歌武蔵の「もう半分」2014/07/01 06:33

歌武蔵は、一席おつきあいを願っておきます、と始めた。 煮売りの居酒屋、 あるのは香のものばかり。 五郎八茶碗、一杯八文。 暑いな、蒸してきたな、 雨も降ってきやがったぜ。 おっかあ、雨だよ、もう客も来ないだろう、お前 も一杯やったらどうだ。 そこへ六十一、二の爺さん、色の浅黒い、目のギョ ロリとした、鼻筋の通った、黄色い歯が二、三本のぞかせ、つぎはぎだらけの 着物を着て、まだ、よろしゅうございますか。 半分、頂きたい。 頂戴しま す、旨い。 極楽といえば、この時ばかり。 もう半分、頂きたい。 こちら の酒はおいしい。 もう半分。 父っつあん、今日は荷がないね、休みかい。  もう半分。 冬瓜煮たのがあるがどうかね、客に出すんじゃない、父っつあん の歯でも大丈夫だ。 頂きます、商売冥利で。 お鳥目は、いつもと同じで。  もう半分。 今夜はずいぶんいくんだな。 いい心持になりました。

何だ、父っつあん、忘れ物していきやがった。 また明日か、明後日来るだ ろう。 汚たねえ包みだな。 重いな、金が入っているぞ、五十両じゃないか。  届けるか。 お待ちよ。

こんばんは、恐れ入りますが、開けて下さい。 包みがありませんでしたで しょうか。 見なかったな。 包みは、見なかったね。 大事な金なので、自 身番に届けねばなりませんが。 何だネコババしてるように聞こえるじゃない か。 耳を揃えて五十両ありました。 ゆすりに来やがったね。 一日、四十 文の上がりしかないんだ、家探ししてもらってもかまわない。

訳を話します、私は深川で青物問屋をしていましたが、後引き上戸で身を持 ち崩し、昨年女房が病みついた。 十九になる娘が、女房の連れ子なんだが、 私がなんとかする、吉原に売ってもらいたい、と。 娘の心根に、仲之町の朝 日丸屋さんが百両、諸費引かれて五十両出してくれた。 あれがないと、娘に 合わせる顔がない。

死んでもらうしかないね。 ここまで来たんだ、お前さんも腹を決めたらど うだ。 出刃を腹に仕込んで、大川端を追いかけ、ようやく追いつく。 ちょ いと話があって、追いかけてきた。 金はあったぜ、これじゃあないのか、と 出刃を後ろから浴びせ、馬乗りになって刺し、五十両を命もろとも奪い取った。

本所相生町に、居酒屋を開くと、客がおしかけて繁昌、若いのが四、五人、 番頭が一人、店をまかせて夫婦は物見遊山にも出られるようになった。 女房 が身籠って、月が満ち、オギャアと生れた。 産婆が、男の赤さんで。 大き くなれば、顔も変わりますよ。 夫が顔を見ると、色の浅黒い、目のギョロリ とした、鼻筋の通った、黄色い歯を二、三本のぞかせ、ニヤッと笑った。 こ いつ、は。 私にも見せておくれ。 大きくなれば、顔も変わるよ。 ギャー ーッ!! 医者を呼んだが、女房はそのまま亡くなった。 因縁は、怖い。

乳母を、口入屋に頼むのだが、明くる日になると、お暇を、と。 給金は倍 出す、物怖じしない人を頼む。 それも、明くる日になると、お暇を。 無理 矢理聞くと、旦那さんはご存知ないのですか、あの赤さん、夜中に立ち上がる んでございます。 そして行灯の油を飲む。 小遣いをやるから、もう一晩い てくれ。 本当だったら、暇をやる。 隣座敷で、様子を見ているから。

四つ(午後十時頃)、あんまの笛、犬の声が聞こえるだけ。 九つ(十二時)、 八つ(午前二時)丑三つ時、回向院の鐘が鳴ると、赤ん坊が起き上がり、お盆 の上の茶碗に行灯の油をさすと、ゴクリゴクリ。 爺イ、化けたな。 もう、 半分。

 歌武蔵、このところ進境著しい。 文字通り、どっしりと重量感を増した。  私は縁があって、歌武蔵に厳しかったが、調べてみると2010年6月の「鹿政 談」あたりから、ほめるようになっていたのは、嬉しい。 2011年2月「植木 屋娘」、10月の「らくだ」は抜群、昨年5月の「五貫裁き」と来ている。

