春風亭一之輔の「鰻の幇間」後半2019/09/01 07:10

 何だい、この酒は、口の中でパンと弾ける。 鰻の固さはどうだ、顎が痛く なる。 ありました。 これ、勘定書だろ、こういうキュッとひねったものだ、 それか右上に「の」に「し」の線が書いてある袋か。 勘定は、済んでいるん だろ? まだでございます。 脅かすな。 そうか、いつも来る客で、まとめ て払うことになってるんだ。 今日初めての方で。 あなたは、日が浅いんで しょ。 三十八年おります。 これ、誰が払う。 お客様です。 お勘定をと 申し上げましたら、浴衣の俺がお供で、二階の羽織が旦那だから、あれからと おっしゃいました。 そりゃ商売上、羽織は着ているけれど、どっちがお客だ か取巻きだか、分かりそうなもんじゃないか。 ハア。 三十八年、何してい たんだよ、何つちかったんだよ。 ハア、じゃないよ、他人(ひと)に興味を 持ちなさい。 これ手銭じゃないか。 どうも目付きがよくなかった。

 払いますよ。 この家も、そうだ。 話が長くなるから、俺の話を聞いてく れ。 汚い座敷だ、卓は俺が拭いた。 畳が毛羽立ってる。 もてなし心がな いんだ、聞け、目を見ろ。 障子は穴だらけ、繕うのに障子紙じゃなくて、新 聞紙を使っている。 それも朝日、毎日、読売、産経、日経…、イデオロギー がバラバラだ。 拾ってきた新聞なんだろう。 ハア、禁止だ。 床の間、花 を活けなさい。 何で枯れすすきなんだ、八月だよ、去年の秋からそのまんま なんだろう。 掛軸、掛けなさい。 落っこっちゃったんだろ、白い焼け残り がある。 ペナント貼るな。 お猪口、二つだから、柄を揃えなさい。 田中 葬儀店、壽 健・康子、祝儀と不祝儀のぶっちがえだ。 酒は何だ? 越後の「越 のジュンコ」、「越のヒロコ」、「越のミチコ」もある。 まだまだ、続く。 お 新香も何だ、糠漬けじゃなくて、おがくずだろ。 おがくずじゃありません。  奈良漬の横の梅干は、何? ハイ。 受け入れたの。 ウチのは小梅です。 こ こ何屋、鰻屋でしょ。 いけませんか。 知らないの、三十八年、日本は古来 から、鰻と梅干は…。 私のことを暗殺しようとしてるんでしょ。 そこまで は…。 例えだよ、ウンじゃない、ハイでしょう。 何で今、あやとり始める んだよ。 箒かい。 鰻じゃなくて、ゴムホースだ。 雷電為右衛門が噛めば、 噛める程だ。 タレじゃなくて、醤油でしょ。 秘伝のタレです。 代々寛永 元年からこだわってつくってきたタレで。 何が入っているんだ? 企業秘密 で。

 お金、払います。 何で漫画読んでるの? 「のらくろ」です。 いくら?  (手をボンボンと叩いて)9円75銭。 高過ぎます、セコな鰻が二人前、酒が 二本、あとお新香ですよ。 お供さんが、お土産(みや)を三人前お持ちにな りました。 あいつに弟子入りしたいよ。

 出所がよくない、向こう向いててくれ、十円札、縫い付けてあるんだ、(襟の 裏の糸を引き抜いて)二十二でこの道に入って、今年三十八だから十六年前、 親父に勘当だって言われて、捨て台詞を吐いて家を出た時、三つ下の弟が追っ かけて来て、兄さん、俺は家を継ぐ、芸人になるそうですが、兄さんを座敷に 呼べるようになるまで、この十円札をあたくしだと思ってって、くれたんだよ。 

目覚めろよ。 お釣り、もらいますよ。 居させておくれ。 後がつかえて います。 紙が貼ってある、「お清さん、誕生日おめでとう」。  いくつにな るの? いくつに見えます? 黒文字をくれ。 楊枝だよ、鰻の串だろ、それ。  マヨネーズは、鰻の薬味じゃない。 はばかりの内側のピースボートのポスタ ー剥がしとけ。

 またいらっしゃい。 冗談じゃない、誰がこんな家に来るもんか。 下足(げ そ)出しとくれ。 今朝がた買った柾目の下駄だ。 ああ、あれはお供さんが 履いて行かれました。 あいつの履いて来た小ぎたない下駄は? あれはお供 さんが新聞紙にくるんで、お持ち帰りになりました。

橘家圓太郎「小言念仏」のマクラ2019/09/02 07:20

 国内の島に、一週間ほど滞在して、自転車で一周したりした。 お爺さんが、 畑にプールをつくって、未就学児童の面倒をみている。 発達心理学や大脳生 理学をやった人で、三歳児が何で、五歳児が何だか、子供たちをずっと見守っ ている。 最近、イライラしている人が多いのは、子供の時に遊ばなかったか らだそうだ。 他人との距離感は、脳ができてから学ぶ。

