信長の父、織田弾正忠信秀の物語2011/08/11 05:44

 このところ、昼寝のあと、朝日新聞の夕刊が来るのが、楽しみだ。 東郷隆 さんの連載小説『青銭大名(あおぜにだいみょう)』である。 村上豊さんの、 剽げた挿絵も好きだ。 「青銭」とは緑青を吹いた銅貨のこと、「青銭大名」は 織田信長の父、織田弾正忠(だんじょうちゅう) 信秀が、貨幣経済という新しい 「軍事力」を背景に、つまり経済力を武器に、武将としてのし上がっていく物 語である。 子の信長を有力武将として日の当たる場所に送り出す基盤を築い た。 信秀は四十余歳の若さで病死したので、その存在の再評価が始まったの は、さほど古くなく、近年、中世史研究が進んだからなのだそうだ。 尾張あ たりの普通の土豪の生活を描いて、どういう形で信長のような人が出てきたの か、信長という存在が発生するまでの話を、父の信秀を通じて描くのだという。

 物語は、伊東五郎左衛門尉こと五郎左、のちに意足坊尊明となる兵法者を舞 台回しに展開する。 ひょんなことから五郎左は、意外坊という、何でも知っ ていて、のちに信秀の軍師(呪術師でもある)となる人物に、師事することにな る。 意外坊は、信秀の父織田月巌入道信定を高く買っていた。 意外坊によ れば、尾張の守護は斯波氏だが、下剋上の慣いで、守護代の織田家が政事(まつ りごと)を行っている。 この織田氏は、尾張八郡の内、上(かみ)の四郡を織田 伊勢守家が治め、下の四郡を織田大和守家が領している。 織田大和守家は、 清洲という川辺の城を持つので、清洲織田ともいう。 意外坊が懇意にしてい たのは、清洲織田の下の織田、大和守家の奉行職である分家の織田家だった。  代々弾正忠を名乗り、稀有ともいうべき才がある。 中でも織田月巌入道信定 は出来物(できぶつ)で、己れが庶流ゆえに、人を生れ育ちで見ぬ、ただ才覚と、 銭の力で見る、と言う。 今の世を支配している三つの力は何かと、五郎左に 聞き、寺社、武家、商人と答えたのを褒める。 公家と言わず、商人と言った からだが、公家にも家によっては、商人に特権を付与する代わりに、膨大な冥 加金を取って、肥え太っている者もいると、言う。 実は武家が、三者の中で は一番銭稼ぎについては遅れていて、多くは百姓から吸い上げる年貢に頼って いる。 その中で、織田信定は違うというのだ。