竹森俊平教授の「失われた20年 政治の責任」2012/09/15 02:02

 「日暮れて、道遠し 日本の現状」という講演を聴いて思い出したのは、竹 森俊平慶應義塾大学教授の「失われた20年 政治の責任」という朝日新聞のイ ンタビュー記事だった(5月10日朝刊オピニオン面)。 バブル崩壊後、政治 が決めるべき時に決めず、問題が先送りされて財政は巨額の借金を積み上げた。  日本経済はデフレから脱却できない。 「失われた20年」を招いた政治の責 任をどうみるか、を明快に述べ、その失敗を記憶し、それに学んで、同じ失敗 を繰り返さないようにしようという意見だった。

 竹森教授は、大事な局面での政治の失敗が痛かったとして、特に1997(平成 9)年と2005(平成17)年がカギだったとする。 さらにさかのぼれば、バブ ルが崩壊した後の不良債権処理問題への対応がお粗末だった。 政治の責任と して大きいのは、銀行が不動産投資の別動隊として使った住宅金融専門会社(住 専)を最初に公的資金で救済する対象にしたことだ。 自民党の集票基盤だっ た農協が住専に多額の資金を貸していたから、住専を助けた。 それが国民の 反発を買い、本丸である銀行本体への公的資金の導入が難しくなって、97年の 金融危機につながった。

 1997年は、橋本龍太郎首相の消費増税と金融危機の年として記憶される。  最大の失敗は、97年11月の三洋証券の破綻の際、短期金融市場で債務不履行 (デフォルト)を起こしたことだ。 それがきっかけとなって銀行間の取引が フリーズし、北海道拓殖銀行や山一証券も資金繰りが回らなくなった。 金融 取引から信用が失われる恐ろしさを、政治家が知らなかったのが致命傷だった。  政治の側に、安全管理の構想が欠けていた。 原子力行政と同じだ。 たしか に消費増税のタイミングは悪かったが、三洋のデフォルトがなければ、増税だ けでは経済への大打撃にはならなかったかもしれない。

 2005年は、小泉純一郎首相の時代、郵政選挙で自民党が圧勝し、衆参両院で 安定勢力を得た。 景気もよかったし、消費増税の絶好の機会だったのに、財 政の長期的な方針が議論されず、増税の道筋もつけられず、年金給付や医療費 を抑える簡便策をとっただけだった。 失政だったと、竹森教授は断ずる。

 国債金利が成長率を上回る限り、政府債務残高と国内総生産(GDP)の比率 は(いまの日本の比率は2)上昇し続ける。 過去20年間の平均で金利は成長 を2%幅上回っている。 比率の上昇をとめ、財政を持続可能にするには、国 債の利払いや償還費を除いた基礎的財政収支の黒字化が必要だ。

 つまり日本には、増税で財政を持続可能にするか、いずれデフォルトするか の選択しかない。 しかしデフォルトすると、国債を抱えている銀行は破綻し、 国の信用は消えてしまう。 という議論で、竹森教授は増税の選択を勧めるわ けだが、「増税より成長をめざすべきだ」という反対意見についての見解は、ま た明日。