東北ゆかりの人物が活躍する願望の物語2012/10/11 02:07

 『尼公物語』には、『丸山物語』という続編がある。 平泉へ落ち延びた義経 主従は藤原秀衡にかくまわれたが、秀衡の死後、その子泰衡らは父の遺言に背 き、頼朝を恐れてその命に従い、義経を高館に打つ。 義経の係累ということ で、信夫の里の佐藤兄弟の遺児、吉信、義忠にも、討手が向かう。 二人は奮 戦するが生け捕られて、鎌倉に護送される。 頼朝は二人の器量を見て、臣下 になるよう勧める。 二人は義経を主君としているから二君には仕えられない と一旦は断るが、藤原泰衡らを義経の敵として討つことを許してくれるなら、 仕えてもよいと訴える。 頼朝はその望みを許し、奥州に軍勢を送る。 二人 は奥州征伐で手柄をあげたので、頼朝から吉信は出羽を、義忠は越後を所領と して与えられ、めでたく所知入りをする。

 史実を離れたまったくの虚構、あり得ないストーリーではあるが、義経に仕 えた佐藤兄弟の遺児たちが義経の敵を討つという物語は、当時の人々の願望を 表わしているようで興味深い。 また、鎌倉方に与して義経を討った藤原泰衡 らが、なぜ頼朝に討たれてしまったのかという説明にもなっている。

 福島県福島市飯坂温泉に、医王寺という真言宗豊山派の寺がある。 佐藤家 の菩提寺で、佐藤兄弟及びその父の墓があるほか、『おくのほそ道』に出て来る 「弁慶の笈」や、義経の直垂(ひたたれ)の切れなどの遺品を所蔵しており、 芭蕉の句碑もある。 医王寺前面の小山は「大鳥山城址」で、佐藤庄司の城郭 (芭蕉の丸山)の跡とされる。

 物語の流行が、史跡を有名にし、さらに新しい「遺跡」や「遺物」を生むと いう循環が生じる。 物語的な想像力は、「ありえた歴史」「そうあってほしか った歴史」への願望を包み込んでいる。

 東北地方は、独立した文化圏として、中央からの情報を受け入れるだけでな く、独自の情報発信力を持っており、域内に固有の文化を育てていた。 そこ で語られ、読み継がれた物語は、東北を舞台にしていたり、東北にゆかりのあ る人物が活躍したりする物語を中心としている。 そこでは人間の世界と、想 像の世界が近い所にあり、物語と歴史の興味深い関係がみられる。