福沢先生、苦心の翻訳語の意義2015/01/16 06:37

 「「福澤語」入門――「公徳」と「怨望」」という題にしたのは、思想史を研 究していて、言葉の意味を考えるからだ。 福沢先生が西洋を紹介するのに使 った一連の言葉がある。 明治30(1897)年の『福澤全集』緒言に、「汽車」 に「汽」の字を発見して用いたとか、コピーライトを「版権」、スピーチを「演 説」、ディベートを「討論」と翻訳した、とある。 当時は翻訳の時代で、福沢 先生の作った言葉も少なくない。 そのようにして西洋の事物、社会制度、政 治制度などが紹介され、文明開化まで進んだ。 大変だったのは、日本に存在 しない言葉を翻訳することだった。 漢字を組み合わせて、日本語として作り 出す、厖大な努力が重ねられた。 スピーチを「演説」と訳したのは、「演」は 人前で何かをやること、中津で「演舌」という言葉を使っていて、「舌」は俗な ので「説」にした。

 最も困難だったのは、思想にかかわる言葉だった。 individual「個人」や individuality「個性」は、J・S・ミルの『自由論』のキーワードだ。 他人と 違う考えをすることを尊重するのが、西洋の自由な社会の原理だった。 日本 には、individualのような、個々の人間の独自性を表わす言葉がなかった。 日 本では、「気」が清いか濁っているかの違いで(?)、量的な違いにすぎない。  西洋では、質的な違いが、この概念に籠っている。 福沢先生は『文明論之概 略』で、individualityを「独一個人の気象」と訳した。 ちょっと、もたもた した訳語だ。 その後、他の人によって、「個人」、「個性」と訳された。 その 初めに、福沢先生の努力があった。

 先ほど塾長からスーパーグローバル大学の話があったが、非欧米諸国で、自 国語で高等教育が行えるのは、日本だけである。 それは一方で、ガラパゴス 化をもたらす懸念はあるけれど。 インドなどは、英語だ。 お雇い外国人に よる講義の時期があった後、日本人による日本語の授業が出来るようになった のは、福沢先生の時代に漢字の熟語による訳語をつくったからだった。 その ことが日本の近代化にもたらした意義は、とても大きい。 一般家庭の庶民で も、大学に行かれる。 普通の人が学問の最先端に触れることが出来るし、ご く普通の人の考えを学問に反映できる。 その意義を忘れてはいけない。 全 ての授業を英語でやる試みがある。 だが、それは日本の近代化を支えた大き な条件を失うことになる。 英語の授業は、増えては行くだろうが…。                               (つづく)

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