自身番と、町木戸番の「番太郎」2008/02/01 08:05

春風亭一朝でも、落語研究会は、緊張しています、始まる前の静寂が…、と 言う。 そしてプログラムの田中優子さんの解説を、私も読んだが、ちっとも 知らなかった、と、笑わせる。 「猪肉」という題で、1月の大劇場の歌舞伎 『小町村芝居正月』に神田柳原の土手の猪と葱の鍋を食わせる「けだもの屋」 のシーンがあった話が書いてある。 「けだもの屋」は、「山奥屋」「ももんじ 屋」などともいい、「山くじら」という看板を出していた、と。 今でも「もも んじや」は、両国橋詰にある。

一朝は「二番煎じ」という噺の、町の衆が当番で火の用心の見回りをするこ とになった、そもそもの訳から始めた。 「番太」は、血気の燃えかす、早い 話が道楽者、世の中をやりそこなった男で、酒を一杯ひっかけて、回ってくる、 そして寝てしまう。 早く消せばボヤで済んだのに、大火になった。 それで、 町の衆が自分たちの家や町は自分たちで守ろう、ということになったというの である。 そして、ちゃんと回っているか、調べに来るお役人もいた、と。

北村一夫さんの『落語風俗事典』(現代教養文庫)には、町木戸の番人のこと を、江戸では「番太郎」だが、地方に行くと「番太」になる、とある。 一朝 はNHKの時代劇で、江戸言葉の指導を担当したりする人だから、「番太」と言 ったのには、何か根拠があるのかもしれない。 ついでに『落語風俗事典』の 受け売りだが、間違いやすいものに、自身番と町木戸番があるという。 表通 りの隣町との境の、たいてい四ッ辻に町木戸があって、木戸内の木戸に接して、 北の角に木戸番屋が、向かい合った南角に自身番屋があるのが、普通だった。  自身番には町費で雇っておく親方といわれる書役(しょやく、町代(ちょうだ い)ともいう)と、二、三人の雇い人がいて、24時間勤務、交替で自宅から通 ってきていた。 半鐘や拍子木を叩いたり、火の回りをする木戸番の方は、番 屋に住み込みで、格も待遇も、ぐっと下だったから、内職に荒物屋とか、駄菓 子屋とか、焼き芋屋などの商いをするのを許されていたのだそうだ。

鯉昇の「時そば」2008/02/02 07:46

鯉昇は、あの顔だが、落語ブームで若い女性が寄席に来るようになり、気の 早い人はもうバレンタインのチョコレートを持ってくる、という。 もらうも のは、もらっておくように、という家柄に育ったので、もらうのだけれど、「倍 返し」だと聞く。 「倍返し」というのは仲人のお礼で、香典は「半返し」。 チ ョコの上に「御霊前」と書いてお持ちになれば、と。 初めて落語を聴いた女 性が、いろいろと質問をしてくる。 続きは、どうなるのか、とか。 知りま せん。 ご不審の点は、いろいろおありだろうけれど、こちらは口から出まか せでやっているので、人生を賭けて聴いていただくほどのものではないと、認 識している。

そこで「時そば」、鯉昇のは、期待通りに面白い。 表情や、しぐさがいい。  細い蕎麦を褒めて、こないだはうどんより太い蕎麦を食った、腰の強いのが蕎 麦の身上。 竹輪の厚いのを褒めて、薄いのは、痛々しい、涙が垂れる、くち ゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃ、本物だね。 どこでもニセモノ、麩だ、 金魚の食い物だ、こう見えても、今までエラで呼吸したことはない。

