便座に漏らした芭蕉の秘密2012/09/12 01:19

 和歌は貴く俳諧はてんで通俗で、「蛙」といえば、「鳴くもの」という和歌の 取り決めに縛られていた俳諧を、「水に飛び込む」音を扱って新しみを出し、和 歌と肩を並べるところまでエイと引き上げた、古池の蛙から三年。

 二十五景「北の空、遥けく思いやりて」は、四十六歳。 この三年間の『鹿 島詣』、『笈の小文』、『更科紀行』の三旅では、名声を得て、各地に門弟たちも 多く、どこでも手厚いもてなし御馳走攻めで、それが芭蕉には気に入らない。  便座にしゃがみ、「便座よ、便座。 おまえだけは知っているね、わたしの秘密 を。 わたしが去年から魚をはじめとする御馳走の類を一片(ひときれ)も口 にしていないことを」。 芭蕉が御馳走攻めにおごった口を粗食に慣れさせよう としているのは、今度、門弟や知人のいない北の国へ旅立とうとしているから だった。 かつて能因や西行や宗祇が訪ね歩いた、陸奥や出羽や北陸道の歌枕 の地を行脚して、「松島の月を仰ぎ、象潟に舟を浮べて、自然の美しい景色を眺 めることをとおしてこの宇宙を造った宇宙意志の御技をほめたたえたい。

 そしてなによりもまず、こもをかぶって野宿して、安々穏々(アンアンノン ノン)ぬくぬくでれでれのこの「ばせを」が性根を叩き直したいのだ。 便座 よ、便座。 おまえは知るまい、わたしの秘密を。 このところのわたしの俳 諧にはなんとなく誠(まこと)がこもっていないという恐ろしい事実をおまえ は知るまい。 おまえだけに打ち明けるが、わたしは現実の世界にまだ片足を のこしているのだ。 何の役にも立たぬ俳諧という絵空事に、まだ全身をあず けていない。 自分では、全部をあずけているつもりだが、どうもまだあずけ 方が徹底していないらしい。 これ、他人(ひと)に云うなよ。 この上は絵 空事に狂いに狂って狂い狂わなければだめだ。 こっちが絵空事に取り憑くか、 絵空事がこっちに取り憑くか、まあ、どっちでもいいんだが、とにかくそのた めにわたしは北に行く。」

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