琉球国王の大和からの渡来説2015/01/08 06:35

 (5)為朝の琉球漂着渡来伝説。 保元の乱で破れた鎮西八郎為朝は伊豆大 島に流罪ののち、沖縄島の運天港に漂着。 そこで大里按司(あじ)の妹を娶 って男子、尊敦(そんとん)を儲ける。 この尊敦が琉球建国の始祖舜天王と なる。 琉球を日本の属国として位置付ける伝説。

 (6)場天ノロによる聞得大君大和漂流救助譚。 久高島に渡らんとして逆 風に遭い、大和の紀の国へ漂流漂着してしまった聞得大君を、「バテン巫」以下 女ばかりの三十七人の乗組員が救出したとする伝承。

 (7)名和(なわ)氏一族の渡琉。 類似する地名・一致する地名。 (肥 後)葦北郡佐敷(名和氏一族)――(薩摩)大隅郡伊座敷――(琉球)国頭間 切謝敷――(琉球)島尻方佐敷間切。 団体の移動・渡琉、第二尚氏となった という仮説。

 (8)尚思紹は尚思絽。 佐銘川大主(鮫川大主)――尚思絽(苗代大親) ――尚巴志。 苗代(佐敷の地名。名和四郎。)→尚思絽→尚思紹。 「尚思紹  ナホシロ 紹は絽の書き違ひかもしれぬ。支那で間違へて、さう書いて来たの が、すと決まつてしまふ。支那から尚思紹と書いてくれば、決まつてしまふ。 か紹か絽の過ちでないとは言へぬ。」(池田彌三郎筆記ノート)  この説は無理だと、評判が悪い。

 (9)「月しろ」という霊石。 「苗代之殿 [此殿ノ庭ニ月白ト云「イベ」 アリ] 佐敷村」(『琉球国由来記』巻13・277) 「苗代の庭に 月代は 手 摩て 月代す 成さい人思い 守りよわめ 又今日の良かる日に」(『おもろさ うし』巻19・1292)

 ○折口信夫の長編叙事詩「月しろの旗―藩王第一世 尚氏父子琉球入りの歌」。  「君こそは 沖縄(ウチナ)済す神。 沖縄神迎へのまにま はろばろに寄り 来し神 倭の若按司(ワカアルジ)神-。 威霊(セジ)高き君真物(キミマ モノ)-。 古阿摩美代(アマミヨ)の久しき時ゆ たかだかと 神待たしけ り。 然 妾も 我が神の さとします旨により、 処女子の、貴夫(サト) 待つほどの とゞと鳴る胸膈(ムナド)かき擁き、 今日七日 迎へぞ待ちし -」 (「場天巫女司」) 琉球国王の大和からの渡来説に、情熱を傾けた。

 「ともかく中世・近代に北から来たものは僧や商人ばかりでなく、新地を求 める人も来ているに違ひない。南方支那にのみ倭寇が行つて、沖縄に来ていな いのは考へられぬ。倭寇のみでなく他の人が、来なければ不思議でその運動が あつたことは考へていい。ただその運動の痕が見えないだけである。」(池田彌 三郎筆記ノート)