桂米團治「代書」のマクラ2011/12/01 05:26

 米團治は出るなり、前座の柳家おじさん(眼鏡をかけたおじさん顔の)が間違 ってセットした膝隠しを持ち上げて、マイクの外側に置き直した。 わざわざ 上方から呼んで、やらせていただいて、ありがたい。 父親が偉い、桂米朝、 いわゆる御曹司、ぼんぼん、大阪ではアホボンといわれる。 米朝は、大正14 年生れの86歳、来年米寿になる。 三平師匠と比べると、生きているか、死 んでいるかの違いだが、亡くなっている方が楽。 三十三回忌だそうで、正蔵 さんは三十三年間し放題。 私とこは未だに健在で、事務所は米寿の企画をい ろいろ考えているけれど、私は襲名して三年も経っているのに、何の企画もな い。

 一昨年、文化勲章を頂いたけれど、ここだけの話ですが、80過ぎると長い噺 が出来ない。 「隣の家に囲いが出来たよ」「へぇー」というのを、「隣の家に 塀が出来たよ」とやって、こっち(楽屋)の方を向いて、「かっこいい」。 勲章 を頂いた時、付き添いで車椅子を押して行ったが、ここからは入れないという ところがあって、車椅子を押すだけで三十年という係の人がいる。 ちょっと 心配だった、陛下にお会いして「あんた誰」なんて言わないかと。 一年経っ て、12月23日の陛下のお誕生日に招かれる。 電話がかかって来た時、米朝 は昼寝していた。 電話に出て、「何や、ようわかりませんわ」、慌てて代って 話を聞く。 同伴は配偶者のみという、配偶者も要介護。

 先代米團治は、米朝の師匠で、私が生まれる7年前の、昭和26(1951)年に 55歳でなくなっている。 ざこば兄さんが「東京は襲名披露でにぎやかなのに、 うちは葬式ばかりしてる」と私が米朝を継ぐ話をもっていったら、父親が「わ しは今更なにになるんや」という。いろいろあって、五代目米團治を継ぐこと になった。 先代は字が上手くて、落語家のほかに、東成区役所のそばで代書 屋をやっていた。 (「代書」(「代書屋」)は、四代目米團治の創作だそうだ。)

米團治の「代書」ジレキショ編2011/12/02 04:29

 代書屋、今は行政書士というようで…。 昭和初期のお話です。 ごめんな はれ、紙に字ィ書いてくれるのはここで…、ジレキショたらいうもん、持って 来い言いよったよって。 履歴書やろ、就職をなさる。 そんなことはしませ ん、ちょっと勤めに行く。 勤め先は? いわんとくわけにいきまへんか。 い かん訳ないけど、官庁と会社で書き方の違う場合があるよってな。 箱屋だん ね。 紙箱工場? 色街の箱屋だんがな。 妓丁(おとこし)さんやな、色気の ある商売で。 あんた、本籍は? 相生席(あいおいせき)。 芸者屋の席とは 違う。 本籍、生まれたとこや。 大阪市南区日本(にっぽん)橋3丁目26番地 風呂屋の向い。 現住所は、右に同じ、と。 戸主は? そんなもんあれしま へん。 戸主のない家があるかいな、あんたが戸主でんな。 えへへ、おだて たらあかん。 名前は? 田中彦ジ郎、いい名前や、ジは次か治か。 おまか せしときますわ。 田中彦次郎、と。 生年月日は? 確か、なかったと思い ますわ。 生まれた年や。 わぁ、えらいことになった、歳がばれるわ。 ご 大典の提灯行列の日、昭和3年11月10日、近所の若い者も娘も皆着物拵えて 行列した。 その時、提灯の火貸したったんが縁になって、今の内の奴…。 何 言うてんねな、生年月日や。 干支は申(さる)、ええとこの子じゃあなくて、 エテコウの猿。 明治41年。 天神祭の次の日。 7月26日、と。 学歴は?  学校、もう行ってまへん。 子供の時や、何という小学校や。 尋常という小 学校。 難儀やなあ、本籍地学区尋常小学校卒、と。 たった一つの自慢でん ねん、二年で卒業した。 中途退学、と。

 次は職歴や。 食い物のことだすか。 自分が今までしていた商売をみな書 くのや。 つらいな。 巴焼を売った、回転焼、今川焼ともいう。 昭和4年 11月、玉造駅前に於いて、饅頭商を営む。 これいつまでやってたんや。 い え、それ家賃が高いので、止めた。 一行抹消、判を貸しなはれ。 それから、 夜店をやった。 昭和4年12月、露天営業人として、品物は何や。 下駄の 減り止め。 ブリキでこしらえた奴で、ちょっと見るとえらい具合がええよう なけど、ぶち明けて言いまんがあれ買いなはんなや。 石の上歩いたら、すぐ 駄目になる。 二時間で止めたった。 一行抹消。 判、貸しなはれ。 本職 は何や。 本職はガタロウ(河太郎)。 ガタロウって何や。 胸まである長靴 履いて、川の中で泥すくうて、金屑やらを拾う。 川床に勤務とか、書けませ んか。 河川に埋没したる廃品を回収して、生計を立つ、と。 うまい。

