与太郎ばなしの難しさ ― 2007/06/01 07:06
5月30日は、第467回の落語研究会。 鯉昇に喜多八、私の好きな「おと ぼけ」系の二人が出るので、楽しみな回だった。 扇治も、顔は「おとぼけ」 系だし…。
「牛ほめ」 三遊亭 歌彦
「花筏」 入船亭 扇治
「茶の湯」 瀧川 鯉昇
仲入
「水屋の富」 柳家 さん喬
「付き馬」 柳家 喜多八
最近、柳家喬之助、五街道佐助改メ四代目隅田川馬石、朝之助改メ六代目春 風亭柳朝、菊朗改メ古今亭菊志ん、太助改メ柳家我太楼、と5人真打が出来て、 入門13年目で二ッ目の歌彦は、二ッ目の上から二人目になったという。 きくおに抜かれ、「次は」といって、拍手をもらっていたが、そうなるかどうかは分からないから、少し変だった。 にこやかな福々しい顔、きちんとしているし、力がついていることは認めるが…。 噺に入るとすぐ、汗だった。
「牛ほめ」は与太郎ばなし、口上から何から教わって、佐平おじさんが改築 した家をほめに行く。 おじさんが台所の節穴を気にしているのを、秋葉さま (神社)の火伏せのお札を貼れば、穴が隠れて火の用心になる、と。 ついで に、おじさんの飼っている牛もほめる。 尻の穴を見て、秋葉さまの火伏せの お札を貼ればいい、と言う。 穴が隠れて、屁の用心になる、という落ち。 こ んなくだらない噺を聴かせるには、かなりの修業が要る。
入船亭扇治の「花筏」 ― 2007/06/02 07:40
入船亭扇治、細身の体、垂れ目長めの柔和な顔、お行儀の良さと真面目さが 目立つ扇橋さんの弟子の中では、少し外れた「おとぼけ系」といったところか。 寄席の代演では、同じようなキャリア、同じ芸風の人を持ってくる、と言う。 円歌なら馬風、小朝なら義理の弟の正蔵、扇治なら中村橋之助、と。 ひとの 代役は、気を遣うというところから「花筏(はないかだ)」に入る。
「花筏」は相撲の噺、病気の大関花筏によく似ている提灯屋にかっこうだけ でいいからと、手間賃の倍(一日二分)と飲み食い付きで頼み込み、銚子へ一 週間の巡業に出る。 千秋楽、土地の庄屋の倅で、素人相撲の力自慢、勝ちっ ぱなしの千鳥ヶ浜大五郎と、どうしても戦わなければならなくなる。 病気で 相撲をとらない花筏が宿に帰ると、ドンブリで五、六杯の飯を食い、浴びるほ ど酒を飲んでいたからだ。 双方がすぐに尻餅をついて負ける気で土俵に上が り、仕切る間、双方涙ポロポロ、脇の下冷汗タラタラ、千鳥ヶ浜は相手が「南 無阿弥陀仏」と唱えるのを聞いてしまう。 手を前に出しただけの大関花筏、 実ハ提灯屋の張り手が決まり、即座に千鳥ヶ浜は負ける。 張るのが巧いはず だ、提灯屋という落ち。
扇治、細身で、やさしい愉快な顔だから、どうも相撲の噺が似合わない。 そ のせいばかりではないだろう、前頭でいえば前半戦、せいぜい高見盛が出る あたりという出来だった。
瀧川鯉昇のマクラ、詳報(長文注意) ― 2007/06/03 07:01
鯉昇は、昔「よく来たな」と演っていた噺家のように、恐い顔をしているが、 言葉はとても丁寧だ。 その落差が、また可笑しい。 ハッキリしない天気が 続くけれど、ずっとハッキリしない人生を送ってきたので、すごしやすいとい う。 それでも肩こりがあって、医者は左右の視力が違い過ぎているからだろ うという。 電車で隣の人が読んでいる新聞を読む癖があるので、そのせいら しい。 右隣の人も、新聞を読んでくれるといいんだけれど…。 耳鳴りもあ る。 セミの鳴くのが、聞こえる。 原因は「かれー」だというので、しばら く食べないようにしている。 「とういじょうを飲んでください」と薬をくれ たので、13粒ずつ飲んでいる。 セミの声だけでなく、それを捕っている子供 の声が聞こえるようになった。 医者は心配いらないという。 子供の姿まで 見えるようになったけれど、医者はまだ心配いらない、その子供と会話するよ うになったら、もう一遍来てください、と言った。
化粧品のコマーシャル、塗る前からきれいな人が出ている。 あれは、塗っ たら、きれいになる人にしないとダメ。 健康ドリンクのコマーシャル、若く て丈夫そうな人が飲んでもダメだ。 病院のベッドで105,6歳のおじいさんが、 点滴やら何やら管だらけになって、虫の息になっている。 周りには医者や看 護師、親戚の人が集まっていて、中にはもう数珠を手に持っている人もいる。 そのおじいさんが、一口健康ドリンクを飲み、たちまち親類に(指を二本立て て)「イェーイ」という、のでなければ…。