ボンヤリ見ていたのが、ごくのんきな江戸っ子で、不思議な流れをつくる奴 だなぁ、と、さんざん指を折って勘定してみて、一文ごまかしていたことに気 づく。 真似をしてやろうと翌日、少々早目にウチを飛び出した。 割り箸を 使ってる、と言おうとしたら、割れていて、先にネギがぶら下がっている。 「深谷のネギです」、産地を聞いているんじゃない、振っても落ちないじゃないか、 きのうきょうついたネギじゃないな、歴史を感じるネギだ。 きたねえドンブ リだなあ、どっかで発掘したやつか、欠けているじゃねえか、「かけ蕎麦専用の どんぶりで」、横もとなりも欠けていて、全部ギザザザ、洗う時によく手を切ら ないな、「ウチは洗ってません」。 出来上がると「塀に寄り添って下さい」、汁 を一口すすり、珍しい汁だ、一瞬、気が遠くなった、それで塀に手をつくんだ、 よく見れば、塀には手をついた跡がたくさん、塀の角には白い菊とお線香が…。

雲助の「宿屋の富」2008/02/03 08:03

 一月の落語研究会も、あと一人になったので、もう少しのご辛抱を。 トリ の五街道雲助も「そのくらいの辛抱ができなければ、人間、どこに行ってもダ メ」と言った。  「宿屋の富」、きたない宿屋に泊まりたいなぁ、と思っていたという男がやっ てくる。 奉公人が800人、身の回りの世話をするのが30人、はばかりに行 こうとしても、紙をもみながら、ついてくる。 こんな暮しはいやだと言った ら、五番番頭が「旅に出ろ」と。 粗末に扱ってもらうと、せいせいするので、 よろしく。 「ご商売は?」と聞けば、「ない」、先祖が大の大の働き者で、蔵 に金がいっぱいある。 商人に一万両、大名に二万両と、貸すのはいいが、利 息がつくのは弱る。 こないだも八番番頭が、庭に離れが出来たというので、 見に行ったが、五日たってもまだ着かない、もう五日かかるというから、その まんま帰ってきた、いまだに見ていない。

 宿の主は、この男に内職の富の札を売る。 一分、小判より使ったことがな いという男は、袂の隅からなけなしの一分金のガク(「ガク」は額、額銀の略。 天保一分銀の俗称で、形が額面に似ているところから、そう呼んだという。以 前、権太楼の「大工調べ」で調べた)を出す。 当たるはずがないから、当た ったら、宿の主に半分やるという。 千両が、今のいくらか、雲助は一両が7 ~10万円だから、一億円ぐらい、それも物の安かった頃の一億円、だという。

湯島天神の富。 当たったら、どうする連中。 白縮緬を一反、京に染めに 出し、大きな財布をつくって入れる、という奴。 二番富でいいという若い男 は、吉原へひやかしに行き、五百両放り出す。 女を身請けして、世帯を持つ。  お湯に行く。 お膳の上にはお銚子、さしみ、てんぷら、うなぎ、卵焼きが乗 っている。 肩に手をやると、昼間っから、ダメよ。 お前もどうだ、一杯だ け、呑むとおいしいわ、もう、寝ましょうよ。 起きると、朝湯に行く。 以 下は、リフレイン。

 雲助、この滑稽噺を楽しそうに演じ、聴いているみんなも楽しくなったので あった。

宮川幸雄さんの大連帰還2008/02/04 06:34

 昭和19年1月15日大連生れの宮川幸雄さんが、平成19年8月16日に、昭 和22年の引揚げ以来60年ぶりに、その誕生地に立った。 短く「感慨多し」 と書いているが、さぞやと思われる。 宮川さんから、ご自身の「大連に帰還 せり―私の満洲旅愁紀行―」が載った『うらら』(同人誌のようなもの)第54 号を頂いた。 8月16日から21日まで「慶大俳句研究会・満洲合宿」という 旅行があり、「夏潮会」の本井英主宰が研究会の指導をなさっている関係で、宮 川さんたちも参加したのだった。