 私(圓太郎)は、福岡の有名な質屋の息子で、三歳から福岡女学院付属幼稚 園で学んだ。 だから、寄席で笑わない客がいると、イライラする。 子供は、 うっちゃらかしておくと、上手く育つ。 親父は次男坊で、家には仏壇がなか った。 仏壇のある家は40%ぐらいで、小さい時から仏壇に手を合わせる習慣 があるのは、いいそうだ。 自分は、お爺ちゃんが大好きで、よく本家に行っ ていたから、仏間で手を合わせる習慣があった。 訪問した家で、仏壇にお線 香をあげると好感度が上がる。

 お爺ちゃんは、男は笑っちゃいけないと教えたので、笑うことができない。  長生きしたいと言っていて、87、8歳で死んだ。 近所の評判が悪い、人望が ない。 のびのびしていて、爺ィの中の爺ィだった。 若者が玄関先にタバコ を捨てたら、二人を捕まえた。 糞爺ィ、早く死んじゃえ! 何を言われても、 聞こえねえんだぞ!

 遊ぶだけ遊ばせて、老いてゆく姿を見せることが大事。 昔、トライアスロ ンをやっていた。 歳を取ってやると、引っくり返る。 その姿が、人を育て ていると、気付いた。 アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発してい る。 落語研究会や電話でも、踏み間違えることが多々ある。 ベテランが受 けないこともある。 しょうがないものは、しょうがない。 私も、そういう ステージに上がっている。

橘家圓太郎「小言念仏」の本篇2019/09/03 07:14

 おはよう、おはよう、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、お婆さん、呼ばれたら、 こっちを向きな。 今、東京瓦版を読んでます。 渋いね、お仏壇に蜘蛛の巣 が張っているよ。 蜘蛛をつぶしましたから、大丈夫。 小さな虫を朝から殺 生して、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、お線香立てに、篩(ふるい)をかけろ、 マッチ棒ばかり立ってるじゃないか。 花を活けなよ、枯れすすきが立ってい る、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。

赤ん坊が這ってきたよ、落っこちると危ない、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、 こっちに這ってきたよ、南無阿弥陀ブ。 美津子! お嫁さんじゃないか、美 津子と呼ぶから、折り合いが悪いんだ、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 バァ ーー、笑わないね、嫁に似て可愛げがない、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 お 兄ちゃんを起こしなさい、遅れるよ。南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 鉄瓶の 蓋が、チンチン言ってる、蓋切らないと吹きこぼれるぞ、南無阿弥陀ブ、南無 阿弥陀ブ。 飯、焦げ臭いぞ、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 お隣です。 新婚だから、見つめ合っている内に、焦げたんだろう、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 赤ん坊が動かない、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、やっちゃったよ、 拭きな。 濡れたおしめで畳を拭くな、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、雑巾で 畳の目なりに拭くんだ。

 美津子さん、ご苦労さん、御付の実は何? 芋…、芋じゃない何か、あるだ ろ、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 泥鰌(どじょう)屋が来た、泥鰌屋を呼 びな、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 鍋を持って、南無阿弥陀ブ、(大きな声 で)泥鰌屋! 泥鰌屋! 南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ、(大声で)南無阿弥陀 ブ! ご苦労さん、ちょっと負けな、南無阿弥陀ブ、一銭負けな、表を閉めて くれ、これから飯を食うから。 何をぼんやりしているんだ、今の内に何匹か 鍋に入れろ、南無阿弥陀ブ、南無阿弥陀ブ。 酒を入れるんだ、生臭くなる、 酒に溺れて身が柔らかくなる。 バタバタ暴れています。 南無阿弥陀ブ、南 無阿弥陀ブ、火にかけるんだよ、南無阿弥陀ブ、やりすぎるな、南無阿弥陀ブ、 のっそり動いてるよ、南無阿弥陀ブ。 動かなくなった、南無阿弥陀ブ、腹出 して死んじゃった、ザマアミロ、南無阿弥陀。

柳亭市馬の「淀五郎」前半2019/09/04 06:17

 江戸時代からの娯楽に、お芝居や、相撲、寄席がある。 お芝居は、ご家内 に諍(いさか)いを生むけれど、寄席はその点、円満だ。 検証すれば、入場 料に問題があって、芝居は2万円と、衛生によくない金額で、いい男が白く塗 って出て来るのを見て、家に帰って亭主の顏を見ると、諍いとなる。

 四代目市川団蔵、三河屋、皮肉で「いじわる団蔵」、守田座の『仮名手本忠臣 蔵』で、独壇場と言われた高師直や大星由良之助を演じた。 頭取、今戸の宗 十郎が倒れました、塩冶判官の代りがない、どうしましょう。 誰かあるだろ う、香盤を見せろ。 われわれの方は、前座、二ッ目、真打と階級があり、何 十人か飛び越して、真打になる者もいる(と、下手の楽屋の方を見て)その成 れの果てで…。 芝居では、下っ端の役者は、下立役(稲荷町(まち)と言っ た)、三階さん(中通り)などと呼ばれ、下立役、中通り、相中(あいちゅう)、 相中上分、名題下、名題と出世する。 門閥外だと、相中がせいぜいで、みっ ともないからと、名題にはできない。 四百何十年かの歴史の中で、名題に出 世したのが沢村淀五郎だった。 香盤を見た市川団蔵が、こいつにしろと言っ たのが、相中の沢村淀五郎。 淀五郎の判官でよろしゅうございますか。 淀 五郎は、さっそく名題に昇進、芝居茶屋の息子で、団蔵のひきでだんだん出世 してきていた。

