詩人たちの言葉2008/03/01 07:54

 『荒地の恋』を書いたねじめ正一さんも、詩人だ。 北村太郎の詩集や本の 題名、あるいは詩語を、各章の題に選んでいる。 そこに北村の詩からの、短 い引用がある。 題も引用も、そのどれもが見事な選択で、物語の流れを暗示 している。

 序章「終りのない始まり」、「たしかに、それは、/スイートな、スイートな、 終りのない始まりでした。」 「あかつき闇」の章、「あなたは偏狭になりなが ら次第に/魅惑を増してゆく不思議な人だ。」 「冬へ」の章、「ぼくは、とど のつまり、何になるのか」 「犬の時代」の章、「なんと遠くへ来たことか/冬 の山林/小道をゆっくり登ってゆく/一個の骸骨」 終章「すてきな人生」、「モ ノをほしがる物欲、のほかに/ココロをほしがる心欲、まで持っているから/ ヒトは怪物、なのだ」

 物語の中で使われる、北村や田村隆一や鮎川信夫の言葉や、詩の一部分も、 さすがの光を放っている。 当然ながら、ねじめ正一さん自身の語りも、磨か れ、研ぎ澄まされている。

 日本を代表する現代詩人、ウイスキーのテレビコマーシャルにも出たダンデ ィ詩人、生ける詩神(ミューズ)、田村隆一は詩のためだけに生きている男であ る。 「言葉なんか覚えるんじゃなかった」と、うたった。

 「詩をかくこと、それは家族持ちの会社員松村文雄に許されたささやかな道 楽だったのだ。/しかし詩は道楽から生まれない。」(76頁)

 「分別をなくすとは何と楽しいことだろう、と北村は思った。」(79頁)

 思い巡らす道筋が、おそらく日常なのだ。 「家庭を持つということは何か について思い巡らす道筋を持つということで、その道筋があるから家庭はバラ バラにならずに済んでいるのだ。北村はその道筋から横道にそれた。」(123頁)

 「だがしかし、生きていくということはそれ自体が筋の通らないことだとも 言えた。」(154頁)

春風亭一之輔の「代脈」2008/03/02 08:00

 2月28日は、第476回の落語研究会だった。 満員札止めが続いている。

 「代脈」      春風亭 一之輔

 「今戸の狐」    桃月庵 白酒

 「蒟蒻問答」    柳亭 市馬

        仲入

 「百年目」     柳家 権太楼

 一之輔、一朝の弟子だそうだ。 きちんとしていて、なかなかいい。 一朝 に5番目の弟子が出来てチョウロク(朝六?)、170センチ100キロ、正座が できない、前職は引越屋、トラック運転手、引越の時は役に立つというが、師 匠?は越したばかり。 円丈師匠の弟子で、たん丈、45歳で入門した。 楽屋 で鈴々舎馬風師匠と二人きりになって、会話がない、前は何をやっていたんだ といわれ、スキューバ・ダイビングのインストラクター、それだけで、しくじ った。

 落語協会のサイトにある一之輔のプロフィールによると、平成16年11月か ら二ッ目、得意ネタの三番目に「代脈」があった。 ちなみに、その上は「竹 の水仙」と「鮑のし」。 趣味に「飲酒一般」「徒歩による散歩」とあるが、徒 歩によらない散歩というのは、どういう散歩だろう。 そこで「代脈」、きちん とやることはやっているのだが、いま一つ面白くない。 昨年10月NHK新人 演芸大賞決勝出場という「出場」の二字は、そのへんのことなのかもしれない。

桃月庵白酒の「今戸の狐」2008/03/03 08:01

 雛祭の日に、桃月庵白酒(はくしゅ)の話である。 2005年の秋、五街道喜助 から、この名になった。 福々しくて、清潔な感じのする噺家だ。 「今戸の 狐」を、噺家の符丁から始める。 羽織を「ダルマ」、手拭が「マンダラ」、扇 子は「カゼ」、本職はあまり使わず、落研の学生などが使う。 女子学生が「い やだ、落研よ、ウツルわ」。 お客のことを「キンチャン」というが、前座でも 知らなかったりする。 渡世人の符丁で、さいころのことを「コツ」という。  動物の骨を使ったからで、ふつうの土を固めたのや木製ではない。 「コツ」 のさいころだから「コツのサイ」。

 中橋の三笑亭可楽の門人で良助、内弟子(ぜんざ)から二ッ目になって橋場 で自活することになった。 噺家だけで食えないので、師匠に内緒で今戸焼の 狐の人形の絵付けの内職をしている。 それを前の背負い小間物屋の、千住(コ ツ=小塚ッ原)の女郎上がりというかみさんに見つかり、教えてと頼まれる。

 中橋の師匠宅、内弟子が寄席で認められている仲入に売る籤の上がりを勘定 している音を、渡世人に聞かれる。 丁半でも、チョボイチでもない、狐だろ うと、見当をつけ、翌朝、可楽に「狐をやっているのはわかっているんだ、顔 を出すたびに、ちょっとこさえてもらいたい」と掛け合いに来る。 可楽に断 わられて、内弟子ののらくに聞けば、師匠は知らないが、狐なら橋場の良助の 所だという。  良助に掛け合うと、狐なら大きいの、小さいの、金張り、銀張り、と、やっ ているという。 見せろというから、人形を並べたら、「俺の言ってるのは、「コ ツのサイ」だ」「それは、お向かいのおかみさんでございます」という噺だ。

