井上ひさし『芭蕉通夜舟』竿の滴2012/09/13 02:13

 井上ひさし作『芭蕉通夜舟』から感じるところのあった科白や朗誦を、抜書 きしておく。  第十景「秋の月」、「なぜ月はあんなにも美しいのだろう。 なぜだ? たぶ ん、月に持主がいないからだろう。(大きく頷いて) 日本橋の越後屋両替店の 主人のような大分限者でも、加賀百万石のお殿様でも、あの月を己(おの)が ものにすることはできない。 つきつめていえば、月はすべての人のものだか ら美しいのだ。」

 第十一景「冬の雪」、「なぜ雪はこんなにも美しいのだろう。 なぜだ? 雪 というものがすぐに消えるものだからではないのか。(中略) つきつめていえ ば、無常なるもの、はかないものはすべて美しいのだ。 いや、はかないもの を美しいと思わなければ人間は生きて行くことができないのではないか。 と いうのは、その無常ではかないものの代表が人間なのだが……。」

 第十二景「花の春」、「花は散るから美しい。(中略) 銭はじきになくなって しまうから貴い。 つかってもなくならない銭があるとしたら、あ、それは便 利だろうな。」

 第二十二景「錆鰯(さびいわし)」、「そのものの時めくさまがおさまって光が くすんでさびしい感じがしはじめたころ、つまり、さびかかったときを捉えて 詠む、それが俳諧師の仕事です。 そしてその<さび>という時に立って、そ のものの時めいている過去と、もう滅ぶしかない未来とを同時に匂わせるので す。 しかもそれをたったの十七文字でやってのけようとして、わたしたちは 骨身を削るのです。」

 第三十三景「梅の香」、『奥の細道』の旅から二年半ぶりに江戸に帰着した芭 蕉、明けて四十九歳の春。 朗誦「かるみ。 こころを常に高く保ちながら、 創作の現場では俗な題材を俗語で詠む。 これがかるみ。 すばらしい方法論 です。」 「しかし人びとは、これをただ俗っぽく詠めばいいのだと受けとめ、 こころを高く保つというところへは少しも関心を向けようとしませんでした。」  「こっけい。 俳諧はもともと滑稽が値打ち。 とかくすると滑稽味をどこか に置き忘れ、いかにも鹿爪らしく恰好をつけたがる作者たちへの、これはまこ とに有益な警告でした。 「しかし、人びとは詩人の唱える〈こっけい〉を、 ただ悪ふざけをすればいいのだと理解したようです。」 「新しみ。 よき伝統 はしっかりと受けつぐ。 その上で身軽に、しかし命がけで、新たなる冒険に 挑戦しつづける。 新しみを責めて、攻めて、せめぬく。 この気迫だけが傑 作、名作を生むのであります。」 「ところが人びとはこれを「目先きを変えれ ばいいんだな」と合点したようです。」

 第三十六景「通夜舟」、船頭が仲間内での前句付の点者、伏見の川宿の番頭さ んに教わったと話す「俳諧の“こつ”」。 「俗っぽく、ちょいとふざけて、目 先もかえての、この三つだよ」