 そいから昭和10年10月10日、ぞろ目の日。 そういうふうに言うてくれ ると書きよい。 飛田…、西成区山王飛田町に於いて。 わいと松っちゃんが、 初めて姫買いしましたんや。 あんたアホや、そんなこと履歴書に書けるかい な。 そやけど読む人が面白い。 よろしよろし、こちらでええように書いて おくわ。 賞罰は? ショウガツは、年いっぺん。 賞罰なし。 何や大きな 判押しなはったな、そら何と書いておますね。 「自署不能に付代書」と書い たる。 一枚十銭、二枚で二十銭や。 えっ、二十銭、松っちゃんに十銭取ら れた、すんまへんけどこれ一枚だけわけとくなはれ。 履歴書半分持っていっ てどうする、まあしようがない、書いたもんやよって持って行きなはれ、負け といたげる。 あんた、いい人や。

米團治の「代書」受取トッコンションメン編2011/12/03 04:08

 はい、ご免なさい。 髯を長う伸ばした上品なお年寄り、結納の受取を書い てもらいたい、孫が嫁に行くのだが、先様がご丁寧な結納を届けて下さった、 元来わしが書くべきじゃが、去年から中気の加減で手が震えて字が書けん。 承 知いたしました、今すぐチャッチャと書きます。 チャッチャでなく、丁寧に 書いてもらいたい、筆はそんな固まったんでなく、サラの筆を下ろしてもらい たい。 墨も、ちいとましなものはないか。 奈良の古梅園で買ったのがあり ますから、これ磨りまっさ。 いろいろ気ままを言うてお気の毒じゃ。 …… ふーむ、中浜代書事務所か……、この看板はあんたが書いたのと違うかな。 へ え、私が書きましたんて。 余りいい字じゃないな、「中」という字は形のとり にくい字ではあるが、これはまたあまりにひどい、心棒が歪んでいるがな。  「浜」という字は偏の割に旁(つくり)が大きい。 饅頭にたとえて言えば、餡 がはみ出しているようで貴人に供える菓子にはなりかねる。 せいぜい小僧の 頬張る大福餅かな。 また今度、肩の張らん時に寄せてもらいますわ、はいさ ようなら。

 こめんくたさい、アタ、トッコンションメンするてすか。 わからんてすか、 ワタシ郷里(くに)に妹さん一人あるてす。 その妹さん、こんと内地きてボー セキのコウジョウてチョコーするてす。 警察て判もらわぬと船乗れぬてす。  ああ、渡航証明かい。 そてす、トッコンションメン。 本籍は? サイシュ ウ島カンソンメン。 コセキトウホンここにあります。 何々、95年前に生ま れ、30年前に死んだ? 死亡届を出さなかった。 山歩いていて虎に食われて 死んで、きれいにかたづけた? 戸籍が無茶苦茶や、先に戸籍を整理せんこと には、どんな願書出したかて許可にならへん。 妹は18、「鬼も十八、番茶も 出花」。 30年前死亡届、死亡届失期理由書、出生届、同じく失期理由書…、 ああ、ようよく出来た。 しかしこれ罰金来るよ。 パッキン、ナンボ、ナン ボ。 20円を超えることはない。 10円…、ワタシこれやめます。 止める のはいいが、今書いたのはどうするんや。 タクサン、タクサン、てきました、 アナタ、コヨリにして煙管掃除するてすな。 ワタシ、ニッポン言葉わからな い、サヨナラ。

 ごめんください、先程は手前どもの隠居が失礼をいたしました、と使いの娘 さんが来た。 貴堂という書家でして、いろいろ失礼なことを言うたそうで、 これをお納め下さい。 すみませんが、隠居がまことにきっちり人でおますの で、受取だけ書いて頂きたい。 承知しました、チャッチャと書きます。 チ ャッチャでなく、丁寧に書いて頂きたい。 「中」という字の心棒が歪んでい ます、「浜」という字は偏の割に旁が大きい、筆を貸してください、こういうこ とに。 うまいもんだ。 判をついて下さい、というので見ると、「自署不能に 付代書」