白酒の「喧嘩長屋」2014/07/02 06:32

 見回して、満席といっても過言ではない。 様変わり、入門した頃は、どん 底だった。 大劇場に入るふりして、小劇場に入ったりした。 今は、落語が 好きというと、素敵ね、と言われる(それほどでもないか)。 立見も出て、夢 のよう。 寄席の満席など、見たことがなかった。 今、完売御礼が出る、出 さない会もあるけれど。 男女比が変った。 前は9割9分が男、女の人がい ても女もどき、男も思い詰めたような方ばかりで、死んだようだった。 今は 女性が6~7割、楽しみを他人に紹介したがる。 だまされたと思って、落語 に行ってみなさい、と。 中には、だまされたと思う人もいる、かもしれない けれど。 男の人は、俺だけの談志…、客は増えない。 大相撲も、遠藤など で大人気。 満員御礼の基準、9割5分だった(寄席の大入り袋と同じ)。 若 貴の時代からモンゴル相撲の時代へ。 ある時、7割5分に変った。 寄席は しっかり満員、立見の人が背伸びして覗くようにして見ている。 そんなにし て見るほどほどのことはやっていないが。 寄席とホール落語、特性が違う。  120%の満足度で、しばらく落語はいいね、となってはまずい。 まあまあだ ったが、明日も行くか、2割ほど不満を残す。 その加減が、難しい。

 目の前がやけに座高の高い人、アフロ・ヘアだったりする。 隣に、バカに 感心する方がいたり、自由だけれど。 高座から、荷物を探っている方が気に なる。 小分けしたビニール袋をガサガサやっていて、10分ぐらいかかって、 やっと見つけたのが、プログラム。 今から、読むか。 肘掛の取り合いをし ている。 0・5人前を譲り合えばいいのに、俺は両方と頑張る人がいて、けっ こう困る。 よくやるのが、二の腕を密着させ、じっとり。 じわじわ押す。  偶然を装って、陣地を取り戻す。 何で、こんなことで怒るのか、人間の面白 いところだ。

 「おい、おい」、呼んでんだろ。 アタシ?「おい」って名前じゃないよ。 お 光よ。 用はなかった。 用もないのに呼ばないでよ。 いいだろ、夫婦なん だから。 今日は蒸すね。 私のせい? 怒ってるのか。 怒ってないわよ、  何なの。 日本はどうなっちゃうんだろ。 知らないわよ、私にどうしろって いうの。 ハッ、ハッ、ハッ、ハックション、ショア、ショア。 ショア、シ ョアって、何よ。 気持がいいだろ。 聞いてるほうは、ムカムカすんの。 ハ ッ、ハッ、ハ! 何、今の? ちゃんと我慢してよ。 八つ当たりすんな、こん ちくしょう。 気持をぶつけているだけよ。 誰のおかげで、飯食っていると 思ってるんだ。 私が出れば、もっと稼げるんだ。 それを云っちゃあ、駄目 だ、張っ倒すぞ。 ぶってごらん。 バチン。 か弱い女に、何すんの。 バ チ、バチ、バシ、バシ…。

 八、俺だ(と大家が仲裁に入る)、お光さん、八公待て、手を下ろせ。 訳を 話しな。 何、クシャミがもとだと、馬鹿か、お前たちは。 八公、お前が我 慢しろ。 謝れ、悪うござんした、と。 何を、スケベ大家、女の肩ばかり持 ちやがって、ウチの女房に色目をつかいやがって。 誰が、こんなものに、色 目をつかうか。  こんなものとは、何だ。 バチ、バチ、バシ、バシ…。 大 家と八公が喧嘩になった、誰か仲人(ちゅうにん)に入ってやれ。

 おーおー、喧嘩はやーめてくーださい、私、アメリカの宣教師です。 こん ぐらかって、きやがった。 世界人類みな兄弟、イエス・キリストはおっしゃ いました、右の頬を打たれたら、左の頬を出せ、と。 殴ってもいいのか? OK、 殴って下さい。 バチ、バチ、バシ、バシ…。(右手で左手を叩く) これをや ると、手が痛くなる。

 どんどん、喧嘩が大きくなって、石原慎太郎、プーチン、習近平…、喧嘩好 きが続々と集まって来た。 長屋に入ろうとすると、入口に、「満員御礼」。

 白酒は、暗い噺の間にはさまって、短く軽い噺という得な役回りだったが、 爆笑、また爆笑。 頭の切れがいい。 大物になる予感がする。

正蔵の「たちきり」前半2014/07/03 06:35

 いやいや勉強のために、芸者遊びを浅草田圃の草津亭で、仲間四、五人でし てきた。 きれいなお姐さん方が入ってくると、わくわくする。 ずいぶん前 のお姐さんもいる。 小唄の先生は、八十歳。 二十歳が四ったり来たと思え ばいいという。 芸者遊びをして、ワーーッと、いなくなる。 持ち時間とい う、われわれの方は高座時間。 一座敷、二時間。 古くは、一本と言った。  線香が燃え尽きるまで。 一人前の芸者を一本、それになることを一本立ちと 言ったのは、ここから来ている。 ここが弟と違って、為になるところ。 (少 し痩せて、額が出ているので、親父の三平に似て来た)

