃあない。 紙屑の中から、いろんなものが出てくる。 風流 どどいつ本、義太夫の稽古本、清元の本、そのたびに若旦那は一節、歌うわけ だ。 隣から声がかかり、また「白紙は白紙、カラスはカラス、線香紙は線香 紙、陳皮は陳皮、毛は毛」に戻る。 紙屑の中からハーモニカ、と見ると、入 れ歯だった。 清元をうなると、きたねえ笛が出てきた。 志ん輔は「やりた い放題だな」と独り言をいい、「ここは双方 (自分と客) とも緊張する」と、そ の笛を吹く。 三味線の音が聞こえてくる。 紙屑の中から、赤い紐が出てき た。 タスキだった。 手拭で捻り鉢巻をする。 尻を端折ると、赤い股引。  「矢来町」と、声がかかった。 だれもが住吉踊りの師匠志ん朝のことを思う。  志ん輔は「かっぽれ」(だと思う、素養のなさ)を、見事に踊った。

雲助の「やんま久次」2006/10/04 08:10

 五街道雲助、例によって「奴さん」みたいな恰好で出て来る。 「やんま久 次(きゅうじ)」は初めて聴く噺だ。 雲助も「誰もやり手がない」という。 派 手な志ん輔の後だから、余計に地味で陰気な感じがする噺だった。 久次、実 は九次郎は、番町の御厩谷に屋敷のある直参の旗本の次男坊なのだが、家を飛 び出して、本所方のよからぬ所で、博打にうつつを抜かし、ならず者の仲間入 りをした。 背中にトンボ、大やんまの彫り物があるので、「やんま久次」と呼 ばれている。

 博打で摩(す)って「やかんのタコ(手も足も出ない)」になった久次、いつもの ことで兄の屋敷に小遣いをせびりに来る。 用人の伴内に掛け合って断られ、 式台のところで「屋敷に火を放つ」の「赤猫を走らせる」のと、わめき声を上 げている。 たまたま奥に来ていた兄弟二人の剣術の師匠、浜町の大竹大介が、 このまま放置していては目付の耳にも入り家名にさわるからと進言、腹を切ら せましょう、介錯仕りましょう、ということになる。 畳二枚を裏返し、白い 布を敷き、四隅に青竹を立てる。 大竹大介が久次郎を後ろ手に取って引き立 て、いよいよ切腹させる段取りとなる。 「死ぬのはいやだ、命ばかりは」と 久次郎。 そこへ小さい時から久次郎を可愛がっていた老いた母親が登場。 つ いに久次郎は改心する。 大竹様こちらにと、母親は大竹と話をし、本所に帰 る久次郎と大竹が同道する。 九段の坂を下りると、田安の櫓に灯が入ってい た。 途中で、大竹は母親からの三両の金が入った巾着袋を久次郎に渡し、こ れで身なりを整えて、侍奉公するように、ご母堂様の御恩に孝、兄上の殿様に は忠、身を謹んで生きろと意見する。 このまま終われば、なんともつまらな い勧善懲悪の噺で、「やんま久次」があまり演じられないのも、さもありなんと いうところだが…。

 どんでん返しがある。 久次郎は、ケツをまくるのだ。 ぼうふらの生餌で 金魚を飼い、鈴虫を来年は殖やして差し上げましょう、米のとぎ汁を朝顔にや って毎朝咲く花を楽しむような生活をしていては、俺のように地獄に片足を入 れたような思いをしたことはあるめえ、と。 みんなが拍手したところを見る と、案外、世間は平凡より悪(ワル)に、ささやかな幸福より破滅型に、密かに 憧れていて、同情的なのかもしれないという気がした。

国立劇場演芸場・10月上席前半2006/10/05 07:49

 3日は、37回目の結婚記念日。 国立劇場演芸場の上席の券を頂いたので、 鶴屋八幡の茶房で赤飯を食べてから、落語研究会の折に行く居酒屋の場所を酔 っ払って(笑)ひっくり返った時の用心に家内に教えて、早めに入場。 1時開 演のところ15分前には、お情けで上がる前座の昔昔亭A太郎が、エントリー №1番、亀戸から来ましたと「元犬」を始めた。 終わると、中央のカバーの かかった席に、朝日国際旅行とかの団体さん90名がガヤガヤと入場(中に大声 でしゃべるおばさんがいて、後々まで顰蹙を買っていた)。 最初の春風亭べん 橋は、だいぶ待たされて、じれて出た。 多髪、高い声で「六尺棒」をやる。  棒読みに近い。 次が奇術の花島久美、眠った客を起こす役というでかい声を 出す元気なおばさん、奇というほどの術ではなかった。

 「たらちね」の春風亭柳好は、たれ目のやさしい顔、前座との力量の差は歴 然としている。 柳昇の弟子だそうだ、そういえば昇太に共通する明るさがあ る。 国立劇場の楽屋は歌舞伎の御曹司を取り囲む若い女の子が沢山いて入り にくいが、演芸場の楽屋はすっと入れる、「若い女の子は流行りのものは追いか けても、柳好は追いかけない」と。 秋篠宮様と紀子様の前で一席演ったこと があるが、お二人だけというのは、まことにやりにくかったという。 「たら ちね」の「アーラ、わが君」、米のことを「しらげ、よね」というあたりが柄に 合って、面白く聴けた。

 プログラムでは漫談・新山真理のところ、大相撲の呼び出しか万歳の太夫のような装束の一矢(かずや)の代演。 桜だという柝を打って相撲漫談、懸賞金の手取り額、手刀の切り方の意味二説、「プロでありながら安馬」を(前日、全 日本力士選手権で優勝のニュースも入れて)誉め、外人関取の四股名と本名の言 い立て、ハゲ(白)露山の断髪式の予想。 高見盛の物真似をやり、勝った時の 恰好をして引っ込んだ。 歌武蔵に比べてみると、なかなかのものだった。

 仲入り前の落語は柳家蝠丸、細身、白髪頭、大泉滉風(古いね)の顔立ち。 こ ちらは楽屋入口でお年を召したご婦人三人に玉三郎と間違えられた由、目のし っかりしたおばあさんだった、と。 短い小噺二つ、図画の先生に、「何、描い てんですか」「エ」。 「トントン、入ってますか」「ウン」。 「今戸川」、布団 に引く帯の境界線、半七が日本で、お花が北朝鮮、だった。 雷がカリカリと きて、中枢神経と脳細胞がビリビリとなり、お花の真っ白い脛が出たところで、 ここまでしか教わっていない、と下りた。 まずまずの出来。