レオ=レオニの『フレデリック』を読んで2016/05/01 06:59

 4月の「等々力短信」第1082号の「私」を受け容れて生きる』の最後に、末 盛千枝子さんが「被災地の子供達に、絵本を届ける「3・11絵本プロジェクト いわて」の活動を始める。 生きるための様々な希望の言葉、心の食べ物を語 ってくれるレオ=レオニの『フレデリック』などの…。」と書いた。

あらためてレオ=レオニ、谷川俊太郎訳の『フレデリック』(好学社)を図書 館で借りてきて、見る。 切り絵というか、ちぎり絵で、やさしい色が印象的、 子供が小さい時、家にあったレオ=レオニの『スイミー』とは絵のスタイルが 違うような気がした。 副題は「ちょっと かわった のねずみの はなし」。 

牛や馬のいた牧場に沿った古い石垣の中に、野ネズミの家がある。 だが酪 農家が引っ越してしまったので、納屋は傾き、サイロはからっぽ、そして冬が 近い。 小さな野ネズミたちは、トウモロコシと木の実と小麦と藁を集め始め て、みんな昼も夜も働いた。 ただ、フレデリックだけは別だ。 みんなが、 どうして働かないか聞くと、フレデリックは「こう見えたって、働いているよ。」 「寒くて暗い冬の日のために、ぼくはお日様の光を集めているんだ。」 また、 座り込んで牧場をじっと眺めているから聞くと、「色を集めているのさ。冬は灰 色だからね。」 ある日は、半分眠っているみたいで、みんなが腹を立てて尋ね ると、「ぼくは言葉を集めてるんだ。冬は長いから、話のタネも尽きてしまうも の。」

 冬が来て、雪が降り始め、五匹の小さな野ネズミたちは、石の間の隠れ家に 籠った。 初めのうちは食べ物もあった。 バカな狐や間抜けな猫の話をし合 って、みんなぬくぬくと楽しかった。 けれど、次第に食べ物がなくなり、石 垣の中は凍えそう、おしゃべりをする気にもなれない。 その時、みんなは思 い出した。 お日様の光や、色や、言葉について、フレデリックが言ったこと を。 「君が集めた物は、いったいどうなったんだい、フレデリック。」 「目 をつむってごらん。」「君たちにお日様をあげよう。ほら感じるだろ、燃えるよ うな金色の光……」 四匹の小さな野ネズミたちは、だんだん暖ったかくなっ てきた。 「色は? フレデリック。」 みんなが目をつむって、フレデリック が青い朝顔や、黄色い麦の中の赤い罌粟や、野イチゴの緑の葉っぱのことを話 し出すと、みんなは心の中に、塗り絵でもしたように、はっきりといろんな色 を見るのだった。 「じゃあ、言葉は?」 フレデリックは、咳払いをして、 ちょっと待ってから、舞台の上の俳優みたいに、しゃべり始めた。

 「三月に、誰が氷を解かすの? 六月に、誰が四つ葉のクローバーを育てる の? 夕暮れに、誰が空の明りを消すの? 誰が月のスイッチを入れるの?  それは、空に住んでいる四匹の小さな野ネズミ。 僕と君そっくりの。 春ネ ズミ、夕立を降らせる係。 夏ネズミ、花に色を塗る係。 秋ネズミ、胡桃と 小麦の係。 そして最後は冬ネズミ、小さな冷たい足してる。 季節が四つで よかったね。 一つ減ったら、どうなることか。 一つ増えたら、どうなるこ とか!」 終わると、みんな拍手喝采。 「驚いたなあ、フレデリック。君っ て、詩人じゃないか!」 フレデリックは、赤くなってお辞儀をした。 そし て、恥ずかしそうに言ったのだ。 「そういうわけさ。」