 16日、成田から大連に飛び、旅順周辺の日露戦蹟。 17日、大連市内、瀋 陽へ。 18日、瀋陽(奉天)見学、ハルビンへ。 19日、ハルビン市内観光。  20日、ハルビンから長春へ、市内見学し、瀋陽に戻る。 21日、撫順へ、瀋 陽空港から帰国。 この旅程で、高浜虚子の昭和4年の満洲旅行の跡を追っか けようというのが、主たる目的である。 かつての満鉄、南満洲鉄道の鉄路を たどる、その旅は、私が10月にテレビで見た「関口知宏の中国鉄道大紀行」 に重なるものだった。

 昭和16年に結婚した宮川さんのご両親は、統制経済で本土での起業がかな わず、満洲・大連に渡って婦人服製造販売の事業を起こし、満鉄消費組合の取 引業者として成功、郊外の別荘地・夏家河子に住宅を持ち、母上のいわゆる「貴 族的な生活」をしていた。 昭和20年5月に34歳で「根こそぎ動員」の現地 召集を受けた父上は、終戦後、北へ向う列車を怪しみ、関東軍から脱走して炭 鉱に入って、シベリア抑留を免れた。 夏家河子の家は掠奪に遭い、母上は宮 川さんの生誕地対馬町の会社に逃げ込み、赤ん坊の宮川さんをかかえて白系ロ シア人の家でメイドのようなことをして500日の「難民の生活」を送り、昭和 22年1月、志ん生と円生と同じ船で佐世保港に引揚げることができた。 宮川 さんは、母上の強い力で「残留孤児」とならなかったことを、「人生の幸運」と 思っている、という。 これより先、父上は山口県仙崎港に引揚げていて、母 上・宮川さんとの上野駅での再会となる。 『流れる星は生きている』の新田 次郎・藤原てい夫妻のケース、藤原正彦さんと同じ経過である。

スーパーボウル、ジャイアンツ劇的勝利2008/02/05 06:39

 雪のあした、滑るからというので、きのうは散歩にも出ず、閑人はアメリカ 人となった。 閑居以来、よく見るようになったスーパーボウルである。  XL-IIを42と読めるようになる。 ニューイングランド・ペイトリオッツ対ニ ューヨーク・ジャイアンツ。 ペイトリオッツは、史上二回目の全勝でのスー パーボウル制覇を狙い、ジャイアンツはNFCの第五シード、ワイルドカード から勝ち上がってきた。 ブレイディと、イーライ・マニングの、両QBも注 目だ。 実力と実績を誇るブレイディは、足首の故障に不安がある。 イーラ イは、昨年制覇のコルツのペイトン・マニングの弟、そのリーダーシップの欠 如をファンやマスコミから問題視されていたのを、シーズン終盤に目を覚まし、 快進撃を続けてきた、という。

 アリゾナ州、フェニックス大学スタジアム、大学がこんなすごいドームを持 っているのだ。 息づまるようなロー・スコアの戦いになった。 ジャイアン ツのディフェンス(ストレーハン、ユメニオーラら)が光る。 そのプレッシ ャーのせいもあって、ブレイディが冴えない。 ペイトリオッツ7対3ジャイ アンツで、第4クオーター15分の勝負になった。 残り11分、ジ軍マニング、 タイリーへのタッチダウン・パスで7対10と逆転するものの、あと3分とい うところで14対10と再逆転される。 ここからの攻撃機にイーライ・マニ ング、2本のパスを失敗、悪いマニングに戻ったかと、思われた。 アメリカ ン・フットボールが、時間との勝負だということが、この試合ほど、よくわか ったことはなかった。 ジ軍は、タイムアウトの三回を有効に使って、時間を 止める。 あと1分20秒、敵陣35ヤード付近の3rd&5でサックされそうにな るマニングが、粘りに粘って、タイリーへのパスを成功させたのが、転機にな った。 再び、マニングが目を覚ましたのだ。 残り35秒、敵陣15ヤードか らのパスが、ゴール左サイドにいたバレスに通った。 劇的な決勝タッチダウ ン。 ペイトリオッツ14対17ジャイアンツ。 ペイトリオッツ完全優勝の 夢は、35秒の攻撃では果せなかった。