統帥機関は超法規的で、戦時には統治も2015/08/11 06:31

 司馬遼太郎さんの、『この国のかたち』一の4は「“統帥権”の無限性」であ るが、ここでは6「機密の中の“国家”」を読みたい。

 司馬さんは、かつて一冊の古本を見つけた。 『統帥綱領・統帥参考』、原本 は敗戦時に一切焼却され、この世に存在しないとされてきた。 奇跡的に残っ た本を、昭和37(1962)年に偕行社(旧陸軍の正規将校を中心とした親睦団 体)が復刻した。 『統帥綱領』は昭和3(1928)年、『統帥参考』は昭和7 (1932)年に参謀本部が本にしたが、もちろん公刊されず、最高機密であり、 参謀本部所属の将校しか閲覧できなかった。

 『統帥参考』の冒頭、「統帥権」の章に、「……之ヲ以テ、統帥権ノ本質ハ力 ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ。」とある。 超法規とは、憲法以下のあらゆる 法律とは無縁だ、ということなのである。 ついで、一般の国務については憲 法の規定によって国務大臣が最終責任を負う(当時の用語で輔弼(ほひつ)す る)のに対して、統帥権はそうではない、「輔弼ノ範囲外ニ独立ス」と断定して いる。 したがって、統帥権の行使およびその結果に関しては、議会において 責任を負わない、議会は軍の統帥・指揮ならびにこの結果に関し、質問したり、 弁明を求めたり、または批評、論難する権利を有せず、というのである。

 平時・戦時を問わず、統帥権は三権(立法・行政・司法)から独立しつづけ ている存在だとしているのだ。 さらに言えば、国家をつぶそうがつぶすまい が、憲法下の国家に対して遠慮も何もする必要がない、といっているにひとし い。 いわば、無法の宣言(“超法規的”)である。 こうでもなければ、天皇 の知らないあいだに満洲事変をおこし、日中戦争を長びかせ、その間、ノモン ハン事変をやり、さらに太平洋戦争をひきおこすということができるはずがな い。

 「……然レドモ、参謀総長・海軍軍令部長等ハ、幕僚(天皇のスタッフ)ニ シテ、憲法上ノ責任ヲ有スルモノニアラザルガ故ニ……」  天皇といえども憲法の規定内にあるのに、この明文においては天皇に無限性 をあたえ、われわれは天皇のスタッフだから憲法上の責任なんかないんだとす るのである。

 さらに、おそるべき項目がある。 戦時や“国家事変”の場合においては、 兵権を行使する機関(統帥機関・参謀本部のこと)が国民を統治することがで きる、というのである。 「大日本帝国憲法」の第一条には、「大日本帝国ハ万 世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあって、統治権は天皇にある。 しかしながら、 『統帥参考』の第二章「統帥ト政治」の「非常大権」の項には、「……兵権ヲ行 使スル機関ハ、軍事上必要ナル限度ニ於テ、直接ニ国民ヲ統治スルコトヲ得(う) ……」とあって、この文章でみるかぎり、天皇の統治権は停止されているかの ようである。 要するに、戦時には、日本の統治者は参謀本部になるのである。

 憲法に関するこのような確信に満ちた私的解釈が、国家機関の一部でおこな われているということを、当時、関係者以外は知らなかったにちがいない。 い まふりかえれば、昭和前期の歴史は、昭和7(1932)年に成立したこの“機密” どおりに展開したのである。

 美濃部達吉博士は、東京大学で長く憲法論を講じ、高級官僚たちはそれを身 につけて行政機関に入った。 美濃部博士は昭和10年、(天皇絶対の思想に基 づく日本の国体を明らかにしようとする運動、国体明徴運動に)その学説(い わゆる天皇機関説)を攻撃され、その著作『憲法撮要』(大正12年刊)などが 発売禁止になった。 司馬さんは書く、「統帥機関は、法学界をおおっている美 濃部学説を痛打することによって、自前の憲法観(というより非立憲化)への 大行進を出発させなければならなかったにちがいない。」「ともかくも昭和十年 以後の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺されたと いっていい。このときに死んだといっていい。」