民主主義のタブーと実体化2009/12/01 07:31

辻井喬さんの松本清張論の続き。  松本清張は、文壇的には孤立していた。 でも、清張ファンのグループを作 ろうとはしなかった。 反俗(孤高を楽しむ・貴族性)の作家というより、非 俗(俗から生まれて俗でない)の作家だった。 エピソードがある。 ある大 手出版社が近現代文学全集を企画した。 三島由紀夫が「清張が入るなら、私 は降りる」と言った。 全集に清張は入らなかった。

 吉川英治に「英雄史観」、司馬遼太郎に「懐古史観」がある。 「松本史観」 は、思いつかない。 清張は、はっきりとした「史観」を持つことを、気をつ けて避けていた人ではないか。 感じたまま、見たままを、出来るだけ説得力 を持って書くために…。

 「民主主義のタブー」というものがある。 民主主義は形だけで、中身がそ れにともなわない。 いつまでたっても、実体化しない。 民主主義を支える、 自分をしっかり持った民衆が生まれてこない。 多数決で決めたからいいんだ ろうというが、その中身まで立ち入って、いい結論を出したかどうか実証する ことこそ、民主主義の実体化だろう。 松本清張は、民主主義の実体化に大い に貢献した作家だったのではないか。   日本だけに冷戦時代の政治体制が残っていた。 それがいよいよ壊れかけて きたところだ。 日本は大いに遅れたけれど、その体制に入ってきた。 清張 の文学の力が、表に出て来るのは、これからではないか。 今こそ、清張の時 代なのではないか。 辻井喬さんは、そう話した。

古今亭菊六の「幇間腹」2009/12/02 07:19

 11月26日は、第497回の落語研究会だった。

  「幇間腹」       古今亭 菊六

  「転宅」        橘家 文左衛門

  「鴻池の犬」      柳家 さん喬

          仲入

  「禁酒番屋」      柳家 花緑

  「宮戸川」(下)     柳家 小満ん

 古今亭菊六、円菊の弟子、平成21年度NHK新人演芸大賞を受賞したという。  つるつるに剃り上げた頭が、薄鼠色の着物と同色だった。 すっきりとした姿 形、やや垂れ目、膝を曲げて出て来る。

 「幇間腹」、伊勢屋の若旦那は洒落がきついという話に、杯洗(?)に酒をた っぷりついで、金貨が沈めてある。 飲んだら、足袋のこはぜで、大野屋の十 三文半。 頼みたいことがある、凝っているものがあるというので、幇間の考 えたのは、まず馬。 馬に乗って、塀みたいな所を飛び越える。 若旦那は、 馬とは別に、落っこった。 つぎは、ゴルフ。 あなたは偉かった。 球を穴 に入れて失くさないように、あっちに打ったり、こっちに打ったりした。 針 と聞いて、♪♪タカタカタンタン、裁縫か、芸者衆の袖のほころびとか縫おう として…。

 芸者衆は呼ばない、幇間ただ一人、鍼とわかって、「打つ日を決めましょう」、 「いい日鍼打ち」、ハリー彗星の来た日、となる。 こうした細かいクスグリに、 若手らしい工夫があって、菊六の「幇間腹」、それなりによかった。

橘家文左衛門の「転宅」2009/12/03 06:44

 橘家文左衛門、初めて見た。 浅葱色の着物に、草色の袴、ポマードで固め た頭、おでこも光った暑苦しい顔。 江戸川区小岩の生れ、昭和61(1986) 年に橘家文蔵に入門、かな文から、二ッ目になって文吾、平成13(2001)年 に現在の名前になったそうだ。

「転宅」、こそ泥は庭から、旦那がお妾さんに五十円渡すところを見ていた。  上りこんで、旦那の残したものを、うめえ酒、うめえ刺身、ぬた、「ぬた好き!  ぬたは世につれってね」とやる。 お妾さんに見つかった後も、さらに残り物 を平らげようとする。 そのそれぞれが、オーバーだ。 お妾が、実は同業者 だといい、高橋お伝の孫の半ぺんじゃなくて、菊と名乗る。 泥棒は感心して、 人間国宝の孫より偉い、と(後で花緑が出た)。

 夫婦約束をして、泥棒が将来をあれこれ想像する。 子供が生れて、川の字 に寝る、河の字じゃない。 学校に行くようになって、親の参観日に作文を読 む。 題は「私の父と母」、「うちの父ちゃんは、日本一の大ドロボウです」。 こ ういうところも、余計な感じがした。

 落語は、ただ年数を重ねたからといって、必ずしもうまくなるものではない のが、難しいところだ。 私の意見は、若干、見た目に引きずられているとこ ろがあるかもしれないが…。

