三三の「不孝者」後半2008/01/01 08:25

 元日そうそうこんな話でいいのかと思うけれど、巡りあわせだからしかたが ない。 つまりは、おめでたい日記なのだ。

柳橋若竹の物置部屋で、遊んでいるセガレを待つことになった伊勢由の旦那、 あり合わせの肴に燗冷ましをあてがわれる。 二階ではセガレが親不孝な声を 張り上げて唄を唄っている。 案外うまい。 そこへ酔った客にからまれて逃 げ出した芸者が入ってくる。 「金弥じゃあないか」「旦那は、すっかり落ちぶ れて」「こういうわけで清蔵の着物なのだ。何年ぶりか、お前きれいになったな」 「もう、おばあちゃんですよ」「すっかり、いい姐さんになって、今の旦那は?」 「独り者でございます」「今の旦那は、どういう男だ。俺とお前の仲じゃないか、 話したっていいだろう」「一人ですよ、だって私はあなたという旦那に捨てられ たんじゃあないですか」「待ってくれ、話を聞いてくれ、あの時、他人(ひと) の請け判をしてしまった、店が潰れそうになったのを、ある人が間に入って借 金の面倒をみてくれた、その人が俺とお前のイキサツを知っていたんだ、番頭 の佐平に万事頼んで、ああいうことにした。店が持ち直すと、病気になった。 ようやく治ったが、ぽっかり穴が開いたようだった。思い出すのは金弥、お前 のことばかり。面と向って詫びをしていなかった、すまなかった、この通り」 「あの時、じかに話して下されば…。実は、一度は若い旦那を持ったんですが、 苦労をかけられて、二た月で別れて…。二度の勤めに出たんです。もうそれか らは、こわくなって旦那はいません。お酌から一本になるまでも、ずっと旦那 に面倒をみていただいて…。女ですから、そばに旦那がいてくれたら、と思っ たことも二度や三度じゃあありません」「相談相手になろうじゃあないか」(と、 旦那が金弥の肩に手を回したとたん)「お供さん、若旦那がお帰りになりますよ」 「ん、この、親不孝者め」

ながなが書いたのは、三三の芸者がなかなかよかったからかもしれない。

圓太郎の「富久」2008/01/02 09:40

仲入前は、大ネタの「富久」を橘家圓太郎がやる。 ただ、前が真打昇進で 大喜びの笑志と、私までつい長くなった芸術祭新人賞受賞の三三(33)で、時 間が押していた。 「年の瀬ということで、そういう噺で」と、マクラ抜きで 「久さん、どこにいるんだ」浅草三間町になった。 しくじった旦那の家は、 芝でなく、日本橋石(こく)町。 千両富の場所は、椙森(すぎのもり)神社だから、 日本橋堀留。 一分ったら大金と、ふんどしのあたりから出して買った富の札 は「鶴の八八八番」。 酒好きで、酒を飲むとだらしなくなる久蔵、火事という ので駆けつけて、せっかく旦那に許されたのに、見舞いで来た一升ビンに、つ い目がいく。

 笑志と三三に集中したせいなのか、このあたりで珍しくひどく眠くなった。  圓太郎は、好きな噺家なのに、気の毒なことをした。 何年後の暮になるかわ からないが、次はじっくり時間をとって、トリで「富久」をやらせてみたい。

喬太郎の前座噺「松竹梅」2008/01/03 07:38

 ベテランが前座噺をやると、上手さがわかる、という話は何度も書いてきた。  喬太郎は、みずから「平成の落語家」だという。 19年目、笑志と同じで、そ の割に大きな顔をしていると、これも自分でいい、「笑いましたね」と言った。  私などには、ベテランでなく若手という印象だが、前座噺「松竹梅」を見事に 演じて、大物の片鱗を見せた。

 楽屋で大先輩たちは、昔はキャバレーで稼いだもんだというけれど、最近は 余興の仕事が減った。 忘年会の司会などは、最初に削減される経費で、それ ぞれの部や課に一人くらいは、けっこう上手にやる人がいるものだ。 時々あ るのが、結婚式の司会で、切れる、終わる、分かれる、割れる等、忌み言葉に 注意する。 先日のは、新郎新婦ふたりともお色直しして、空手着になった。  お弟子さんに板を持たせて、「割る」という。 司会の、しようがない。 新郎 が試みたが、割れなかった。 新婦がマイクを取って「ふたりでイタワリあっ て生きていこうと思います」。 噺家よりウマイじゃないか。

