ひょんな所から「神津猛は雨村」 ― 2007/11/24 07:47
11月8日の「高浜虚子の小諸、神津家と小山家」で、『福沢諭吉書簡集』第 二巻「神津家の人々」に高浜虚子を援助したとある「赤壁家」の神津猛が、高 浜虚子の句集に名前のある神津雨村なのだろうか、と推論しておいた。
大学の同級生で、当ブログの読者である西澤昌幸君が、大沢洋三著『赤壁の 家―藤村をめぐる佐久の豪農神津猛の生涯』(信濃路 刊)を送ってくれた。 世 の中、狭いものである。 なんと西澤君の母上が「赤壁家」神津家の出で、そ のまた母上(西澤君の祖母)が、長野電鉄を創設して、観光地志賀高原を開発 した神津藤平の妹にあたるというのだ。
『赤壁の家』に、私の疑問の明快な答があった。 神津猛は昭和21年に65 歳で死去したが、昭和42年の二十三回忌に神津家の親戚で評論家の山室静が 選句などした『後凋(こうちょう)』が出版され、高浜虚子が序文を寄せている。 それによると、神津猛が俳句を始めたのは、慶應義塾の頃からで、志賀村に引 っ込んでから俳号を雨村とし、慶應時代の友人たちと句のやり取りをしていた、というのだった。
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