 私は、これは素晴らしい俳句論ではないか、と思った。 さらに、こんなこ とも思い出した。 先日、大学の総長を最近までなさっていた方にお会いする 機会があった。 少子化の影響で、大学の経営も大変だそうで、地方の大学な ど惨憺たる状況になっているらしい。 学生数が減れば、文部科学省の助成金 も減る。 そして安倍政権の、理系重視、文系軽視の政策で、リベラルアーツ が危機に瀕しているらしい。 実用的な、すぐに役立つ人間ばかりつくる教育 をしようとしているのだ。 かつて、藤原銀次郎さんの寄付で藤原工業大学 (現・慶應義塾大学理工学部)を開校することになった時、即戦力を求める意 見に対し、工学部長を務めた谷村豊太郎元海軍技術中将は、「すぐ役に立つ教 育」とは「基礎的知識を十分に身につけさせておけば、いかなる分野の仕事を 受持っても狙い所が早く呑みこめて、比較的容易に対処できる」と言ったそう だ。 慶應義塾塾長と同大学学長とを兼務した小泉信三さんは同意見で、「識 見ある同(谷村豊太郎)氏は、よく世間の実業家方面から申し出される、直ぐ 役に立つ人間を造ってもらいたいという註文に対し、直ぐ役に立つ人間は直ぐ 役に立たなくなる人間だ、と応酬して、同大学において基本的理論をしっかり 教え込む方針を確立した」と、書いている。

舟越保武さんの「ダミアン神父」2016/05/02 06:26

 「等々力短信」第1082号「私」を受け容れて生きる』に、さっそく質問が あった。 志木の高校から一緒で、通信社を勤め上げ、大学で教えたりしてい た男である。 短信に登場した「ダミアン神父とは、もしやハワイのモロカイ 島だったかに幽閉されていた人々と一緒に同じ島で暮らす道を選んだ神父のこ とでしょうか。明日、末盛さんの本を買います」と、いうのだった。

 私は、すぐさま、『舟越保武画文集 巨岩と花びら』(筑摩書房・1982年)の 一文「病醜のダミアン」と、そこにあるデッサンと彫刻「ダミアン神父」の写 真をコピーして、彼に送った。

 舟越保武さんの文章によると、ダミアン神父(1840~1889)はベルギーの人 である。 当時は癩(ハンセン病)を根治する薬が発見されていなくて、患者 は治療を受けるというよりも、むしろ隔離されるだけだった。 ハワイ諸島の モロカイ島の小さな半島も、癩患者の隔離に使われていた。 ダミアン神父が そこの病院に、自ら志願して宣教師として赴いたのは1873年で、33歳の時で あった。 ここに来ることは、当時ではほとんど死を意味することだったろう、 と舟越さんは書いている。 頑固な性格と一部で言われるほど、直情径行な熱 血漢だったようだ。

 しかし、神父が癩患者達に向って、どんなにいたわりと同情の言葉をかけて も、ほとんど聞かれなかったと想像できる。 生きながらにして全身が腐って いくこの患者達にとって、神父の説教など空々しく思われて、聞く気持になれ ないことは解るような気がする。 それは神父のその時の「貴方達、癩者は」 という言葉に大きな意味がある。 どんなに同情し病人と共に涙を流したとし ても、所詮、神父は癩者ではない。 癩者にとってこの違いは、無限の隔たり を意味する。 ダミアンはこのことについて悩みつづける。 自分も同じ癩者 にならない限り、この島に来た宣教の目的は達せられないと悟った。

 患者の治療にも食事にも進んで彼等に接触して、病の感染を怖れず、むしろ 早く自分も癩者になることを望んだとしか、考えられない行動が記されている。  ダミアンが発病するのにほとんど十年もの時間があった。 癩はこのように、 伝染力の極めて弱いものであり、潜伏期間も永いと言われる。

 ある日ダミアンは、あやまって煮えたぎる熱湯を足にこぼしたが、足は熱さ を感じなかった。 ダミアンの癩は始まっていた。 ダミアンの顔や手にいよ いよ癩特有の徴候が現れた時、彼は初めて患者達に向って「我々癩者は」と言 うことが出来た、と喜んで語ったと記されている。 十年かかってダミアンの 悲願は達せられたことになる。 ダミアン神父はこのあと数年にして、この島 で死んだ。 十五年間、一度も母の住むベルギーに帰ることがなかった。

