三種の神器が乗った列車2020/05/06 06:54

 原武史さんの『昭和天皇』(岩波新書・2008年)を読んで、「等々力短信」第 999号「お濠の内の祭」を書いたのは2009(平成21)年5月25日だった。 そ のあらましは、以下の通りである。 昭和天皇は宮中祭祀をきわめて重要なも のと考え、熱心だったが、平成の天皇も皇后とともに、宮中祭祀に非常に熱心 で、「その熱心さは、古希を過ぎても一向に代拝させないという点で、昭和天皇 を上回っている」。 だが、室町時代前期の後光厳から江戸時代末の孝明(明治 天皇の父)まで歴代天皇の葬儀は、神式でなく、天皇家の菩提寺、御寺(みて ら)と称した京都の泉涌寺(せんにゅうじ)で執行された。 明治維新後、天 皇を中心とする明治新政府の樹立で、新政府は祭政一致を方針とし、神道の国 教化を推進した。 「宮中祭祀」は、新嘗祭を除くほとんどが、明治になって 創られた「伝統」なのである。

 政治学者で日本政治思想史がご専門の、その原武史さんが、いわゆる「鉄っ ちゃん」鉄道マニアぶりを発揮して、昨年10月から朝日新聞の土曜版の連載 している『歴史のダイヤグラム』が、まことに興味深い。 昨年10月22日に は、新天皇の「即位礼正殿の儀」が行なわれた。 この儀式が東京で行われる のは、平成に次いで二度目、それまでは京都で行われていた。 明治中期に制 定された旧皇室典範では、即位の礼と大嘗祭は京都で行われなければならない ことが規定されていて、大正と昭和の即位礼正殿の儀に相当する儀式は、京都 御所の正殿に相当する「紫宸殿」で行われた。 大正天皇も昭和天皇も、東京 から東海道本線を走る御召列車に乗り、途中名古屋で一泊してから京都に向か った。 ただし京都に向かったのは、天皇だけではなく、皇位のしるしとされ る「三種の神器」、すなわち八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつる ぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)もまた、天皇が乗ったのと同じ列車で 運ばれたのだ。

 三種の神器のうち、鏡の本体は伊勢神宮に、レプリカは皇居の賢所(かしこ どころ)にある。 剣の本体は熱田神宮に、レプリカは天皇の住居にある。 勾 玉は剣のレプリカと同じところにあり、両者を合わせて「剣璽(けんじ)」とい う。 東京から京都まで列車で運ばれたのは、正確にいえば鏡のレプリカと、 この剣璽だった。

 剣璽は一泊以上の天皇の外出の際、天皇と一緒に運ぶことになっていたから、 天皇が乗る「御料車」に剣璽を置く「奉安室」が設けられた。 鏡のレプリカ は原則として賢所から動かさず、例外的に京都で即位の礼と大嘗祭を行うとき だけ動かした。 つまり鏡のレプリカが皇居の外に持ち出されたのは、1915(大 正4)年と1928(昭和3)年の2回しかない。 御召列車には、御料車のほか に「賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)」と呼ばれる車両が連結された。  大正天皇の即位の礼に合わせて、東京の鉄道院大井工場で製造された「賢所乗 御車」が実際に使われたのは上の2回だけで、1959(昭和34)年に廃車とな った。 そう説明した原武史さんは、いまなおJR東日本の東京総合車両セン ターに保管されているらしいので、「賢所乗御車」を今回の即位の礼に合わせて 公開してほしい、鉄道史上唯一の、「神」を乗せる車両だからだ、と書いている。

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