 いいから、こっちに来な、貞吉。 下に集まって何を話している。 若旦那 に話しちゃあいけないと、言われているので。 番頭さんが五十銭くれた。 一 円やろう。 大旦那が、金食い虫が一人出来ました、どうしましょう。 横浜 の旦那、私が横浜へ連れて行って、居留地(イリュウチと言ったが、キョ)で 港の荷揚げ人夫にする。 桐生の伯母さん、山奥に連れて行く、お花という器 量の悪い娘がいる、牛を追う博労にすると、牛が怒って突き殺す。 木更津の 叔母さん、血をみるのはいや、鶴亀鶴亀、潮来に別荘があって、釣りをさせる。  嵐に壊れかかった舟で出すと、鮫の餌になる。 番頭、お金の有難さがわから ないんだから、乞食にしたらどうか。 五十銭銀貨の有難味もわからない。 そ れで、乞食に決まりました。

 若旦那は階段を降りて、怒鳴る。 番頭、お前は小僧の劫を経て番頭になっ たんだろう、奉公人のお前が跡取の私を乞食にするというのか、お前の言うこ とが聞けるか。 若旦那、お座り下さい、目上の方ばかりの席で。 これが何 か、おわかりですか。 ご当家で一番大切な、蔵の鍵です。 私がお預かりし ております、小僧の劫を経た番頭ですが…。 話をご存知で、願ったり叶った り、ここに乞食の仕度があります、お着替えなさい。 待ってくれ、乞食はい やだ。 ウソだよ、お前の言うこと、何でも聞く。

 では、百日の間、蔵住いをして頂きましょう。 三番蔵が、空いています。  小僧を一人つけます、風呂は行水で辛抱願います、蔵より一歩もお出ましはな りません。

 これには訳があった。 柳橋の亀清楼で芸者になったばかりの置屋わけたま きの小雪、その初心な芸者ぶりに、若旦那、すっかり燃えあがったのだった。

 番頭の書いた筋書き通りになった。 花色のすててこを穿いた、見るからに 粋筋の男が、若旦那様は、とやって来る。 お出かけで。 手紙を一つ、お渡 しを。 番頭は、抽斗(ひきだし)にしまった。 翌日の昼下がり、夕方、ま た朝と、どんどん手紙が来る。 ずーーっと続いていたが、八十日目にぴたり と止んだ。

 光陰矢の如し。 月日に関守なし。 若旦那、お早うございます。 番頭、 ご無沙汰だったな、今日は何の用だ。 蔵からお出ましを、百日経ちましてご ざいます。 手前のような奉公人の言うことを、よく聞いて下さいました。 蔵 の中にいて、心が落ち着いた、本を読んでもおナカに入る。 ぼんやりしてい ると、人の恩に気がつく。 自分のことがわかるようになった。 番頭さんの おかげだ。

正蔵の「たちきり」後半2014/07/04 06:30

 ご両親がお待ち兼ねです、お風呂にお入りになって、床屋も呼んでおります から。 手紙が来て、お預かりしております。 文遣いが行列して、小僧を一 人、係につけるほどでして。 八十日で来なくなりました。 百日来れば、大 旦那に申し上げようかと思っておりましたが…。 これが一番終いに来た手紙 です。 お読み下さい。 字は、乱れに乱れて、「今生にては、お目にかかれず 候、かしく」。 <釣り針のようなかしくで客を釣り>。

 湯島の天神様に願掛けをした、親に会う前にと願掛けしたので、御礼参りに 行きたい。 こざっぱりとしたなりで、小僧を一人供に付け、お賽銭お持ちを。  一丁過ぎると、パッと駆け出し、小僧をまいて、芸者置屋の前へ。

 誰かいるかい。 いらっしゃいまし。 会わせておくれ、小雪に。 おかあ さん、あの若旦那です。 おかあさん、ご無沙汰、一目でいいから会いたい。  小雪はいるかい。 ウチにおります、こちらへ。 仏壇だなんて、縁起でもな い。 位牌を見る、釈○○ 俗名 小雪。 嘘だろ。 何で死んだ、どうして死 んだ。 あなたが殺したと言いたくなる。 あの日も、若旦那とお芝居のお約 束で、寝ませんでした。 夜が明けたばかりからお化粧をして、着物を選んで。  でも、あなたのお見えがありません。 昼になって、母さん、私、若旦那にお 手紙書いてもいいかしらって…。 手紙、私、とめました。 色町から日本橋 の大店へ。 箱屋の辰っつあんが届けて。 毎日、毎日。 朋輩衆が私たちも 書くと、ずらずらと並んで、置屋が寺子屋のよう。 その内に、小雪、手紙 が書けなくなった。 誂えて下さった三味線が届きました。 若旦那と小雪の 紋が、比翼になっていて。 本調子、お仲が身体を支えて、一節しか弾けませ んでした。 百日の間、蔵の中に入れられていたんだ。

