福沢と漱石の「苦と楽」2012/10/14 00:33

 ロバート・キャンベルさんは、『福翁自伝』に書かれた福沢の「苦と楽」の問 題を、同時代に即して読もうと試みる。 私に理解出来たか、はなはだ怪しい が、書いておく。

福沢は『自伝』の「大阪書生の特色」の中で、こんなことを書いている。 江 戸では、幕府を始め諸藩の屋敷があって、西洋の新技術への需要があるから、 蘭学書生は生計の道に近い。 それにひきかえ大阪は、町人の世界で、緒方の 書生が幾年勉強して何程エライ学者になっても、とんと実際の仕事に縁がない、 即ち衣食に縁がない。 しかし、当時の書生の心の底を叩いて見れば、自ずか ら楽しみがある。 西洋日進の書を読むことは日本国中の人には出来ない事だ が、自分達の仲間に限ってこんな事が出来る。 貧乏をしても、難渋をしても、 智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ難 しければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境涯であった。

福沢は、極として苦と楽を切り離して見ているのではない。 (祖父が言っ ていた?)諺に、“Every cloud has a silver lining.”(「暗い雲にも『銀の裏 張り』がある。」)というのがある。 不幸の中にも、幸福の「種」、進歩するき っかけを見出している。

 夏目漱石の『草枕』、「世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知つ た。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度影がさすと悟つ た。三十年の今日はかう思ふて居る。――喜びの深きとき憂愈(うれひいよい よ)深く、楽(し)みの大いなる程苦しみも大きい。之を切り放さうとすると 身が持たぬ。片付けやうとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖え れば寝る間も心配だらう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔が かへつて恋しかろ。閣僚の肩は数百萬人の足を支へて居る。背中には重い天下 がおぶさつて居る。うまい物も食はねば惜しい。少し食へば飽き足らぬ。存分 食へばあとが不愉快だ。……」というひねくれた人。 嬉しいのか悲しいのか、 はっきりしろ、といいたくなるが、苦楽が一点としてあるのではない。 二つ の極の間を往還するバランスの中で、どこに置くが人生、社会へのまなざし。  ロンドン留学中のノートは、講義ごとでなく、関心の主題ごとに書かれていて、 その一冊に“Pain and Pleasure”(苦と楽)というのがある。

 沢庵禅師の『玲瓏随筆』に、楽には上中下のランクがあるという記述がある。  上位の「楽」…「苦も楽もなきことを上とする」。 下位の「楽」…「足るを知 ることを下とす」。 中位の「楽」…寝るほど楽はなし、とはいうものの、朝か ら晩まで寝ていても「すなわち苦なり」。 「中を得るときは、即ち是れ真の楽 なり」。 西洋の功利主義思想の世界観とは、根本的に違う。