 舟越保武さんは、『救癩の使徒ダミアン神父』(小田部胤明著)という本の中 にある一枚の写真に強く捉えられた。 顔も手も癩結節のために崩れ、ぷくぷ くに脹れ上がった神父ダミアンの、ぞっとするほど醜い姿は、鬼気迫るものだ った。 眉が抜け落ちて、鼻も口も腫れ上がり、顔一面に小さな結節が現れて いて、発病前の神父のキリッとした整った顔の美青年の写真とくらべると、と ても同じ人とは思えない。 ダミアンは「この写真は母に見せないで下さい」 と言ったと、書いているそうだ。 舟越さんは、十年以上も自分の中に鮮明に 焼きついていたこの姿を、彫刻にしようと思った。 これ以上崩れることは出 来ないとさえ思われるこの顔の中に、美とか醜とか、そんなものを超えた強い 気品を覚えたからである。 誰に頼まれたわけではない。 自分でこの姿を作 って、自分で持っていたかったからだ、と書いている。

鈴々舎馬るこの「夢八」2016/05/03 06:29

 4月27日、実は後期高齢者になる日が第574回の落語研究会。 48年目の 新年度・第1回だ。 健康でずっと落語を聴いていられることが、有難い。

「夢八」          鈴々舎 馬るこ

「将棋の殿様」  遊一改メ 入船亭 扇蔵

「菊江の佛壇」       五街道 雲助

         仲入

「無精床」         三遊亭 歌武蔵

「花見の仇討」       柳亭 市馬

 鈴々舎馬るこ、太目の丸顔を分厚い髪が囲む。 来年3月、真打昇進だそう だ。 甚兵衛さん! 八っつあんかい、お上がり。 病いが病気で、眠れない、 夢を見るんです。 起きていながら、夢を見る。 ヒツジやヤギや馬が飛ぶ。  天ぷらの鍋が下に見える。 手を、揚げようとしちゃった。 怪我しちゃうじ ゃないか。 三日、食べてない、助けて下さい。 一晩で二円になる仕事があ るが、やるか。 誰を殺すんで? 寝ずの番だ。 寝ないのは得意、釣りの番 か何かで? 一晩寝ない、弁当つける。 そこの薪を一本持ってくれ。 誰、 殺す? そんなんじゃない、一軒寄る所がある。

 お直さん! あら、甚兵衛さん、つりっぱなしです。 恐れ入るバカで、眠 らないのは得意なのを連れてきた。

 この番小屋の中だ、鍵を開けて入る。 暗いね。 雨戸は開けなくていい。  ここに蝋燭が五本ある、畳にムシロを敷いて、風呂敷包みを開けて。 オーー ッ、重詰二段重ね、煮しめだ、高野豆腐、さっきのお直さんが炊いたんですか、 ハフ、ハフ、ハフ、美味しいや。 下の段も見てごらん。 アーーッ、握り飯、 ひと月ぶりだ。 どこへ行っていたんだ、お懐かしい。 ウーーウン、ウ、い いお米だ、アッ、石が入ってる、歯が…(ポン、と捨てる)。 薪を持ってきた ろ、床をトントン叩くんだ。 気を張ってれば、夢を見ないだろう。 トント ントン、トトン、一人でやり遂げてくれ。 トントントン、トトン。 何で鍵 を閉めるんですか。 奥にムシロがかかっているのは、気にしないように。

 元気よく、トントントン、トトン、気にするな。 ゾーーッ、誰かいる、背 の高い人だ。 (薪で、ムシロの下を払ってみて)アーーッ、宙に浮いてる。  薪が当って、ムシロが落ちた。 ヒヤーーッ、バターン。 この長屋の奥から 一匹の三毛猫、化け猫がミシ、ミシ。 何か転がっている奴がいるぞ。 天窓 から、息を、フーーッ。

 夢だ、夢だ。 現実だよ、寒いから、手を握ってくれ。 手を握らないと、 子々孫々まで呪い殺す。 握るよ。 謎かけでもするか。 首吊りとかけて、 噺家のまることとく。 心は、地に足がついていない。 伊勢音頭を歌え。 ♪      伊勢はナー伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ ア ヨーイヨイ 尾張名古屋は ヤンレ城で持つ。 西洋の歌を歌え。 ♪大きなのっぽの古時計 おじいさん の時計 百年休まずチクタク チクタク おじいさんといっしょにチクタク  チクタク(と、揺れたので)、縄が切れて、八っつあんの上に…。

