一朝の「芝居の喧嘩」後半2012/08/01 00:28

 一朝は、二ッ目の頃、十年くらい歌舞伎座の笛を吹いていて、六代目の歌右 衛門、成駒屋さんに褒められて、ご祝儀をもらったことがある。 枝折戸を開 けると、二間の楽屋、(女形の調子で)「はい、ご苦労様」と言われた。 落語 の仕事があって、三日休んだ。 また呼ばれて、「あーた、休んじゃあ駄目よ」 と。 プロンプターがつくことがある。 あれは歌っちゃあいけない、棒読み でないと、聞き取りにくい。 耳が遠くなって、「エッ」と聞き返すので、無線 を使った。 カツラから耳にイヤホーンを通す。 国立大劇場で、裏の隼町の 通りを通過中のパトカーが、桜田門の本庁に連絡した無線が入った。 舞台で、 「了解、了解!」 

 かみさんの父が先代の片岡市蔵、片市という役者だった。 鈴本の帰りに私 が荷物を持ち、かみさんと湯島の実家へ行く途中で会った。 「バカヤロ、亭 主に荷物を持たすんじゃない」と、娘を怒鳴った。 自分は手に鍋を提げてい て、豆腐を買いに行かされる途中だった。 説得力のない小言だった。

 市郎兵衛さん、付き合ってもらいたい所がある。 相撲か、芝居。 相撲は 全勝同士29年ぶりの対決、鬼熊と川魚(かわざかな)、鬼熊は何場所も大関を 務め、ぶちかます、川魚は古いのに当たると怖い。 小が大を投げ飛ばすこと が、たまにあって面白い。 芝居はいい、女形もいいが、まわりにもいい女が 来る。 悪い野郎がやっつけられるところがいい。 二人は、山村座に出かけ る。

 混んでくると、御膝送りを願います、と若い衆。 桟敷で、前につめさせ、 「半畳改め」をする。 半畳という敷き物が、半券代わり。 「でんぼう(伝 法)」だ、顔パスや楽屋から入る、花道の七三に唐桟の着物の男、半畳は端(は な)からない。 出てってくれ、「でんぼう」だ、張り倒せ。 芝居小屋の若い 連中が、皆でそいつをボコボコにする。 そこへお茶子が半畳を持って来た。  ちゃんと払っていたのだ。 雷の重吾、町奴・幡随院長兵衛の子分だという。  そこに町奴と対立している旗本奴・白柄組(しらつかぐみ)水野十郎左衛門の 四天王の一人、金時金兵衛がいたので、揉め事が大きくなる。 いろんな子分 の名前を挙げ、長兵衛、十郎左衛門で、血の雨が降る。 続きは、また。 と、 講釈の「切れ場」で終わる。

歌武蔵の「馬のす」2012/08/02 02:02

 歌武蔵、最近はやらなくなったかと思っていた「只今の協議についてご説明」 と「本名は松井秀樹」をやり、落語研究会では言わなくていいと言われそうだ が、言わないと後が出て来ないと、言い訳した。 松井の方もいろいろあって、 と戦力外通告をほのめかし、あとで相撲にも言及したからだろう。

 一昨年、イベントの企画会社から初めて電話があって、再来年の春のスケジ ュールが空いているか、落語か、司会か、余興か未定だが、と。 空いている けど何かと聞くと、世界一の自立塔のオープニングのイベントで、634メート ルと歌武蔵のムサシが一致するからという。 いずれ連絡するというので、名 誉なことだと喜んだ。 今年5月22日開業したけれど、いまだに連絡が来な い(拍手)、拍手するところじゃない。 どうしたんでしょうね。 当日は雨、 万歳、ざまあみろ、料簡の狭い男だけれど、東京タワーに登って万歳をした、 空いていて東京スカイツリーがよく見えた。

 お楽しみの一つに、釣りがある。 大物狙い、数・量狙い、穴場好き、とい ろいろだ。 一人も釣っていない場所、入れパクだろうと糸を垂らす。 二時 間、ピクッとも来ない。 近所の人が、釣れますかと聞き、そうでしょう、ゆ んべの雨で出来た水溜りだから…。