さん喬の「鴻池の犬」2009/12/04 08:02

 江戸蔵前の池田屋という乾物屋の店先で、あくびをしていた小僧の貞吉が「旦 那、大変です、捨て子です」と騒ぎ出す。 黒、ブチ、白、三匹の子犬だった。  旦那が「可愛いな、捨ててきな」というのを、貞吉が自分が世話をするからと 頼み込んで、飼うことになる。 可愛い犬がいて、店が繁昌するようなことに なる。

 黒を貰いたいという人が現れて、旦那が貞吉に因果を含めるのに二三日かけ ていた後で、紋付羽織袴に白扇、主人からと角樽、酒の切手三升、反物が三反、 お椀代を持ってやって来る。 池田屋は、界隈でも顔を知られた池田屋だ、犬 をやるのにそれは貰えない、持って帰ってくれと、断わる。 相手は船場・鴻 池善右衛門の江戸の出店の束ねをしている藤蔵と名乗る。 ぼんの黒犬が火事 で死に、似たのはイヤ、焼けた犬でなければと、言う事を聞かない、首に月の 輪の模様がある黒犬でなければ駄目なのだ。 訳を知り、人助けと思ってとい われ、池田屋は承知する、酒は小僧の父親が酒好きだから、と。

 黒は、羽二重の座布団を敷いた駕籠に乗り、大坂まで行った。 医者が三人、 警護が二人付いて、月に一度は有馬温泉へ行くという暮し、ぶくぶくに太って 大きくなり、もとは江戸で気ッ風がいいから、船場界隈で犬のもめ事があると 仲裁を頼まれるようになった。

 一方、江戸の弟、ブチと白は、小僧の世話が間遠になり、表で餌をあさる始 末。 往来に芋の落ちていたのを、弟のために拾ってやろうとしたブチが「キ ャン」、大八車に撥ねられて死に、白は一人ぼっちになってしまった。 拾い食 いで毛も抜けて、哀れな姿、そうだ、兄ちゃんのいる大坂へ行こう。 途中で、 旦那が足を悪くして、その代わりに伊勢めえり、おかげ参りに行く「おかげ犬」 のハチと会い、人々に大事にされる「おかげ犬」と道連れになったおかげで、 なんとか船場にたどり着く。 さん喬は、この苦難の道中を、まるで人間のそ れのように語って、しんみりと聴かせた。

 江戸から来たという汚い犬、蔵前の池田屋、隣は酒屋、前は荒物屋というの で、「兄(あん)ちゃん」「弟の白や」となる。 「しい、こいこい」と呼ばれ て、黒はどんどん、ご馳走を運んできてくれる。 鯛の浜焼き、鰻(う)巻き に、カステラ。 兄ちゃんもどうかというと、俺はいつも食っているから今日 は柴漬でお茶漬だ、と。 また「しい、こいこい」の声、黒が飛んで行くと、 ぼんのおしっこだった。

花緑のマクラ「“落語ブーム”の正体」2009/12/05 07:24

黒紋付で出て来た花緑は、落語研究会に来るのが毎回楽しみだという。 こ こは、ほかにはいない人、真の落語ファンがいる。 芸人と客の関係がある。  だから緊張もする。 「禁酒番屋」の筋なんて、知っている人ばかりだ。 『ダ ヴィンチ・コード』みたいな結末にはならない。 リラックスして聴いていた だきたい。 落語ブームというけれど、ざっくり言って、ブームなんかじゃ、 ないんじゃないのか、と最近思っている。 新聞記事や評論なども、「落語ブー ムらしい」で始まる。 世間は「お笑い」がブームだ。 テレビのゴールデン・ タイムは、みんな「お笑い」で、落語はこの研究会も20何時という、よくわ からない時間から放送している。 先日、(「お笑い」の)「はんにゃ」が本を出 して、握手会をやったら、四千人並んだ。 ここは皆で釈迦力にやっていて、 千人に欠ける。

 落語の面白さは、まだ日本には知られていないのではないか。 先日、彦根 で独演会をやって、それを聴いた三十代後半の(私と同年代の)ご夫婦の、奥 さんの方が、落語はわかりやすい言葉でやるんですね、という。 歌舞伎や狂 言と同じ「コレハ!コレハ!」という調子でやると、思っていた。 落語につ いて大変な誤解をしている。 室井佑月さんも、相撲、歌舞伎、落語を一緒く たにしていて、勉強しないとわからないと思っていた。 まず寄席文字を理解 しないといけない、テストがあるとか。 世間のレベルは、その程度なのだ。  (落語の)渦中にいると、わからない。 テレビの視聴率は1%で百万人とい う。 落語の面白さが、もしバレたら、この空席はない。 この距離感がいい。  そこで提案だが、落語の面白さを近所の人に内緒にしてもらいたい、広めるの はやめよう。 空席はありがたい。 全員、見たい人が、見ている。 平和だ。  発展を遂げないよう、だれにも言わないことが、いいのだ。

 で「禁酒番屋」、最近の花緑の中では、上の部に入る出来、愉快な高座になっ た。