 「東西御曹司対決」、だんぜん西に軍配を上げた。

「円空」の前に、鰻を食う2011/12/04 04:48

 11月24日、27日までだというので、埼玉県立 歴史と民俗の博物館へ「円 空 こころを刻む」展を見に行ってきた。 そういえば、仏像展は「見に」よ り、「拝みに」だろうと、どなたかが書いていたっけ。 同館は、東武野田線の 大宮公園駅の近くにある。 10時に家を出て、大宮がけっこう遠いことにあら ためて気付く、赤羽-大宮間は25分もかかるのだ。 大宮に着いたら、11時 半に近かった。

 耳グルメ(耳年増の伝)で、荒川と利根川に挟まれた浦和、大宮は、鰻が旨い と聞いていた。 あらかじめネットを「大宮 鰻」で検索したら、「山家」とい う老舗が引っ掛かった。 先日の川越の割烹と似た名である。 駅ビルに「う 匠 山家膳兵衛」という姉妹店があり、町に出て店を探すより、簡便と見た。 「う 匠」が一見鵜飼のようで、「膳兵衛」も俳句のお仲間の顔が浮かぶが、まあいい だろう。 「うな丼」を頼む。 本日は、静岡県産を使用しています、という。  あれあれ、と思う。 案内をもらったら「四万十川の天然うなぎを始め、最上 質な活鰻を使用」だそうだ。 「うな丼」、まずまずの味だった。

 東武野田線で二つ目、大宮公園駅下車、お休憩(2時間)3,900円シャトーブリ アンの横を通って、歴史と民俗の博物館へ。 よく晴れて、気持のよい大宮公 園では、欅の葉がサラサラと音を立てて散っていた。 「円空 こころを刻む」 展は、常設展も含め、埼玉県民でなくても65歳以上は、無料なのであった。  埼玉県、太っ腹である。 無料の判を押した券をもらい、有難く入場する。 立 派な図録が1,000円だったので、つい、あとで買ってしまった。 「円空」展 へ向かうガラス張りの廊下から見える竹林に、冬の日があたって清々しい。

円空仏の魅力に浸る2011/12/05 04:33

 埼玉で、なぜ円空仏か。 参考品を含め、170躯という数の多さに驚く。 埼 玉県は、岐阜・愛知両県に次いで、円空仏が多く確認されているのだそうだ。  特にさいたま市の薬王寺や正法院、春日部市観音院などには、かなりの数が残 っている。 埼玉県東部に集中しているのは、はっきりしたことは判らないが、 一つには日光街道もしくは日光との関連が考えられるという。 日光市瀧尾神 社保存会蔵「稲荷大明神立像」の背面に「日光一山一百廿日山籠/(梵字) 稲荷 大明神/金峯笙窟圓空作之」の墨書銘があって、円空(寛永9(1632)年~元禄 8(1695)年)が笙窟で修業したのは延宝3(1675)年とされるから、それに近い時 期の作と考えられ、輪王寺にも4躯が確認されている。 神像は円空の初期に つくられたという。 図録には、埼玉の作品には初期のものはなく、円空が関 東を訪れたと考えられる時期を外れるものはないようである、しかし、それが いつごろで期間がどのくらいかを限定するのは困難である、とも書かれていて、 何が何だかわからなくなる。

 もう一つ、埼玉県東部の低地は、水害等の被害の多かった地域であり、建物 の古材を活用したと考えられるものの多い円空の作品は、古い堂宇が水害や火 災で失われた際に、かろうじて残った材で復興を願って造像したというような ことがあったかもしれないという。

 展示を見て、解説を読み、教わるところが多かった。 (1)あらためて、円空 仏の「笑い」の魅力。 (2)杉や檜、桐などの丸材を二つ割にして、木表側に彫 刻し、背面は割り放ったままにする作り方。 四つ割にして、割り放ち面に彫刻 する作り方。 (3)ときどき使われる渦巻状の「雲」文は、来迎の図や像で見ら れる、仏が人を救いに来る飛雲と考えられること。 (4)まず「同じものはない」 こと。 頭の上には頂蓮、頭髪は逆立てたり松笠状や肉髻(にっけい)、顔には 特徴ある三角形の鼻、歯牙、手には羂索、宝剣(鍔あり、鍔なし)、宝珠、宝瓶、 宝塔、薬壺、水瓶、錫杖、金剛棒などを持つ。

 さいたま市砂観音堂の「観音菩薩立像」高さ113.8センチ、「菩薩形立像」高 さ94.2センチは、かつてはお堂に自由に出入りする子供たちの遊び道具だった ため、表面の摩耗が激しく、後者などは顔の表情がまったく失われている。 彫 った総数12万体といわれる円空仏が、いかに身近で、親しまれていたかを示 す、一つの証左かと思われた。