 ご夫婦の釣り。 初めての奥さん、ビギナーズラックか、よくかかる。 浮 子が沈むので、上げようとすると、魚が顔を出したところで、ポチャンと逃げ られる。 その繰り返し。 水の中。 ハヤちゃん、危ないじゃないか、その 内、針にかかって、釣り上げられるぞ。 面白いんだ、あの女、穿いてないん だ。

 道具箱出せ、源ちゃんが(魚が)来てるっていうんだ、仕事は帰ってからす ると、亭主。 台所で、枝豆を茹でていたかみさんが、道具箱を出す。 仕掛 けをつくるが、テグス(天蚕糸)がむれて、腰が出ているので、切れてしまう。  ちょうど家の出入り口に馬をつないだ奴がいる。 そうだと、その馬の尻尾の 毛を、テグスの代りに四、五本抜いた。

 迎えに来た男、話を聞いて、お前に会わなかったことにしてくれ、かかわり たくない、ごめん、アバヨ、と。 馬の尻尾の毛を抜くと、大変なことになる、 おれもタダで教わったわけじゃない。 男は、かみさんが一升瓶二本買って来 たのを見ていた。 枝豆で、酒をのませることになる。 聞くは一時の恥、聞 かずはマツタケの恥。

 おかみさん、いただきます。 いい酒だ、べとつくようだ。 枝豆までつい て、フッフッフッ、ツッツッツッ、ペチャペチャペチャ、茹で加減、塩の塩梅 がいい。 両手でフッフッフッ、あと引くね、止まんなくなっちゃう。 今場 所は、誰が優勝するかね。 外国人力士が多い。 四股名をつける親方の頭の 中は漢字ばかり、どうしても田舎の暴走族みたいな名前になっちゃう。 初め てアフリカ出身の力士がエジプトから来た、五月場所序の口優勝した大砂嵐、 親方の程度が知れる。 俺なら、ナイル川、クフ王、ムバラクとか付ける。 臥 牙丸というのも、ひどいね、新発売の焼酎のようだ。 新十両の阿夢羅(アム ール)、今どき新小岩のスナックにもないよ。 阿覧(アラン)、幕内になった からよかった、序二段で逃げれば、アラン・ドロン。

 もう少しで、お酒、お仕舞いだ。 あとは枝豆だ。 フッフッフッ、ツッツ ッツッ、ペチャペチャペチャ。 これは殻だ、殻をこっちの皿へ戻す。 ごっ そうさん。 それで、馬の尻尾の毛を抜くと、どうなるんだい? お待たせし たね。 馬の尻尾の毛を抜くとね。 うん。 馬が、痛がるんだよ。

市馬の「船徳」2012/08/03 03:53

 私は市馬の「船徳」を楽しみにしていた。 先日聴いて感心しなかった立川 談慶(7. 24.「立川談慶 霞が関独演会」)と、どこが違うか、見極めたかった からだ。

 トリらしく黒紋付の羽織、黒っぽい着物で出た市馬、〈親の脛齧る息子の歯の 白さ〉という川柳から入った。 「戒めの勘当」と「久離(きゅうり)切って の勘当」があり、お父っつあんの贔屓にしている船宿の二階に居候しているな んぞは前者、倅は親の気持がよくわかっている。 船宿の親方が、考え方が落 ち付いたかと聞くと、船頭になりたい、女たちに様子がいいねと言われたい、 と。 その料簡が間違っているけれど、言い出したら聞かないところは、大旦 那にそっくりだ。 みんな集めてパァーッと散財し、お披露目をしたい。 寄 席の真打披露じゃないんだから。