 桃月庵白酒は、よくやった。 それぞれの情景が、浮んでくる。 それでも、 面白い噺を聴いたという満足感が得られなかったのは、「今戸の狐」という噺自 体に欠陥があるのだろう。 みみっちい、貧乏臭い話である。 「狐」という バクチも、知らない。 一言で言えば、理屈っぽい。 いちいち説明しなけれ ばならないようなことが多く、それが落ちになっている。 余り演じられない 所以だろう。

「中橋」と古医方の医家2008/03/04 07:56

 ときどきお世話になっている北村一夫さんの『落語地名事典』(現代教養文 庫・1978年)は、ありがたい本だった。 きのう三笑亭可楽の家のあった「中 橋(なかばし)」、よく落語に出てくる地名だが、どの辺かと思ってみたら、一 昨日「代脈」を書いた時、わからなかったので書かなかった医者の名前まで、 出て来た。  「中橋」は、今の東京駅八重洲口正面、中央区八重洲1丁目南側の道あたり で、江戸時代は中橋広小路といい、近隣の町まで含めて「中橋」と呼んでいた という。 三笑亭可楽の住いは、その「中橋」の北槙町油座(きたまきちょう あぶらざ)にあり、隣に浮世絵師の一陽斎歌川豊国が住んでいた。  「中橋」の出てくる落語で、すぐ思い出すのは「錦明竹」、例の早口の上方弁 で「わてな中橋の加賀屋佐吉かたから使いに参じました」と繰り返す、あれで ある。

 北村一夫さんは、ほかに「にゅう」「本堂建立」「中沢道二」「黄金餅」「名人 昆寛」、そして「代脈」に「中橋」が登場すると、記述している。  その「代脈」の引用文に「そのころ、中橋に尾台良玄という古法家の名医が ございまして…」と、医者の名があったのだ。 春風亭一之輔は、その弟子を 「銀杏(ぎんなん)」という名でやっていた。 「古法家」というのが、一之輔 を聴いた時もわからなかったので、『広辞苑』を引く。 それで北村一夫さんが 引用している講談社文庫『古典落語 下』が、間違っているらしいことに気づい た。 『広辞苑』の「こほうか」は「古方家」、「古医方を奉ずる漢方医」。 そ こで「古医方」だが、「江戸時代の漢方の医家の流派。思弁的観念的傾向を深め た金・元以降の医学(後世派)を批判し、経験と実証を重んずる古代医学の精 神に基づいた治療の改革を主張。この説をとる医家を古方家という。江戸前期 の名古屋玄医に端を発し、後藤艮山により確立され、香川修徳・山脇東洋・吉 益東洞らがこの派に属する。」 いつもいうが、落語は、勉強になる。

市馬の「蒟蒻問答」2008/03/05 07:58

 柳亭市馬の「蒟蒻問答」である。 マクラで噺家の人数が多くなった話をす る。 昭和30年の落語協会の名簿を見たら、会長の桂文治(「牛蒡」といわれ ていた)以下、前座まで30人ちょっと、それだけでやっていた。 師匠の先 代小さんは、弟子の多いのが有名で、数で勝負、落語会の日大といわれていた。  これだけお客さんがいれば、日大の方もいるだろうが、先代の日大の話で…。  先代の正蔵師匠(彦六になった)は、三代目小さんと、のちに四代目小さんに なった蝶花楼馬楽の弟子だから、柳家の「大番頭」(仲入後の権太楼の長講「百 年目」を意識している)だった。 (市馬は)前座でここの楽屋につめていた 頃、早目に入るようにしていた。 ある時、開演1時間半くらい前に入ったら、 楽屋の隅に妖気を感じた。 正蔵師匠は9時ごろの出番なのに、4時頃にはも う来ていた。 「もう半分」のおじいさんみたいな怖い顔で、「いきなり開ける とおどろくじゃあねえか」

 ここで本題に入った市馬の「蒟蒻問答」、快調だった。 八五郎は、具合が悪 くなって、江戸から流れてきた安中で、「松杉(?)を植えようという料簡」だ と蒟蒻屋の六兵衛親分に相談、いろいろ教わって、木蓮寺の坊主になる。 イ ロハが言えれば、読めるお経というのが、傑作だった。 節をつけて、鼻にひ っかけるように延ばす。 どうせ相手は死んでるんだ、あとは「猪牙で行くの は深川か」かなんか言っとけばいいと。  手を叩いて、寺男の権助を呼ぶ。 「ゴンスケ、ゴンボウ、ゴンテキ」、楽屋の方を見て「ゴンタロウ」。

 永平寺から問答の僧が来て、困った八五郎坊主に代わり、大和尚になった蒟 蒻屋の六兵衛。 貫禄はあるが、衣の下から腹掛けが見える、出が職人だから というくすぐり、たまたま読んだ安藤鶴夫さんの『(四代目)小さん・聞書』に よると、弥太ッペ馬楽が斉藤緑雨のものからとり入れたものだそうだ。 落語 は長年の工夫の積み重ねなのだ。 いよいよ問答となり、講談調になったあた りも可笑しかった。