なぜ日本の食料自給率は下がったのか? ― 2016/02/17 06:30
松尾雅彦さんの講演のつづき。 なぜ、それが活用されずに、眠っているの か? 根本原因を結論から言えば、農村社会をリードする経済の原理が、「重商 主義=市場経済」偏重の経済政策になっていて、循環型社会を理想とする「重 農主義=循環型経済」の消滅にある。 米国勢+綜合商社・食品加工流通(ス ーパーなど)の「グローバリゼーション」と、農村部の地域独自の循環型社会・ 生態系がリードする社会の「サステナビリティ(持続可能性)」の対決である。 ヨーロッパ社会は、「サステナビリティ」で来ている。 手作りのハム・ソーセ ージや地ビールはいい例だ。 産業革命により世界で最初に豊かになった英国 は、工業力で米国に追い越され、欧州大陸で不戦の誓いと共に成立したECC に加盟するに当たって、英連邦からの食糧調達を縮小し、食料自給に務め60% 以上の達成と欧州からの調達に転じた。 コッツウェル地方の美しい農村に見 られるように「農業国」になったと云われることをこよなく誇りにしている。 日本は工業国に拘るので、「東芝」問題を起こし、工場に派遣工を導入して「熟 練工」を粗末にする。 円安時に非正規雇用が著しく増加する、輸出ドライブ が日本社会を壊す(日本的経営の放棄)。
著書『スマート・テロワール』に「国産神話の罠」という文がある。 ブラ ンド米とブランド和牛だが、ほとんどが「コシヒカリ」と「黒毛和牛」の二品 種に駆逐され、二品種が「ナショナルブランド」になった。 日本にも昔、地 域ごとにもっと多様な農業があったのに、稲作のモノカルチャーがつくられて しまった。 モノカルチャーとは、ある単一の作物をつくって、それを外から のお金に換えることを優先する農業だ。 昔は農村に衣料の産業とエネルギー の産業があって、農業と加工業が農村をいろどっていた。 今、日本のコメや 野菜は、農村から都市へ出荷して、同じ日本国内とはいえ、構造的には外貨を 稼いでいるのと一緒だ。 豆腐、味噌、醤油にしても地元産大豆はほとんど見 かけない、稼いだお金で国外から買っている。 これは自給作物を失った途上 国の状況に似ている。 換金作物輸出で得た収入で、輸入食料を購入するとい う構造だ。 モノカルチャーから脱却する鍵は、地域内での連携である。 畜 産と稲作の物々交換、住民との地産地消などの連携こそ地域社会の成り立つ前 提だ。
食と農の産業は、人口1億2千万人の毎日平準的な需要があり、その人口の 1/2を占める農村社会は経済の安定勢力である筈である。 それなのに、な ぜ食料自給率は下がり、農村人口が減少するのか? 食料自給率は1965年の 73%から、2009年の39%へ下がった(EUの国は70%以上の食料自給率)。 三 つの契機があった。 (1)農業基本法。(農業と他産業との間の生産性・所得の均衡を目的とする。 1961年成立、1999年廃止(1999年7月食料・農業・農村基本法(新基本法) の制定とともに廃止された。これより先1993年のガット・ウルグアイ・ラウ ンド合意で、コメの関税化と市場開放が決定したのを受けた。1995年11月新 食糧法施行。)。) 「60年安保」を『文明論之概略』の説く「両目をあけて見 よ」の両眼で見ると、安全保障の裏に食料自給の放棄があった(MSA協定)。 大豆、小麦、トウモロコシは輸入するという裏の約束(『スマート・テロワール』 223頁「農業基本法が変えた讃岐うどんの原料小麦の産地」の香川県小麦生産 量の推移グラフ参照)。 その流れで、TPP(環太平洋パートナーシップ協定) で、コメの輸入7万トン増が浅い傷だと、6年後の畜産関税0を受け入れた。 アメリカに狙われている畜産、肉をアメリカに渡すと、農業は死ぬ。
(2)70年代初頭、日本が工業化による高度成長を達成し、それまでの食料の 供給不足が供給過剰の時代に転じた。食料生産の鍵を握っていたのは供給側だ ったのが、ライフスタイルが欧風化して消費者に移った。
(3)プラザ合意(1985年ニューヨークのプラザホテルでのG5(先進5か国 財務相・中央銀行総裁会議)で、アメリカの貿易赤字を縮小するため、各国の 協調介入によるドル高是正と、日本など黒字国の内需拡大などが合意された) で円高(1988年、240円から一気に120円に)、加工食品原料は輸入依存とな り、国内の生産は縮小していき、農村の停滞が顕著になった。
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