 今日は、ちょうど三七日(みなのか)の命日。 三味線をお供えしておくれ。  若旦那、お線香を。 一杯、召し上がって行って下さい。 どうぞ、一口。 朋 輩衆も、やって来る。 お母さん、遅くなりました。 小雪、もらうよ。  チントンシャン(三味線が鳴り出す)。 母さん、三味線が…。 一中節の紙 治(紙屋治兵衛、「小春髪結・黒髪」)だわ。 ♪さりとは狭きご料簡、死んで 花実が咲くかいな。 恋という字に、二つはない。 女房と名のつく者は、生 涯持ちやしない。 成仏しておくれ。 ピン(三味線の音が止む)。 小雪、小 雪、小雪……、もっと弾いておくれ。 若旦那、ちょうど線香がたちきれまし た。

 日頃正蔵に点の辛い友人も、感じ入ったようだった。 正蔵、古典落語路線 を押しに押して来たが、一定の境地に達したように思われた。

ドラマチックな柳原白蓮の生涯2014/07/05 06:08

 朝ドラ『花子とアン』に、蓮子(れんこ・仲間由紀恵)の名で登場している 柳原白蓮(びゃくれん)・燁子(あきこ)(1885(明治18)~1967(昭和42)) だが、その生涯は村岡花子よりずっとドラマチックだ。 朝ドラには向かない かもしれないけれど。

 「歌人。東京麻布生れ。伯爵柳原前光(さきみつ)の娘で、本名燁子、16歳 で華族女学校を中退し北小路資武(すけたけ)と結婚して一児をもうけるが離 婚。東洋英和女学校に学びながら、佐々木信綱主宰の短歌結社竹柏会(ちくは くかい)に入会し、『心の花』に短歌を発表。九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚 したが、夫との生活に満たされず、その胸中を歌に託し、1915(大正4)年歌 集『踏絵』を刊行。才と美貌を讃えられた。1921(大正10)年、社会運動家 の宮崎龍介と恋に落ち、東京に出奔すると同時に、夫に対する離縁状を新聞に 発表。世間の非難を浴びるとともに大正恋愛史を彩る存在になった。その後は 宮崎の労働運動を助けながら、歌や評論に活躍。」(『日本歴史大事典』)

 たまたま家内が友人から、2008・09年に開かれた『柳原白蓮展』の図録を 借りてきた。 副題は「愛を貫き、自らを生きた、白蓮のように」、朝日新聞社 の主催だった。 図録で知ったことを、いくつか書いておく。

 白蓮の父は伯爵柳原前光で、叔母にあたる愛子(なるこ)は大正天皇の生母 だったから、天皇の従妹にあたる。 生母は柳橋の芸者、奥津りょう、生後ま もなく柳原家に入籍する。 この生母りょうだが、父親は新見(しんみ)豊前 守正興、福沢が咸臨丸で随行した万延元(1860)年幕府初の遣米使節正使、外 国奉行であり、母親は徳川家祐筆大久保彦左衛門の家系だったという。 高級 幕臣の娘が、維新の瓦解で、芸者になっていたわけだ。

 宮崎龍介の父は、中国革命運動の援助者滔天(とうてん・1870~1922)、名 は虎蔵・寅蔵、熊本県生れ、孫文と深く交わり、その革命運動を支援した。 母 はツチ(槌子)、豪農前田案山子の三女で、二女卓子は夏目漱石の『草枕』のヒ ロイン那美さんのモデル。

 白蓮・燁子は、9歳で遠縁にあたる子爵北小路随光(よりみつ)の養女とな り、15(16)歳で三男資武と結婚して功光を産むが、どうしても夫になじむこ とが出来ず、家出のような形で5年後に離婚した。 父の前光は既に死去して おり、本邸に戻ることは許されず、母の隠居所に幽閉状態に置かれるが、入江 為守子爵に嫁いでいた姉の信子の助言もあって、1908(明治42)年、23歳で 東洋英和女学校5年に編入する。 生涯の友となる、15歳の村岡花子とクラス メートになるわけだ。

キリストのむすめとよばれほこりもて学びの庭にありしいくとせ