天下一、名高い浪人・細井広沢のことなど ― 2015/07/04 06:37
まず『広辞苑』の、ほそい-こうたく【細井広沢】「江戸中期の儒学者・書家。 父は掛川藩士。江戸に出て程朱学を修め、王陽明の説をとり、文徴明の書法を 学ぶ。柳沢吉保・水戸家・幕府に仕え、山陵の修築に尽力。(1658~1735)」
磯田道史さんの「中根東里」に戻る。 還俗の身で、家郷には戻れず、途方 にくれている東里を、細井広沢が訪ねてきた。 文武の道に練達した天下一、 名高い浪人で、齢六十に到らんとするこの国最高の書の大家が、二十そこそこ の若者のまえに手をつき、わが家に居候してくれと、懇請した。 住職の慧岩 がひそかに細井に相談し、東里の超絶の文才を知っていた細井が、飛んできた のだった。 細井は義人としての名も高い。 あの赤穂浪士たちも、この細井 広沢には、事前に、討ち入りの計略をもらした。 浪士たちは細井と相談を重 ね、義士たちが吉良邸の地面に突き立てた「浅野内匠頭家来口上」も、彼が筆 をいれたものである。 東里は、本郷の細井の家に転がりこみ、その蔵書に驚 く。 拓本・金石文はもちろん、満洲文字まで、あらゆる書跡と文字があり、 細井はラテン詞というものまで知っていて、星座と十二ヶ月の名前ぐらいは、 阿蘭陀詞でもラテン詞でも言えた。 細井の思惟のひろがりは広大であり、こ れに比べれば、荻生徂徠など遙かに小さいかもしれなかった。
もともと、細井広沢は権勢比類なき柳沢吉保の臣、二百石の鉄砲頭だったが、 あることから、おのれの筋を通して、その身上を一日にして捨てた。 いきさ つは、こうだ。 浪人して窮した知人が仕官の口をさがしてくれというので、 側用人松平右京大夫の家老に紹介した。 その知人が所持していた名剣・獅子 王を献上すれば、仲立ちをするというので、そのようにしたが、いくら待って も、音沙汰がない。 待つこと三年、思い余って、細井が談判に行くと、右京 大夫は「そんなことは知らぬ。仕官を約束した家老はすでに死んだ。そんな話 なら剣は返す」と言った。 細井は怒った。 大名である右京大夫にむかい、 屋敷中に響きわたる大音声で、「右京大夫殿! ならずのことをなされ候」と、 一喝して去った。 当然、ただではすまない。 右京大夫は、いやらしく、細 井の主君柳沢吉保に手をまわした。 柳沢もずるい。 大名である右京大夫の 顔をたてて家来の細井を捨てることにした。 細井はそういう主君の性格をよ く知っていて、いわれるまでもなく、主家に累が及ばぬよう、みずから柳沢家 を辞した。 以来、細井は浪人の身となっている。
そもそも、中根東里の師、荻生徂徠を世に出したのは、この細井だった。 細 井は31歳まで巷間でくすぶっていた徂徠の学才を見抜き、柳沢侯に推挙した。 十五人扶持で召し抱え、嫁まで世話をした。 ところが、細井が放逐されるに あたり、徂徠は救いの手をさしのべるどころか、知らぬ顔をした。 いまや、 徂徠は五百石で柳沢家にあり、彼を推挙した細井は素浪人となって、貧苦にあ えぎ、幼い娘がばたばた死んでいる。
東里は、細井広沢の家で、その生活を目の当たりにした。 朝夕二度の食事 はいたって質素で、酒も飲まない。 異常に蕎麦好きでも三日に一度は蕎麦を 食べる。 細井は少しも寝なかった。 終夜、読書し、著述をし、暁ちかくな ってから寝に就く。 ところが日が昇ると、ちゃんと起きていて、また書見を しているのである。 誰に教えるというでもなく、また書をかくといっても、 それで金品を得ようというのではない。 仕官する気すらないようだった。 東 里が一度だけ、思い切ってきいてみた。 「先生は、学問、書、剣、槍、弓馬、 柔術、鉄砲から天文測量にいたるまで諸芸の達人でいらっしゃいますのに仕官 はなさらぬのですか。あまりに、もったいない気もしますが……」 すると、 細井は意外な顔をして、「わしは書きたいから書をかき、読みたいから書を読む。 それでよい。技をきわめれば道がみえてくる。わしは技を暮らしのたつきにせ ぬときめた。『技をもって道とし、道をもって技となす』。その生き方に徹した いと思うておる」と、優しく、ほほ笑んだ。
東里が、いつまでもここに居るわけにはいかぬ、と感じ始めた頃、加賀前田 家の臣、「程朱の学」つまり朱子学の大家で、幕府に仕え、徳川吉宗の政治に影 響を与えた室新助鳩巣(きゅうそう)から、加賀に誘われた。 藩主前田綱紀 は、当代随一の学者大名、国内外の珍書典籍を買いあさり、室鳩巣はじめ文人 もあつめた。 鳩巣は、東里を追放した荻生徂徠への最も有力な反対者と目さ れていた。 23歳の東里は、鳩巣に貞右衛門の名を付けてもらい、当代きって の学識者である鳩巣について、正統の学問をおさめる。 だが、「学問をして禄 をもらうわけにはいかぬ」と、加賀百万石の御儒者の道を、みずから捨てて、 江戸に帰り、八丁堀の裏長屋でひたすら読書の日々に戻るのだ。
最近のコメント