清家篤塾長の年頭挨拶2015/01/14 06:45

 10日は第180回福澤先生誕生記念会、三田の西校舎のホールへ行く。 清家 篤塾長の年頭挨拶。 デフレ脱却期待の経済情勢から、塾の財政も順調に改善 しているという。 来年度の(会計基準が変わりその名になった)「基本金組み 入れ前収支」の投資的支出100億円ほどの、半分は黒字で賄える。 2014年 には創立75年を迎えた理工学部の記念事業が行われ、医学部創立100年を迎 える2017年度に竣工を目指すクラスター型の新病院棟建設、今年開設25年を 迎える湘南藤沢キャンパスの滞在型教育研究施設「未来創造塾」、2018年に高 校開設75年を迎える等々の、準備も順調だ。

 慶應義塾大学は、文部科学省の平成26年度「スーパーグローバル大学創成 支援事業」タイプA(世界大学ランキングトップ100を目指す力のある世界レ ベルの教育研究を行うトップ大学)に採択され、10年間で約40億円の支援が ある。 教育と研究を通じての広い地球社会への貢献は、塾祖福沢の思想であ った。 福沢は自ら一身に二生を経ると言った激動の時代を生き、実学(サイ ヤンス)によって、国の独立と社会の近代化を図る人を育て、地球社会に貢献 することを目指した。 慶應義塾は、現在の世界の持続可能性(サステナビリ ティ)の大問題に取り組む。 日本が解決策を見出せば、他の国の役に立つ。  自然科学、社会科学、人文科学を横断した三つのクラスター「長寿」「安全」「創 造」を設けて、この事業を推進する。

 慶應義塾には「半学半教」の原則がある。 明治4(1871)年の「慶應義塾 社中の約束」には、義塾は「福沢ノ私有ニアラス社中会同ノ有」とあり、教え る者も教えられる者も同じく「社中」であり、その「社中」の人びとが対等の 立場で取り決めた約束として規則が存在している、とある。 慶應には素晴ら しい教養教育、文理融合の伝統がある。 教える者も、学問に完成無しだし、 教えられる者も、共に平等に学び合う仲間で、そこには多事争論がある。 『学 問のすゝめ』の冒頭には「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云 えり」につづいて、学問のあるなしで人の価値が決る、とある。

 福沢は、教師も、学生も、家族も皆、「さん」づけで呼んだ。 お互い、学ぶ 者同士だというわけだ。 慶應4年閏4月10日の山口良蔵宛書簡には、「僕は 学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず、これを総称して一社中と名づ け、僕は社頭の職掌相勤め」とある。 波多野承五郎の回顧談では、社中に入 って、先生も仲間中の先輩で、訓戒を受けたことがない、小幡仁(甚)三郎な どは、大工などの職人に物を頼むのにも丁寧な物言いをし、「あなた」と呼びか けていたという。 平等自由の精神が横溢した、フラットな学塾だった。

 125年前の明治23(1890)年、文学科、法律科、理財科から成る大学部を設 置、組織としての体裁をとった。 ハーバート大学総長エリオットの推薦で、 それぞれの長にリスカム、ドロッパーズ、ウィグモアを招聘したけれど、学部 長と呼ばず、主任教師とした。 組織をフラットに保つ考え方だ。 大正時代 の『慶應義塾総覧』を見ても、それは続き、教授の呼称が出来たのは大学令に よる大正9(1920)年の認可以降になる。 総合大学の役職は、塾長が兼ねる 総長、幹事(現在の塾監局長)、学部長、予科主任、一貫校の校長も主任だった。  現在、学生4万人、教員3千人、職員3千人という大きな組織になったが、そ の考え方に変りはない。 学問は自由で平等な環境のもとで、発展する。 福 沢は時事新報の社説で、学問の進歩に管理的な手法は有害だと述べた。 「学 生の顧客満足度」ということが言われるが、違和感を持つ。 塾生は、社中の 一員であるという、福沢精神を思い起こしたい。

コメント

_ 轟亭 ― 2015/02/18 06:51

2月18日に、清家篤塾長の年頭挨拶について、「「小人閑居日記」を『三田評論』で検証する」を書きましたので、ご参照下さい。

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