 八っつあん、朝だよ。 首吊りと、抱き合って寝てるよ。 あたし、寝てい ましたか。 よかった、病いが治った。

入船亭扇蔵の「将棋の殿様」2016/05/04 06:39

 遊一改メ入船亭扇蔵(せんぞう)、馬ること違って頭のてっぺんだけが黒い、 刈上げ。 遊一で、何度か聴いている。 落語協会には約300人の噺家がいる が、前座と見習いが30人ちょっと、二ツ目が60人、真打200人の逆三角形で、 190番目の真打だという。 殿様は、何もしなくていい。 物見に上がり、下々 を見て、一服の煙草を二人で喫んでいる、と。 火を借りるのを、知らない。  余も、落とし噺をこしらえた。 薬缶は蓬莱山(銅製の薄端(うすばた)?) からカメだ。 薬缶のツルが喜んだ。 小咄、その二。 薬缶が夜な夜な盗み に出かけた。 蓋つきは泥棒の始まり。 一同、笑うように。

 その方ら、将棋は指すか。 余は幼少の折に覚えた、将棋盤を持って来い。  余の駒を並べよ。 先手は、どう決める? 歩を振って、と金か歩で決めます。  余は、先手じゃ。 角道を構築した。 恐れ入ります、手前は、こういうこと に。 早ういたせ。 控えろ、余の歩を取ってはならん。 余に背くのか、余 は二十五万石の大名である。 他の道を探せ。 隅の方を、取らせていただき ます。 控えろ、その方の飛車が、わが陣中に成り込みおった。 ご憐憫の沙 汰を持って、見逃して下され。 しばらく、動かしてはならん。 余の飛車が、 その方の陣中に成り込む。 途中に、金銀がございます。 金銀は目障りじゃ、 取り除けろ、手討ちにいたせ。 その亡骸を、こちらに引き渡せ。 余の掌中 で、蘇えりおったわ。 王手じゃ。 王が逃げ回るのは、みっともない。 詰 みじゃ。

 物足りない、一同、他の者と代わることばかり、考えておる。 余が一計を 案じた。 勝った者が、鉄扇で打つ。 殿がお負けになられても? 勝負のこ とじゃ。 お飛び越え、お取り払い、お手討ちは、ございませんな。 しかし、 アッという間に、勝負つく。 家来の頭(つむり)は、瘤だらけ。 昨晩はお 詰であったか、瘤の上に瘤、血が滲んでおる。

 浅ましいことだと、ご意見番の田中三太夫。 将棋は畳の上の戦さ、軍学で ある、殿のお頭の上にはお瘤がござらん。 本日は、この三太夫がお相手を。  ああ、爺ィか、病いと聞いていたが、全快したか。 殿には昔、将棋をお教え 致しましたが、だいぶご上達のご様子、間に鉄扇が賭かっておるとか。 若い 者の方がよい。 この薬缶頭はへこみません、殿は三太夫にはかないませんか な、腹蔵なく。

 余の駒を並べよ。 ご自分でなさい、敵の駒を並べるためしはない。 飛車 と角の位置が逆ですが…。 余が先手じゃ。 ヘタが先手と決まっております。  まず、角道を。 殿、ヘタは角道を開けるもので。 三太夫は、早いのう。 ヘ タな考え、休むに似たりと申します。 桂馬を取ってはならん。 そんな訳に は参りません、これは戦さ、盤の中にては君臣の別なし。 飛び越えは、投げ 返す。 手討ちは、刀の汚れと、元に戻す。 では、殿、王手。 そこは角が 効いております。 余の行く所がないではないか。 策も略もなく、馬鹿大将 のなさること。 終いじゃ、負けじゃ、余の。 お約束の鉄扇をばご拝借、武 士に二言はないはず。 それがしは壮年の折、一刀流平手打が得意で。 殿、 ご免。 頭ではなく、膝頭を打つ。 それでも、ポロッと涙。 耄碌を致しま した、もう一番。 片付けよ、盤も燃やせ。 今後、将棋を指す者は、切腹を 申しつける。