 親方に呼ばれた船頭たち、小言かと、前もって二件白状して、ちっとも知ら なかった、と言われる。 じゃあ、おかみさんが行水している所を、みんなで 覗いた、というのが市馬らしい。 ここで私も白状しておくが、談慶をくさし て「女中のお竹が、河岸にいる船頭の熊や八を呼びに行くところ、お竹が初め 男に見えた」と書いた。 先の文楽が演じたのを書いた安藤鶴夫さんの『わが 落語鑑賞』を見たら、竹は船頭で「掃除をしたり、飯の火を焚きつけたり、使 い走りに使われて、まだ本格の船頭にはなっていない若い者」とあった(申し 訳ない)。 ただ、最近は女中で演っているようで、市馬も「女中も古くなると アダ(仇)していけねえ」と言っていた。

 四万六千日様、暑さの天井みたいな日。 船宿・大桝(市馬は「だいます」、 上の本は「おおます」)が贔屓の人と、太って舟は嫌いな連れが、若旦那の舟に 乗ることになる。 おかみは「ほんとに行くのね。もういけないと思ったら、 ご自分だけ助かって下さい」と、客にではなく、若旦那に言う。 「腰を張っ て、ぐっと」と、声もかけるが、舟はまだ舫ってあった。 あー、出た。 竿 を頭の上で、相撲の弓取り式みたいに振るものだから、雫が客にかかる。 そ の竿を流してしまって、艪(ろ)のあることを客に教わり、私には艪という強 い味方があった、と。

 艪に替えて、やや落ち着き、唄を歌う。 これは文楽にはなかった。 〈夏 の納涼(すずみ)は両国の 出船、入船、屋形船〉 船頭さん、幾つになるん だい? 〈揚る流星 星降り(くだり)〉 幾つになるんだい? 〈玉屋が取り 持つ 縁かいな〉 二十四です。 歌い切ったね。

 それからのドタバタは、ご存知の通り、市馬は明るく愉快に聴かせたのだっ た。

ケア・マネージャーという仕事2012/08/04 00:57

 ひと月ほど前、NHKだったか、民放だったか、はっきりしないのだが、ニ ュースの中の特集で見たのだった。 病院が長期の入院を避けるため、どんど ん患者を退院させる話だった。 末期のガンであったか、ひとり暮しのその人 は、自宅であるアパートに帰り、ケア・マネージャーという女性の立てた計画 に従い、交代でやって来る訪問ヘルパーに介護されながら、その後の日々を過 ごすことになる。 ケア・マネージャーも介護の人も、とても親切でよくして くれるのだが、当然、入院中のような治療やケアを受けられないから、しだい に痩せて、衰えて行き、ついにはある日ヘルパーが訪問したら、亡くなってい た。 身寄りのない、その人を御骨にして弔うところまで、民生委員のような 人とケア・マネージャーが面倒を見るのであった。 たいへんな仕事をよくや る、親切なものだと思った。

 ケア・マネージャーについて、そんな知識があったところで、山田太一さん の『空也上人がいた』(朝日新聞出版)を読んだ。 ケア・マネージャーの重光 さんは、四十半ばの女性。 中津草介は二十七歳、ヘルパー2級の資格をとっ て、特養、特別養護老人ホームに二年四ヶ月勤めていたが、ある事があって辞 めたばかりだ。 重光さんは、紹介したい仕事があると、草介のアパートまで 来た。 「介護保険とは関係なく、八十一歳の男性で、持ち家で独り住い。車 椅子だけど、認知症はなし、トイレは自分で出来て、お風呂は浴槽の出入りに 介助があればあとは自分で出来る。洗濯機は全自動。通いでいい。月二十五万」  食事や買い物や掃除は、して貰う、一緒に食べてもいいし、若い人向きに別に つくってもいい、あと週一回病院へのリハビリ通いにタクシー呼んで付き添う だけ。 まだなんかありそうだけど、と思うけれど、重光さんは「でも四十人 を二人でみる夜勤はない。オムツもない。食べさせる手間もない。徘徊もない。 怒り狂って叫び続けるおばあさんもいない」と言う。