 『仮名手本忠臣蔵』は、大序 鶴が岡兜改めの場に始まり、四段目の判官切腹 の場へと進む。 四段目は、弁当その他を客席に運びこめない、出物止めの幕、 文楽では「通さん場」といい、はばかりから帰っても入れない。 力弥が三方 を持って出て来て、判官の前に置く。 今生の別れだ、力弥は、なかなか戻れ ず、ようやく下手に下がる。

 いよいよ、切腹。 「トーーン」、「トーーン」、上使二人 石堂右馬之丞と薬 師寺次郎左衛門に、塩冶判官、大星力弥。 「力弥、力弥、由良之助は?」「い まだ参上仕りませぬ」。 判官は左手に九寸五分を持つ。 「由良之助は?」「い まだ参上仕りませぬ」。 右手に持ち替え、いざ切腹、太棹が「デェーーン」、 「デェーーン」、由良之助が花道から、ツツツツとそばに寄る、「御前ぇーーん」 「由良之助か」となる筈が、揚幕から出た団蔵の由良之助が花道の七三に止ま ったきりで、そばに寄ってきてくれない。 石堂右馬之丞が、「近う、近う」、 「委細承知仕った」。

 何だい、こりゃあ、酷(ひど)いね。 この男は、なっちゃねえよ。 お客 にも気の毒だ。 苦情を言ってる。 客席も、ジワジワくる。 由良之助が、 判官の傍にいない。 三河屋が、下向いてブツブツ言ってる。

 親方は、判官の傍に来なかった。 理由を訊きに行く、そんな型があるんで しょうか。 どういう料簡で、芝居をしている。 五万三千石の大名だぞ、そ れがえらいことをしちまった。 石堂右馬之丞が「近う、近う」と言っても、 行かれない、端から終いまで、みんな悪い。 本当に腹を切ればいいんだよ。  死にます。 まずい役者は死んだ方がいい。

 明くる日も、四段目で、団蔵は花道の七三に止まったきりで、そばに寄って 来ない。 淀五郎は、明日、舞台で腹切って死んでやろうと、決心する。

柳亭市馬の「淀五郎」後半2019/09/05 07:12

 淀五郎が明日、舞台で腹切って死んでやろうと決心して、中村座の脇を通る と、跳ね太鼓が鳴っている。 栄屋、中村仲蔵(斧定九郎の型を考案した)の 所に寄る。 何です、紀伊國屋さんじゃありませんか、名題になれば玄関から 来て下さいよ。 淀さん、こっちへお出で。 若い人が出てくると、われわれ は助かる。 親方に、暇乞いに参りました。 旅に出ようってのかい、どっち へ。 西の方へ。 上方かい、いつ立つ。 明日。 昨日、初日だったんじゃ ないか。 ゆっくりして行けるかい。 誰も、傍によせるな。 淀さん、こっ ちへお出で。 お前さんは陽気な人で、いつも女中たちをワッと笑わせる、そ れがどうしたい、話をしてごらん。

 明日、あの舞台を踏めないんです。 団蔵が花道を動かない件か。 三河屋 に訊いたのかい。 教えてくれないんです、本当に腹を切ればいい、まずい役 者は死んじまえって、言われました。 偉い、そこだよ、どうやって切るんだ。  本当に腹を切って、由良之助を刺し殺す。 乱暴だね。 料簡が若いね、お前 を名題にしてくれたのは誰だ、団蔵だよ。 お前に見どころがあるからで、う まくなれ、うまくなれって、背中を押しているんだ。 そこで、やってごらん。

 その辺はよかろう(と、煙草を喫いながら、見ている)。 (煙草をポンとや って、)これはなるほど、三河屋が傍に行かれないわけだ。 料簡は五万三千石 の大名だよ、身体から浮き上がっている。 左手が膝から落ちる形が、左肩が 下がって、よくない。 手を膝に、格式を持って、形よく、品よく、行儀よく 腹を切るんだ。 「由良之助か」の調子が、高過ぎる。 痛いな、じゃなくて、 冷たいな、と思って、セリフを霞み気味に言う。 顔色は、耳たぶの後ろに青 黛(せいたい)を塗っておいて、腹を切ったら、中指につけて、唇にさっと塗 る。 落ち入りは、刃物を持った拳を上向きで、落ち入りになるようにしなけ りゃいけない、力弥が取りやすいように…。 淀さん、お前に期待しているん だ、しっかりおやり。

 明くる日、団蔵は本当に斬られるかと思った。 「近う、近う」。 出来た、 これはいい判官だ。 一晩で、こんないい役者になったか。 いいものを見た。  この判官なら、ツツツツとそばに寄る、「御前ぇーーん」「由良之助か」。 三日 目に、淀五郎の塩冶判官の傍に団蔵の由良之助がいた。