松永耳庵コレクション展・2002年2019/06/17 07:24

 松永安左エ門について「等々力短信」で触れたもので、まだブログに出して いなかったものを、三日にわたって紹介したい。

     等々力短信 第912号 2002(平成14)年2月25日

              松永耳庵コレクション展

 19日(火)から東京国立博物館で始まった没後30周年記念の松永耳庵(じ あん)コレクション展を、その二日目に見た。 国立博物館の平成館では、同 時に「横山大観-その心と芸術」展も開催中である。 「耳庵展」だけを見に 行く方に、耳寄りな情報なのだが、「大観展」を見なければ、1,200円でな く、常設展の平常料金、420円(65歳以上なら無料)で見られる。 以下 で述べる松永耳庵のカネの使いっぷりにくらべて、いかにもミミっちい話では あるけれど…。

 耳庵松永安左ェ門は、私の恩人である(「等々力短信」第524、525、5 26号『五の日の手紙2』250頁)。 志木高校の校地を慶應義塾に寄付した。  今回の展覧の第1部は、志木の柳瀬山荘の時代である。 耳庵は昭和12年、 茶の世界を震憾させる二大事件を起す。 4月、大井戸茶碗「有楽(うらく)」 を14万6千円余(今の6~7億円)で競りおとす。 「有楽」は、信長の弟 で利久七哲の茶人、織田有楽が所持していた大名物である。 6月には、同じ 戦国の大名茶人蒲生氏郷作の茶杓を1万6千円余(今の7千万円位)で落札す る。 それまでの茶杓の最高額は、7千4百円だったそうだから、破格の値段 だ。 たかが、あの茶杓一本に7千万円とは、落語好きはつい「はてなの茶碗」 のことを考えてしまう。 もう一つ、南宋~元時代の唐物文琳茶入「宇治」と ともに、耳庵道具の三傑といわれるそうだが、その三傑を、今回すべて見られ る。 耳庵が、茶を初めてから4~5年で買った道具の総額は、今の値段で1 00億円にのぼるという。 耳庵は後にその品々を、東京国立博物館、福岡市 美術館などに、惜しげもなく寄贈してしまった。 今回、それら各館蔵の銘品 が一堂に会している。

 茶道具のことなど、まったく分からず、銘品の数々も「豚に真珠」「猫に小判」 なのだが、今回の展覧会を見て、耳庵の好みの傾向のようなものは、分かるよ うな気がした。 口縁に太い帯があり、ぐにゃりと歪んだ備前の花入。 割れ 目から茶がにじみ出た、大きな雨滴がある、李朝の祭器を茶碗に見立てた「村 雨」。 益田鈍翁の弟、非黙益田克徳作の楽茶碗「不出来」。  おおざっぱにく くれば、野趣があって、しかも気品がある、といったところだろうか。 耳庵 の目に学び、共感を覚えつつ、明るい春の光の中へ、国立博物館平成館を出た。

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