「突っかい棒」となる趣味、文化 ― 2016/02/14 07:01
青山文平さんが、進むべき道の手がかりを失って格闘する今という時代と重 なるとして描いた『つまをめとらば』だが、「突っかい棒」というのが一つのキ ーワードになっている。
「つゆかせぎ」の主人公は、家禄二千四百石の旗本大久保家の勝手掛用人で ある。 代々、大久保家に仕えていたのでなく、父は北のさる藩で郡奉行を務 めていた。 六十年ほど前の宝暦の飢饉の際、百姓と重役方の板挟みに遭って、 国を欠け落ちた。 年貢の減免と御救い金の下賜を叫ぶ百姓に、藩は逆に、難 局を乗り切るためという名分を立てて、年貢の先納と御手伝い金を命じたらし い。 百姓の側に立った父は仕置き替えを求めたが、結局、受け容れられず、 村へ向かった足で、国境(くにざかい)を越えた。
当時、その国にもすでに俳壇はあって、そこで父は一家を成していた。 「ち ょうど、ことさらに洒脱を見せつけるような江戸座の俳風が廃れ、元禄俳諧の、 俗調を排した詩情を再生しようとする頃で、国でその動きの先頭に立っていた のが、父だったのである。/主要な俳人のあらかたは豪農であり、富商であり、 酒造家であり、つまりは、村々の名主はまず名を連ねていたから、あるいは俳 諧は、郡奉行としての父の御勤めだったことも考えられる。俳諧ならではの繋 がりを生かして、農政の実を上げようとしたのかもしれない。しかし、そうだ としたら、百姓の側に立って、欠け落ちるまではしなかったはずである。やは り、父は紛れもなく、俳人だったのだろう。」
「だからこそ俳諧は、江戸に出た父の突っかい棒になった。車力で喰い繋い でいた頃も、旗本の家侍になってからも、父は俳諧でのみ己の心情を語って、 陽が上がる前の、夜露のような句を詠んだ。」
「つまをめとらば」で、上野の御山の犬桜を見に行き幼馴染みの山脇貞次郎 にばったり出逢った深堀省吾は、嫁運が悪い。 三十で風病で逝かれるまで十 二年を共にした最初の妻は、次男を四歳で麻疹に奪われてから様子がおかしく なって、やたらと物を買うようになった。 地元の松坂屋はおろか、日本橋駿 河町の三井呉服店でも御得意様扱いされる始末だ。 余禄の多い作事下奉行で、 最初のうちはなんとかなったが、そのうちに出入りの者たちに賂(まいない) を強いるようになり、あげくはお決まりの借金地獄だ。 今でもそのときの借 金を払いつづけている。 死別の一年後にもらった嫁は、三日で実家へ戻って しまった。 三度目の嫁とも生き別れたが、離縁の理由は言えん、と貞次郎に 言う。 その離縁でも借金をすることになった、最初の妻の借金の返済が終わ らぬうちに…。 「で、俺は愚痴をこぼした。俺は事なかれではあるが、愚痴 だけはこぼさぬのを己の突っかい棒としてきたのだが、おそらく長じてから初 めて愚痴をこぼした」 その愚痴の相手は、山下の五条天神裏にある星運堂花 屋久次郎、花久の二代菅裏(かんり・菅原道真を祀る天神の裏という号)、明和 二年から切れ目なく編まれている川柳の撰集『誹風柳多留』の版元だ。 愚痴 をこぼさぬ代わりに、川柳を詠んでいた省吾は、その毒が菅裏の目にとまり、 金になる戯作を勧められ戯作者になった。
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