和解と平和の場、コー2011/08/02 05:48

スイスでのコンサートの会場になるコー Cauxはレマン湖を見下ろす絶景の お城だそうだが、ここには重要な歴史の物語があったことを、武市純雄さんに 教わった。 昨日も書いたように、1902年に建てられた最高級のホテルで、戦 前は世界の富豪ロックフェラー家やアガカーン家がひと夏を過ごし、第二次大 戦中は、ナチスに追われたユダヤ人の避難所として使われたという。 戦後ス イスの実業家が4人で資金を出し、傷んだホテルを再建し、コーを生き返らせ るとともに、終戦直後の欧州の平和を目指す場所にした。 有史以来、鉄鉱と 炭鉱のアルザス=ロレーヌ地方の帰属をめぐって、殺し合って来たドイツとフ ランスの和解をめざし、当時のドイツのアデナウアー首相とフランスのシュー マン外相を招き、そのReconciliation “和解”の場を提供した。 両国がこ れからの欧州の歴史の中で、決して戦争に突入しないことを約束させた。 そ の後、欧州石炭鉄鋼共同体が出来たことが、今日のEUを生むきっかけとなっ たことは知られているが、その始まりがコーだったことは、あまり知られてい ない。 その後も欧州各国の元首がコーを訪ねて平和と、歴史観についての講 演をしている。

日本との関係も深く、古くは岸信介元首相、福田赳夫元首相、三木武夫元首 相、加藤シヅエ女史を始め、多くの日本の方々が訪問し、戦後の日本の平和へ の政治姿勢をコーの地で表明した。 サンフランシスコ平和条約を締結し、国 連に復帰出来たのも、このコーの提供したアジア各国の元首と日本の元首との Reconciliation“和解”がもたらした結果だった、と武市純雄さんは指摘した。

私は、昔読んだ木村毅 著『クーデンホーフ光子伝』(鹿島出版会)という本を 思い出した。 1947年にヨーロッパ議員連盟を結成、今日のヨーロッパ連合E Uに発展する統合化への基礎を築いた汎ヨーロッパ運動家、リヒャルト・クー デンホーフ=カレルギーの母・光子の伝記である。 1874(明治7)年生れ、東 京牛込の骨董商の三女で、小学校初等科卒業後、当時の代表的社交場、芝の紅 葉館に女中奉公し、歌舞音曲、生け花などを修業、優美さを身につけた。  1892(明治25)年オーストリア・ハンガリー帝国駐日代理公使として着任したハ インリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と出会い、カトリックに改宗し て結婚、1896(明治29)年ボヘミアの領地ロンスベルクに赴く。 信仰深い良妻 賢母を理想とする夫の方針で、英・独・仏語、一般教養を学び、7人の子供を 教育した。 リヒャルトは、次男である。