 翌日の午後、草介と待ち合わせ、その吉崎征次郎さんの家へ連れて行った重 光さんは、途中で人使いの荒い老人が出て来る落語の『化物使い』の話を楽し そうにして、曲がるところを行きすぎた。 「笑っちゃうね」と言い、その訳 を「いっちゃうね」と話す。 「さっき駅で後ろから声をかけられて振りかえ ったときから変になっちゃったの。冗談みたいだけど、舞上がっちゃった。こ れって私の気持がどうの心理がどうのということじゃないのよ。まったく生理 的動物的な反応で、信じられないでしょうけど、若い男と待ち合わせて二人で 歩いているというだけで、うわずっているの。」

京都六道の辻に『空也上人がいた』2012/08/05 01:25

 中津草介は、吉崎征次郎さんの家に通うことになった。 初日の朝、吉崎さ んはコーヒーを淹れて待っていた。 昼は洋食のデリバリイが手配してあり、 骨付きのとり肉と野菜を煮込んだ葡萄入りの土鍋、フランスパンにサラダやシ ャーベットもついていて、うまかった。 夜はうな重、麻布のなんとかって店 の、冷めないようにお湯の入ったケースの出前。 翌日の昼は鴨料理、夜は寿 司だった。 三人前、吉崎さんは一人前の半分も食べないので、ほとんどを草 介が食べた。 「おいしいですねえ」と三度か四度いっただけだが、心では「な んなんだ、これは。米がちがう、酢がちがう、ネタがちがう」と叫んでいた。  こんなうまいものがあるのか。 これが同じうなぎか、これが同じ寿司か、 と人にはいえない驚きが認めたくないがかけめぐっているのだった。

 どうして、あんたに来て貰ったか、その趣旨を話さなければいけなかった。  重光さんに話をきいた。 特養ホームの廊下で、押していた車椅子からばあさ んが飛び出して、床に転がった。 あんたは責任をとって辞めるといい出した。  六日後にばあさんが死んだ。 痛々しい話だ、その青年をいたわりたいと思っ た。 二十代の青年が老婆とはいえ異性の排泄物の始末と尻と性器の汚れを拭 きとるのが一日の大きな仕事で、その上食べさせて風呂に入れて寝かせて、認 知症ばかりで気持の交流はほとんどないというのはすさまじいと思った。 感 情だよ。 我儘だ。 ただその青年に楽をさせたいと思った。

 「キレたんだよね」と、吉崎さんはいった。 「あんたがさ。キレてばあさ んをほうり出した。ちがうか?」 「知りません」としか、草介には言葉が出 なかった。

 病院のリハビリの帰り、池袋のデパートで、吉崎さんは無理やり草介にブラ ンドもののブレザーとシャツとズボンと靴を買ってくれた。 三日後、草介は それを身につけて、吉崎さんの代りに京都へ向かった。 それも「私が乗るん だ」というので、グリーン車で。 用件は携帯で指示するという。 六波羅密 寺にお参りし、宝蔵館へ行かせられる。 空也上人の木彫をあんたに見せたか った、というのだ。 ひとりよがりの好意と金に振り回されて、はるばる身に つかないブランドのブレザーを着てひらひら来ていることが情けなかった。  係の人に言われ、しゃがんで空也上人を見上げると、目が光った。

 草介はうろたえて、五条の橋の上から重光さんに電話し、仏教かなんかで救 ってやろうと思っているんです、あの人から降ります、と言う。 帰るとアパ ートに重光さんがやって来た。 目なのだ。 不意打ちだった。 あんなかた ちでまた人の目を見るとは思わなかった。 草介が泣くと、重光さんは「男が 泣くな」といった。 蓮見さんが車椅子から飛び出したのは、吉崎さんも察し た通り、オレがほうり出したからです。 ベッドに運んで、意識の戻った蓮見 さんに謝り、なんともなくて、ほんとによかった、といった。 蓮見さんがオ レを見ていた。 その目がものすごくまともだった。 絶対に認知症ではなか った。 深い目だった。 蓮見さんは死んだ。 仕事は辞めた。 終ったと思 っていた。 それが、いきなり空也上人の目を見せられるとは思わなかった。

(<小人閑居日記 2011. 8. 10.>に、「浄土教の先駆者」空也メモ、というの を書いていた。)