「和歌山・高野山・白浜を訪ねる」(3)〔昔、書いた福沢114-3〕2019/09/21 07:01

               高野山・木の国

 10月22日(月)バスは関ケ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村親子の幽居の 地、九度山(くどやま)を経て、高野山への道を登る。 高野山は、真言宗の 開祖・空海(弘法大師)が弘仁7(816)年に開いて以来千二百年になる一大聖 地。 標高900メートル、東西6キロ、南北3キロの山上盆地に、人口3千3 百人、内千人がお坊さん、全町お寺の借地という。 高野山高校、高野山専修 学院、高野山大学がある。

  秋光やルーズソックス高野山

 大門前で交代した専門のガイドが、必ず落ちのつく名調子で案内する。 ま ず壇上伽藍で、派手な朱塗の根本大塔、葉が三本で財布に入れておくと金が貯 まるという三鈷(こ)の松などを見る。 総本山金剛峯寺をお詣りし、総持院 で精進料理の昼食をいただく。 白身のお刺身も、赤身のまぐろもコンニャク、 蒲焼はやまいも、肉の佃煮風はお麩を使い乾かしたものとか。

  茸飯折目正しき給仕僧

 時間の関係で、中の橋から奥の院参道に入る。 一番の巨木で樹齢7百年と いう老杉の木立の中、奥の院参道の両側にはズラリと20万基を超すという石 塔・墓石が並ぶ。 織田信長、明智光秀、武田信玄、上杉謙信、戦国武将・諸 大名が敵も味方も仲良く、各企業の供養塔や最近建てられた2億8千万円とか いう墓まで、諸行無常の趣がある。 奥の院の最奥には大師信仰の中心となる 聖地、弘法大師御廟がある。 灯明と香煙の絶えない拝所で、団体参拝の信者 の方々が一心に般若心経を唱えておられる姿には、心打たれるものがあった。

 高野山にいる間、幸い降っても小降りだった雨が、バスで白浜温泉へ出発す る頃から本格的な降りになった。 高野・龍神スカイラインの護摩壇山付近を 通過中、倉持幸一さんの「海瀬さんのお家は、高野山のあの大杉と同じく7百 年続いている」という見事な紹介で、この旅行で何かとお世話になった海瀬亀 太郎さんから林業のお話を聞く。 北海道や東北の森林に国有林が多いのにく らべ、関東や西日本では国有林が少ない。 和歌山県では山林面積で94・5% が、海瀬さん達の民有林なのだそうだ。 今、走っている道路の右側が和歌山 県、左側は奈良県なのだが、右側の山林は全部海瀬さんの所で管理していると 聞いて、びっくりする。 この道路からして、林道として開拓したものを、後 に和歌山県が道路に整備したものだそうだ。 森林は80年から100年という サイクルで育成する必要がある。 海瀬さんが今伐採しているのは四代前、曾 祖父に当たる方が植えたものだという。 そして四代後を考えて、木を植えて いかねばならない。 林業は昭和40年代から、国際的な自由競争にさらされ、 事業として成り立ちづらい状態が続いている。 しかし、山林は川の源流域に あり、水を安定的に流して行く「山づくり」が必要で、南方熊楠の「命あるも のが共生する」エコロジーの考え方からも、林業界だけでなく国民みんなの課 題なのだ。 福沢記念育林会「育林友の会」のことも紹介された。

  尾根の右「すべてわが山」ブナ黄葉

 雨の中、真っ暗になった道を、白浜のホテルに向けて、ひたすら下る。 な かなか着かない。 思えば和歌山県を縦断する距離なのだ。 途中、晴れてい れば星空を見るのに最適という場所もあり、東京では考えられない闇の連続だ。

コメント

_ 海瀬亀太郎kaise@myad.jp ― 2019/09/21 17:55

早速読ませて頂きました。
懐かしい昔を思い出しました。

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