食えない噺家稼業で、ずっと麦飯を食べてきた。 ようやく近年少しは寄席 にも出られるようになって、少しずつ麦の割合を減らし、ようやく白い米を食 べられるようになった。 すると健康食品ブームで、麦を混ぜるといいという 話になった。 折角外した麦を、また加えるようになった。 そのうちに、ア ワ、ヒエ、コーリャンがいいというので、これも混ぜる。 何のことはない、 鳥の餌だ。 年内には、空を飛べるようになるだろう。 高座に出ても、座布 団はいらなくなる。 電線が二本あればいい。
静岡の生れだが、親類は有難い。 毎年、連休が明けて、三、四日たつと、 ドサッーッとお茶が送られて来る。 去年の新茶だ、山ほど来る。 親類は有 難い、親類ならでは、のことだ。 子供の頃、お茶畑で遊んだ。 冬になると、 茶の木に、小さな実がなる。 その実を、石合戦の代りに、ぶつけ合って遊ん だものだ。 ちゃのみともだち。 ここから「茶の湯」に入る。
鯉昇「茶の湯」の新機軸 ― 2007/06/04 07:02
鯉昇は、「茶の湯」で二つの新機軸を打ち出した(私の知っている範囲での話 だが)。 一つは、青ぎな粉だけでは泡が立たず、泡を立てるために入れるもの を、いきなり「中性洗剤」と言ったのだ。 それから「椋(むく)の皮」、当時 の洗剤と説明した。 それを煮えたぎった釜の中に入れたからたまらない、泡 がブクブク立って、そこらじゅうに飛んだ。 小僧の貞がしゃぼん玉の歌を歌 おうとして、昨日寄席で白けたばかりだから、やめた、というのが可笑しかっ た。
もう一つの新機軸は、「茶の湯」と「三軒長屋」を合体させたことだ。 根岸 の里(昔は閑静だったが、今は噺家の住む下品な土地柄だと言う)の隠宅に住 まうことになった蔵前の大旦那である隠居は、同時に新しく孫店(まごだな) である「三軒長屋」の家主にもなったのだった。 そこには鳶の頭、手習いの 先生、豆腐屋が住む。 その連中が茶の湯に呼ばれたために、よんどころない 事情で引越の準備を始める騒ぎになる。
鯉昇の「茶の湯」、マクラもふくめ、とても楽しく、傑作な一席になった。
さん喬の「水屋の富」 ― 2007/06/05 07:59
噺家なのに実はシャイなのだろう、下を見てしゃべり出す。 いつもさん喬 に辛くて申訳ないのだが、客を見てしゃべり出せ、と思う。 浅草あたりの育 ちらしく、子供の頃、吾妻橋で、ガラスの水槽に一貫目の氷と水(どこから汲 んできたかわからないけれど)を入れ、黄色い液をひしゃくで注ぎ、そのひし ゃくで「カラン、カラン」とかき回す1杯5円の「レモン水」を飲んだ話から 「水屋の富」に入った。
海べりの埋立地は、井戸を掘っても塩水が出る江戸の町、町々の時計となっ て水を売り歩き小銭を稼いでいる水屋の清兵衛が、湯島天神の富くじで一番富 の千両に当たってしまう。 三ヶ月待たずに当日受け取ると立替料を引いて八 百両、ももひきを脱いで端を結わえ、その八百両を首から下げる、もともとお 足がはいっていたんだから、と。 隠し場所にさんざん悩み、縁の下に五寸釘 を打って下げ、ときどき竹ざおで、それを確認する。 湯へ行き、酒をちびり ちびりやって、寝るのだが、泥棒に入られた夢を見て、さあ眠れない。 弁慶、 鼠小僧、石川五右衛門が、つぎつぎにやって来る。 仕事に出ようとすれば、 長屋の入り口に見慣れない野郎がいる。 見慣れない豆腐屋、見慣れない犬、 までが気になる。 さらには、金を貸してくれと、長屋の連中が押しかけてく る夢を見る。 眠れない。 水売りに出れば、いつもの時間に遅れて、客に怒 られる。 ついには、出掛けに竹ざおで縁の下を確かめているのを、向かいに 住む遊び人に見られてしまう。 八百両は消え、清兵衛は泣き、笑う、これで 今夜はよく寝られるという落ち。
暗い話だ。 さん喬も暗い。 最後の解放感がはじけない。 働き者が、持 ちなれない金を持った時の悲劇という教訓臭が、鼻を付くこともあるのだろう。 同じ富に当るのでは、「御慶」の明るさを好む。
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