 扇蔵、物語を追うだけで、固い感じがした。 もっと面白くできる噺かと思 われた。

雲助の「菊江の佛壇」前半2016/05/05 06:57

 今日は演り手のなくなった噺で、なにしろ研究会ですから、こういうのがあ ってもよかろうというんで。 親にとって、子供の苦労が絶えない。 堅過ぎ るのも、柔かいのも。 廓、芸者茶屋は、お金を持って行きさえすれば、面白 いように遊ばせてくれる。 最初は仲間に無理やり連れて行かれる。 若旦那 は容子がよくて、アーーン。 五日、十日、と帰って来ない。 それではと、 嫁を迎えたけれど、三月で外へ出かける。

 番頭さん、倅には困ったもんだ。 若旦那には困ったもんです。 女房のお 花が、実家(さと)で患っているというのに、見舞いにも行かない。 御新造 様がお里で患っているのに、お見舞いにも行かない。 番頭は、わしと同じこ とばかり言う。

 若旦那が、昼日中から酔っぱらって帰って来る。 旦那様が、馬鹿なお怒り ですよ。 お怒りーーっ、お怒りーーっ、お父っつあん、大層ご無沙汰致しま して…。 お前は、お花の見舞いになぜ行かぬ。 病気見舞いは嫌いで。 女 房じゃないか、夜泊り、日泊りで遊んでいて。 一人娘なのを、頼み込んで、 嫁にもらったんじゃないか。 具合が悪くなって、実家の方が気兼ねがないか と帰したが、どっと枕に付いたというじゃないか。 お前は、いったい誰に似 たんだ。 親に似ぬ子は鬼っ子というが、私など吉原に足を向けたことがない。  信心といっちゃあ、門跡様への信心、雨風嵐でも出かける。 大きな仏壇をこ しらえた、人が入れるほどの。 でも、やれ仏壇、それ仏壇、と言っていたの が、三月も持たないで、外へ出かけるように。 まあ、まあ、(と番頭が止めに 入って)。 二階へ上がって、寝てしまえ。

 御新造様のお里から、お使いの方が…。 按配が悪いようだ、私が見舞いに 行くので、今日ばかりは、倅を外に出さないように。 向こうに泊まることに なるだろう。 万事、番頭さんにお任せする。 旦那が出かけると若旦那、番 頭さんを男と見込んで頼みがある。 十両、貸して。 店の金を、筆の先でチ ョロ、チョロ、チョロと、いつものように。 私は白ねずみと言われています、 石橋を叩いて渡る、石橋の上で転んだら痛いけれど。 野暮な。 駄目ですよ、 堅くて、野暮は承知の上です。

 十日ばかり前の話だ、朝湯に隣町の湯屋へ行って出てくると、女湯から出て きた女が、少し薹(とう)は立っていたが、いい女でね、あとを付いて行った。  姿が見えなくなった横丁の、奥が突き当たりで井戸があってね、奥から二軒目 の左に、清元某とあって、塗の下駄と、世にも間抜けなマナイタのような下駄 が並んでいて、その下駄にウチの焼き印があった、気になるね。 番頭、いい から仕事をして。 井戸端にくちびるの薄い、よくしゃべりそうな女がいたん で聞くと、さる大店の番頭さんの想い者だというじゃないか。 どこの番頭さ んでしょうね。 世間話だと、明舟町の大店の番頭、佐平さんの想い者だと。  お前と同じ名前なんだよ、名前を騙るとは、勘弁ならない、親父が帰って来た ら話をして、出る所へ出たら…。 声が大きい、野暮な。 野暮は承知の上だ。  あの女は、妹の亭主の従兄弟の遠縁に当る者で。 はい十両、柳橋へ行って来 る、菊江に逢って来る。 あなた、悪いね、菊江さんの顔が見られればいいん でしょう、ここに呼びます。 言うことが、派手だね。 ここは、私が仕切ら せて頂きます。 清蔵、柳橋へ行って、菊江さんを駕籠に放り込んで、連れて 来てくれ。