 そこで「松竹梅」、謡を教わるのに、松さんは浪花節の調子になって「アンア ンアン…」とやって、軽い調子だな、重々しくといわれると、「あ゛ーあ゛ー」 と恐い声になる。 「なったなった」が「ノコッタ、ノコッタ」になり、下っ 腹に力を入れるところで、すいません紙ください。 竹さんは「常磐津三年習 ってた」をくりかえす。 このへん、喬太郎、真面目な顔でやるのが、とても 可笑しかった。

 短いから稽古しなくていいと言った梅さん、本番で「番茶」「ほうじ茶」など とやり、最後に「亡者になーられた」で、しくじるが、ワーッと受けた。 松 さんと竹さん、梅さんを置いてけ堀にして逃げ出す。 梅さんは真っ赤になっ て、まあるくなっていたけれど、梅さんだから、今頃お開きになっただろう、 という落ち。

正蔵の「淀五郎」2008/01/04 07:32

 トイレに並んでいるうちにベルが鳴るほど、仲入を短縮したのに、正蔵が上 ったのは8時45分だった。 15分は遅れていた。 いきなり「天明四年十一 月」と、「淀五郎」に入った。 皮肉屋で、いじわるな市川団蔵のひきで、名代 に大出世(いっ平が三平を継ぐのとは、えらい違い、と)した沢村淀五郎、『仮 名手本忠臣蔵』四段目で、塩冶判官の役をふられる。 いざ切腹という時に、 団蔵の由良之助が花道の七三に止まったきりで、そばに寄ってきてくれない。  理由を訊きにいけば、本当に腹を切ればいい、まずい役者は死んだほうがいい んだ、と言われる。 上方に行こうか、団蔵を斬って死のうかと、悩みつつ、 中村座の前を通って、座頭の中村仲蔵に相談することになる。

 山口瞳さんに『旦那の意見』(中央公論社)という本がある。 題になってい る文章は、この中村仲蔵の意見、忠告が素晴しいという話だ。 仲蔵は、まず 人払いをし、一対一で、淀五郎にやらせてみて、どんな心持でやるかを話し、 さらに具体的なことをいくつか指示し、顔を上げた時に相が変わるのを見せる 秘密の技まで教える。 正蔵だと、以下のようなことだ。 「うまいだろ」が 気障になっている。 くやしい、無念じゃの気持。 大名だから、左手は腿の 上。 声を張り過ぎている。 刃物が身体に入ると、おーー寒いと思うそうだ。  刃物を持った手のひらを上に向ける(大星力弥が取りやすいように)。 耳たぶ の裏に青黛(せいたい・青いまゆずみ)を塗っておいて、腹を切ったら、中指 につけて、唇にさっと塗る。

 正蔵は、正蔵を継いだときの気持を忘れず、一生懸命にいわゆる「古典」を やっていて、とてもよい。 このまま続けてもらいたいものだ。

<小人閑居日記>まる6年2008/01/05 07:39

 <小人閑居日記>は、2001年11月28日に始まっている。 前日27日にあ った落語研究会から「たい平のマクラ」を書いている。 9.11直後のことで、 アフガン女性のブルカの話題、「カブールでも、かぶーらなくてもよくなった」。  それとBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)が問題になっていたこともわかる。

 それから丸6年、プリントアウトを一年毎にファイルしてある。 6冊にな った。 年賀状に書いたリニューアルした机の上に並べている。 このファイ ルだが、伊東屋で布製の立派なやつを奮発して、毎年色を変えてきた(リング バインダー2穴リネン)。 ところが、昨年末、今年の分を用意しようと伊東屋 に行くと、いつものファイルが見つからない。 訊けば、これを作っていたド イツのメーカーが廃業したという。 後継者がやる気を失ったという、身につ まされるような話だった。 一昨年末、大幅に値上がりしたので、おかしいと は思っていたのだ。 しかたなく日本製の、まあまあのにした(リヒトのDMC =Design Mind Company)。 それで、写真のような状態になっている。 一 番左は、索引だけを印刷したファイルで、これがけっこうな厚さになった。