保険会社の創始、明六社の人々と蕃書調所2020/06/16 06:54

座談会「150年のスパンで「統計学」を見る」で、初めて知ったことがある。  渋沢栄一と福澤が、大隈重信の家で将棋をさし、その対局中、三人で保険制度 について議論したと、渋沢の回顧にあるというのだ。

大久保健晴教授…言うまでもなく、保険制度は統計的思考を基礎に成立・定 着する。 福澤、渋沢、大隈。 彼らが個々の立場を越えて、社会のあり方を 統計的な眼差しで眺め、保険会社や銀行、統計局など新たな制度の創設に取り 組んだことは、近代日本の形成を考える上で、極めて重要な意味を持っている。

福澤諭吉は、西洋の保険制度を、『西洋旅案内』などを通じて日本に先駆的に 紹介した。 日本ではじめての保険会社・東京海上保険会社を創設したのが、 渋沢栄一だ(1879(明治12)年8月1日)。

馬場国博教諭…塾員の阿部泰蔵が明治生命を創る(1881(明治14)年7月9 日)。 そのように福澤は、門下生に統計を生かした仕事をさせている面もある。  それから1890(明治23)年に慶應の大学部ができるわけだが、開設当初から 理財科には「統計学」という科目を設置し、呉文聰(くれあやとし)、横山雅男 といった人物に講師を務めさせている。 横山雅男は、杉亨二が設立した共立 統計学校の卒業生で、スタチスチック社などで統計の普及に尽力した人物だ。

椿広計(ひろえ)統計数理研究所長…杉亨二とともに国勢調査に対して非常 に影響を与えたのが呉文聰で、蕃書調所の首席教授だった箕作阮甫(げんぽ) の孫だ。 明六社の人々につながる源泉は蕃書調所というところが大変大きな 影響を与えている。 そこに統計的方法を社会にどう使うかという話が脈々と あって、明治の初期に非常に優秀な統計学者が出たのではないかと感じる。

馬場国博教諭…ライデン大学(留学)から帰ってきた西周と津田真道、それ から西村茂樹、杉亨二、皆、明六社だ。 このように明六社の人々が中心とな って統計学が非常にブームになった。

大久保健晴教授…杉亨二は徳川末期、西周や津田真道、加藤弘之らとともに、 蕃書調所に所属していた。 蕃書調所は、徳川政権が西洋事情の調査と洋学教 育を目的に設立した学問機関であり、多くのすぐれた蘭学者・洋学者が登用さ れた。 杉亨二によれば、彼はオランダの新聞「ロッテルダム・コーラント」 を読み、ヨーロッパには統計というものがあると知って、面白いと思っていた。  そこに西と津田がオランダ留学から帰ってきて、ライデン大学教授フィッセリ ングから学んだオランダ語の統計学講義ノートを見せる。 杉はそれを読んで、 一気に統計学に深入りしたという。 フィッセリングは、当時のオランダを代 表する統計学者・経済学者で、隣国ベルギーでケトレーが統計学を大成させ、 政府統計局を創設したことに影響を受け、オランダでも政治的に中立な政府統 計局を作ろうと動く。 (13日に見たように、『文明論之概略』で福澤が取り 組んだバックルの『英国文明史』は、文明史の方法論としてケトレー統計学を 導入していた。)

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